2.異世界の少女の恋
「まあ、ごきげんよう、ユキ様」
かつての恋敵と、鉄格子ごしに対面する。
「ダニエラさん」
なんて美しい人だろう、っていつもそう思ってた。
流し目ひとつで男を従わせ、微笑みひとつで女を怯ませる。
まるで、海外映画のヒロインみたいだった。美しくてセクシーで少し翳があって。誰かに守ってもらうんじゃなく、武器を取って男性と肩を並べて戦うタイプのかっこいい大人の女性。
そんな彼女とあたしに、接点なんて本来なら一つもなかった。
異世界から文字通り降ってわいた平凡な女子高生たるあたしなんかじゃ、公爵家のご令嬢になんて話しかけることもできやしない。だけど、気おくれしながらも参加した舞踏会やお茶会でみかけるたびに、憧れと妬ましさがぐるぐると頭の中に渦巻いて混乱した。
ああなりたいって何度も思って、とてもじゃないけどなれやしないって鏡を覗き込んで泣いた。
どう考えたって、アレクさんに相応しいのはこの人だ。
でも。
「どんな御用でいらしたの?」
子どもに話しかけるような甘い声に、顔を上げる。女のあたしでもうっとりするような、でも少しだけ意地の悪い顔で彼女は笑っていた。
いつまでもぐずぐずしてたって仕方ない。背筋を伸ばして、彼女をまっすぐ見返した。
長いこと劣等感に悶え苦しんでたけど、その間、あたしはいっぱい考えた。足りない頭でいっぱいいっぱい考えて考えて考えて、彼女に負けない何かを自分の中に探しつづけた。
そして、3つだけ見つけた。
「あたし、どうしても分からなくて」
素直なこと。
素直ないい子ね、ってお母さんが言ってくれた。ばかだけど、って拳骨も一緒にもらった。
「だから、直接、聞きに来ました」
まっすぐなとこ。
場合によっては短所にもなるけど、歪んでるよりずっと良いってお父さんは笑ってた。
「ダニエラさん、ほんとうにアレクさんを裏切ったんですか」
そして、強い想い。
あたし、ダニエラさんよりも、この世界の誰よりも、アレクさんのことが好き。それだけは超自信ある。
だから素直に、まっすぐに、アレクさんへの思いだけを頼りに、ここまで来たんだ。本当のことを聞くのは怖いけど、これからもこの世界で胸を張って生きたいと思ったから、あたしはその答えを聞かなきゃいけなかった。
「皆が誤解してるだけで、ダニエラさんは、ほんとはいい人なんだってずっと思ってました。アレクさんって婚約者がいながらいろんな人と浮気してるって噂もあったけど、あたしにはアナタはそんな人には見えなかった。そんなふうに、自分を安売りしちゃう人じゃないもの。ちゃんと周りを見て、皆のことを気遣ってて、その上で貴族全体をまとめてて、……将来、立派な王妃さまになるんだろうなって、憧れてました。そんなアナタが相手だったから、あたしもアレクさんをきっぱり諦めるつもりだったんです。そんな人が自分の都合で不正を働いたり、他の人と浮気したり、誰かを……あたしなんかを殺そうとするはずないのに……、でも、皆がアナタを悪く言って、あちこちからいっぱい証拠が出てきて、アナタもそれを否定しなかった」
いろんな気持ちがぐちゃぐちゃになって押し寄せてくる。
こんな気持ちのままアレクさんと結婚して、王妃様、なんてものになったら、きっと潰れちゃうって思った。
決着をつけたい。あたしがあたしとして生きるために、ちゃんと答えを知りたい。
「ねえ、どうしてですか?」
あたしはダニエラさんの顔をもっとちゃんと見ようと、鉄格子に手をかけてじっと目をこらした。
薄暗い牢の中で、ダニエラさんが、ぱちぱちぱち、と瞬きをするのが見えた。睫毛が長いと瞬き一つも派手だ。そんなことを思いながら、そのままじーっと待っていると、ややあって彼女は上品に口に手をあてた。
「まあ………、貴女、いい子ねえ」
しみじみと、感心したように言われて戸惑う。
いい子?
「あまりお話したことがないから知らなかったけど、この国の貴族子女にはなかなか見かけないタイプね。殿下が骨抜きになるわけだわ」
と言った顔に浮かんだ笑みは、せせら笑い、というより苦笑い?
「…質問に、こたえてください」
「聞けばなんでも教えてもらえる、なんて思ってらっしゃるの?ここは学校じゃなくってよ、ユキ様。ここは王城、“まつりごと”の中心地。“真実”も“愛”も“自分”も、二の次にしなきゃ立っていらない場所ですよ」
あたしは少しだけ怯んだ。
政治。日本じゃ選挙権さえなかったあたしには、あまりにも遠い単語。王妃になるんだからって最近ようやく勉強をはじめたけど、あたしバカだから、難しい話なんてぜんぜん分かんない。いつか偉い王様になる、アレクさんの支えになんてなれそうにもない。
でも。
「今は、そんなことを聞いてるんじゃありません」
負けないようにキッと睨み付けて、震えそうになる手でぎゅっと鉄格子を握りしめる。
「政治とか、関係ない!あたしは今、恋敵の女の子と、恋バナしてるだけだもん!ただのガールズトークだもん!」
かっこよく言ったつもりなのに、声を張り上げたせいで、駄々っ子みたいになっちゃった。恥ずかしくて顔が熱くなるけど、うつむいたら負けのような気がして、必死でダニエラさんを睨んだ。
ダニエラさんは、きょとん、として、それからくしゃっと笑った。
しかたないわね、って笑い方を見て、ほらねやっぱり、ってあたしは悲しくなる。この人はやっぱり、皆が言うような悪い人じゃないじゃない。
「じゃあね、ユキちゃん、貴女がただの女として来たなら、わたくしもただの女として答えてあげる。質問は『ほんとうに裏切ったのか』だったわね」
優しい声に、こくこく、と頷く。
本当は、頼りになるお姉さんとして慕いたかった。恋敵なんて形じゃなく出会えたらよかったのに。地下牢なんかじゃなくお庭のベンチとかで、お菓子を食べたりお茶を飲んだりしながら、ゆっくり話せたらよかったのに。
「答えはね、――“ヒミツ”よ」
彼女はウフンと色っぽく笑って、唇を指でなぞった。
「おしえてあーげない」
「………そ、そんなあ!」
愕然とするあたしを見て、楽しそうに声を上げて笑った。ほんとうに、ただの女の子みたいに。
友だちみたいに。
「でもね、ユキちゃんがかわいいから、一つだけイイこと教えてあげるわ」
声は相変わらず優しくって、あたしはやっぱり悲しくなる。
だってこの人は、こんなに魅力的でこんなに優しいのに、遠くないうちに死んでしまうのだ。きっと、ううん、ぜったいやってないはずの悪行を、罪に問われて。
「わたくしね、アレクシエル殿下のこと、ぜんぜん好きじゃないの」
………。
……………えっ?
「え!?」
驚いた?と首を傾げながら、上品にコロコロと笑う。
驚いたなんてもんじゃない。あんなに引っ付いてて、あんなに追いかけてて、あんなにウットリした顔でアレクさんのこと見てたのに?え?じゃあ、あれぜんぶ演技なの?
「なんで!ですか!」
「なぜって…そうね、単純に好みじゃないのよ、殿下。頑張って好きになる努力はしてみたし、幼馴染だからもちろん情はあるけど、異性としてはやっぱりちょっとねえ。あの御年になってもまだ自分のことだけで手一杯で、周囲を思いやる余裕のないあの方になんだかときめけなくって…、王族としてのご自覚も微妙だし…。お顔もねえ、とっても整ってらっしゃるしおキレイだけど、儚げで、こう、守ってあげたくなるタイプじゃない?この際、正直に言いますけど、わたくしの好みで言えばちょっと頼りないなって思っちゃうの」
辛口だ!ひどい、あたしのカレシなのに!フィアンセなのに!
カッとなって弁護しようと口を開いたけど、咄嗟には何も浮かばなくて、あわあわしながら貧困な語彙力でひねり出した反論は、
「そ、そんなとこ全部も含めて、かわいいんです!」
って、なんのフォローにもなってない。ダニエラさんはまた声をあげて笑った。
うう、なんかすごい敗北感だ。ごめんね、アレクさん。
「ねえユキちゃん。わたくし、ほんとはね、貴女にとっても感謝してるのよ」
秘密を打ち明けるみたいに、ダニエラさんは囁いた。
「わたくしはこの18年、王族に加わる日のために、ただ必死に……必死に努力してきたわ。民のためになる王妃になろうと、殿下を支える一つの柱になろうと、ね。正式な婚約者になってからは、手段を選ばず政にも手を出したわ。罪に問われ幽閉された今や、その努力のすべてが無に帰してしまった。そのことは確かに残念よ。でもね、」
あ、と驚いた。
ダニエラさんの、細い両手が、震えているのに気付いたから。
「でもね、本当は、嬉しくてたまらないの。もう、殿下を愛する努力をしなくていい。あの方を慕っているフリをしなくていいの。どうしても愛せない男の妻にならなくてすむ未来が、いとおしくてたまらない」
豊かな紅い髪に自分の顔を隠すようにして俯き、祈るように手を合わせた彼女は、まるで美しい宗教画のようで、あたしは息を吞む。
ああ、これは、懺悔だ。
「たとえ処刑されるのだとしても、18年背負い続けてきた全てから解放される。縛られ、枷をはめられ、断頭台まで引きずられていくのだとしても、心は自由なまま死んでゆける。こんなに、こんなに幸せな死に方ができるだなんて、思いもしなかった」
そんなの、おかしいって思った。
本心のはずがない。たった18年しか生きてない女の子が、死ぬのが怖くないなんてありえないもの。
だけど、ダニエラさんの声は、確かに喜びに満ちていて、あたしはやっぱり泣きたくなった。
ダニエラさんは、何かをふりきるように厳かに顔を上げ、あたしを見据えた。
「“王太子妃殿下”」
呼びかけにハッとする。
「貴女の人生には、これからたくさんの苦労があるでしょう。重責がのしかかり、努力と、その成果を求められ、苦しく思うこともあるでしょう」
その言葉を不吉だとは思わなかった。
もちろん不安だったけど、彼女もまたほんの少し前まではそれを覚悟していたのだと知っていたから、あたしも背筋を伸ばして頷いた。
よくできました、とでも言うように、うんと優しく笑いかけてくれた。
「でも、愛する人と支え合えば、きっと大丈夫」
彼女は、簡素な部屋着の裾を、まるで極上のドレスのようにつまんで、優雅に頭を下げた。
「どうか、お幸せになられませ」
あたしは我慢できずに泣きながら、みっともなく震える声で、はい、と答えた。