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地面に所狭しと敷かれたレンガと、馬のひづめがぶつかり、快活な音が響く。行き交う行商人の笑い声や、門番の怒鳴り声も折り重なって、音の大洪水状態だ。港町レイ・コーストの門前は大変に混雑していた。二階建ての家よりもさらに高く、大きい門は常に開け放たれており、引っ切り無しに馬車が行き来していた。
リズムよく歩いていたはずのアリスが遅れ始め、少し離れた位置で立ち止まってしまった。アリスは忙しく行き交う馬車たちを眺める。やがて周りの騒音に消されないよう大声で俺の名前を呼んだ……と思う。思う……と曖昧なのは、本人としては大声を出しているつもりでも、周りの騒音にかき消されているからだ。
「どうしたアリス?」
大声で返してやる。
「~~~~~~~!!」
……駄目だ、さっぱり聞き取れない。
俺はアリスの傍に駆け寄って、身長差を埋めるように少し膝を折る。アリスの口元に自分の耳を近づける。まず真っ先に聞こえてきたのは、アリスの息を飲む音だった。それに含まれるのは躊躇いか、緊張か。どちらにしてもアリスが俺に対して生じる感情ではないはずだ。……逆ならまだしも。
「アリスの声、小さくて聞こえないんだ。耳打ちしてくれ」
しばらくの間、アリスは顔を真っ赤にして、目線をあっちこっちにやったり、無駄に唇を震わせたり、手をわなわな動かしたりなどしていた。やがて、意を決したようにこちらを見る。
「なんでそんな親の仇みたいな目で俺を見るの?」
「……い!」
アリスはもう一度息を吐くと、俺の耳に手を当てて、口を近づけた。
アリスの吐息が耳に当たる。その時になって、ようやく気が付いた。
不可抗力とはいえ、俺がアリスにやらせようとしていること。そして、それに対して俺の精神が耐えられないことも……。
やっぱいい……と言いかけて、やめた。アリスがこの行動に関して抵抗を感じていることはうすうすわかってはいる。そりゃそうだ、好きでもない人のパーソナルスペースに入り込んで、耳元で話すなんてこと、出来ればしたくないだろう。それでも、アリスはやろうとしてくれている。恥ずかしいからなんていう理由で、男の俺が逃げてはいけない。
「コウタロー、ちょっと話があるんだけど」
「う、ん?」
耳が、こしょばゆい。
「馬車の数、これまでに比べて多くない?」
「………………」
え、そんなこと?
ぽかんとアリスを見つめてしまう。そして、内心、かなり落胆していることに気が付き、手で目を覆った。
あーなるほど馬車の数だよね。確かにそうだよね、こんなところで秘密の話とか大事な話とかするはずないもんね。そうだよね。 別に全然期待とかしてないから、大丈夫。
「馬車の数か」
確かに、いままであまり注意してみていなかったが、昔と比較して、ずいぶん多くなった。前まではよっぽど忙しくない限り門の開閉ぐらいできたはずだが、今ではその猶予もない。門は常に開きっぱなしで、次から次へと引っ切り無しに荷台が空っぽの馬車が移動してくる。
それを理解しても、俺が次に考えたのは、「そんなこと?」だった。結局のところ、思考は堂々めぐり。元の疑問に落ち着いてしまう。
――いや、ちょっと待てよ。
頭を動かせ佐原幸太郎。俺は何か大変な場面に出くわしているんじゃないか。
俺は両方の米神に人差し指を当て、ぐりぐりと動かす。転生者が見たら「お前は一休さんか!」と突っ込まれていたかもしれないが、幸いなことに、周りに転生者らしき気配は見つからなかった。
……アリスが最後に外出したのはいつだ? 俺がこっちに転生してきたのが四年前……そのころは良く街にくり出して、遊んでたはずだ。おやっさんが死んだ二年前にアリスは部屋に引きこもって……半年前にようやく出てこられるようになって……。
「アリスの言う前ってどれくらい前?」
唐突な俺の言葉に、アリスは口をぽかんと開けた。いや、ぽかんとしたいのはこっちの方だよ。
「二年くらい前?」
「やっぱりか……。お前、その質問俺以外にするなよ」
「え? どうゆう……わっ」
思考停止中のアリスの手をひったくるように握ると、俺は門番に向かって、足早に歩き出した。
門番に通行手形を見せ、アリスと共にレンガの大門を通り抜けた。
空は快晴。目の前には何処までも続く草原が広がる。その草原を分かつように色とりどりの煉瓦が敷き詰められ、街道を作っていた。荷物を載せた馬車が、次々と舗装された道を進んでいく。彼らの足取りは街道のおかげで乱雑ではない。馬車は一列に並び、馬車同士の間隔を崩さぬまま、街道を進んでいる。その様子から、毎日のように窓から見ていた都心の渋滞を連想してしまい、若干、辟易した。
レイ・コーストの大門から離れたところで立ち止まり、アリスの手を離す。
「どうしたの……コウ、タロー。いきなり……そんな……速く」
「すまん、アリス大丈夫か? 少し休憩するか?」
「休憩は、いらない。でも、ゆっくりにして」
引きこもり生活で落ちた体力は、半年経ってもまだ戻ってこないみたいだ。完全にそのことを失念していた。「さっきはすまん」と謝り、肩で息をするアリスの横に立った。アリスは額の汗を拭いて、ゆっくりと歩き始める。俺もその歩幅に合わせて歩く。今度は失敗しないように、注意深く。
「さっきのこと、教えて」
大分呼吸が整ってきたところで、アリスは意を決したように切りだしてきた。
さっきのこと……アリスの質問に俺が驚き、『他の人に聞くなよ』と忠告したことだろう。
アウルに着く前に、二年間で様変わりしたこの世界のことを説明しとかなくては。アリスのような別嬪さんが、世間知らずなことを公表して、その辺をぶらぶらしていたら、悪い大人の恰好の的になってしまうだろう。アリスのことを任されている手前、もしそんなことになってしまったら、自分で自分を許せるとは、到底思えない。
「アリスは、『魔王』って知ってるか?」
「………………………………………………コウタローは私を馬鹿にしてるの?」
アリスにじろりと睨まれ、俺は動揺する。
「そ、それならいいんだ」
魔王……俺が転生した異世界を、二十年もの間、欲望のままに荒らし廻っていた、人型の怪物。この間は、ほとんどの人々が町の外に出ることを恐れていたそうだ。人々もいつ襲ってくるやもしれない魔王の陰に怯え、暗い生活を送っていたのだという。
俺がゲームで見てきた多くの魔王は、人ならざる者の姿をしていて、手下である魔物の軍を作り、人間を惨殺していた。けど、この世界の『魔王』と呼ばれる存在はどうにも違うらしい。
俺も直接見たわけではなく、それこそ居候しているロブスターの踊りに来店した旅人に聞いただけなのだが……。
いはく……
・配下を作らず、単独で行動すること。
・神出鬼没で、どんな場所でも唐突に現れること。
・人の形をしていながら、人ならざる魔法を使うこと。
・髪は黒色で長く、左は白い目に黒い瞳で、右目は黒い目に金色の瞳のオッドアイであること。
などなどなど……。真実か、それとも根も葉もない噂なのかはわからない。しかし、魔王に関する情報は、毎日のように小耳に挟んでいた。
「小っちゃかった頃に外に出て遊べなかったのは、魔王が原因なんだよね」
「じゃあ魔王が倒されたってことは知ってるか?」
「……!!」
アリスが息を飲む気配が伝わってくる。それはそうだろう、世界を揺るがす大事件を知らなかったのだから。
「『魔王が倒された』っていう情報が広がったのは、二年前だ。アリスは部屋に閉じこもっていたから知らなくても仕方がないけど……、メアリさんに聞かなかったのか?」
アリスはおずおずと頷いた。
「倒したのは武術の恩恵を受けた六人の転生者。どうやって魔王を追い詰めたのかはわからんけど、三人の犠牲を出して倒したんだと」
「そうなんだ。『恩恵』がないと倒せなかったんだね」
恩恵。転生者が持つ常識はずれの能力のことだ。必ず与えられるが何が覚醒するかは選ぶことはできず、転生者本人の適正によるらしい。
この世界の神様は、少しけち臭い。
「まあそんなこんなで、世界は平和になり、流通は増え、文明は発展し、人々には笑顔が戻りました。世界はこれまでにないほど潤いましたとさ……めでたしめでたし。というのが今の世界の現状だ」
「そっか。お母さんがみんなに配達を任せているのを見て『なんてひどい人なんだろう』って思ってたけど、そういうことだったんだ」
「そんな決死の覚悟で行くもんじゃねぇよ、配達は」
「今朝は『ついに私の番か』って思った」
「なんで処刑前の罪人みたいになってんの」
あんな『近くのコンビニに行ってくる』みたいな感じで出てきたのに、アリスはものすごい覚悟をしてたんだな。
「そういうことなら説明しとけばよかった。不安にさせちまったな」
アリスは首を横に振って、嬉しそうに笑う。
「そんなことない。コウタローと一緒だから不安なんてなかった」
「……………………………………………………………………………………」
アリス、それは反則だ。
できることならその辺をのた打ち回りたい。適度に角度の着いた草原をゴロゴロと転がりたい。
「びゃー」
転がってみた。
最高だった。
アリスから白い目で見られたので流石に止めることにする。
「そっか、もう世界を見に行けるようになったんだ」
アリスが見ているのは、遠くにある、雪をかぶった山々だ。その連山の中に、この大陸の王都、マウルスと呼ばれる街があるらしい。おやっさんから話を聞いただけで、実際には見に行けてないが、山に囲まれた草原を土台に造った街なのだという。周囲を自然の要塞で囲まれ、野党や野犬に襲われる心配もなく、なおかつ高所にあるので、気候も見晴も良好。アリスも昔から「行ってみたい」とずっと言っていた。
「はぁ」
だからだろう。さっきから首都マウルスの方向を見て、アリスがため息をつきまくっているのは。
「はあぁぁ」
そのアリスをあざ笑うかのように、馬車たちが王都に向かっていくのを見て、また大きなため息を漏らす。
魔王が倒されたとはいえ、アリスは自由に外を出歩けるわけではない。酒場の一人娘として、毎日のように手伝いがある。日中は酒場の料理を作れるようにメアリさんに鍛えてもらい、夜は酒場を手伝っているため、休みなどないのだ。今日のように、配達を任されるのはかなり珍しい。そんな状況で、馬車で往復四日、宿泊も含めると五日間の大旅行をメアリさんが許可するとは考えにくい。
しかし、まだ見ぬ街に憧れるのは、俺もよくわかる。そんな女の子を見ていると、少し悲しい気持ちにもなる。
「いつか連れて行ってやるよ」
「約束」
アリスと小指を絡ませる。
繋いだ指はとても柔らかく、暖かい。
***
アウルに着いたのは太陽が真上を過ぎたころだった。漁業や流通で収益を上げる港町レイ・コーストとは異なり、農業で収益を上げるこの街には、あちこちで動物の鳴き声が響いている。丸太で出来た外壁に囲まれており、丸太で出来たログハウスや舗装されていない地面は、前回来た時とまるで変わりがない。
頼まれた配達を終わらせた俺とアリスは、街中を流れる小川の土手で一休みしていた。昼食はアリスが作ってくれたツナサンドイッチで、バスケットの中に入っていた。アリスが配達したのは片手に収まるぐらいの小さな包みだけで、それ以外の荷物は俺とアリスの昼食だったみたいだ。なんで持ってあげなかったんだろうと少し反省する。
「古い友人って転生者なの?」
アリスが俺に問いかけてきた。俺はツナサンドを飲み込んで、コクリと頷いて見せる。
「俺よりも早くに、この世界に転生した人で、前回はおやっさんと一緒に会いに行ったんだ」
もう三年も経つと考えると感慨深いものがある。
「前に来たときは、鍛冶屋をやってたんだよ。この短剣もそのときに打ってもらったんだ」
腰につけている短剣を指さす。これまで数々の街を共に歩いてきた頼もしい相棒だ。鞘にはローマ字で『シュメール』と刻印されている。渡された当初はお店の名前かと思っていたが、後に名前を聞いて『単純にサインだったのか』と思ったのを覚えている。
「シュメール」
「知ってるのか?」
「うん、すごく有名な人。純粋な金属を、この世界で始めて精製した人だって言われてる」
「へぇ~、知らなかった」
いつの間にやら、アイツがそんな有名になっていたなんて……。理科好きだったもんなぁ。
と、俺が見当違いの方向で懐かしんでいると、アリスが目を細めてこちらをじーっと睨みつけていることに気が付いた。
「ちなみに店の包丁をはじめとした金属製の食器は全部シュメール製。居候なのに手伝いをしない誰かさんは知らないだろうけど」
「……ぐっ」
面目ない。家事能力皆無なのに、努力しない自分を責める。
「ほんとほんと。幸太郎はそういうところあるよね。やってもらって当然的なオーラが出てるというか」
「そう。優しいし、気遣いもできるけど、そこが玉にキズ」
「無自覚なんだからしょうがないと思うけど、ちょっとずつでもいいから直していった方がいいと思うよ」
「その通りだな。次からちゃんと自分で起きるし、料理も少しずつ挑戦してみることにするよ」
「本当だよ! 目の前にいる人だって、いついなくなるかわからないんだからね!」
『いついなくなるわからない』……その通りだ。
転生する前、俺の話し相手になってくれていた女の子だって、事故であっさりと死んでしまった。もっとちゃんとお礼を言えばよかったと、あの時だって後悔したのに……。
ってあれ? さっきからアリス以外の女の子の声が聞こえるような……。
「やってもらってる自覚と、感謝を持って接するべきだよ。大事な人には、特にね」
顔を上げると、真っ先に目に入ったのは懐かしい茶色の瞳だった。セミロングの黒髪が風と共に舞う。なにか作業をしていたのだろう、右頬に炭の黒色が一本の線のように付着し、手には分厚いグローブをつけていた。赤を基調とした上着と黒色のツナギは彼女の活発さをより鮮やかに写しだしていた。
「茜音!」
「その名で呼ぶな! こっちではアメリア・シュメールだ!」
強烈な拳を脳天に受け、俺は悶絶する。転生する前の世界で、生まれた時から知り合いで、いつも俺の傍にいてくれた同い年の女の子。喧嘩をしたときに、よく喰らわされたとても懐かしいチョップを、身を持って思い出させてくれた。
「いっつー、相変わらずだな、茜音」
「そっちも元気そうじゃん幸太郎」
久しぶりの再会にテンションが上がり、ハイタッチを交わす。そんな高揚ムードの中でおどおどしているアリスの姿があった。
「おお、そうだ。アリスに紹介しなくちゃ」
対面させ、俺は茜音の隣に立つ。
「こいつは藤崎茜音。またの名を鍛冶師アメリア・シュメール。俺の短剣を作ってくれた転生者にして、俺の幼馴染だ」
「よろしくね、アリス」
茜音が右手を差し出すが、アリスは全く反応しなかった。それどころか、口は酸素を求めるようにパクパクと動き、目は見開かれている。
「おさ……おさな……おさ……」
アリスの口からは言葉にならない声が絞り出されており、俺たちはお互いに首をかしげるのだった。
新キャラ出しました。
主人公の幼馴染、藤崎茜音です。セミロングの黒髪と強気な瞳、頬に走った一本の炭の線がチャームポイントの女の子です(そこ!?)。
元気っ子で、皆を明るくしてくれますが、いらんことを言ってしまうところがあります。
よろしく!
それでは退散