3.宰相の煩悶
「ケーニヒ宰相閣下、オイゲン将軍閣下がお見えです」
従卒の声に顔を上げる。
「通せ」
鷹揚に頷いて、目元を揉む。
昔は、偉くなれば細々したことは下に任せて、もう少しゆっくりできるものと信じていた。だが実際はどうだろう。上に行けば行くほど仕事というものは増えるばかりで際限がない。
執務仕事にばかりかまけてもいられず、政を動かすには根回しがいる。今晩も“お歴々”と密会の予定だ。それまでに片づけなければならない書類の山を眺めて、深い溜息をついた。
「相当まいってるようだな」
呆れたような声は、確認するまでもなく腐れ縁の悪友のそれだ。
座れ、と長椅子へとぞんざいに手を振って、自分も腰を上げる。座りっぱなしだった体がギシギシと軋んだ。
オイゲンの向かいにどかりと腰を下ろしたところで、従卒が茶を淹れて戻ってきた。
受け取ったそれに口をつけて、また溜息をつく。
その絶妙な間を読んで、オイゲンが口を開いた。
「で、何の用だ」
この男は単刀直入でいい。
今は、駆け引きをしたい気分ではないから、特に。
「殿下とユキ様が、ダニエラの減刑を求めてきた」
「ほお?」
意外そうな声。
当然だ。アレクシエルにとっては憎き裏切り者、その恋人のユキにとっては自分を殺そうとした悪の権化だ。
少なくともそう思うよう、仕向けた。
「減刑、ねえ。俺たちの予想を上回るお人好しバカップルだな」
「おい脳筋、口を慎め」
「失敬」
オイゲンは悪びれない。
いくら俺の執務室だと言っても、ここは王城内だ。どこに耳があるか分かったものではないと言うのに、この馬鹿は「その時はその時」ぐらいにしか思っていないのだろう。もみ消すこちらの苦労など斟酌しようともしない。
はああ、と重い溜息をつく。
「なんだ、今さら躊躇うのか」
「………まさか」
彼女を生かすという選択肢は、ない。
死刑でなくてはならない。
死刑でなくては困る。
「公爵家の令嬢は、死ななくてはならない」
でなければ、すべてのシナリオが狂う。
「そんなこと、今さら言われなくても分かっているさ。だが、今、王族の心証を悪くするのもまずい」
「そんなものか」
「そんなものだ。彼らとはすべてが終わったあとも、上手くやりたい。国民は“貴族”の優遇や汚職を憎んでいても、長く続いてきた“王家”の血には誇りを持っている」
だからこそ、今回死ぬのは、アレクシエルではなくダニエラなのだ。
“貴族”のうちで最も位の高い公爵家の汚職。見目麗しく人気のあるアレクシエル殿下を英雄化するためにも、彼の先導でそれは摘発されなくてはならなかった。無用な血を流さぬためにも、民主化という革命を起こすのは彼という英雄でなくてはならない。長く国の頂点であった“王族”が、自ら政治から退くのだ。
ユキという少女も欠かせない役者だ。神話の如く異界から舞い降りた娘、王太子との身分違いの恋。真実の愛だの命は平等だのを、声高に謳ってもらおう。
それらに国民が熱狂すればするほど、その物語の悪役たるダニエラへの嫌悪は募る。物語を「めでたし、めでたし」で結ぶためには、すべての責任を一身に背負って、ダニエラは死ななくてはならなかった。どうしても。
だが、だからこそ、その死に方は重要になる。
「もともと、斬首は危ないと思っていたんだ。美しく死んでもらっては困るからな。あの美貌にあの若さだ、民衆の前で断頭台に登れば同情を覚える者が出ないとも限らん。死にたくないと泣き喚いてくれれば良いが、ダニエラの肝の太さじゃそれはねえ。最後まで毅然としてた若くて美しい女の死、なんて語り継がれて美化されかねん」
「なるほど」
「…王太子と異界から舞い降りた乙女が、憎いはずの女の減刑を願い出た、ってのは使える美談だ。せっかくだから、これに便乗して死刑の方法を変える。民衆の目には触れない形で殺せば、後から“死に際どんなに見苦しく命乞いをしたか”なんて、いくらでも話は作れる」
そうだ。どんなに言葉を飾っても、俺たちがやろうとしてるのは、ただの殺しだ。何の罪もない若い女を、国民のために常に必死に努力していた人間を、革命という大義名分のために殺すのだ。
「せめて、苦しまない死に方を…」
口走った言葉にこびり付いた疾しさ。我ながら辟易する。
オイゲンは片眉を器用に上げてみせたが、何も言わないでくれた。
「密室で死刑、とすれば、毒か」
「そうだな」
「死体はどうする?さらすか?」
「いや、政府の品位を疑われる。“正義の味方”がすることじゃない」
「それもそうか。んじゃ、俺や軍の出番はなさそうだな」
「死刑の場には、軍の長として出席してもらうぞ」
「分かってるさ。お前も出席するんだろう?」
飄々としながらもしっかり釘を刺されて、苦る。
「当然だ」
どんなに気が重くても、それが俺の役目だ。
「日和るなよ」
「馬鹿にするな」
分かってるさ。だけどな、誰が好き好んで惚れた女を殺したいなんて思うんだ。
ちくしょう。
どうしてこんなことになっちまったんだろうな、ダニエラ。俺のダニエラ。
「お前ほどの美形なら引く手数多だろうに、なんだってまた、あんなのを」
「うるさい」
オイゲンの声を締め出すように目を閉じると、瞼の裏に女の横顔が浮かぶ。
顔かたちが人よりちょっと整っているくらいで、目の色を変えてすりよってくる女どもとは違う。媚びひとつ売らず、ただ毅然として見返す目の気高さ。
豊かな紅い髪、眩しいほど澄んだ青い瞳、常に弧を描く赤い唇、均整のとれた魅惑的な肢体。何度あの体を腕の中に閉じ込めて、その唇を思うさま貪りたいと思っただろう。
苦々しく舌打ちするのと同時に、「ん」とオイゲンが小さく声を上げた。見ると、人の気配を察知した猟犬のように扉を見ている。
しばらくすると、ノックの音。名乗る声は側近に違いなく、緊張を解いた。
「入れ」
入室を促す。彼はオイゲンを見て、慌てて頭を下げた。
「これはオイゲン将軍、お越しとは知らず失礼しました」
「良いさ。もう帰るところだ。な?」
「ああ」
俺が頷くのを確認して、オイゲンは茶請けの菓子を口に放り込むと、冷めた茶で流し込んで立ち上がった。
「では、宰相閣下、失礼いたします」
無駄に改まった敬礼を残してヤツが退室したのを確認すると、側近がそそくさと寄ってきて耳打ちする。
「閣下、例の商人が来ておりますが、いかがなさいますか」
例の商人、で思い当たるのはひとりだけだ。
ふらりとやってきて珍しい品や情報をちらつかせる、胡散臭い男だった。
だが、ヤツはどこから情報を得たのか、恐ろしくなるほど絶妙なタイミングで必要な品を持ってくることが多い。
今回も、何か意図があってのことに違いない。
「いつもの部屋に通せ。すぐに行く」
「かしこまりました」
「こいつあ宰相閣下、どうもどうも、お忙しいなかお時間をいただきまして、まことにありがとうございます。また珍しい品をいろいろ持ってきましたんでね、エエ、きっとお気に召していただけるかと」
入室した途端すり寄ってきた男に、生理的な嫌悪感を感じて舌打ちする。
痩せぎすの、気味の悪い男だった。背は高いが猫背で、狡い蛇のような斜視とにたにたと笑う様子がどうにも好きになれない。
「……見せろ」
「ヘエ、ただいま」
へこへこしながらも男は手早く荷を解いて、品を並べる。
見慣れない装飾品から、異国の茶葉や香辛料、繊細な模様の入った紙、龍の髭を使って作られた筆、中に空洞のある杖、怪しげな液体が入った大中小の瓶などなど、品は実に雑多だ。
一つひとつを手に取って、しゃがれ声でぺらぺら解説する男の話に聞き入るようにしながら、じっと観察した。
この男から得るべきは、ここに並べられたガラクタの一つか、この男がこれからさりげなく匂わせるだろう情報か。言葉の一つひとつに神経を尖らせて、それを判断しなくてはならなかった。
「どうです、なにか気になるものはございませんか」
「……おい、それはなんだ」
「ああ、これ。これですかい」
蛇が、にたりと笑った。