22 還元
躓かないよう重心を後ろに下げ、松山は体勢を低くして滑りながらそこにある二つの石へ目掛けて手を伸ばした。
手が届いたと同時に、握ってそのまま崩れ落ちた床の底へ転げ落ちる。
数回転げて受け身を取り、背中が壁のような物に当たって押し戻され、前に倒れてその場で四つ這いになって踏みとどまった。
と、松山は顔を上げて驚く。
「え?」
松山の視界に、何事も無かったような室内の景色が映る。
目の前にあるのは水平な床で、先程松山の背中に当たったのは最前列にある座席の前面の腰板だった。
正面、離れた所に立って居る美羽の背後にあるアクリルブース全面が傷一つないクリアな壁に戻っている。
そのクリアな壁の前に、顔を覆ったままの美羽が震えながら立ち尽くしていた。
美羽はゆっくりと顔から両手を外し、顔を上げて青い顔を松山の方へ向ける。
しんと、間が空いた。
周りを見回した松山は、まず、扉の周りに身動きできずに呆然と立ち尽くす人だかりを見た。
半分近い人間がそこから下階へ落ちて行ったはずだが、そこに居る人数はざっと見でも元の人数が居るように見える。
数えていないが、おそらく、全員居る。
立ち上がり、振り返る。
背後の机の階段を見上げると、すべての備品が元通りになっており、中腹の壁際に、無表情でこちらを見ている武田と海老原の姿があった。
最初に〝マナ〟が押し潰した会議机も、傾いでいた床も、全部が元通りに戻っている。
何事も無かったかのように、室内はしんと静まり返っていた。
壁際へ逃げていた人々が唖然とした表情で松山の方を見る。
皆、一様に声も無く驚いている。
「元に・・・戻ってる、どうして?」
松山も驚いてそれ以上身動きが出来なかった。
が、一人だけ、
「マナ!」
美羽が叫んで松山の方へ走り出した。
はっとして松山は掌を開いて中の石を確認し、息を呑む。
確認した手の中には二つになった石があった。
二つに折れたトップのうち、根元の方の石が透明な水晶に戻っている。
もう片方、トップの先の方の瑠璃が、松山の手の中でサラリと砕けて砂に変わる。
手の中から零れ落ちて行く瑠璃の砂を、松山は慌てて手の中に留めようと両手で押さえるが、砂は松山の指をすり抜けてサラサラと床へ落ちた。
松山は慌ててしゃがみ、何とかして砂が逃げてしまわないように固く手を組むが止まらない。
駆け寄った美羽が松山の手を外側から押さえる。
それでも砂は、汲みあげた水の様に二人の指をすり抜け、あっという間に全てが零れ落ちてしまった。
透明な水晶の欠片だけが残る松山の手の中を見つめ、美羽の口が声にならない悲鳴を上げた。
終わった
松山の噛み締めた奥歯が鳴る。
呆然と掌を見つめる二人の視界の先に、ふわりと青い色が揺らいだ。
手を滑り落ちた青い砂が、落ちた床の上で青い影に変わり、じわりと見覚えのある形を創って行く。
向かい合った美羽と松山の間の床に、青い衣を纏うマナが出現した。
床の上に横向きに倒れたまま、目を閉じて動く気配は無い。
美羽は慌てて目の前のマナの顔へ手を掛け、マナの頭部を膝に抱き起こして覗き込む。
「マナ!目を開けて!」
叫ぶように名を呼び、マナの頬へ手を添えて呼び掛けるが、まったく反応は無かった。
松山の目が見開かれる。
「美羽ちゃん・・・彼に触ってる・・・よね?」
触れられなくなるとマナは言っていた。
なのに、美羽はマナを抱き上げている。
松山はあらためてマナを見てぎょっとする。
マナの体は薄っすらと向こう側が透けて見えているのだ。
マナの頬へ添えられた美羽の手も、マナの顔越しに薄っすらと透けて見える。
生身じゃないって・・・・こういう事か
松山はマナの腕に触れてみた。
手は確かにマナの腕に触れる事が出来たが、生き物の感触では無い。
気を抜くと手がすり抜けそうな、何とも言えないふわりとした感触。
血の通った温かさも無い。
だらりとしたマナの腕を掴んで持ち上げると、重さがほとんど無かった。
しかも、マナの腕の向こう側にマナの腕を掴む自分の手がうっすら見えている。
腕を持ち上げた拍子にカチリと音をたててずれた金の腕輪さえ、向こう側が透けて見えていた。
「体が透けてる・・・。」
松山の口からは、呆れたように言葉が漏れた。
ここまで何でも有りだと、呆れてしまう。
が、その呟きを聞いた美羽が不思議そうな顔を松山へ向けた。
「何のこと?」
意味が解らず、松山へ訊く。
松山は訊かれた意味が解り、
「もしかして、美羽ちゃんには彼がしっかり見えてる?向こう側が透けて見えたりしていない?」
確認の為に訊き返した。
美羽は、
「・・・うん。」
怪訝な顔で頷いた。
困惑して、松山は改めてマナの顔を覗き込んで見て、
「・・・・あ・・あぁ。」
松山の中で思い当たる事がある。
が、顔を顰めただけで言葉が続かない。
多分、マナから貰った〝誕生日ギフト〟と、彼が面白半分に松山へ渡した〝痛み〟の件が関係している。
美羽は、命を丸ごとマナから受け取っている。
関わった深さの分、差が出てる
松山の顰めた顔が苦笑いに変わった。
階段通路を降りて来た海老原と武田が松山達の元へ歩み寄り、美羽が膝に抱く薄っすら透けているマナを見て、
「〝触れない〟のではなかったのかね?」
海老原は武田をちらりと見る。
「何か理由はあると思われます。」
無表情の武田は答えた。
〝後出し〟にはもう慣れた。
慣れたが、マナが何を思って美羽が触れられる事を伏せていたのか、まだ隠している事があるような気がして、眉間に皺の寄り掛けた武田は細く息を吐く。
が、〝考えても仕方が無い〟と気持ちを切り替え、そこに横たわるマナの側へ屈んで、
「運ぶ。松山、手を貸せ。」
松山へ声を掛け、武田がマナへ向かって差出した手がマナを通り抜け、そのまま床に届いてしまった。
床に触れる手を見つめ、
「どういう事だ?」
顔を上げて松山を見る。
やっぱり・・・
そう思い、松山は引き攣った顔で、
「・・・・多分、自分と美羽ちゃんしか彼に触れられないと思います。」
武田の触れられなかったマナの体へ手を掛けて、マナの体を仰向けにし、背中へ手を回して抱え上げてみせた。
軽い。
重さを全く感じない。
気を抜くとマナが腕をすり抜けて落ちるような気がした。
松山が抱え上げたマナの額へ美羽の手が触れる。
「マナ。」
美羽が呼ぶが、まったく反応は無い。
呼吸をしている様子も無いが、この状態のマナにはそもそも呼吸をする意味が無い。
海老原は間近にじっと精霊の様子を眺めて、
「部屋を準備させよう、運んでくれ。」
言って、扉の辺りに呆けて佇んでいる人垣の方へ歩き出した。
〝勤務中〟の武田は松山へ視線を合わせて頷き、二人をその場へ残して海老原の後へ続く。
去って行く二人の背中へ、
「マナのそばに居させてください。」
美羽が声を掛けた。
立ち止まった海老原が疲れたような表情で振り返り、
「誰かの〝頭〟が割れるのはもうごめんだ。ぜひお願いしたい。」
美羽へ言葉を渡すと、再び背を向けて歩を進めたが、
「次官!」
呼び止める声に再び足を止めた。
室内の安全確認をしていた男が、机の陰に倒れている〝最初に破裂した男達〟を発見した声だった。
海老原は振り返らず、
「無傷か?」
訊く。
問われた男は海老原の背中へ頷き、
「全員、無事です。」
答えた。
海老原は応じて頷き、
無茶をしてくれる・・・
深く息を吐いて、
「・・・全員、医務室に連れて行かせてくれ。」
言って、また足を進めて割れた人垣の間を通って廊下へ出た。
しんと静かな廊下を武田と歩きながら、
「最初の1回で済ませておけばいいものを・・・。」
海老原がぼそりと呟いた。
意味が解らず、武田は無言でちらりと海老原を見る。
海老原が怒っている。
武田には、そう見えた。
武田の問いの視線に、海老原は進行方向を睨んだまま、
「〝彼〟は既に、精神病棟で看護師を一人殺してその場で再生してみせている。」
押し殺すように吐いた。
精霊はそれが出来る事を、改めて〝集団〟の前で実演してみせた
この事が精霊の扱いにどう影響が出るのか、海老原には先が読めた。




