第22話 「今日だけ、泊めていただけませんか?」
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……はっはっは。いやー、死ぬかと思いましたよ。
ランク戦が終わった、その日の放課後。
対戦相手であったカレィ・カリンカが挨拶にやってきた。彼は『乱射体質』から完全に解放されていて、今は穏やかな表情を浮かべている。ただ、トレードマークである丸眼鏡が割れているのが、なんともいえない寂寥を誘った。
カレィと別れた後、シローたちはそれぞれ別行動をとることにした。
昼間のランク戦もあって、ミリアは目に見えて疲労が溜まっていたからだ。ゼノも《普通歩兵科》の友人と約束があるといって、足早に去っていった。
「ユーリィはどうする?」
「そうですね。私も疲れたので休みたいと思います」
にこり、と笑いながら答えた。
いつもと同じような笑顔だ。
だが、シローには。その表情が何かを隠しているように見えた。どことなく、彼女が困っているように感じたのだ。
「……大丈夫か?」
「何がですか?」
「いや、何か困っているようにも見えたから」
シローが何気なくそう言うと、ユーリィの瞳が一瞬だけ見開かれた。
しかし、すぐにいつもの笑顔に戻ってしまう。
「……平気ですよ。意外と心配性なんですね」
「そうか」
シローは頭を掻きながら自分の考えを改める。
彼女本人がこう言っているのだから、本当に何もないのだろう。
「まぁ、何か困ったことがあったら遠慮なく言ってくれよ」
「はい!」
ユーリィは笑顔のままお辞儀をして、とことこと学園の廊下を歩いていった。
要らぬ心配だったなと、この時のシローは思っていた。
夜になった。
太陽が沈んで、月が空を照らしている。
数えきれない星々を見上げながら、シローは男子学生寮へと帰ってきた。夕方に皆と別れた後、一人で自主練を行っていたのだ。
数年前の戦争では『最多狙撃数』の記録を誇り、オルランド共和国軍の現役の少尉であるシローでさえ、日々の鍛錬を怠るようなことはしない。人を撃てない心的外傷に悩まされながらも、彼は狙撃銃を握り続ける。
その日も、いつもと何も変わらなかった。
普段と同じように、学園の備品であるスナイパーライフルを倉庫に戻して、食堂で少し遅い夕食を食べて、今度の週末はゆっくりしたいなと漫然と考えながら、自分の部屋へと戻ろうとしていた。
この時、彼が率直に思ったのは。
不測の事態というものは、本当に予期せぬタイミングで起こるのだな、という教訓じみたことだった。
何があったのか、と端的に説明するならば。
……シローの帰りを待っているかように、ユーリィが部屋の前で小さく体育座りをしていた。
「……あ、シローさん。えーと、こんばんわ」
にこり、とユーリィが笑う。
「……その、ご迷惑だとはわかっているんですが、……他に頼れる人がいないもので」
彼女は手にしたわずかな荷物を握りしめて、身寄りを失くした子供のような目でシローを見上げる。
「……えーと、その、今晩だけ、シローさんの部屋に泊めていただけませんか?」
ユーリィが困り果てた笑みを浮かべていた。
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女子生徒が男子寮に入ることは、原則としては禁止されていない。
だが、もちろん注意はされるだろうし、自分の部屋に戻るようにと言われるだろう。それでもユーリィは譲らなかった。頑なに、シローが帰ってくるのを部屋の前で待っていたという。
しゅるり、しゅるり。
自分の部屋のシャワールームから聞こえてくる衣擦れの音に、シローは酷く気を散らせていた。
男子寮の部屋は、女子寮と同じ造りになっている。
二人一組の相部屋。
簡素な造りの机が二つあって、二段ベッドが設えている。だが、そこは伝統を重んじている共和国らしく、机にもベッドにも職人の手が行き届いた装飾が施されていた。
シローは、二人部屋を一人で使っていた。
ルームメイトになりたいという人間がいない、というのが表立っての理由だが、実際のところは違う。オルランド軍からは公然と身分詐称の指示が出ているし、現役の将校であるために機密保持の観点から、他の生徒を受け入れないというのが本音だ。なんとも軍上層部の考えそうなことだが、この部屋においては軍の機密など『ほとんど』ないし、友人を招き入れても何の問題もないだろう、というのがシローの見解だった。
「えーと、タオルはどれを使えばいいですか?」
「……好きなのを使ってくれ」
シャワールームのユーリィへ返事をする。
こちらに気も知らないで、と言わんばかりにシローは眉間を揉んだ。
ユーリィの申し出は、とても簡単なことだった。
『泊まれる場所が見つからないので、今日だけここにいさせてください』
正直、どういう意味なのか理解できなかった。
ユーリィはこの学園の生徒であり、生徒である以上は学生寮の部屋を用意してあるはずだ。現にミリアを迎えにいったときは、彼女は女子寮から出てきた。
『えっと、入学した次の日に、部屋から追い出されちゃいまして』
彼女は、諦めたような笑みを浮かべながら説明してくれた。
この学園に来てから、学園長から制服など一式を受け取って、他の生徒と同じように二人一組の相部屋を用意された。だが、そのルームメイトが最悪だった。翌日、ユーリィが部屋に帰ってみると、彼女の荷物だけ部屋から放り出されていたのだ。見ているとイライラしてくる、というのかルームメイトからの返答だったらしい。
だが、そんなことでショックを受けるほど、彼女は甘い環境で育ってはいない。雨や風が凌げるだけでも、あの国境沿いの街よりもマシ、と自分に言い聞かせて、どこか寝泊まりできる場所を探した。
『それからは、二階の隅の部屋で寝泊まりをしていました。……覚えていますか? ミリアちゃんの部屋の下にあった掃除道具室。あそこが私の寝床だったんです』
用意された部屋を追い出されてからは、掃除道具室で寝泊まりする日が続いた。埃っぽく、カビ臭いけど、寝込みを強盗に襲われないだけ安心して眠れた。
シャワーは学園の設備を使い、洗濯は学園の水道を使った。
太陽が昇るよりも早く学園に行き、誰にも気づかれないようにシャワーでカビ臭い匂いを落としては、水道で下着を手洗いする。シローと朝練をしている間も、同じ生活を送っていた。
『そこまでは良かったんですが、この前のミリアさんな魔力爆発。あの影響で、下の部屋にあった掃除用具室も使えなくなっちゃって。また、別の寝床を探さなくてはいけなくなりました』
ミリアの魔力爆発。
三階の隅の部屋で起きた爆発事故は、隣の空き部屋と、下の掃除用具室が崩壊するだけで、他の生徒には何の影響もなかった。そのはずだった。
ユーリィは夜な夜な、瓦礫ばかりの掃除用具室から私物を取り出すと、寝る所を求めて学園へと向かった。この時ばかりは、雨が降らなくてよかった、と彼女は笑っていた。
『この数日は、学園の空き教室で寝泊まりをしていたんですが、それも昨日の朝に見つかっちゃって。次の場所を探しているんですが、なかなか見つからないんです』
えへへ、と笑った。
部屋を追い出されただけでなく、寝るところまでない状況で、彼女は笑っていた。
全てを諦めている自嘲の微笑みだった。
『今日だけ、どうか泊めさせてください。明日には出ていきますので』
困り果てたユーリィを見て、学園の規則云々で断るようなことは、さすがのシローもできなかった。誰にも見られていないことを確認すると、素早く彼女を部屋に招き入れたのだった。




