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「あの、真山さ…」


「悪いな、沙耶香ちゃん。いきなりこんなことになって混乱しただろ?」


「はい、でも…」


「とりあえずソウの話聞いてやって。あいつ沙耶香ちゃんに話したがってる」



車内でそんな短い会話を交わした後、私達はしばらく沈黙した。

どんな話をされるのか怖くて、気持ち悪い。



「たぶん不機嫌だけど出来れば許してやって」



家に着いて、ドアを開ける直前に真山さんがそう言う。

意味がよく分からなくて首を傾げる私。

部屋に入って、リビングのソファーに腰かけるその人物のオーラを見て、すぐ理解した。


こんな時なら、もっと胸が痛く苦しくなるのだと思っていた。

のに、思ったよりそうならなかったのは、奏太さんがあまりに負のオーラを纏っていたから。



「あの、奏太さん?」



恐る恐る近付けば、奏太さんの眉がぴくりと動いてすぐに歪んだ。

こんなに明らかに怒った彼を見るのは初めてだ。



「…おかえり」


「あ、はい」


「ずっと電話してたのに、何で出なかったの」


「え…!?」



彼の言葉で私は初めてスマホの存在を思い出す。

慌ててカバンから取り出すと、そこにはびっしりと奏太さんの名前が埋まっていた。



「ごめんなさい、気付いていませんでした」


「まあ、いいけどね」



素直に謝れば奏太さんは以前不機嫌そうなまま顔をそらした。

奏太さんは奏太さんなりに私のことを心配してくれてたのかもしれない。

そう思うと、申し訳ない気持ちと一緒に少し苦しさが抜ける。



「同窓会だったんだって?」


「え?あ、はい」


「…俺それ知らなかったんだけど」


「え?でも奏太さん今日は泊まりで仕事だから、私がいなくても問題ないかと思って」


「……ふーん」



…なんか話の方向がおかしい気がする。

そう気付いたのは、この頃だった。



「あの、それより奏太さん。テレビ見ました」


「…それより、ね」


「え?」


「……」



ちゃんと話をしないとという気持ちでいっぱいいっぱいの頭。

別れたくないと思いながら、それでも私はやっぱり彼の本心が知りたい。

どこに心があって、どうなりたいのか。

知るのは怖い。

怖いけれど、ずっと知らない顔をしながら生きていくなんて器用な真似も私には出来そうにないから。


だから思い切って話をきりだす私。



「奏太さんは、あのアイドルの子が好きなんですか?」


「は?」


「奏太さん、私と出掛ける時さえ人目につかないように防備完璧なのに、今回あっさり撮られました。だから見られても平気なくらい本気ってことなのかなって」



自分で言ってて苦しい。それでも痛みをこらえて奏太さんを見上げる。

奏太さんの目は、なぜか見開いていた。



「ねぇ、サヤ」



そう私を呼ぶ奏太さんの顔色や声に怒りはなくなっている。

何が彼をそうさせたのかなんて私には分からない。

けれどただ真剣に私を見つめてくるから、私も胸の痛みを無理矢理体の中に押し込んで見つめ返す。



「サヤは、どう思うの?」


「え?」


「俺と里奈、何かあったらどうなの?」



…リナ。

親しげにさらりと言った名前。

彼が呼ぶその響きが特別に聞こえて、抑え込んでいたはずの痛みがジクジクと広がっていく。


もう見て見ぬふりはできない。

別れたくない。別れたくなんてないけれど、恋愛に興味などないときっぱり言い切っていた奏太さんが他の人に恋している姿を傍で見続けるのはもっと辛い。

それが奏太さんの本心ならば、この結婚生活を続けるのはお互い良くないことなんだろう。

いま誤魔化されてみたって、どの道長続きなんてしない。

そうやって未だに期待にすがる自分を叱咤する。


本当に2人がそういう関係ならば、いっそのこときっぱりと言って欲しい。

そうしたら、私だってこんな惨めな期待を背負わずいられる。

同じ苦しみなら、本音をちゃんと打ち明けてもらった方がましだ。



「わ、私は奏太さんの本心が聞きたいんです」


「そんなことより俺はサヤの気持ちが聞きたい」



けれど、奏太さんは話をはぐらかしてばかりで一切私の望みを叶えてくれない。


“そんなこと”

自分の気持ちを軽く見られたような奏太さんのその一言に、なにかがプツンと切れた。



「…そんなことって何?」


「サヤ?」



思わず低い声が出てしまう。

体の中には苦しみと痛みと同じくらいの質量で怒りが膨れてきていた。

今まで留めていた気持ちが、濁流のように流れてくる。

気づけば抑えられなくなっていた涙が、一体何の感情で流れているのか分からなかった。




「私は、ショックだったのに…!そ、奏太さん、が…仕事、命って…知ってて、だからスキャンダルもっ、しない人…って、分かってたから、だから、これは本気だって」


「…うん」


「嫌、だけど…!でも、どうしようもない、なら…っ、せ、せめて、本当…の気持ち、知りたいって…思ったのに」


「……うん」


「そんなこと、って何よ…!そんな、こと、じゃない!奏太、さんの気持ち、は…っ、私にとって、一番、大事なのに!!」



それは、ずっとこの関係を壊したくなくて、面倒だと思われたくなくて隠してきた言葉。

何が始まりかなんて分からないけど、気付いた時にはどうしようもないくらい大きくなった気持ち。

体中に渦巻く感情の10分の1も口には出せていないけれど、一番聞きたかったことが口からこぼれる。


部屋を沈黙が包む。

一通り泣いて愚痴って床に座り込んだ私がハッと我に返った時にはすでに遅かった。

やってしまったと顔が強ばって、顔をあげられない。



「…サヤ」


「いや、聞きたくないです」


「サヤ」


「嫌」



言われる言葉が怖くて、手で耳を塞ぐ私。



「ごめんね、サヤ」



その声がダイレクトに響いたのは、直後だった。

想像したよりも返ってきた声はうんと優しくて、体の強張りが少しほぐれる。

そうすると感じたのは体を包む温かな何か。

一拍おいて抱き締められてると気付いて、慌てて耳から手を離す。

一気にうるさくなる心臓。


いてもたってもいられなくなって、手を突っ張ってその体を押し返そうとするけれど、拘束はさらに強くなった。



「そ、奏太さ…」


「ごめんね。嬉しくて舞い上がりそう」


「は…?」



そうして次に響いた奏太さんの声は、やたらに嬉しそうだった。

いきなり訪れた訳の分からない展開に固まる私。


ぽかんと口を開けたまま奏太さんを見上げれば、彼はそれはもう幸せそうにほほ笑んで私を見つめる。



「あー、長かった。本当長かった。本当、サヤにこの匂い付けた奴は絞め殺してやりたいけど、特別に許してやろう。うん」


「え、あの、奏太さん?」


「大好きだよ、サヤ。これで俺達、正真正銘ちゃんと夫婦だね」



私の混乱なんてお構いなしに、奏太さんがそう言ってまた私を強く抱きしめる。

普通好きな人にこんなことされたら緊張と嬉しさで心臓が恐ろしく煩くなるはずなのに、この時ばかりはさすがに私の感覚も鈍かった。


彼の言っていることが全く持って理解できない。

何から何まで、一から百まで。


そんな私に説明をくれたのは、それから5分近く経ってからのことだった。




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