24 清濁
応接室、のような部屋だった。
木製の腰壁にベージュの壁紙、壁際には棚も何も無い。
地下30メートルにあるこの部屋には窓も無い。
ガランとした部屋に、向かい合わせの革張りのソファと、それに合うテーブルがある。
マナがどかっと座るソファの隣に、武田が立って居た。
海老原を待っている。
しんと静まり返った室内で、正面の壁にある扉を見つめてお互いじっと無言で時間が過ぎていたのだが。
ふと、マナが先に口を開いた。
「色々と、悪かったな。」
ぼそっと言う。
武田もぼそっと、
「謝るような事をした自覚があるのか?」
訊く。
武田の方へ顔を上げたマナは、
「美羽を巻き込んだ。」
静かに言った。
武田はちらりとマナを見おろし、
「それは謝って貰って当然だな。」
武田は表情を動かさず、さらっと言う。
マナは、ふんと鼻で笑い、
「悪かった。」
謝っているようには聞こえないが、謝った。
「他には?」
武田は続けて、マナの言う〝色々〟について訊く。
しかし、
「〝色々〟、だ。」
「雑多過ぎるだろう?」
武田も鼻で笑う。
ニヤッとマナは笑い、
「ま、ムカついてもおまえに殴られる心配は無いけどな。」
〝触れられない〟事を言った。
武田の顔がスッと真顔になり、
「手が通り抜けるのは、あまり良い気持ちはしなかった。」
正直な感想だった。
と、マナはいきなり傍らに立つ武田の腕を掴んで見せた。
「掴まれる感触はあるだろう?」
ニヤニヤと訊く。
武田の眉間に皺が寄る。
じろっとマナを睨み、
「俺に、〝触れられない〟と言わなかったか?」
「『お前達には俺が触れられない』が『俺からは触れられる』、って意味だけどな、面白いだろう?」
悪びれる風もなく、さらっとマナは言った。
舌打ちする勢いで顔を顰めた武田は重く息を吐き、
「後出しには慣れた。」
苛っと溢してマナが掴む腕を上げ、マナの手を払う。
マナは武田の様子にケラケラと笑った。
「拗ねるなよ。」
マナは無表情の武田へそう言い、武田の顔を見上げたまま言葉を途切れさせた。
そして何か言いたげな顔で静かに笑むが、言葉を口から出す事無く、前を向いてソファに座り直す。
マナが座り直してじっと正面にあるドアを見つめると、そこが開いて海老原がひとりで室内へ入って来た。
海老原はドアを閉め、
「お待たせしてすまない。」
見慣れた無表情な顔をマナへ向けた。
マナも相変わらずの調子で、
「精霊待たせるってすごいよな。」
へらへらと嫌味を言うが、
「人になりたい精霊も特異だと思いますよ。」
海老原が珍しく切り返した。
切り返したが、海老原は一瞬、眉を顰めて細い息を吐いた。
海老原は、
あなたが人になる事は出来ない
マナに告げた事がある。
言葉では無く、心で告げた。
地震の直前に、マナが海老原の元を訪ねた時だった。
それに対し、マナは、
〝今、それを俺に言って、俺が(災害に対して)動かなかったらどうするつもりだったんだ?〟
海老原に言った。
お互いが腹の読めない探り合いをしていた時だったのだが・・・。
今、目の前の海老原が改めて同じ事を言うので、マナは苦笑いを浮かべて言葉を失ってしまった。
海老原も薄い苦笑いを浮かべる。
一瞬、お互いが無言の中で視線で会話し、海老原はマナの正面の席に着く。
座り、海老原が切り出す。
「決定しましたので、二つ目の要求についてご相談 」
「三つ目の要求は『それ』で決定か?」
海老原の言葉を遮り、マナが訊く。
お互い、逸らす事無く強い視線で見る。
海老原が細く息を吐く。
「読まれる事は覚悟していました。―――残念です。」
本心だった。
じっと海老原を見るマナは不思議そうな顔をした。
「おまえの今の感情に嘘がない。そんなに好かれるような真似をした覚えはないが?」
訊く。
海老原は目を伏せ、
「あなたにも嘘がない。それだけです。」
残念そうな声音で答える。
感情をのせた言葉を吐いた海老原に驚いて、武田の表情が動いた。
武田の感情の動きに、マナは海老原を見たまま、
「武田、おまえのボスは人間にしておくのは惜しい。」
ニヤっと笑う。
心を読まれた事に気付き、
「何のお話か私には。」
武田は狼狽する。
二人のやり取りを察して海老原の顔に一瞬苦笑いが浮いたが、真顔で視線をマナへ戻し、
「二つ目、可能ですか?」
本題に入る。
マナは頷いて、
「二つ目を決めやすいようにデモンストレーションはして見せただろ?」
満員の会議室を〝破壊〟して元通りに〝復元〟して見せた事を言った。
「アレはやり過ぎでしょう、だから三つ目が決まるのも早かったのです。」
「嘘は吐きたくない、あれが俺のやる事だ。おまえ達には知る権利があると思わないか?」
二人だけで解る会話が続くが、傍らで聞いている武田にも、〝あまり思わしくない事態〟になっている事は判る。
武田の内面の揺れに、マナはちらりと武田を見上げてニヤッと笑うと、再び海老原へ視線を戻し、
「崩壊した人工物を『全て』きれいさっぱり復元する事は可能だ。明日の日の出と同時にやる。」
二つ目の要求を呑んだ。
続けて、
「三つ目も二つ目と同時に呑もう。」
告げる。
マナがその選択をする事を、海老原は薄っすら予想はしていたが、
「三つ目はそんなに急がれずとも良いのですよ、二つ目の確認が出来次第という事で上がっている要求案ですから。」
無駄と知りつつ、主義では無い〝説得〟を試みる。
ふっと笑うマナは、
「手心は不要だ。」
静かに言う。
潔く答えたマナへ、海老原はさらに、
「・・・いいのですか?」
「どのことだ?」
マナは問いで返した。
お互い無言の間が空くが、
「――――いいえ、要らない詮索でした。」
海老原は無表情に答える。
ふんと鼻で笑ったマナは、
「おまえ、本当に怖いな。精霊の上を行くヤツなんてまず居なかった。」
「見透かされるのは怖いでしょう?」
「人間は本当に面白い。だから憧れた。」
素直に言葉を口にした。
海老原も、
「あなたの要求に応えられないと抗議もしましたし、三つ目が読まれる事を想定して二つ目を聞き入れてもらえないだろうという駆け引きもしたのです。」
ありのままの事を、嘘偽りなく口にする。
マナは、
「読んだから判っている、感謝してる。」
頷いた。
マナは海老原から目を離さず、
「武田、美羽には言うなよ、俺から話す。」
海老原もマナから目を逸らさず、
「二つ目の要求は『復元』、三つ目の要求は『人の手に余る存在は不要』となった。」
武田へ告げた。
唖然と、
「 彼に、消えろという事ですか?」
武田の口から零れ、ハッと見た精霊の表情は動く事は無く、
「マナ、君はそれでいいのか?」
ここまで散々海老原が問い掛けていた事だが、武田はあらためて精霊へ問うた。
顔を上げたマナは、
「初めて名前呼んだな。」
ははっと笑う。
武田は次の言葉が続かず、マナを見つめたまま苦い顔をした。
目まぐるしく色々な方向へ揺れた武田の思考に、
「・・・おまえさぁ、本当に親バカだよな。目の前の俺より美羽がどう受け止めるかの方がウエイトが大きいのは問題だぞ。」
マナは茶化して言うのだが、武田は首を振り、
「読んだのならば、それだけでは無い事は判っているだろう?」
武田はマナに対して自分の中で動いた〝感情〟について言う。
信頼、感謝、尊敬、畏れ、一瞬で様々なものを武田は思った。
マナの顔から表情が消え、
「存在が見えなくなる事と、存在が消えてなくなる事は同意義ではない、勘違いするな。〝おまえ達の生活〟は何ひとつ変わらない。」
〝三つ目の要求〟について淡々と言う。
それ以上、武田に物を言わせない。
マナはそのまま海老原へ視線を戻し、
「武田、外に出てろ。海老原と二人で話がある。」
海老原は頷き、
「席を外してくれ。」
静かに武田へ言った。
◇◇◇◇◇
武田が退室し、室内は静まり返った。
海老原はじっと精霊を見ている。
精霊も海老原をじっと見返しているが、内面を読むような真似はしなかった。
間が空いた後、精霊は目の前のソファに座る〝種〟に対して宣告する。
「人はあっけなく絶えるぞ。本当にあっけなくだ。」
情も何も無い、感情の籠らない声だった。
「近いのですか?」
「俺の時間では。」
海老原の問いに、精霊は頷いた。
精霊の言う時間が数年単位では無い事は、海老原にも判る。
ただ、精霊が何を思って現れたのかを思う。
海老原は大きく息を吐き、
「あなたの要求は『人として貴方を扱う』でした。漠然とですが、貴方の本心が読めていたのです。」
静かに内側にあったものを明かす。
望みを叶えてやれなかった事が悔やまれる。
「なぜこの国を選んだのですか?他の国であったなら、あなたを人として認めた可能性が 」
「最後の一人がこの国の人間だ。島国だったことが幸いしたのだろうな。」
この場所に拘った理由だった。
「確実ですか?」
複雑な思いで海老原は訊く。
精霊は静かに頷いて、
「俺のシミュレーションは外さない。次々に絶えて行く種の順番も手に取るように判る、最後に絶える種が人ではない事だけは言っておこう。」
「それだけは救いですね。」
ふっと寂しげな笑みを作った海老原はぽつりと、
「それ程の力を持ちながら、何故、〝人〟が怖れる真似を・・・。」
海老原の呟きに、精霊は薄く苦笑いを浮かべて静かに首を振った。
「それを先読みする事は無理だな。俺には〝感情〟を盛り込んだシミュレーションが出来ない。おまえ達ほど複雑な感情を持つ種は無い。」
じっと精霊を見つめた海老原は、
「そう・・・ですか。」
細く息を吐く。
精霊の顔からすっと表情が無くなり、気配が薄くなる。
確かにそこに居るが、質量を全く感じさせない。
行ってしまう
海老原には漠然と、精霊が『自身が在るべきモノ』に戻って行くのを感じる。
精霊は、
「最期の一人に寄り添ってみたかった。人が人に寄り添うように、種の中に混じっておまえ達という種の最期に寄り添いたかっただけだ。」
本心を語る。
応えて海老原も、
「あなたに寄り添った人間もいました。」
「おまえも含めてな。」
精霊の即答に、お互いニヤリと笑った。
ふっと笑ったまま、精霊が目を伏せる。
「付き合わせて悪かった。」
「もう、いいのですか?」
目を伏せたまま、精霊は頷く。
「思い出作りは十分だ、満足している。」
その言葉に海老原も頷く。
無表情の精霊は、目線を上げ、
「あとは任せる、見届け人に松山を借りる。」
言って、立ち上がった。
海老原も立ち上がり、
「よい旅を。」
微かに頭を下げて言った。
ふんと鼻で笑った精霊は、
「いい文句だ、覚えておこう。」
言って、姿を消した。
◇◇◇◇◇
廊下へ出て来た海老原はまず、
「彼に松山君が同行する。場所を特定して美羽さんをそこへ。」
廊下で待たせていた武田へ言う。
「いいのですか?」
「彼は告げずに行ってしまうだろう。」
海老原はマナの行動を読んでいた。
「はい。」
武田は頷いた。
廊下を武田と並んで歩き始めた海老原が、ふと、
「もし、美羽さんが彼と行くと言ったらどうする?」
訊いた。
武田が、
「彼に任せます。」
即答したので、海老原が息を漏らして笑った。
「子離れしたな。」
言って、海老原が顔を上げて武田を見ると、武田は見てはいけないものを見たような顔で海老原の様子を見ていた。
次官が笑っておられる・・・
意外過ぎるものを見てしまい、武田の眉間に深々と皺が寄る。
〝笑って悪いか?〟と言うように、海老原はムッと顔を顰めて前を向いた。
そして、
「彼は連れて行かない。」
「・・・そうでしょうか。」
読めていない武田に対して首を振り、海老原は溜め息混じりに、
「彼は人ではない、人のように奪う事はしない。」
言葉を吐いた。




