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「仕事を何よりも愛しているんだ。だから結婚して下さい」
そんなちぐはぐなプロポーズが全ての始まりだった。
人は色んなものに愛と情熱を注ぐ。
家族、恋、友人、師弟、夢…姿も形もバラバラだ。
そして、私の愛する人は何よりも仕事を愛する人だった。
お金よりも、自身の健康よりも、もちろん私なんかよりも。
『愛してる』
テレビの向こうで、彼は愛を囁く。
妻の私には一度だって囁いてくれたことのないたった5文字の言葉を。
私よりもうんと美人で肌も綺麗でスタイル抜群な女性にキスをする旦那様。
ベタだけど誰もがうっとりするような展開に、私はため息をついてテレビの電源を落とした。
西郷奏太。
それが彼の本名。私よりも6つ上の26歳。
風見ソウと言えば、きっと知らない人はごく一部だと思う。
その程度には名の売れた俳優だ。
真っ黒でサラサラとした綺麗な髪。
少し吊った目に、小さな口。
細身ではあるけど、決して不健康そうには見えないバランス良い体つき。
完璧な外見に加えて実力派と皆が口を揃えて言うくらいの演技力があれば、まあ人気が出るのは当然の結果で。今や引っ張りだこの超有名人だ。
そんな彼が、なぜ私と結婚なんてしたのか。
それには、複雑なようで実はそうでもない理由があったりする。
「縁談?」
「ああ。西郷グループの社長直々に話があってね。泣きつれたんだよ」
その話が私の元へと舞い込んできたのは、ちょうど大学生になりたての梅雨時だった。
西郷グループ。それは奏太さんのお父さんが経営する大企業の名前。
そして、お父さんが社長を勤める会社の親会社。
「つまり…政略結婚?」
「いやいや、そこまでしっかりしたものじゃない。嫌なら断ってくれて良いって西郷社長も仰っている。ただあちらの御曹司がどうにも結婚に向かない性格らしくて困り果てているらしい。とにかく出会いの機会くらい欲しいとさ」
そんなことを言いながらお父さんがこの話にかなり乗り気なのはよく分かった。
数多くある子会社、とくにその末端のお父さんの会社は当時そこそこ危機的で。
技術力は高いのに、いまいち世間からの認知が広がらず仕事に繋がらないという状況。
そこにどういう訳かやってきたチャンス。
私に強制させる気は流石になかったようだけど、それでもあわよくばという気持ちがあったのだろう。
一人っ子の娘として多少甘やかされてきた自覚がある身としては、まあ会うだけでお父さんが喜んでくれるならと軽い気持ちで頷いたのを覚えている。
正直な気持ちとして大企業の御曹司というネームバリューにちょっと憧れてしまったのもあったけど。
とにもかくにもそんなこんなで決行されたお見合い。
まさかその相手がテレビで何度も見たことのある超有名人だなんて思いもしなかった。
そもそも風見ソウが西郷グループ社長の息子だという事実自体初耳で。
思い出作りなんて軽い気持ちでしかいなかった私は、その姿を目にした時に絶句した。
けれどそれ以上に衝撃的だったのは、テレビ越しではいつも笑顔な彼の真顔の発言で。
「悪いけど、俺は恋愛にも結婚にも興味がないんだ。親父の跡も継ぐ気はない」
2人きりになってみれば、一言目はそれ。
「でも親父がいい加減結婚相手くらい見つけろってうるさくてね。これ以上あちこち連れ回されると俺の仕事にも支障が出る」
2言目も、お見合いにはまずそぐわない発言だった気がする。
「仕事を愛しているんだ。だから、それでも良ければ結婚してください」
そうして私は何の色気もないプロポーズを受けた。
どうやら奏太さんから見て、私は彼の嫁になるにあたって最低限のボーダーくらいはクリアしていたらしい。
なぜそんな明らか愛のない結婚を受け入れたのか私にも分からない。
お金に目がくらんだ?
イケメン俳優の妻という肩書が輝いて見えた?
どちらも全くなかったとは言えない。
けれど、それ以上にただただ真剣な眼差しで仕事しか見えていない様子の奏太さんが気になったのだ。
生まれてこの方あまり何かに情熱を注いだ経験のなかった私には彼が少し眩しく見えた。
少し応援してみたくなるくらいには。
考えてみればお父さんは乗り気だし、奏太さんのお父様も何とかして相手が欲しいと思っているようだし、私自身そこまで愛のある結婚生活を熱望していたわけでもなかったしで、悪い話じゃない様な気もした。
そうした経緯で私達は普通とは少し言い難い夫婦になったのだ。
一緒に暮らすようになって改めて知ったことはいくつかある。
その中でも強く感じたのは、奏太さんは極端な人だということ。
容姿は完璧、スタイル抜群、演技力は常に高評価という、一見非の打ちどころがないように見える奏太さん。でも実際のところ、彼は難ありすぎだったのだ。
演劇、舞台、芝居…この系統の徹底的なオタクで他のことには目もくれない。
家事などは壊滅的、仕事柄生活リズムも崩壊。そんな感じで、彼の生活はほぼ10割と言ってもいいくらい仕事に演技に全集中だ。
プロポーズでも言ってた通り、彼は仕事が何よりの恋人だった。
新婚ほやほやの昨年だって、週に一度会えれば良い方のタイトなスケジュール。
ブラック企業並の働きをしているくせして、何の苦も見せずむしろ目を輝かせて取り組む彼は救いようのない仕事バカだ。
私は未だに不思議で仕方がない。
何でよりによって、そんな人に恋してしまったのか。
呆れて怒る気すら起きないほど問題ばかりの奏太さんを、なぜこんなに愛しく思ってしまうのか。
仕事バカに恋してしまった旦那バカ。
今日も今日とて、私は夫に片想いの不毛な日々を過ごしています。