23 循環
先導する男が一人、前を歩いている。
松山はマナを抱えて廊下を歩いていた。
隣に美羽が付き添っているのだが、歩きながら、
「すごく軽い。」
松山の腕に居るピクリともしないマナの事を美羽へ言う。
美羽は素朴な疑問として、
「なぜ父には触れなかったの?」
崩れ行く会議室の中で、美羽や松山と同じく、武田は精霊に護られていた。
この流れから行くと、美羽や松山がマナに触れられて武田がマナに触れられない理由が判らない。
美羽は隣を歩く松山の顔を見上げて訊く。
松山は、微妙な表情で言葉を探していた。
心当たりはある。
しかし、とてもじゃないが、言えない。
衝撃的過ぎて、本部へ報告していない話だった。
精霊に二度ほど〝押し倒された〟など、報告など出来なかったのだ。
口移しに〝何か〟を渡されたのだが、それを渡すシチュエーションが・・・・。
「・・・彼の冗談って、破壊力があるからね。」
木星の衛星を砕くほどの男の洒落ジョーク。
ぽつりと溢した松山の言葉に、美羽は首を傾げた。
松山は慌てて、
「いや、何でもない。」
ははっと乾いた笑いを溢し、
「武田さんが彼に触れないのと、彼が武田さんを信頼してるのとは別の話だと思うよ。」
と、続けて答える。
美羽は〝そうなのかな〟と、納得したような、よく判らないような顔で頷き、
「マナに触れるのに、松山さんにはマナが薄く見えるんでしょう?」
美羽にはよく判らない。
美羽には変わらないマナの姿が見えているが、どうやら松山や他の人々にはマナの姿は薄っすらと透けて見えているらしい。
「みんなそうみたいだよ、彼が見えない人もいるみたいだし。」
実際、肉体を失った精霊を目視できない人間が何人もいた。
松山は大した事では無いと言うが、不安になる。
消えてしまう・・・の?
そもそも人では無いし、本人の意思の自由もある。
「・・・このままなら。」
美羽はつい、ぽつりと溢してしまった。
このまま目覚めないなら、ずっと傍に居られるの?
思い、ハッと気付いて小さく首を振った。
〝私がマナの為にできる事〟ではないと気付いて俯いてしまった。
もう、遠い日の出来事の様に感じるが、津波の前夜、マナが、
おそらくこれが、おまえ達が言う〝寂しい〟なのだろうと思う
そう呟いた時、美羽はマナが感情を持たない事を漠然と知った。
美羽を助けた本当の理由も。
余命宣告を受けた美羽が、一人で残される父親の孤独を思って代わってやりたいと思っていた。
その事を武田を通じて知ったマナは、美羽を助けたのだ。
マナ自身が〝独りになる予定〟があり、孤独に寄り添おうとする美羽の感情に魅かれたからだった。
居座ったホテルの暗い部屋のベッドの上で、マナの傍らに座った美羽が顔を上げようとしないマナの頬に触れた時、マナは〝それ〟を言った。
言ったが・・・。
ベッドのヘッドボードへ背中を預けて座るマナは、俯けていた顔を不意にあげ、無表情に強い視線で美羽を見た。
そして、
「だが、俺の勘違いだ。おまえが寄り添ったのは武田の孤独で、俺のモノでは無い。」
表情の無いマナがそれを言うと、恐ろしいほど冷たく突き放したように聞こえる。
マナが本気でそれを言っている事は伝わる。
美羽はマナの頬を包む両手の中から向けられる強い視線をしっかりと見つめ返し、薄く微笑んでみせ、
「今は?」
訊いた。
マナの目が見開かれ、驚いたような表情で美羽の顔を見返す。
言葉が出ない。
そのまましばらく見つめ合っていたが、とうとうマナが美羽の両手を自分の頬から外し、視線を落として考え込んでしまった。
手の中にある、頬から外した美羽の手を、じっと見つめる。
美羽は自分の手を返して、自分の手を包んでいたマナの手を握り、
「今は、どう?」
もう一度、訊いた。
マナは答えず、ぽつりと、
「・・・二百年前、同じような感情を俺に向けた女が居た。」
美羽の胸にチクリとするものが過る。
「・・・マナも、その人が好きだったの?」
見透かされている事は判っている。
だから、遠慮する事無く訊いた。
「〝それ〟がそうなのかもしれないと、失った後に気付いた。」
マナの答えに、
「・・・そう。」
美羽は少し複雑な思いで頷く。
と、マナがニヤッと笑って目線を上げた。
「松山と違って、おまえのは可愛らしいな。」
「え?」
不意に松山の名が出て、美羽は首を傾げる。
「松山のはドロドロしていて女々しかったが、おまえのは雄々しい。〝死人〟に挑む勢いは称賛ものだ。」
胸に過ぎったものに対して美羽の中で湧きあがった感情について、マナは、ははっと笑う。
美羽はまだよく判らず、首を傾げて怪訝な顔をした。
マナは左手で美羽の頬に触れ、そこに残る涙を指先で拭い、
「嫉妬心、対抗心、だった。今はもう、大半が俺に向けている感情しか残っていないが。」
美羽に説明する。
今度は美羽が目を逸らし、少し拗ねたように、
「・・・うん、ヤキモチ。」
認めた。
認めてしまうと、なんだか可笑しくなってふふっと美羽は笑った。
挑んだつもりは無かったが、確かに、〝負けない〟とは無意識に思ったかもしれない。
繋いだマナの右手を離さず、マナの右側へ並んで座る。
空いた手で毛布をマナと自分に掛けて、二人で一枚の毛布に納まる。
頭をマナの肩へ預け、落ち着いた。
美羽の内面が穏やかになった所で、
「誰かに何かに、固執する事が感情なのか?」
抱えていた疑問をマナが口にした。
一瞬、美羽は難しく考えそうになるが、
「何かしてあげたい・・・と、思う事が感情だと思う。自分のためじゃなくて、相手のために。」
心に浮かんだ事をそのまま答えた。
マナは、〝そうか・・・〟と頷いたまま黙る。
黙ってしまったマナへ顔を上げ、
「・・・私は、マナの為に何が出来るんだろう。」
マナの横顔へ問うが、
「〝おまえ達〟には限界がある。」
「違うの、〝私〟ができる事を探してるの。」
マナが言う〝種〟の話を押し返し、美羽は〝個〟の話をする。
再び、マナが目を丸くして美羽の顔を覗き込んだ。
何を驚いているのか判らず、美羽も目を丸くした。
ポイントが判らない。
「マナ?」
「少し、おまえを見縊っていた。」
目を見張るマナは、美羽の顔をまじまじと見る。
「〝おまえ達〟がどうやって恐怖心を克服しているのか、尊敬に値する。」
「恐いの?」
唐突過ぎて、マナが言っている事がそれで合っているのか判らないが、マナは頷いた。
「美羽、おまえは何故、俺を信じる?」
「え?何?」
「俺は視る事が出来るからおまえの中に嘘が無い事は判る。だが、おまえに対して俺に嘘が無いと、おまえが確信を持つ理由が判らない。」
意外な事を言いだした。
これは判る。
「不安なの?」
訊く。
マナはまた頷いて、
「〝不安〟になった。」
素直に答える。
美羽は真っ直ぐにマナを見つめたまま、
「私はマナを信じてる。私がマナを信じる理由はマナには関係ない事だよ。」
言い切ってしまった。
美羽があまりに潔くそれを言い放ってしまったので、
「・・・強いな。」
マナは苦笑いでそう溢す。
白旗状態のマナにくすりと笑った美羽は、
「寄り添うって、そういう事だと思う。」
美羽は、〝マナの孤独〟の傍に居た。
◇◇◇◇◇
「美羽ちゃん、こっちだよ。」
考え込んで歩いていて、美羽は用意された部屋を通り過ぎてしまった。
松山に声を掛けられ、慌てて廊下を戻る。
先導していた男が扉を開けて待っていたが、美羽が部屋へ入るとそのまま扉を閉めて去ってしまった。
踏み込んだそこは、落ち着いた雰囲気の部屋で二部屋続きになっていた。
美羽が待たされていた部屋の三倍くらい床面積がある。
家具も、応接セットや執務机まで据えてあった。
キョロキョロと部屋を見回す美羽へ、
「海老原次官の休憩室だよ。」
松山は美羽の疑問に答えた。
美羽が目を丸くして無言のまま松山を見るので、理由を察して松山がくすっと笑った。
「彼みたいに心を読んでるわけじゃなくて、美羽ちゃんが警戒してるのが見え見えだったから判ったんだよ。」
松山はマナを抱えたまま隣りの部屋へ入って行った。
松山の後をついて部屋へ入る。
小振りな部屋だが、美羽が待たされていた部屋と同じくらいの広さはある。
松山は壁際へ据えられたシングルサイズのベッドへマナを下ろし、部屋の端にあった椅子をベッドの傍へ置いて美羽へ〝どうぞ〟と促した。
マナの左肩を手前に見る形で、美羽はマナの傍らへ座る。
じっと動かないマナをみつめる。
表情の硬い美羽の様子が気になるが、
「これも、返しておくね。」
ベッドの横に立ったままの松山は上着のポケットから美羽のチョーカーを取り出し、美羽へ手渡した。
「どさくさに紛れて持って来ちゃったんだ。」
渡すかどうか松山の中に迷いがあったが、〝多分〟、と、そう思って渡した。
松山の予想通り、美羽は手の中のチョーカーについている折れた水晶のトップを見て顔を強張らせた。
〝先程の異常な事態を思い出して美羽が硬直するだろう〟、松山の予想だった。
美羽はチョーカーのトップをぐっと握り、握った手を口元に押し当てた。
目の前で起こった事をあらためて反芻して、体がぶるっと震える。
怖かった
マナがやった事。
人が弾け飛ぶ所も、部屋の床がばっくり割れて裂ける所も、崩れた床の隙間に人が落ちて行く所も、全部見た。
幻覚では無い。
全部、マナがやった事だった。
無かった事には出来ないが・・・。
眉を顰めてぎゅっと目を閉じて息を吐き、目を開けてそこに横たわるマナを見つめる。
全部、含めてマナなのだと、美羽は思う。
決めたのは自分だ、信じる理由はマナには関係ない
美羽の顔つきが変わった。
その顔を見て、
「大丈夫だね。」
松山はほっとしたように声を掛ける。
美羽は恐怖心に自力で打ち勝った。
「うん。」
頷いて、美羽が顔を上げたので、松山は本題に入る。
「美羽ちゃん、彼を目覚めさせる方法に心当たりは?」
「ごめんなさい、本当にわからないです。」
美羽は首を振る。
松山は溜め息を吐き、
「・・・何となく読めて来た事がある。」
「松山さん?」
「彼と美羽ちゃんの組み合わせで、僕が思い当たるのはそこだけなんだ。」
松山の言葉に、美羽が藁をも掴むような目を向けるので、松山は困ったように口が重くなる。
「ただ、違った時の事を考えると怖すぎる。」
松山の眉間の皺に、美羽も察して、
「・・・・父、ですか?」
頷いた松山の背が冷えた。
「武田さんに殺されちゃうよ。」
「教えてください。」
「間違ってたら、本当に申し訳ないんだけど、 」
言い難そうに言葉を選ぶ松山は、
「死に掛けた美羽ちゃんと彼が最初に会った時、どうやって治してもらった?」
〝美羽を起こした方法〟なら、美羽が知っている。
松山が言った言葉を理解した途端、妙にリアルな場面を思い出した美羽の顔が赤くなり、目を伏せた。
美羽の顔が露骨に恥ずかしそうに俯く。
違和感があったが、松山は、
「しばらく様子を見よう、自然に起きるかもしれないし。」
気遣って美羽へ言った。
言ったが・・・。
感じた違和感に〝あれ?〟っと、松山は内心首を傾げる。
〝生命力を口伝されただけじゃないのか?〟と、疑惑は膨らんで行く。
まさか、ホントに何かあった?
いくら松山でも、美羽のこのリアクションは勘ぐってしまう。
松山は美羽が〝口移しに何かを吹き込まれた〟という事実しか把握していない。
マナに命を救われた時、『気が付くと〝全裸〟だった件』については美羽は硬く口を閉ざしていたのだ。
美羽は口をつぐんでいたが、松山の記憶に符合する事実がある。
マナが連れ去った美羽を武田と松山がホテルで発見した時、美羽は素肌に毛布を掛けられた状態だった。
松山の頭に浮かぶのは恐ろしい形相の武田の顔で、恐怖に駆られてとうとう疑惑を口にした。
「美羽ちゃん・・・もしかしなくても、何かあった?」
美羽は真っ赤な顔をはっと上げて否定しようとしたが、ある程度は〝何か〟があったので何も言えず、美羽の口がヒクついた。
それを見て顔を引き攣らせてじっと美羽の顔を見る松山の視線に、
「違います!松山さんが思っているような事は何もありませんでした!」
弾かれたように美羽は勢いよく否定した。
否定して、赤い顔のまま、
「・・・やります。」
怒ったように美羽が小声で言う。
押され気味に頷いた松山は、
「判った。」
言って、開けていたドアを閉めに行き、そのままそこでドアを向いて立ち、美羽へ背中を向けた。
「気になると思うけど、何が起きるか判らないからここに居るね。」
「はい・・・。」
美羽は小さく息を吐いて頷いた。
◇◇◇◇◇
あっという間だった。
松山の背後で美羽が悲鳴のような声を短く上げた直後、扉の方を向いていた松山が振り返ると、美羽を下敷きにして唇を重ねたまま息を〝吐き出す〟マナの背中が目に入った。
仰向けだったマナの頬へ手を添え、美羽が唇を重ねた途端、マナの片腕が美羽を抱き込んで体を返し、下敷きにしたのだった。
右手で美羽の細い首を絞めるように頭部を固定して、我を忘れたように吐き出し続ける。
ベッドの端からだらりと垂れた美羽の腕が、一度痙攣してそのまま動かなくなった。
松山には美羽の様子に見覚えがある。
〝痛み〟を渡された時と状態が似てる!
慌ててマナを引き剥がそうとマナの右肩を背後から掴むと、マナは美羽を解放してガッと体を起こして振り返り、肩を掴んでいた松山の左腕を左手で掴み返した。
掴み返したマナの握力は、松山の腕の骨を握りつぶす勢いで強い力が込められている。
痛みで松山は呻いたが、松山の視界にある苦痛にゆがむマナの顔はあらぬ方向を見ていた。
何かを探す様にキョロキョロと視線を彷徨わせる。
「松山か!?」
吼えるように訊くマナは、どこを見ているのか判らない。
松山が絞り出すような声で、
「マ・・ナ、腕、折れる・・・。」
苦痛を訴えるが、
「視界が散らかってて何も見えない!」
マナも自身の事で精一杯で、松山に構っていられない。
目が見えていない。
それどころか、
「俺に触れるって事は松山だな!?」
「聞こえてないんですか!?」
松山は吼え返したが、返した瞬間、
「松山!代われ!これ以上やると美羽が人間じゃなくなる!」
マナは掴んだ松山の腕を強引に引き、ベッドの上へ引き込んだ。
目を見開いたままぐったりと動かない美羽の上へ倒れ込みそうになり、美羽を庇うように松山は空いている右手を壁につく。
手をついて美羽の上に崩れ落ちる事を防ぎはしたが、マナも空いている右手を松山の右腕伝いに松山の首を探り当て、抑え込みにかかる。
押された途端、松山の体がベッドの端から床へ落ちて後頭部を強打した。
激痛目白押しの中、圧し掛かるように一緒に床へ落ちたマナの顔が視界を埋める。
「ひぃぃぃぃっ」
言葉にならない悲鳴を上げながら、松山もマナの首へ手を掛けて抵抗を試みるが、まったく抗力は無い。
マナは松山が首を掴んでいる腕を裏拳一発で床へ叩き付けた。
若干、ヒビが入ったかもしれない。
「溜め込み過ぎた!吐き出さないと、俺、死ぬ!」
必死のマナの様子に、激痛で朦朧とする松山の頭でも、『非常事態』はなんとか理解は出来る。
それくらいの正気は残っている。
「ちょっ!こっちを殺す気ですか!?」
何とか叫んでジタバタと抵抗を試みる。
床に叩き付けられた腕がまったく動かない事を気にしている場合でもなく、マナに掴まれたままのもう片方の腕を捻ってみた。
すると、次の瞬間、変な音がしてそちらも動かなくなった。
「ちょっとは協力しろ!」
マナの怒声の説得に、
「・・・相変わらずな感じですね。」
松山がやっと抵抗を諦めた。
◇◇◇◇◇
ソファベッドで目を閉じたまま緩く呼吸をする美羽の顔を、薄っすら透ける精霊がベッドの端に座り、見つめる。
美羽が待たされていた軟禁部屋だった。
ベッドが据えられている壁の反対側の壁際に、背もたれの無い丸椅子に座る海老原が居る。
しんと静まり返る室内は三人だけで、武田は扉の外に待たせていた。
無表情の海老原はずっと黙ったままで、精霊が口を開くのを待っている。
ふと、海老原の思考が揺れた途端、美羽を見つめたままの精霊が口を開く。
「力尽きていたわけじゃない、むしろ逆だ。力を吸収しすぎて飽和していた。」
海老原の思った事に関して答えた。
力を使い果たすほど、何故、無茶をされたのか・・・
〝そうではなく、押し寄せる津波の力を容量以上に吸収した為に眠ってしまった。〟
マナの答えに頷き、海老原は続けて先程までの騒ぎについて、
「先に言っておいていただければ、ある程度ご協力する事は可能でした。」
苦情を言う。
〝壊して〟〝戻した〟事と、〝殺して〟〝再生した〟事を言った。
精霊が還元されてから、海老原と初めて〝口で〟交わす会話だった。
「ヘタをすれば、吸収した力に押し潰されて〝俺〟は飛散していた。」
「余剰を吐き出す方法なら、他にも方法はあったでしょうに。」
「おまえの思うソレは、〝おまえ達〟が要求してくるのならばやろう、俺自身には関係の無い話だ。」
マナは海老原の謂わんとする所を先に言う。
海老原はじっとマナの横顔を見つめたまま、次の言葉を待つ。
マナは無表情な顔を僅かに海老原へ向け、
「壊すよりも戻す方が労力が要る、〝どちらにしろ〟デモンストレーションは必要な作業だった。」
見透かすような視線で海老原を見ながら言った。
また頷いた海老原は、強い視線をマナへ向け、
「それでも、無茶をされましたね。」
淡々と言う。
マナは微かに首を振り、
「俺の賭けだ。これに負けるのなら文句は無い。」
〝結果は出ている〟、そんな言い方をした。
じっとお互いが強い視線で意思確認をした後、無言の間が空き、先に海老原が細く息を吐いて視線を伏せた。
海老原は丸椅子から立ち上がり、
「・・・・一先ず、お時間を頂きます。」
マナに視線を戻す事は無く、悶々と立ち去ろうとする。
ニヤッと笑ったマナは海老原の背中へ、
「世話になったな。」
茶化す様にぼそっと吐いた。
立ち止まった海老原は鼻でふんと息を吐き、
「結論は後程。」
背中を向けたまま。
海老原はこれから〝集団〟と交渉しに行くのだ。
マナは海老原の漂わせる気苦労を思うと思わず、
「無理をするな、胃に穴が開くぞ。テキトーでいい、任せる。」
軽い口調で言うので、海老原もふと苦笑いで振り向き、
「信用されたものですね。」
ちらりとマナを見た。
肩越しにこちらを見るマナの口元がははっと笑い、
「おまえ、食えないけどな。」
正直な所を告げた。




