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第23話 「彼女は、不幸体質(シンデレラ)」


 シャワーを借りてもいいですか、とユーリィが言い出したのは、部屋に入ってすぐのことだった。


 ランク戦が終わった後も、寝るところを探していて、汗を流すどころではなかったらしい。

 シローは内心の動揺を必死に隠しながら、好きにしろ、とだけ伝える。すると彼女はぺこりとお辞儀をしてから、制服姿のままシャワールームへと姿を消す。そして、スカートやら何かを脱ぐような布擦れ音をさせて、今に至っている。


「……これは、精神的にキツイな」


 戦場で孤立無援となったような顔で、シローはシャワールームのほうを見る。

 あの壁の向こうには、あられもない姿になったユーリィがいると考えると、どうにも気が落ち着かなくなる。シャー、とお湯が流れる音がして、ようやくシローは視線を部屋のほうへと移した。


「……はぁ、落ち着かない」


 何か見つかるとマズイものはあるだろうか。


 注意深く自分の部屋を観察していくが、目に見えるところにはやましいものはない。

 あとは、ベッドの下に隠した『あれ』が見つからなければいい。

 もし、あれが誰かに見つかったり、まして紛失したとなれば、大変なことになるだろう。共和国の文化遺産省からは身に余る損害賠償を請求させるだろうし、軍からは様々な権利を剥奪された上に軍法会議にかけられる。運が良ければ銃殺刑で済むだろうが、下手をしたら500年は牢獄から出てこられないだろう。


 シローとしても、こんな厄介なものを持っていたくはない。

 だが、上官であり、学園長でもあるグラン大佐の指示では従うしかない。あの『戦争を起こさないためには何でもする穏健派』の上官は、使える予備戦力を手放す気などないらしい。


「シャワー、ありがとうございました」


「あ、あぁ―」


 いつの間にか、シャワーの音が止んでいた。


 ユーリィの声がしたので、シローは何気なくそちらを向く。

 そして、彼女の姿を見て、……目玉が飛び出しそうなほど驚いた。


「なっ!?」


「……え? どうしました?」


 何事もないかのように答えるユーリィ。

 だが、この場に限っていえば、正しいのはシローの感覚であって、ユーリィのそれは普通とは著しくかけ離れていた。


 白く立ち上る湯気。

 濡れた黒髪。

 真っ白な肌に、バスタオルの上からでもわかる幼い体つき。

 ……そう。彼女が身に纏っているのは白いバスタオルだけ。それも、辛うじて股下が隠れているような欲情的な姿。ほんのりと赤く染まった肩が、どうにも艶めかしい。


「……な、ななっ!?」


 シローが珍しく狼狽する。

 口をぱくぱくさせて、声も出すことができない。

 それから数秒間、ユーリィの肢体に視線を釘付けにさせていたものの、慌てて彼女に背中を向けることができた。


「な、何を考えているんだ! お前は!?」


「え? 何って?」


 ユーリィが首を傾げる。

 自分のどこに問題があるのか、わからないといった表情だった。


「何か、問題でもありますか?」


「あるに決まっているだろう! お前、何て恰好をしているんだ!」


「大丈夫ですよ。バスタオルもありますし」


「そういう事じゃない! 自分の体を見られて、恥ずかしくはないのか!?」


 それは、年頃の少女にとって当たり前の感情だと思った。

 誰だって、自分の裸体に近い姿を見られたら羞恥に駆られるに決まっている、と。だからこそ、シローは当たり前のことを声を裏返させながら訊ねたのだ。


 ……しかし、ユーリィからの返答は。

 ……シローが予想もしていないことだった。


「もしかして、……シローさんは私のことを、女の子として見てくれているのですか?」


「あ、当たり前だろうっ!」


 シローはまだ背中を向けたままだ。


「ここは男子寮だぞ! しかも、他には誰もいない個室だ。それなのに男の前で、そんな無防備な姿を晒すなんて!」


「……私は、あまり発育が良くないですけど」


「そんなこと関係ない!」


 世の中には、小柄な女の子が好きな紳士もいると、どこかの本で呼んだことがある。


「俺が変な気を起こしたらどうするつもりだ。いいから、すぐに服を着ろ」


「……」


 シローの問いかけに、ユーリィは答えなかった。

 どうしたのか、と振り返りたくなるが、彼女の姿を思えば振り返るわけにもいかない。

 そんなことを考えていると―


 とんっ、と背中に軽い衝撃が走った。

 何が起きたのか。シローは思考を巡らせようとする。その時、幼く小さな手が、彼の体に回されていた。


 湿ったバスタオルの感触。

 伝わってくる肌の温もり。

 少女特有の柔らかい肌と、慎ましいながら膨らんだ双丘が、シローの背中に当てられている。

 ……バスタオル姿のユーリィが、シローを背中から抱きついていたのだ。


「ゆ、ユーリィ!?」


 いよいよ、シローもパニックになる。

 どう対処すればいいのかわからず、完全に自分を見失いかけていた。

 そんな時、背中に抱きついたユーリィが、消えそうなほど小さな声で囁いた。


「……いいですよ。シローさんが望むのなら」


「……え」


 どくん、と心臓が脈を打つ。


「……もし、シローさんが私のことを求めるのなら、絶対に拒みません。好きなように、私の体を好きにしてください」


「お、お前、自分が何を言っているのかわかっているのか!?」


 裏返った声で問いただすが、彼女の返答は実にシンプルなものだった。


「えぇ、わかっています。私もシローさん以外には、こんなことは言いません」


 それはどういうことなのか。それを聞くよりも先にユーリィが続ける。


「シローさん。前に、魔法を自分の意思で使えない人のことを話していましたよね。覚えていますか?」


「そ、それがどうした」


 前回のランク戦の時。魔力反応があっても、自分の意思で魔法を発動できない人について説明していた。俗にいう『体質』と呼ばれる人たちは、体内に溜まった魔力が、自身の性質に大きな影響を与えることがある、と。


「あの時は話していませんでしたが、私の魔法も、……その『体質』に関係するものなんです」


「なん、だって?」


 シロー驚いた表情になる。

 ユーリィに魔法のことを聞いた時、自分に相応しい下らないもの、と言っていたが、まさか体質持ちだとは思わなかった。


「はい。……これも黙っていたことなんですが、『体質』については、学園長さんに連れられて病院で検査する前から知っていたことなんです」


 はぁ、と彼女が艶めかしいため息をつく。


「私の魔法は、……『不幸体質シンデレラ』。自分が幸せを望めば望むほど、どんどん不幸になっていく。………本当に、下らない魔法」


「不幸体質、だと」


 そんな魔法があるのか、とシローは驚愕する。

 だが、これまでの彼女のことを振り返ってみると、その存在が嫌でもしっくりきてしまう。

 

 両親のいない孤児院育ち。

 戦争で混乱した国境沿い街では、食べるものも、飲む水すらない。

 終戦を迎えたところで、彼女には帰る場所もなかった。


 学園長の手でこの学園に連れてこられたが、そこでも恐喝やイジメにあってしまう。掃除用具室に寝泊まりをして、こっそりと学園に通う日々。服も制服や体操服だけで。私服すら、ひとつも持っていない。……最初に出会ったとき、薄幸として印象を受けたが、まさかそれが『体質』によるものだったとは。


 ふと、彼女の笑っていた顔を思い出す。

 いつも何かを諦めているような、違和感のある笑顔だった。

 ……そうだ。彼女はすでに諦めていたのだ。自分が幸せになることを。今よりも、もっと良いことが起きることを。これから自分がどうなるのかさえ、本当はどうだってよかったのだ。


 彼女は『不幸体質シンデレラ』。望めば望むだけ、不幸がやってくる。


「きっと私自身も、自分のことなんてどうなってもいいと思っているんでしょう。誰かに裸を見られようとも、その人に襲われようとも、どうでもいいんです。……正直、興味もありません」


 ぽつりぽつりと呟かれる、その声は。

 シローが聞いたことのないユーリィの大人びた声だった。いつも、にこにこ笑っていた彼女は、今どんな表情をしているのだろうか。


「……でも、シローさんに出会えたのは、私にとっての幸福でした。何もできない私に、いろんなことを教えてくださって、チームの一人として迎えてくれた。それが、どれだけ特別なことだったのか、あなたにはわからないでしょうね」


 ぎゅっ、とシローの体に回された腕に力がこもる。


「だから、もしシローさんが私を異性として見てくれるのなら、どうぞ私の体を好きに使ってください。恩返しをさせてください。発育も悪いし、食べてもおいしくないかもしれませんが、……純潔だけは守ってきました」


 彼女の額が、背中に当てられる。

 火照った体が、どうしようもなく熱い。


「ユーリィ、お前は―」


 だが、それ以上に。

 シローの心のほうが、熱く燃えていた。


「―お前は、馬鹿だな」


「……馬鹿、ですか?」


「あぁ。お前がどれだけの不幸を抱えてきたのかは知らない。でも、この学園のことなら、誰かに相談すればよかったんじゃないのか?」


 そっと、シローは自分に回された彼女に手に触れる。


「部屋の問題だって、そうだろう。俺やゼノに相談すればいくらでも手を貸せたのに。毎朝、毎朝。誰にも気づかれないように学園で下着を洗うくらいなら、ちょっとでも俺たちのことを信用すればよかったんだ」


 彼女が何か言おうと口を開く。

 でも、それを遮るようにシローは続けた。


「なぁ、ユーリィ。一番やってはいけないことはな。本当に辛いときに、一人で抱え込んでしまうことだ。そんなときは誰かに叫べばいい。助けて、と。……恥ずかしくても、誰かに笑われようともだ。……俺はそうやって戦場を生きてきた」


「戦場?」


「あぁ。俺は帝国との戦争で、少年兵として参加していたから」


 そこから輝かしい戦歴を上げて、少尉まで昇格したことは口にしない。


「酷い戦いだった。仲間がどんどん倒れていってな。俺も必死になって銃を撃ったよ。でも、それが今ではランク戦でも撃てない『臆病者』呼ばわりさ」


「……シローさん」


「なぁ、ユーリィ。約束してくれ。本当に辛くなった時や、自分ではどうすることもできなくなったときは、助けを呼んでくれ。そうじゃないと、誰もお前を助けることができないんだ」


「……ふ、ふふっ。何を言っているんですか? 私は『不幸体質シンデレラ』なんですよ。そんなことをしたら、シローさんにも迷惑がかかる―」


「約束してくれ」


 ユーリィの自嘲する声を遮って、ぎゅっと彼女の手を掴む。


 頼むから、お願いだから。

 そう言っているほど、シローの声は真剣だった。


 瞬間、ユーリィの瞳が大きく揺れた。


「……わかりました」


 そして、シローは見ることができなかった。

 それまで偽りの笑顔を張り付けていたユーリィが、初めてその表情を崩していた。泣きそうになるのを必死にこらえて、見ているものが切なくなるほど哀しそうな顔になる。それまで彼女の心に押し込めてきた感情が、ゆっくりと決壊していくように。


 彼女が生まれて初めて、他人に心を許した瞬間だった。


「……よろしく、お願いします」


「あぁ、それじゃあ―」


 シローはそう言って、自分が着ている上着に手を伸ばす。

 そして、その上着をゆっくりと脱ぎながら、彼女の手を離させて。


 ……あろうことか、そのまま上着をユーリィに投げつけたのだ。


「ぎゃっ!」


「わかったなら、今日はもう寝ろ! 空いているベッドを使っていいから! 俺はもう先に寝る! おやすみ!」


 早口でそう言うと、そのまま布団に潜り込む。

 シローとしても、もう限界だった。

 これ以上は、……情熱を持て余す。


「……はい、おやすみなさい」


 そんなユーリィの声を聞きながら、眠くなれとぎゅっと目を強く瞑った。



――◇――◇――◇――◇――◇―



 早朝。

 太陽が昇り、小鳥の囀りが聞こえてくる。

 ベッドでは横になっていたシローが、カッと目を開いていた。

 その眼球は、真っ赤に充血している。


「……眠れるわけがねぇ!」


 完徹。見事に一睡もできなかった。

 自分の部屋に年頃の女の子がいるだけなら、ここまで重症になることはなかっただろう。

 問題は、空いているベッドを使っていいと言ったはずなのに、なぜかユーリィが同じ布団で寝ていることだった。


 しかも、自分のことを抱き枕だと勘違いしているのか、ぎゅっと抱きしめてくるのだ。時折、すりすりと甘えるような背中に頬ずりをされるたびに、心臓が跳ね上がってしまい、眠気などどこかへ消えてしまう。


「すぅー、すぅー。……シローさん」


 当の本人は、完全に熟睡している。

 なぜかシローの上着を寝間着代わりにしているし、警戒心はおろか、その無防備な姿からは信頼されているような気分になってくる。


 故に、余計に手が出せない。

 見事な生殺しを受け続けて、シローは精神は限界にまで達していた。


「……これは、死ぬかもな」


 混濁した意識の中、彼はとある疑問が思い浮かぶ。

 ……ユーリィがここに泊まるのって、今日だけだよな?

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