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第10話 「リティア・フローレンスとは」

 リティアは話し終えると、双子の使用人に紅茶のお代わりを指示する。


 遠くから、授業が終わるチャイムが聞こえてきた。

 この温室に招かれてから、随分と時間が経ってしまったようだ。太陽は高く昇り、眩しいほどの光がガラス張りの天井から降り注ぐ。


「すみません。こんな話になってしまって。もしかしたら、通り越し苦労かもしれませんね。そうなったら、どうか私のことを笑ってください」


 リティアは申し訳なさそうに笑みを零す。

 細められた赤い瞳は、やはり感情の乏しいものだった。


「少々、陽ざしが強くなってきましたね。強すぎる太陽は植物にも悪いので、日陰を作りましょう」


 よいしょ、と両手を車イスに当てると、器用にその場で体の向きを変えた。

 ギギィと車輪が軋み、ゆっくりとした動作で動いていく。


 その間も、彼女の足が動く様子はない。

 動かないのではなく、動かせないのだと、ユーリィは理解した。


「あの、フローレンス先輩」


「リティア、でいいですよ。先輩という外見でもありませんしね」


「では、リティアさん。礼儀知らずと承知で聞きますが、……その足は戦争で?」


 ユーリィが恐る恐る、目の前の少女が車イスを使っている理由を尋ねる。

 すると、リティアは不快な表情を浮かべることなく答えた。


「えぇ。いつものようにアルフ山脈の防衛任務についていたときに、敵の炸裂弾を浴びましてね。傷は塞がったのですが、膝から下はまったく動きません」


 彼女の細い指が、自身の膝を撫でる。


「そうなんですね。すみません、嫌なことを聞いてしまって」


「構いませんよ。ユーリィさんは、シロー様に認められた人ですから。何でも聞いてください」


 その言葉の意味を、ユーリィは正しくは理解できなかった。


「でも、車イスの生活は大変そうですね」


「そんなことはありませんよ。慣れれば快適なものです。それに、私には従順な使用人がいますから。普段の生活で困ることなんて、ほとんどありません」


 リティアはそう答えながら、温室の隅に置かれている薄手のカーテンを手に取る。

 それで陽ざしから植物を守るのか。そう思ったユーリィは手伝おうと、テーブル席から立ち上がる。


「手伝いますよ。これを、どうすればいいのですか?」


「え?」


 リティアが驚いたように振り向いた。

 だが、すぐに先ほどまでの儚い笑みを浮かべる。


「ふふっ、ありがとうございます。ですが、ご心配にはおよびませんよ。カーテンをかけるくらい、一人でもできます」


「でも、車イスに座ったままじゃ―」


 ユーリィが食い下がろうと手を伸ばすと、リティアは必要ないと首を振る。


「問題ありません。それに―」


 それは乏しい感情から吐かれた言葉にしては、ぞっとするほど冷たい一言だった。


「……あなたがいても、邪魔なだけです」


「え」


 最初は、聞き違いかと思った。

 それほどまでに彼女の表情には変化がなく、感情は読みずらいものだった。

 そんなリティアに呆気に取られていると、彼女はカーテンを膝の上にのせて、車イスで移動を始める。そして、南向きの天井を見上げると、そっと背筋を伸ばした。


 瞬間、少女の足元が光り出す。


「っ!」


 その光は、淡い輝きを保ったまま、円形の幾何学模様へと形を変えていく。

 ……魔法陣。

 魔術兵士が魔法を使うときと同じように、車イスに乗った少女の足元に魔法陣が展開されていく。

 そして、瞬きほどの時間を挟んで。


 ……彼女の体が、ふわりと宙を浮いていた。


「飛んで、いる」


 ユーリィが茫然と見つめる。

 そんな彼女の視線を浴びながら、リティアの体は少しずつ天井へと向かっていく。足元には、淡く輝く魔方陣。そして華奢な背中からは、半透明の翼が生まれていた。その姿は、まるで―


「……天使」


 ユーリィは頭に浮かんだ言葉を、そのまま口にする。

 リティア・フォン・フローレンス。

 彼女の魔法は『飛行魔法ベル・エンジェル』。数年前の戦争では、アルフ山脈の女王『スノーホワイト』と呼ばれ、戦時中での戦車・装甲車の最多撃破数を記録している。

 当時から民兵扱いであったため軍人としての肩書はないが、軍にある魔術兵士の名簿には、しっかりと彼女の名前が載せられていた。


 リティアは温室を自由自在に飛びながら、手にしたレースのカーテンを揺らしていく。その姿は、ユーリィが言った通り、天使や女神といったものを連想させる。


 美しく、気高く、彼女は天井へと向かっていく。そして―


「あ」


 そのまま手を滑らせて、カーテンを落としてしまった。

 その先にいるのは、紅茶を準備している双子の使用人。バサバサッ、と派手な音を立てて落ちた布の塊は、二人が用意したばかりのティーポットに直撃して、できたての紅茶を盛大にまき散らす。


「……お嬢様」

「……このドジっ子が。そんなことだから、好きな男を落とすこともできねぇんだよ、です」


 二人の呆れた声が、確かに聞こえてきた。



――◇――◇――◇――◇――◇―



「リティアの魔法は、飛行というよりも、浮遊に近いものがある」


 シローが出し抜けに言った。

 場所は、学園の屋上。


 澄み渡った青空がどこまでも続いていて、心まで清々しい気持ちになる。

 本当は食堂に行きたかったのだが、まだ授業中ということもあり、誰の目にも触れない場所といったら屋上しか思いつかなかった。


 ……授業をサボタージュしたことは、私から学園に説明しておきます。と温室から出ていくときにリティアが言っていた。学園序列2位の彼女にかかれば、授業の無断欠席など、どうでもできるのだろうか。


「浮遊? それって、ふわふわ浮く感じの?」


「そうだ。自在に空を飛ぶ魔法ではなく、手にしたもの、身に着けたものと一緒に浮遊する魔法。自分では持ち上げることもできない巨大な銃も、手足のように扱うことができる」


 シローは、リティアが使っていた超重量の銃を頭に浮かべる。

 あんなものを一人で運用できる人間など、奇人変人が集まっている魔法学園でも、ゼノかグラン大佐くらいだろう。


「あの魔法のおかげで、リティアは何不自由なく生活できるんだ。温室への螺旋階段だって、車イスに乗ったまま飛んでいくことも可能だ」


「いえ、シローさん。私が聞きたいことは、そうではなくて―」


 シローの説明を遮って、ユーリィが尋ねる。


「あの人に会ってから、ずっと疑問だったんです。どうして彼女は、……『シロー様』と呼んでいるんですか?」


 ユーリィは涼風に黒髪を揺らしながら、まっとうな疑問をぶつける。

 リティア・フォン・フローレンスは高等部三年生。つまり、シローやユーリィよりも年上なのだ。華奢な体に、病弱な印象から、そうは見えないが。敬称をつけるべきは、こちらであるはずだ。


 なぜ、彼女は慇懃無礼いんぎんぶれいともとれるほど礼儀正しくて。

 なんで、シローが普段通りの口調なのか?


「……」


 ユーリィの問いかけに、シローは黙る。

 だが、それは気まずい表情ではなくて、どう答えたらいいのか困惑している様子だった。


「難しいな」


「え?」


 シローの言葉に、ユーリィが首を傾げる。


「どう説明したらいいのか。別に隠し事や、やましいことがあるわけではない。……ただ、そうだな。一言で片づけるのであれば―」


 数秒間。

 たっぷり時間をかけて、シローは言葉を選ぶようにして口を開いた。


「リティアは、自分の罪に苦しんでいる」


「罪? 自分のしたことに後悔をしていると?」


「そうだ」


 シローは端的に答えると、言葉を続ける。


「あれは戦時中のことだ。あいつが負傷して、両足が動かなくなったことは聞いたな」


「はい」


「その時、『スノーホワイト』の穴を埋める補充要員が、『ホワイトフェザー』と呼ばれた第九魔術狙撃部隊の狙撃手二名。その内の一人が、俺だった」


「それじゃ、リティアさんと同じ戦場にいたんですか?」


「あぁ。とはいっても、ほんの数カ月だけだがな」


 ふぅ、と軽く息をつく。


「その時に、なんというか、その、……俺と一緒に呼ばれた仲間が倒れてな」


 シローの言葉は、違和感を覚えるほど歯切れの悪いものだった。


「あいつは、そのことを今でも引きずっている。だが、戦争なんだ。同じ部隊の仲間が戦場に倒れるなんて、誰にだって経験のあることさ」


「そう、なんですね」


 肝心なところが説明されていない気がするが、それ以上を追及することができなかった。

 なぜか、シローが苦しそうに見えたから。


 だからこそ、ユーリィは明るく振る舞おうと思った。辛い過去を持っているのは、お互い様だ。せめて、同じ学園にいるときは楽しく過ごしたいと。


「……いい天気ですね」


「……あぁ」


 シローの背中に、自分の背中を当てる。

 すると、シローも押し返すように、ちょっとだけ体重をかけてきた。この支え合う感じが、なんとも心地よい。


「お腹、空きましたね」


「さっき朝飯を食べたばっかりだろう」


「ははっ、成長期なんですよ。食堂に行って、早めの昼食にしましょう」


「あぁ、それもいい」


 本日、何回目になるかわからない学園のチャイムが鳴る。

 ちょうど昼休みになったのか、ざわざわと生徒たちが騒ぎ出す。食堂に駆け出すものや、早くも売店に並んでいるもの。そんな彼らを喧騒を聞きながら、シローとユーリィは屋上から動こうとはしなかった。

 背中から伝わってくる、お互いの体温を感じながら。

 



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