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今回は主人公登場せず、アリスと茜音の御話です。


 アリスは窓から空を見上げながら、ため息をついた。

 夜空には多くの星が瞬き、時折空を斬る様に白い流星が流れていく。


「こういうのを星降る夜っていうのかな」


 アリスは一人呟く。そして窓を開けた。

 鍛冶屋「シュメール」は、農業村アウルの小高い丘の上に立っている。そのためか、窓を開けると、駆け抜ける風が、建物の中にまで入り込んできた。窓辺にテーブルと四つの座席があり、その窓側の椅子にアリスは座っていた。吹き抜ける風がアリスの頬や前髪を揺らしていく。その感触が、少しだけ粘っこく感じて、アリスは眉をひそめた。


「風……私の街とは全然違う」

「アリスちゃんって、どこの出身なんだっけ?」


 暗闇から唐突に声が聞こえて、アリスは身体をぴくりと動かす。

 声で誰だかすぐにわかった。

 藤崎茜音、もう一つの名を鍛冶師アメリア・シュメール。

 転生者であり、この世界で初めて純粋な金属を調合したといわれる秀才。


 ――もしかしたら、コウタローは自分の幼馴染であるこの人までも……。


 そう考えると、目を茜音に向けることはできそうにない。茜音の表情を見ることなどできそうにない。もしそうしたら、自分の不吉な予感が本当になってしまうような気がして、ただ目だけを流れる星へと向けていた。


「港町のレイ・コーストです」

「そっか。海風とここの風は少し違うかもね」


 暗闇から現れた茜音がテーブルを挟んで向こう側に座るのをアリスは感じた。

 少しの静寂。

 心臓の音だけが耳元でうるさく鳴り響いている。頭に熱が上り、夜空の一点を見つめたまま動かすことができない。


「くすっ……」


 突然、場にそぐわない吹き出す声が聞こえて、反射的に振り向く。

 茜音は両手を前に出して「違う違う」と小刻みに横に動かしていた。


「ごめん。アリスちゃんの姿が昔の幸太郎の姿にそっくりで……」

 どういうこと?  と首をかしげる。

「いつだったか、もう忘れちゃったけど。幸太郎が小っちゃい頃にね、病気で入院してたことがあったんだ。その時によくお見舞いに行ってたんだけど、こっちがいくら話しかけても答えてくれなかったの」


 茜音は開いている左目を細めて、空を見上げた。遠いけど、とても暖かい思い出を懐かしむように。


「アリスちゃんの姿は、あの時の幸太郎にそっくりだった。……ってやば! 幸太郎近くにいないよね!?」

「コウタローなら、さっき外に……」

「そっかー、よかった。こんなこと言ってるの聞かれたら、昔みたいに怒られちゃう」


 茜音は胸に手を当てて大きく息を吐く。そこで改めて思い出す。

 そっか。アメリアさんはコウタローの小さい頃を知っているんだ。

 私の知らない、コウタローの話。

 コウタローのことを一番よく知っているのは私だけだと思っていたのに……生まれた時からなんて、反則。


「そうやって拗ねるところもそっくり」

「別に、拗ねてなんか」

「そう? そんなに睨まないで……じゃあ別の話題にしよう?」

 別の……?

「何かわたしに聞きたいことがあるんじゃない?」

「そんなことない……」

「嘘ね。聞きたいことがあるって顔に出てる」


 身を乗り出して、顔を近づけてきた。閉じられた右目の、睫毛が長いのが、よくわかる。

茜音のそういうところが、アリスにとっては新鮮だった。なれなれしいとは違う、誰に対しても適切な距離の近さを保つことができる、自分とはまるで正反対の人。

「見習わなくちゃ」とアリスは素直に思った。

 そういうことができるのって、人の中では僅かだろう。

 何を話しても、受け止めてくれるような温かい雰囲気を感じる。


「でも……」


 聞いたら現実になってしまいそうだ。もし現実だったとしても受け止めるのは、やっぱり怖い。

 アリスは戸惑うばかりで、頭に浮かぶ気持ちも、言葉にならないものばかり……。


「死ぬのが怖くないのか? ……でしょ?」


 アリスははっと顔を上げた。茜音は顔を窓の外へ向けながら、目を瞑っている。


「やっぱり、幸太郎はそこまで話してるんだ。アリスちゃんのことよっぽど信頼してるみたいだね」

「そう……なんでしょうか……」

「そうだよ。あの一匹狼を気取っている幸太郎が、アリスちゃんには頼りきってるんだもの」


 そうだと嬉しいな。と、アリスは少しだけ心に火を灯した。だが次の言葉で一気に消火されてしまう。


「アリスちゃんが気にすることじゃないのよ。転生者を殺すことは、『転生者自身』と『この世界』を守ることなんだから」


 やっぱりそうなんだ。コウタローは幼馴染である茜音を殺すために、ここまで来たんだ。

 あんなに仲良さそうだったのに、久しぶりに会えたって喜んでいたのに、こちらの世界に転生してきてまで運命的に出会うことができたのに、それでも……殺すんだ。


 頭の中に『あの日』の幸太郎の泣き叫ぶ声が残響した。

 この世界の全ての悲劇と絶望を内包したような、胸を貫く声……いや、もはや声などという軽いものではなかったように思える。例えるなら衝撃。頭蓋を叩き割れそうなほどの勢いでやってくる音の波動だ。記憶の中の波動に耐えきれず、立ち上がった。


「そんなの駄目!」

「どうして、そう思うの?」

「私はっ……」


 ――もうこれ以上、コウタローに悲しい思いをして欲しくない。


 続きそうな言葉を口内で噛み砕いた。そんなこと言ってはならない。人道的にも、道徳的にも駄目だ。

他人の命より、たった一人の男の子が悲しむ姿を見たくないだなんて、間違っている。


「アメリアさん……いいえ、アカネさん。私はあなたに生きていてほしい……、コウタローだってそれを望んでいるはずです……」

「私が……魔王に、なっても?」

「え?」


 ……今、何て言ったの。


 茫然とするアリスを見て「やっぱりここまでは教えてなかったのね」と、茜音は呟いた。立ち上がり、テーブルを廻って、アリスに近づいてくる。


「別の世界から転生してきたものは、他の人にはない特別な能力を、神様から授かる。これはアリスちゃんも知ってることよね」

「六人の英雄?」


 六人の英雄の話を思い出す。

 この世界を荒らしまわった、天災よりも恐ろしい存在、魔王。それを打ち滅ぼしたのは『人ならざる力を振い、災厄に打ち克った』六人の英雄。


「それも一例ね。だけど、この世界に来た転生者が持つ特別な能力は、なにも武術だけじゃないのよ。私の場合は……大まかにいうと手先の器用さだった」


 茜音は自分の両手を眺める。


「こっちに来てから、おかしくなったと疑うほど、指が敏感になったの。編み物や料理なんて細かい作業は絶対にできなかったのに、こっちに来てから、すぐにできるようになった」


 今日の昼、出してくれた最中を思い出す。あれが手作りだと知って、幸太郎は現状が認識できないくらい驚いていた。そういうことだったのかと、アリスは一人で納得する。


「それだけじゃない。手袋越しでも、熱を正確に測れたり、他の人には感じない微小な振動を感じ取れたりできたの。……あ、そう、固有振動数って知ってる? 最終的には固有振動数を感知することで、触っただけで材質が分かるようになった」

 途中から急に理解できなくなり、アリスは首を捻る。

「とにかく『すごい』ってことだけわかってくれればいいから」と茜音は慌てて付け足した。

「でもね、神様が与えてくれたのは、能力だけじゃないのよ」


 茜音はアリスの隣に座り、顔をアリスに向けた。閉じられた右目がゆっくりと開いていく。


「とても明確で、残酷な宣告」


 アリスはその右目を見、直後に全身が硬直した。小さい頃に聞いた話がフラッシュバックする。


 ――魔王の右目は黒色の眼球に金色の瞳。

 

 茜音の右の瞳は茶色だったはずだ。しかし、大きく様変わりしていた。

闇夜を思わせる黒色の眼球、その中で星の様に光る黄金の大きな瞳。その様子はまるで


「魔王……」


 アリスの呟きに、茜音はコクリと頷く。


境界時間(タイムリミット)……。越えてしまうと、転生者の意識は完全に奪われ、全てを破壊する怪物と化す。それはこの世界にとって小さなプラスだったものを、大きなマイナスにしてしまうのよ」


 茜音は躊躇いながら、瞼越しに右目を押さえる。その手が震えているのは、悲しみからか、憎しみからか。


「自我がなくなればアリスちゃんに襲い掛かるかもしれない。アリスちゃんの故郷を無茶苦茶にしてしまうかもしれない。ううん、下手したらこの世界を滅ぼしてしまうかもしれない。わたしだってそんなことは望んでない」

「だから、ナルカミさんやコウタローは……」

「王様直直の命令だったみたい。しかも混乱が起こりかねないから内密にっていう話でね。この世界の人々はそんなこと知らないから、汚い言葉を浴びせられことも多かった。『死神』なんて二つ名までついちゃって、わたしはびっくりしたよ。『ええ!? あのカエルすら触れない鳴上さんが!?』ってね」


 茜音の表情に少しだけ笑みが戻るのを、アリスは見逃さなかった。しかし、その笑顔はすぐに消えてしまう。


「鳴上さんはずっと『仕事だ』って言ってた。本当は同じ転生者を殺すなんてこと、したくなかったんだと思う。わたしの世界でよく言われていた『仕事は望まずにやることがほとんどだ』っていうのも考えると皮肉だったのかもね」

「コウタローも『仕事だ』って言ってた」

「そっか……それでもね。わたしは幸太郎に殺して欲しいと思う」

「アカネさんを殺すことで……コウタローが苦しんでも?」

「それでもだよ」


 茶色の金色の瞳は、ただ前だけを向いていた。その頑なな姿勢から同い年とは思えない茜音の強い覚悟を感じ取っていた。アリスは次いで自問する。


 世界のために、命を投げ出す覚悟しているアカネさんを……世界のために、大切な人ですら殺そうとしているコウタローを、私は止めることができるだろうか……。


「これだけ話を聞いても、まだわたしたちを止めようと思う?」

 鋭い瞳に射抜かれ、アリスは思わず体を揺らした。

「それでも、やっぱりおかしいと思います。それで、この世界が救われたとしても、アカネさんやコウタローは救われない。ずっと、苦しんでる」

「そうね。でもね、アリスちゃん。わたしは……」


 ――死ぬことよりもこの世界に迷惑をかけることの方が断然嫌なのよ。


 目尻に涙を貯め、微笑みながら、茜音は小さな声で呟いた。それ以上アリスは閉口し、何も言うことはできなかった。


 茜音は音も立てずに立ち上がると、ゆっくりと暗闇の中へ進んでいく。その途中で「ああ、そうそう」と言って振り返った。


「アリスちゃんはわたしのベッドを使っていいよ」

「アカネさんは?」

「工房……整理しとかないといけないから、眠れそうにないの。だから大丈夫」

 ばいばい、と小さく手を振って、茜音は暗闇の中へ消えていった。




 開け放たれた窓から夜空を見上げる。

 世界のために茜音を殺し、幸太郎を苦しめるのか。茜音を殺さず世界を壊し、全世界の人を苦しめるのか。自分が考えることでは、ないのかもしれない。町娘の許容範囲を明らかに超えたスケールの話だ。

 でも……


「それでも、私は……」


 知ってしまったから、考えずにはいられなかった。

 星降る夜。『流れ星にお願い事をするのよ』とアリスはよく母親から聞いていた。しかし、この夜に限っては、いくら流れ星が流れても、お願いをする気が起きなかった。

 願いを届ける先は神様で、その神様がこんな試練を課しているのだから。


「訳、わかんないよ」


 一晩で結論を出すことは、不可能だと思った。


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