08 表裏
松山を助手席に乗せてハンドルを握るホテルまでの道のりは、修羅場だった。
タイミングの悪い信号待ちの間に、何度叫びそうになったか判らない。
生気の無い松山が、ぽつぽつとこれまでの話をしていたが、正直、吐き気がした。
海老原の苦渋の決断だったと聞かされても、連れ去られる前に、いっそこの手で美羽を殺しておく事が出来たならとさえ思ってしまう。
外はすっかり暗くなってしまった。
車のボンネットに映る街の明かりをぼうっと見ながら、
「松山。」
と、助手席で腑抜けている松山に声を掛ける。
松山の様子はまったく変化は無く、
「・・・はい。」
口元だけで返事をした。
武田もぼうっとした口調で、
「銃、貸してくれ。」
ぽつりと言った。
◇◇◇◇◇
武田と松山が部屋へ足を踏み入れると、女は開け放った窓辺でバルコニー側へ足を投げ出して座り込み、夜の闇を見ながらタバコを吸っていた。
女はこちらへ背中を向けたまま、
「遅かったな。」
〝彼〟が言う。
その背中に向かって、
「美羽を、返して貰いたい。」
静かに言って、武田は上着の内側に隠していた銃を握った手を引き出してぶらりとさげた。
息絶えていてもいい、ひと目、会ってから
その武田の決意を鼻で笑い、〝彼〟はバルコニーの床でタバコを揉消して、
「俺を撃ち殺すんだったらもう少し小声で考えながら入って来い。毎回毎回おまえの考えている事は大声過ぎて頭痛がする。」
言って立ち上がり、こちらを向いた。
表情は無い。
無表情のまま、
「隣で寝てる。もう起こしていい、おまえ五月蝿すぎるからさっさと帰ってくれ。」
言われ、武田と松山の顔が一瞬ぽかんと理解できていない風だった。
必死に理解した武田は、
「・・・・・生きてるのか?」
訊き返す。
武田が口を開いた事で我に返った松山が動いた。
隣の部屋へ飛び込み、ベッドの上を確認する。
驚くよりも先に慌てて、
「武田さん!美羽ちゃんが 」
呼び、追いかけてきた武田に、
「これは、」
緩やかに寝息をたてて眠る血色のいい美羽を覗き込みながら、
「・・・どう見ても、元気そう・・・です。」
マヌケな感想を言う。
慌てて娘の様子を確認して、武田はやっと息を吐いた。
緊張が解け、美羽を松山に任せて隣の部屋から戻った武田は、
「・・・説明してもらってもいいだろうか?」
困惑した表情でじっと〝彼〟を見る。
〝彼〟は強い視線で武田の視線を見返し、
「そんな事はどうでもいい。俺が今からおまえに言う事を 」
話している途中で〝彼〟は言葉を止めた。
一瞬、部屋の入り口の方を見て眉を顰めて舌打ちをし、溜め息を吐いて再び武田の方へ顔を向ける。
表情が豹変し、フンと鼻で笑って目の笑っていない皮肉めいた笑みを作り、
「精霊への生贄は〝乙女〟と相場が決まってるもんだがなぁ・・・・」
挑発するような物の言い方をした。
「何を 」
と、武田が声を荒げかけた所で扉が開き、部屋の入り口から海老原と数人の〝制服〟が入って来た。
それに気付がついた武田が〝彼〟に投げつけようとした言葉をぐっと飲み込んだ。
ぞろぞろと人数が揃った所で、
「わざわざご苦労な事だな、海老原。」
〝彼〟はニヤニヤと笑った。
海老原は開口一番、
「今後はこういったご希望にはお応えしかねる。」
「今後はもっとまともな物を用意しろ、しばらくは美羽で我慢してやる。」
〝彼〟は海老原の言葉に対して被せて言う。
怪訝な顔をする海老原に、
「余命宣告を受けて、憧れの先輩にホイホイあげちゃったらしいぞ。」
〝彼〟が憮然と言うと、武田が恐ろしい形相で〝彼〟を睨んだ。
武田の視線を受けるようにニヤっと笑った彼は顔を武田に向け、
「命懸けの女をホイホイいただけちゃえる先輩も素敵だよなぁ?」
〝彼〟は、言う。
「凄まじいな、人間ってのは。」
言って、カラカラと〝彼〟は笑った。
武田は、
「脳腫瘍だ、ほかにも転移していた。命の期限を切られた娘が人並みの時間を過ごそうとした事がそんなにおかしいか?」
そう言って睨み続けるが、〝彼〟の顔がすっと真顔になり、
「戻すこともできる、あんまり喧嘩腰だと気が変わって戻しちまうぞ。」
鬼の形相で武田が言葉を飲み込むと、フンと鼻で息を漏らした〝彼〟は、
「松山以外、全員帰れ、疲れた。」
また背を向けてそこへ座り、窓の外を見ながら新しいタバコを口に咥えた。
◇◇◇◇◇
毛布に包まれた美羽を抱きかかえたままホテルの中を移動する道すがら、一緒に移動する海老原と共に居る数人に、武田の知っている顔ぶれがあった。
武田と同じセクションの同期の顔もある。
その顔から向けられる視線が痛々しい物を見る目である事も、気にしている余裕などなかった。
そんな事はどうでもいい。
武田の土気色の顔色を気にして、
「大丈夫か?」
と、海老原が声を掛けるが、
「今日はこのまま引き取らせていただいてもいいですか?」
生気の無い声で武田が訊く。
海老原は頷いて、
「すまなかった・・・」
一言言い、
「アレの使い道が割れているが、取り敢えずキープする事になった。」
続けた。
海老原の言葉を呑み込み、眉間に皺を寄せた武田は色々な意味を含めて、
「現状のままですか?」
訊く。
美羽の事も含めて現状のままなのか?
再び重苦しく頷いた海老原は、
「今後、要求がエスカレートするようであれば、それなりの対応を取る。」
「・・・・十分にエスカレートしていると思われますが。」
武田は前を睨んだまま、言う。
海老原は淡々と、
「お嬢さんにはすまないと思っている。」
言われ、武田は感情の籠らない声で、
「理解しています。」
答えたが、理解出来る訳など無かった。
◇◇◇◇◇
「悪魔のような真似をするんだな。」
松山は、窓際に座ったままの〝彼〟の背中へ吐き捨てた。
〝彼〟はいつものしらっとした様子で、
「あぁ、そう呼ばれてた事もあるんだ。」
苛々と怒りをぶつけてくる松山の言葉をさらりと流す。
松山は止まらず、
「あんた、何がしたくて現れたんだ?狙いは 」
「今この瞬間に世界の至る所で人間その他もろもろ、どのくらい死んでると思う?たった一人の人間の生き死にで、おまえは大騒ぎし過ぎだ。」
松山の言葉を遮って言い、疲れた風に溜め息を吐いた〝彼〟は座ったままの姿勢から背中を後ろへ倒し、床にごろりと寝転んだ。
ちょうど松山の足元に頭を向けて仰向けに寝転んだ〝彼〟は、松山を見上げて、
「結果的には助かったんだ、黙って感謝してろ。」
あまりの言い様に、
「あんたに人間の繋がりを判れって方が無理なのか!?」
松山は〝彼〟を見おろして大声を出していた。
眠そうな顔の〝彼〟は、ふっと笑い、
「おまえのその単純でクッソ真面目なトコはいい仕事をした、ご苦労さん。」
「なにを 」
言い掛けた松山の言葉を再び遮り、
「松山。ロビーにまだ武田が居る、伝言を頼んでいいか?」
ほとんど目を閉じかけている〝彼〟は、眠そうに言う。
◇◇◇◇◇
武田は深夜で人けの無い静まり返ったホテルのロビーから、海老原一行の車数台が引上げるのを見届ける。
ロビーにたどり着いた時、武田はそこに待ち構えていた『それなりに立場のある者』数名からくどい程、今回の事についての〝言い訳〟を聞かされた。
『衛星を消すような〝化け物〟のオーダーを回避できなかったのだ』と、そんな話だった。
美羽が助かっただけで・・・と、割り切りたくても、沸々と消せない憤怒が湧き上がって止められない。
大きく息を吐いて、〝言い訳〟を訊く為に三人掛けのソファへ寝かせていた美羽を抱き上げた。
美羽を抱えて体を起こすと、離れた所にある通路の角から松山が慌てて出て来るのが見える。
松山はキョロキョロ見回して、ロビーの大理石の柱の陰に居た武田を見つけ、
「武田さん、車まで送ります。」
駆け寄って来た。
松山は小声で、
「あの・・・彼から伝言があります。」
「今は、聞く気分じゃない。」
目を伏せたまま、ぼそりとそう言う表情の無い武田の様子に、松山は首を振って、
「『選択肢がなかった』と武田さんに言えば判ると言われました。」
松山が言った言葉を、武田は呑み込んだ。
呑み込んで、顔を上げ、目を見張って松山を真っ直ぐに見る。
そして、
「・・・さっき、『毎回毎回考えている事が大声過ぎて頭痛がする』と彼は言ったな?」
ぽつりと呟くように松山に訊いた。
「え?」と訊き返す松山へ、驚いた表情のままの武田は、
「最初にここへ向かう車の中で、彼は既に美羽が死に掛けている事を知っていたんだ。」
「そんな会話しましたか?」
松山に覚えは無い。
「おまえが〝羞恥プレイ〟の話をしていた時の事を覚えているか?」
「・・・それは、思い出したくないです。」
松山が〝彼〟に弄られていた時、〝彼〟が言ったのだ。
あぁ、武田がいるからか?気にするな、武田は他の事で頭がいっぱいだからな
「あの時、美羽の容態について考えていた。だから、彼は最初から美羽の事は知っていたんだ。」
言って、武田は呆れたように『はは』っと短く笑う。
松山もニヤッと笑い、
「武田さん。」
「なんだ。」
「自分、『クソ真面目を利用して悪かった』って彼に言われました。あの人でも謝るんですね。」
嬉しげに言う。
その松山に、
「彼は美羽を助けたんだな?」
確認の為に訊いた。
「そのようです。」
嬉々とした松山とは裏腹に、武田の表情が曇る。
「・・・周囲の認識を『彼の機嫌を取る為に美羽を差出した』形にした事が気になる。」
精霊の付き人になった人間の瀕死の身内がいきなり回復したら、嫌でも精霊に治してもらった事は発覚してしまう。
だから、無理やり治った様に今回の御膳立てになったわけだが・・・。
「え?」
よく判らず、首を傾げる松山へ、
「松山に生贄の話までして海老原次官に連絡させた〝狙い〟だ。」
美羽をこのまま連れ帰る事が出来るのは、〝腫れ物扱い〟だから。
しばらくは美羽で我慢してやる
あの一言は『ダメ押し』だ。
海老原個人はどう考えているのかは知らないが、どこまでも臆病な『集団』は正体の判らないモノを判らないままにしておけないのだ。
〝化け物〟がどうやって末期癌を完治させたのか、美羽を調べたがる。
調べたところで何も出るとは思えないのに、下手をすると美羽は解剖されかねない。
『集団』は彼自身を解剖してでも調べたい筈だが、〝衛星を消し飛ばすほどの化け物の機嫌を損ねて反撃される事を恐れている〟から手を出さない。
「〝精霊の奇跡の体験者〟ではなく、〝化け物の生贄〟だから美羽は拘束されなかった。」
眉間に皺を寄せて顔を顰めた武田は溜め息を吐き、
「何にせよ美羽が助かったのなら他はいいが、気になるのは彼の立場が悪くなった事だ・・・無茶をし過ぎだろう。」
〝化け物〟に箔がついてしまった。
松山は素直に見たままの意見として、
「武田さん、彼に気に入られてるんじゃないんですか?」
すっきりした顔で言う。
松山の様子に苦笑いする武田は、
「すっかり彼に毒されたようだな。」
「嫌いじゃないですよ、あの人。」
松山はさらりと言う。
武田が抱えている美羽が薄っすらと目を開け、
「・・・・パパの娘だから、助けてくれたの?」
起き抜けの寝惚けたような声で呟いた。
「目が覚めたか?気分はどうだ?」
武田が訊くが、
「・・・・よく、わからないけど・・・・。」
美羽はふわふわと意識が定まらない。
意識は定まらないが、何があったのか、はっきり覚えている。
俺の慈善事業だ。恐れるな、信じろ。
その言葉を思い出して、何故か悲しくなった。
「・・・かなしい、・・・かな。」
また、ウトウトと美羽は目を閉じた。
「美羽?」
また眠ってしまった美羽の顔を見て、やっと、武田は安堵する余裕が出て来た。
武田のほっとした顔に、松山は『あ』と思い出し、
「彼からもう一つ伝言がありました。」
「何だ?」
松山は言い難そうに、
「そのままお伝えしますが・・・、『〝その調子で〟おとなしく〝犬〟のフリしてろ』って。」
言った。
武田の脳裏に、
『お嬢さんにはすまないと思っている。』
『理解しています。』
先程、海老原とした会話がすぐに思いついた。
「・・・彼のそういう所は鼻につく。」
珍しく、武田が舌打ちをした。