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4.将軍が見た真実

 シャラ シャラ 

 彼女が歩くたびに、手枷につけた鎖が音を立てる。異国の踊り子がつけるブレスレッドのように、場違いなほど耳障りの良い金属音。

 シャラ シャラ

 真っ白な死に装束は婚礼衣装にも似ていて、純粋に美しかった。

 斬首にしなくて正解だな、と悪友の先見の明に感心する。こんなキレイなもん見たら、民衆だって意見を翻す。

 ダニエラが、小さな台の前で立ち止まった。台の上には、毒薬で満たされたゴブレット。

 王族からは、病に伏せった国王の代理として王太子が。

 貴族からは、各家の当主12人が。

 宰相のケーニヒと、将軍の俺と複数の軍人、近衛複数人が。

 見届け人として、ぐるりと彼女を囲んでいた。

 ケーニヒが立ち上がり、進み出て、長い口上を述べ始めた。それを神妙な顔して聞いてるふりをしながら、オレはつくづくと女を眺めた。いい女だ。貴族でさえなけりゃなあ。

 ――わたくしは死ななくてはならないの。




 王太子とその恋人が減刑を願い出たとケーニヒに聞いたあと、まっすぐ地下牢に向かった。

 聞いてみたかったのだ。ケーニヒはあんたを殺したくないらしいから、俺がこっそり助けてやろうか、と。返答次第では、逃がしてやってもいいかなと思って。

 女はすぐに首を振った。横に。

「逃げたって、いつか追手がかかるのは目に見えてますわ。ケーニヒ閣下はきちんと足し算と引き算ができるお人ですもの。すべてが終わって冷静になったら、わたくしを生かしておいたことを必ず後悔なさるはず」

 鉄格子の向こうで、女は悪戯っぽく小首を傾げた。

「ダニエラが生きている、なんて噂にでもなったら、すべての茶番がバレて『新政府』は空中分解。結局、閣下はわたくしを秘密裏に殺すことを再度、決断せざるを得なくなるだけ」

 知っていたのか、と絶句した俺は、知られていないと思っていたの、と盛大に笑われた。

「まさか、政界の狐狸たちが何も知らないおバカさんばかりと思ってらっしゃるの?わたくしは、彼らがアナタたちに差し出した生贄だというのに?」

 無用な血は流したくない、と思っているのは、なにも貴方たちだけじゃないのよ。

 ひとまわりも年が違う若い女に、たしなめられるように言われて、頭を掻く。

「むずかしいことは、俺には分からん。正直、平民出身の俺にしてみりゃ、貴族なんてふんぞり返ってるだけだろうと思ってた」

「正直な方ね。そう、確かに、そういう恥知らずな貴族も少なくはないわ」

 そのとき、ダニエラの顔から表情が消えた。

「貴族の子どもが、最初に教えられる詩をご存じ?」

「いや、知らんな」

 なんせ学がないもんで、と続けるのはやめた。僻んでると思われるのは癪だ。

 女は、そう、じゃあ少しだけ教えてあげるわ、と言って歌いはじめた。

「『民のために死ね』」

 それは詩というよりは、

「『民が耕す土の上に立つものよ。

  民が捧げし衣をまとうものよ。

  民の血をもって渇きを癒し、

  民の肉をもって腹を満たし、

  民の苦しみを吸って吐くものよ。

  既に対価は支払われたり。

  民のために生きよ、かなわぬなら、疾く死ね』」

 呪いのようだった。

 詩を諳んじたあとは、しばらく沈黙が続いた。

 能面のようだった女の顔に、笑いが戻ってくる。

「わたくしは死ななくてはならないの。どうせ殺されるなら、貴族らしく死にますわ」

「……そうか」

 逃げたあんたをケーニヒは殺さない、なんて、断言はできなかった。ケーニヒがやらなくても別の誰かが、あるいは彼女自身が、民のために殺すんだろうとも思った。

 だから、それ以上俺に言えることは何もなかった。

「さいごに、誰かに会いたければ、連れてきてやるが」

「けっこうよ」

 即答だった。

「いいのか。最後だぞ」

 また、呆れたように笑われた。

「最期だからこそですわ」

 そんなもんかね。やはり俺には分からなくて、首を振る。

「そうか。邪魔したな、ダニエラ。次は刑場で会おう」

「ごきげんよう、オイゲン将軍」

 踵を返して立ち去りかけ、ふと立ち止まる。そうだ、そういや、

「そういや、あんた、かくれて猫でも飼ってるのか?」

「ねこ?」

 きょとん、として聞き返されて俺も少し気まずくなる。猫なんているわけねえよな。

「いや、番兵がな。あんたが猫の鳴きまねしてるのを聞いたんだと」

 まあ、と上品に口元に手をあてて、彼女はふわりと笑った。

「その方、夢でもみたのではなくって?」

 棘のある薔薇みたいな顔してるくせに、笑うと子どもみたいな女だな、と思った。




「罪人、ダニエラ」

 宰相に呼ばれて、家名さえ取り上げられた女が「はい」と応えた。

 罪状を読み上げたケーニヒは、全く揺らぎのない冷静な政治家の顔をしていた。そこに潜む痛々しいほどの情熱など、誰も知らない。

「申し開きはあるか」

「いいえ、なにひとつございません」

 堂々とした否定、罪の肯定に、一部の貴族連中が動揺して身じろぎした。

 みっともなく泣き喚くとでも思っていたのか。それとも、次の世を生きるために捧げた“生贄”に、今さら罪悪感でも覚えているのか。

「しからば、そなたは死刑に処される。斬首であるところを、アレクシエル王太子殿下、ならびに当事者たる異界の乙女ユキ様の特別の御恩情をもって、毒を飲むことを許す」

「ありがたき幸せに存じます」

 近衛が進み出て、ダニエラの手枷が外される。

 シャラリ

 鎖が床に落ちた。

 自由になった両手をじっと見下ろした後、彼女はぐるりと列席者を見渡した。

 青ざめた王太子。偉そうな貴族たち。冷徹な宰相。厳めしい軍人たち。俺。

 そんな、クソみてえな観客相手にはもったいないくらい、ダニエラは実に晴れやかに笑った。


「それでは、みなさま、ごきげんよう」


 それが彼女の最期の言葉だった。




 ざっくざっくと、まだやわらかい土を掘り進めながら、ケーニヒの熱に浮かされたような顔を思い出す。

「仮死の毒、ねえ」

 眉唾もんだ、というのは頭の悪い俺にも分かった。

 だが、ヤツはそれを信じた。胡散臭いが信頼できる、という矛盾した商人から買い取ったらしい。

 うまくいけば毒を飲んだ三日後に息を吹き返すが、そのまま死んだ例もある、不安定な薬だと。それでも、生かしてやれる可能性がゼロだった状況に比べれば、賭ける価値は十分にあるとヤツは踏んだのだ。

 墓を掘り返して彼女の生死を確認してほしい、と頼まれた。もし生きていれば国外まで逃がして欲しいとも。

「なんで俺が」

と言うと、

「お前しか信頼できる者がいない」

なんて返されて、断ることはできなかった。

「本当は、自分の目で確かめたい。だがそんなことをすれば、どこか遠くへさらって行きたくなるのは目に見えてる。俺には、この画を描いた責任がある。今さらすべて投げ出して、この国を離れるわけにはいかん」

 だから頼む、俺の代わりに彼女を助けてやってくれ。

 そんなふうに縋られて、わかった、まかせろ、と答えた。

 掘り出した棺桶を前に、女の言葉を思い出す。

 ――閣下はわたくしを秘密裏に殺すことを再度、決断せざるを得なくなる

 そんなことはない、とは断言できなかった。

 それどころか、そうだろうな、と思った。確かにアイツはそういう難儀な男だ。

 棺桶の蓋を開ける。

 女が、眠るように横たわっていた。

 血の気を失った顔を美しく保つため、化粧が施された顔は安らかだった。たくさんの白い花に埋もれるように横たわった女は、眠るように目を閉じ胸の上で手を組んで、少し微笑みを浮かべている。

 どこもかしこも白く清らかな女の、紅の塗られた唇と結われていない髪だけが鮮やかに赤く、まぶしかった。

 寝てると別人みたいだな、あんた。町娘みたいにかわいい顔してらあ。

 そっと手を伸ばし、脈を取る。

 死んでいる。冷たく、硬い感触は、確かに死体のそれだった。

 ため息をついて蓋を閉めかけた手を止める。

 もしも商人の言うことが本当だったとしたら、万が一、ということもある。せっかく息を吹き返したのに、土の下で窒息させるのもかわいそうだ。

 スラリと剣を抜いた。

「…許せよ」

 ――ぞっとするような感触だった。

 使い古した剣で確実に心臓を一突きした後、蓋を閉め、元通り土をかけ、俺は速やかにその場を後にした。

 彼女が生きていたときに乗せるための馬、ケーニヒが偽造した新しい身分証、食料や水や衣類といった荷。そんなもの、ひとつも墓には持ってこなかった。初めから、俺はただシャベルと剣だけを持って来たのだ。

 ダニエラは死ななくてはならない。

 だとしても、二度もアイツにやらせるこたあない。

 眠れずにいるであろう男に、だめだった、と告げるために重い足を引きずって城に戻った。

 だめだった、死んでいた。お前の惚れた女は死んだ。

 毒花ダニエラは死んだ。

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