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07 再生

 痛みは無い。

 自分が立っているのか座っているのか、寝転んでいるのかもわからない。

 ふわふわとして、マヒした意識の混濁だけがある。

 『明るい』という感覚はまだ残っている。

 少しだけ自分の目が開いて何かを見ているのは判る。

 景色もぼんやりとしか見えない。


 ―――――見えているのは天井かな・・・。


 天井が見えているという事は、たぶん自分は横になっている。


 ―――――そっか、病院のベッドで寝てるんだっけ・・・。


 そんな事をふと思った次の瞬間にはその考えもどこかに消えてしまう。

 何も考えられなかった。

 何度も同じような事を考えたような気もする。

 どのくらいの時間そうしているのか、考える力ももう残っていない。

 ぼんやりとした視界に、自分をのぞき込む顔の気配が不意に現れた。

 視界がすべてその気配で塞がったという事は、その顔は息がかかるほど近い距離にあるらしい。

「聞こえているか?」

 その気配が男の声で訊く。

 聞こえている。

 答えようとした。

 でも、どうすれば声が出るのかわからない。

 体がまったく言う事をきかない。

 必死に口を動かそうとするが、痺れたように唇が動かなかった。

 表面的にはまったく変化しない。

 右の頬に相手の手が触れる感触がある。

 その手が触れた瞬間、右の頬だけが感覚を取り戻した。

 頬に添えられた手の親指が唇をなぞると、唇の感覚も戻る。

 触れられて初めて自分の唇がカサカサに乾ききっている事を知る。

 男が触れた所の感覚が次々に冴えていった。

 なんとなく、自分がベットの上に横たわっていて、男が自分の上に覆いかぶさるようになっている状況もわかった。

 男がもう一度聞く。

「聞こえているか?」

 答えようとしたが声は出なかった。

 唇をほんの少しだけ開けて応えてみせた。

 乾ききっていた唇の端が少し裂け、痛みが走る。

 すると、男は唇を撫でた親指を口の中へ差し入れた。

 口を余計に開けられて唇がふたたび裂け、また痛みが走った。

「しっかり息を吸え、話がある。」

 淡々と男が言う。

 口の中にできた空間から肺に空気が勢いよく流れてくるのが感じられた。

 流れて来た空気が肺を満たし、それを外へ押し返し肺が空になる。

 次は自分の意思で大きく息を吸った。

 ほとんど機能していなかった美羽の肺が自力で呼吸を始めた。

 肺が取り入れた酸素と、それと一緒に入り込んだ『何か』が血管を通っていくのがわかる。

 『何か』は体中に運ばれ、すべての感覚が冴えていく。

 が、同時に蝕まれた体の痛みが甦った。

 体中の細胞のひとつひとつを焼くような激痛がはっきり認識できていく。

 苦痛に呻きながら、美羽はぎゅっと固く目を閉じた。

 痛みに耐えきれず身をよじって横を向こうとした美羽の顔を、男は乱暴に両手でつかまえて上を向かせる。

 男の片手の親指は口の中に差し込まれたままで、

「息を止めるな、痛みでそのまま死ぬぞ。」

 男は淡々と言葉をかけるが、美羽はそれどころではない激痛でほとんど聞こえていない。

 男の腕を振り払おうと、無我夢中で両手で男の腕を掴む。

 体が自由に動く事にも気が付けないほどの激痛で、喉を引き裂くような掠れた悲鳴をあげた。

 堪らずに口の中に入れられた男の指を思い切り噛む。

「こら、噛むな、痛いぞ。」

 噛み切るような勢いで美羽に噛まれているのに、男はまだ淡々と話しかけてくる。

「美羽、指を外してやるから口を開けろ、話聞けよ。」

 男が言うままに、痛みを堪えて震えながら少しずつ口を開ける。

 美羽の口の中からゆっくり指を引き抜いて、男はそのまま美羽の口に自分の口をかぶせて息を吹き込んできた。

 ゆっくりと人工呼吸を行うが、不思議な事に送り込まれた息がそのまま体の中で消えた。

 吹き込まれる端から消えてしまうと同時に、美羽の体中の激痛も消えていく。

 唇が解放された途端、美羽は大きく息を吸いこんだ。

 肩で何度も息をする美羽の視界に、はっきりと男の顔が見えた。

「話にならんので痛み止めはサービスだ。」

 表情のない顔で男はまた淡々と言う。

 南の方の顔立ちだろうか、肌も日本人の肌より濃い色をしているように見えた。

「あなた、誰?」

 突然目の前に居る男に対して、当然の質問。

「国家の最終兵器。」

 男も素直に思うままを答える。

 が、質問の答えよりも、状況が呑み込めて美羽の顔が引きつった。

「って、いうか・・・・これ、どういう事?」

 美羽の視線は男の胸元の素肌を発見し、自分もどうやら何も着ていない状態らしい。

 顔を男の両手で挟まれていて顔を動かす事は出来ないが、見える範囲をキョロキョロ見回すと、どう見ても病院では無い小洒落た部屋の大きなベッドの上で、男に下敷きにされている。

 この至近距離はどう考えても何かあったのか、これからあるのか、という状況でしかない。

「質問に答える主義じゃないが、答えてやろう。おまえが裸で俺も裸だが?」

 そう言う男の顔をじっと見て、

「意味が解らない、ここはどこであなたは何なの?」

 毅然と訊く。

 一度死に掛けている。

 怖い物は無い。

「何なのって・・・・なかなか強気だな、人間ってのは死ぬ直前でも自分上位は変わらない。」

 言葉を呑み込んだ途端、「え?」と美羽は顔を顰めた。

「死ぬ直前って何?私、やっぱり治らなかったの?」

「余命宣告受けたから治らないのは覚悟していただろう?」

「でも・・・、今、私は人工呼吸器無しで普通に息してるし、あなたと話してる。」

 今にも泣きだしそうな美羽を前に、

「・・・・本題に入ろうか。」

 男は困ったような顔をした。

「まず、死にたいか、死にたくないか、答えろ。」

「死にたくない。」

「代償を払ってもか?」

 男の言葉に、美羽の表情が硬くなった。

 疑う。

 命を繋ぐために支払う代償があるとするなら・・・。

 美羽の目に涙が溜まり、

「・・・・・誰かの命を犠牲にしてまで生きたくない、でも、死にたくない。」

 涙が零れた。

「等価交換は俺のジャンル外だ、俺は死神では無い。勝手に誤解するな。」

「じゃぁ、代償って何なの?」

「最近このパターンばっかりで俺の信念に反するんだが、この際〝代償〟はツケとく、〝願い〟と〝成就〟を先に履行する。」

 男の話がどういう意味なのか、美羽は不安に襲われるが、

「直訳で語弊をうむかもしれないが、『俺に抱かれるだけ』だ。」

 と、男が続けた言葉で余計に不安になった。

 不安そうな目で見上げて来る美羽に、男が顔を顰めて舌打ちをする。

 男は下敷きにしている美羽を手荒く引き起こし、胡坐をかいて座った自分の膝を跨がせて美羽を座らせた。

 目を丸くした美羽の腰を引き寄せ、体をぴったりと密着させて両腕で美羽の背中を支える。

 息の掛かる距離で美羽の顔を真剣な顔でじっと見て、

「肌が直接触れていた方が俺が〝やりやすい〟というだけで、おまえが思っているような要求はしない、俺の慈善事業だ。恐れるな、信じろ。」

 男が騙そうとしているようには見えなかった。

 小さく美羽は頷き、消えるような小さな声で、

「・・・死にたくない。」

 〝願い〟を確認し、

「わかった、目を閉じてろ。」

 頷いた男は、美羽の背に回していた片方の手で美羽のうなじを掴まえ、美羽の口に自分の口を重ねて思い切り息を吹き込んだ。



◇◇◇◇◇



 どのくらいの時間が経ったのか判らない。

 長かったようにも思うし、一瞬で終わった気もする。

 目を閉じた暗闇の中は、とても暖かくて優しかった。

 それだけは覚えている。

「おまえ達が言うような〝肉体の繋がり〟じゃ無い。」

 目を閉じている美羽の耳に届いたのは、覚えのある口調で言う知らない女の声だった。

 素肌のままベッドに俯せで横になっている美羽の体に、毛布が掛けられる。

 毛布が掛けられ、ベッドの端に誰かが座る気配があった。

 座った人物の体重でベッドの端がたわみ、その後、タバコの匂いがした。

 気配が誰なのか確認したくて目を開けたかったが、体が重く痺れたように動かず、美羽は目を開ける事が出来なかった。

 それでも、

「ん・・・・体・・・だるい、かも。」

 何とか声は出た。

「だろうな、俺がおまえを吸収して細胞レベルで分解した。それから異物を排除、再構築の流れだ。早期だったら分解しなくても〝取る〟事は可能だったが、進行し過ぎてて無理だった。」

 精霊の言葉ニュアンスの語弊は、〝く〟と言うより、〝いだく〟と説明するべきだった。


   直訳で語弊をうむかもしれないが、『俺にかれるだけ』だ


 ぼうっとした頭で、美羽は『意味、違うよ?』とクスリと笑った。

 美羽の口元が微かに笑むと、〝誰か〟はそれを見て安心したようにふっと息を吐く気配がした。

 そして、

「くっつけた細胞が落ち着くまでそのまま寝てろ、そのうち武田がすっ飛んでくる。」

 言って、ベッドの端から立ち上がった女の気配が遠ざかって行った。

 遠ざかって行く女に、

「うん・・・・・。」

 と、微かな返事をしてうっすらと目を開けると、窓の外の夜の暗闇を背景にして、20代後半くらいの髪の長い女がタバコを吸いながら佇んでいる姿が見えた。

 女は美羽が見ている事に気が付いて、

「寝ろ。俺の〝要求〟はそれでいい、これでチャラだ。」

 言われた意味はよく判らなかったが、

「はい・・・。」

 小さく頷いた美羽は目を閉じた。






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