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続きまして、茜音視点の話。
主人公が変わったわけではありませんよ。本当ですよ~(汗
窓から見上げた夜空は、憎たらしいほど満天の、星空だった。
時折、空を斬る様に流れる星は、幼い頃に見た流星群を連想させた。しかし、流星の光の強さは、この世界の方が数十倍も大きくて、眩しすぎて辺りが昼になったと勘違いする人が出てくるほどらしい。この世界では、流星群なんてそんな珍しいものじゃない。毎日かわりばんこに、一つの星座を中心として、星を降らせている。
鍛冶師アメリア・シュメール、またの名を藤崎茜音は、最後になるかもしれないこの夜を、炉の前で過ごしていた。明かりは炉の炎と窓から入り込む星の光だけ。そんな薄暗い状況でも、茜音はこの部屋のどこに何があるのか、感覚で理解できた。目を瞑って歩いても目的の物が取りに行けそうなほど。彼女がここで過ごした時間が長くそして深いことの証明に他ならない。
「ハシとハンマーは炉の右の壁、金床はすぐ下、万力は左の奥の机の上……」
炉の前に座り、膝を抱き寄せる。セミロングの黒髪が炉から放たれた風によって揺らされる。その感覚が、なぜか懐かしく、とても愛おしく思えて、思わず笑みをこぼした。
「でも、弱弱しい……」
普段ならば、炉を暖炉代わりにして、座ってなどいられない。暖炉に比べたらはるかに高温の炎が、炉の中で舞っているからだ。しかし、今日は「もういい」と思えた。この世界に転生してきてから、昼夜問わず絶やさなかった炉の温度を、茜音は初めて低くした。全てを飲み込む悪魔の口のようだと感じた炉の入り口も、焚火程度の炎がゆれるだけ。ずっと見ていると、その炎がまるで自分の魂のように思えてきた。否がおうにも、今日の出来事を思い出させられる。
隣町からやってきた懐かしい知人。そして行われた、最後の宣告。それでも生きて欲しいと言った、同い年くらいの碧眼の女の子。
――なんていい子なんだろう……アリスちゃんがいれば、わたしがいなくても、幸太郎は大丈夫だ。
「死期が近いってこういうことなんだ。前に死んだときは唐突だったから、こんなじっくり考えることなんて、なかったな……」
目を、瞑る。ここで過ごした長い月日を思い出していく。
辛いこともいっぱいあったはずなのに、なぜか浮かぶのは楽しかったことばかりだ。しかし、一部記憶が欠落したように思い出せないところもあった。その出来事に関する記憶が丸々無くなっているわけではなく、前後の記憶はあるのに、スポットで記憶が奪われていた。
「これが、魔王化の予兆……」
一つ、また一つと増えるたびに、平静を装っているはずの心が大きく揺れ動いていく。自分が、自分で無くなっていく感覚に、体の芯が震え上がる。
「怖い……」
身体を抱く。それでもこびりついた寒さは抜けていかず、それどころか逆に増していくようだ。
「怖い……怖い……」
言ってしまってから、はっと気が付いて大きく首を振った。だが一度吐き出してしまった想いは消すことなどできない。それがどんなに自分で認めたくないことでも。いや、認めたくない人の想いこそ、どれよりも強いのかもしれない。
「怖い……怖い……怖い……」
膝に顔を埋めようとしたところで、自分の膝が震えていることに気が付いた。震えていることを認識してしまえば、もう我慢など効くはずもない。
――もう、この世界にはいちゃいけないんだ。
「たまには年相応に泣いてみようかな……まだ十七だもん、許されるよね……こう、女の子みたいに、泣いても……」
そっか、わたし……まだ十七なんだ……。
弱い自分を閉じ込めていたはずの壁が、完全に崩壊するのを茜音は感じた。鼻の奥がツンとし始め、目が熱くなっていく。口は空気を求めて喘ぐばかり。漫画やドラマで見ていたような、泣き叫ぶことは、できそうになかった。弱い自分を未だ押さえつけるのに精いっぱいで、背後の扉からアリスが入り込んでいたことに、全く気が付いていなかった。
「アカネさ……」
背後からかけられた声に気が付き、急いで涙を拭く。しゃっくりも胸を叩いて無理やり止め、声が裏返らないように喉を小さく鳴らした。そんなことをしなくても、泣いていたことはばれているのだろうけど、アリスの前では気丈に振る舞いたかった。
鍛冶師アメリア・シュメールとして。
「あ……あの……」
「アリスちゃん、ちょっと目にゴミが入っちゃっただけだから……大丈夫。大丈夫……だから」
「大丈夫なわけない!」
耳を劈くほどの大きな声。この狭い部屋中に反響して、茜音の脳を叩く。こんなに大きな声をアリスが出せるなんて、茜音は考えていなかった。驚きのあまり膝から顔を上げ、まじまじとアリスの方を見つめてしまう。
アリスの表情は暗闇に紛れて見えにくい。だが、アリスが一歩一歩こちらに近づいてくるにつれて、その表情がハッキリと理解できる。アリスの目尻に溜まった涙に、茜音は動揺した。しかし、その眉間には皺が寄っており、よく見ると所為がだいぶ荒い。間違いない、アリスは泣きながら怒っているのだ。
「え? アリスちゃん? あの……」
「なんで!」
アリスの手が伸びて来て、がっちりと両肩を掴まれる。
「なんでみんな私に相談してくれないのよ! アカネさんもコウタローもナルカミさんも! なんで私に黙って話を進めちゃうの! いつまでお荷物扱いなの!? 私だってあなたたちほどではないけど、コウタローの傍にいた! 転生する前の世界のことも教えてもらった! でも一番肝心なことはいっつも私だけ置いてけぼり!」
涙に潤む蒼色の瞳に意識が吸い込まれていく。その目とは裏腹な、真っ赤な怒りに身を任せたアリスの口撃は、落ち着かない。
「私が転生者じゃないから!? 私がこの世界の住人だから!? 私はそんなこと気にしてないのに! いつも目を背けるのは転生者の方よ! お前にはわからないだろってそんなことばかり背中で語って! もううんざりなのよ!」
「ちょ……ちょっと落ち着いて……」
「アカネさん! 『死ぬことよりも、この世界に迷惑をかける方が嫌』なんていう建前はいらない! アカネさんの本音が聞きたいの! こんな我が儘言ってごめんなさい……。でも、だからこそ、お願いします! この世界のためだって言って、いなくならないでください!」
涙を流しながら頭を下げるアリスを見て、茜音は衝撃を受ける。
そっか。わたしは無意識に転生者とこの世界の人間を区別していた。この問題はわたしたち転生者の問題だって、線引きをしていたんだ。この世界に生きているっていう共通点があるっていうのに……。
肩に痛いほど食い込む手を包み込む。アリスははっと顔を上げた。
「アリスちゃんに訂正したいことが一つ、お詫びが一つ、質問が一つあるの」
涙を拭いながら、アリスはこくりと頷いた。
「『死ぬことよりも、この世界に迷惑をかける方が嫌』なのは、わたしの本音だよ。わたしはこの世界も、この世界に住んでいる人のこともが、大好きだからね。……だからこそ謝りたいことは、あなたに死にたくないことを打ち明けなかったこと。……ごめんなさい、あなたの言う通り、心のどこかで線引きしていた」
「はい」
「ごめん。最後に質問。幸太郎がわたしを殺すことを受け入れたの?ってこと」
アリスは大きく首を振った。
「受け入れられない。アカネさんが苦しむことも、コウタローが苦しむこともどっちも嫌。悩んでいる時間なんて残っていないことも、十二分にわかっている。でも考えることを辞めたくない」
アリスは顔を上げ、窓の外へと視線を送る。その目は星を見ているというよりか、その先のなにかとても大きな流れを見ているようにも思えた。
「私にこんな大きな問題の結論は出せないけど。せめて、傍にいたいって思った」
アリスは胸に両手を当てて、苦しそうに呟く。
「もう、誰かが勝手にいなくなるのは、見たくない。せめて、傍にいさせて欲しい」
たぶん、その瞳に浮かんでいるのは鳴上さんだ。わたしだって、鳴上さんが失踪したときは……殺されたと知ったときは、ショックだった。心にぽっかりと穴が開いたときの衝撃はたぶんわたしよりもアリスちゃんの方が何十倍も大きかったはず。
アリスちゃんの目とわたしの目が、合う。
なんて迷いのない、まっすぐな瞳なんだろう。わたしも、見習わなくちゃいけない。
最後かもしれないのだから、今まで以上にまっすぐに、生きてやる。
「わかった。アリスちゃん……ううん、アリス」
離れた場所にある炭を掴んで、炉の中に叩きこみ、間髪入れずに廃油を投げ込んだ。
炉の中で、猛烈な熱量が発生し、大きな火柱が上がる。辺りはこれまでにないほどの光と熱に包まれ、わたしを明るく照らしてくれる。
「見ててね、アリス」
「見てるよ、アカネ」
アリスはゆっくりと笑って見せた。笑い返す。
茜音は久しぶりに、心の奥底から笑えたような気がした。
――ずっと打ちたいと思っていた、一本の短剣があった。伝説の逸品と謳われた『無銘刀 風花』。死ぬ前に、絶対に完成させる。
その力をわたしはアリスから貰ったんだ。