SkyBeatGirl
「いーつき! ご飯食べよ!」
昼休憩に入ってすぐの、まだお昼休みの喧騒が訪れていない中、『また』大きな声で僕を呼ぶ声が耳に入ってくる。
僕がその大きな声を聞こえない振りをして授業の片づけをしていると、その声の主、乾和はつかつかと近づいてきて、僕の顔をずいっと覗き込み、
「いつき、無視はないでしょ、無視は」
ウルフカットに短めの眉、くりくりとした瞳がこちらをじとーっと見つめる。
僕はそれに負けじと、これ見よがしにため息をはいて、
「あのね、和。僕は目立ちたくないんだ」
僕は和の顔を手で押しのけながら説明する。
「別に大きな声くらいいいじゃない、私は新聞部、記者なんだから! スクープは待ってたってやってはこない」
わざわざ被っているキャスケット帽子を整えて、拳を天高く突き上げ和は声を張り上げて宣言した。
和の勇ましい宣言(大声とも言う)はクラス中に響き、クラスメイトの大半が振り向いた。
「いやそうじゃなくて、昔と違ってもう高校二年生だよ、男子と女子、ましてや二人でご飯を食べるなんてことをするのは色々と問題があるでしょ」
そんな説明を和にしている間にも周りのクラスメイトは和の性格を知っていてもやはり気になるのだろう、かなり注目されている。
「え? なんの問題があるの?」
和は本当に不思議そうに首をひねる。
本日二度目のため息をはいて。
「……僕、今日弁当忘れたから、学食行くよ」
和はキョトンとして、
「ありゃ? 了解、じゃあ別の人と食べるよ」
そう言うと、あっさり和は女子のグループに無理やり入っていった、それでも許してもらえるあたりが和のすごいところだと思う。
そこは、押せよ、小鳥遊……。和ちゃんも無意識でやってるからね……。
と、クラスメイトのヒソヒソ話が聞こえたが気にしない。ちなみに小鳥遊は僕の名字だ。
僕は席を立って教室を出る。
家から自分で作って来た弁当を持ってくのも忘れない。
僕は屋上に向かう廊下を歩いていた。
和から逃げるときはいつも屋上に行く。
この籐鶴学園の屋上は人がいないことが多く、ゆっくりできるからだ。
勘違いしないでほしいのは、和の誘いをいつも断るわけではない。可哀そうなので三日に一回くらいは一緒に食べてあげてはいる。ただ、和は人懐っこい顔に、身長こそ低いものの、出るところは出ているので、一部の男子からモテるのだ。新聞部のポリシーだとかで、茶色いキャスケット帽子を被っているもいいとかなんとか。
だから、和に好意を持っているわけでもないのに一緒にご飯を食べるなんてことをして、変に人間関係でこじらせたくないのだ。だから、こうやって逃げている。
ふと、窓の方を見ると反射して気の弱そうな男子生徒が映っている。和と僕とでは正直釣り合わないとも思っているのもある。
そのまま、外を見ると雲一つない快晴だった。
昔、和と近所の名も無き山を駆け回ったことを思い出す。
あれは楽かったけど、崖から滑りそうになった時は怖かったな。
またあの時に……。
そんなことを考えていると屋上のドアに辿り着いた。
ここで注意しないといけないのは、カップルが先にいた場合である。この場所を発見した当初は何度気まずい思いをしたことか。
フィルターがついている窓を注意しながら覗くが、誰もいなさそうだ。
僕は、そっとドアを開けた。
少女がフェンス越しに今にも飛び降りそうに手を大きく広げていた。
僕は目の前の光景に目を奪われてしまった。
風に靡く長めのボブカット。スラッとした長い手、まるで今にも浮かび上がりそうな足、その後ろ姿に。
唖然としていた僕は脳内をフル回転させ状況を整理すると重大な状況だと言うことに気付いた。
「なにしてるの!!!」
僕はどこから出しているのかと言うような大声を出した。
その少女はその言葉に驚きもせず、ゆっくりと振り向いた。
鼻梁な顔立ち、切れ長の眉に縁どられるのは大きい瞳、ボブカットの中心には赤色のメッシュでアクセントがつけられていた。
その少女の毅然とした瞳に思わず見とれた。
僕とその少女は見つめ合う。
夏の陽気な日差し、屋上に吹いている風の音。
そして、その少女は、
「あたしは、空を飛ぶの」
そう、強い意志で僕に言う。
その言葉を聞いて、ああ、すごいなと、どうしてか感動してしまった。
いやいや、感動している場合か、
「それはダメだよ! 死んじゃダメ、絶対ダメ!」
必死に叫ぶ。
「? 当たり前じゃない、何言っているの? 空を飛ぶのよ、鳥みたいにスーッとね」
少女は身振り手振りで説明する。
その小柄な身体が揺れ、見ていて危なっかしい。
「だから駄目だって! 自殺は!」
「はぁ? バカじゃないの? あたしが自殺? するわけないじゃない」
少女は呆れた口調だ。
僕はよく解らなくなり、
「え? じゃあ、なんでそこに?」
「だ・か・ら! 最初から空を飛ぶためって言ってるじゃないの」
その少女の憤慨の叫びを聞いてやっと理解した。
この少女は本当に、文字通り、空を飛ぼうとしていたのだと。
僕が人間はそのままでは普通は空を飛べないことを同じように身振り手振りで必死に説明すると、ようやく彼女はフェンスをよじ登って向こう側からこちら側へと戻って来た。
その少女は僕の姿を上から下までじろじろと見て、
「あなたも飛べないのね……このままでは無理ならどうやったら空を飛べるの?」
少女は純真な目で僕を見つめてくる。
「うーん、僕も詳しくはよく知らないけど、鳥みたいに飛びたいんだよね?」
「うん、飛行機とかそういうのじゃない。自分の力で大空に羽ばたきたいの」
少女はまるで夏に咲くヒマワリのような笑顔で嬉しそうに言った。
僕は腕を組み、
「うーん、人間は空を飛ぶようにはできてないからね……」
「そう、でも私!……」
少女は笑顔から一転して、必死な表情で何か言おうとしたがそのあとは続かなかった。
お互い何も言えず黙ってしまう。
屋上に一陣の風が吹く。
このままであまりにも可哀そうなので、
「昔、本で見たんだけど、人間より三倍の大きさなら滑空することはできる……とか、だったかな? 羽ばたくのは難しいけど……どうかな?」
それくらいならと、僕は思ったけど……。
「ほんとに!? うん、やりたい!」
少女はパッと再び笑顔を咲かす。とても表情が豊かで見ているこっちが楽しい気分になってくる。
「じゃあ、今日の放課後やってみましょう、うん決定!」
そう言うと、少女は僕を置いて屋上から去って行こうとした。
僕は慌てて、
「待って、僕の名前は、小鳥遊一樹。君の名前は?」
屋上の扉の前まで去っていたその少女が振り返り、満面の笑みで、
「春藤朱音よ」
そう言って、少女は軽い足取りで階段を降りて行った。
授業終了のチャイムと同時に「スクープは待ってたってやってはこない」叫んで鞄も持たずに教室を飛び出す和を横目に僕はゆっくり授業の片づけを始めた。
僕は帰宅部だから用事はないけど、春藤さんとは待ち合わせしてないけどどうするのかな。
そんなことを考えながら片づけをしていると廊下から赤いメッシュのアクセントが付いたボブカットの女の子が春の一番最初に咲いた桜を見つけたような笑顔で廊下から教室にやってきた。
「一樹! 隣のクラスだったのね。一つ目の教室で見つかってよかった」
なるほど、春藤さんはしらみつぶしで探すつもりだったのか……って、なんで待ち合わせしなかったのかな……
みんな自分のクラスに来た突然の来訪者に驚いているのか予想通り、クラスでは談笑や部活の準備をしている生徒達がひそひそと、誰あの子? と噂をしている。
僕は急いで机に残っていたノートをしまい、
「とりあえず、教室から出ない?」
「もちろん、早く行こうよ」
そう言うと春藤さんは僕の手をぎゅっと握って、引っ張るように教室を出る。
明日噂になることはもう諦めるしかないようだった。
春藤さんはずんずんと校門を抜け、学校の前の大きな交差点まで僕を引っ張っていった。勿論その間ずっと手は繋いだままだ。
しかし、一言もしゃべらないのも寂しい気がしたので、
「ねえ春藤さんいまからどこへ行くの?」
そう当たり前の疑問を僕は問いかける。
「朱音でいいわ。うんとね、一樹の家」
鼻歌を歌いながらご機嫌な朱音は当たり前のようにそう言った。
え? 僕の家?
「知ってるの?」
「いや知らないよ」
「じゃあ、なんで先導してるのさ」
「え?」
不思議そうな顔でこちらを見て、
「だって、早く空を飛びたいじゃない。道は一樹が案内してくれると思ったし」
「あのね……」
そんな、純粋な顔で見られたら怒るにも怒れないじゃないか……。
僕は頭をぽりぽり掻きながら、
「はいはい、僕の家はね……」
そこの交差点を右、と言って、朱音の綺麗なソプラノの鼻歌をBGMに僕たちの下校は続くのだった。
「へえ、ここが一樹の家ね……」
興味深そうに黒い澄んだ瞳が僕のごく普通の一軒家を眺める。
僕は気恥ずかしくなり、
「普通の家だよ、朱音はマンションなの?」
「うん、だからこういうところに住んでみたいなーって思ってて、それに……」
朱音は途中で言葉を切った。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない、早く家入ろう、早く空飛ぶぞ!」
そう言って、僕の家なのに先に玄関に入る朱音はどこか無理しているようなそんな気がしたけど、笑顔だったので何も言えなかった。威勢はいいから大丈夫かな。
「お邪魔します!」
朱音は弾けるような声で靴を脱ぐ。
「ああ、僕の家は共働きなんだ、だから夜遅くまで両親は帰ってこないんだ」
「なるほど、あたしのお邪魔しますを返せー!」
朱音の大声が誰も居ない僕の家に響き渡る。その姿はどこか和に似ていて僕はくすりと笑ってしまった。
「なによ、何かおかしいの?」
ふくれっ面で僕を見る朱音、その顔に僕はまた笑ってしまった。
「もう、変な一樹、早く部屋に行きましょ」
「はいはい」
わくわくとした気持ちが抑えられないのか顔に現れている朱音、本当に表情が豊かである。
僕の部屋は階段を昇りすぐ左に行ったところだ。
朱音はドアを開けると、楽しそうに部屋を見渡す。
「何してるの? 早く入ろうよ」
僕がうながすと、朱音は満足そうに頷いて、
「うん、ありがと」
と、なぜかお礼を言われてしまった。
「うーん、分かっていたけど、材料が全然足りないね」
僕が自分の机の上に出したノートパソコンで朱音と一緒に調べた結果何から何まで足りなかった。
「ぐぬぬ、今から買いに行こうよ」
僕の肩に手を置いてその上に頭を載せて画面を覗き込んでいる朱音がそんな提案をしてきた。
「今日は無理だよ、明日にならないともう遅いし……」
パソコンの右下に表示されている時計が18時40分を指していた。
「じゃあ明日! 明日買いに行こうよ!」
切羽詰まった声で朱音は言う。
僕は少し悩み必死そうな朱音のことを考え、
「そうだね、そうしよう、じゃあ今日は終わりにしようか」
ノートパソコンをそっと閉じた。
「送っていくよ、まだ明るいけど万が一があったらね」
僕のその言葉に朱音は一瞬嬉しそうな顔をする、しかしすぐに残念そうな顔になり、
「いいよ、気持ちだけもらっておくね、じゃあね、また明日」
そう言って、階段を駆け下りて行った。
そんなに急がなくても追いかけないのに……
ちょっとだけ寂しい気持ちになった僕は、夏の紅よりも橙に近い夕日に、朱音のボブカットの中心にあるメッシュのどちらが紅いか、なんてどうでもいいことを考えながら窓から眺めながめていた。
朱音が帰った後、今日は帰りが遅くなると連絡があった両親の分も含めて食事を作る。鶏肉たっぷりの特製のオムライスだ、子供っぽいとかは言わないで欲しい。
それをケチャップたっぷりかけてたいらげると、明日の授業の予習をすることにした。
気が付くと時計が23時を指していたので僕は二次曲線と直線が生み出す漸近線との戦いに終止符を打ちベッドにもぐりこんだ。
それにしても、朱音はなんで空を飛びたいのだろうか?
あんなにも必死になってやるからには何かあるのかな……。
まあそれも……明日聞けば……いい……か……な……。
「こんばんは、少年」
なんだ? 朝はまだ早いぞ、夢ならそっとしておいてくれよ。
「起きろ少年、夢ではない」
夢にしてははっきりと聴こえる涼やかな声。
僕は眠気に軍配を上げていた瞼に激を入れて目を開ける。
そこには、悪魔にも天使にも見える少女が凛然と立っていた。
「はっ? えっ?」
「そんなに不思議がらなくて良いぞ」
その声の主は僕が寝ているベッドの横にすっと立っていた。
その少女は、左側が白、右側がダークブルーのツインテール、全てを吸い込みそうな程黒い右目と、全てを包み込んでくれそうな金色の左目。左側が白、右側が黒のレオタードみたいな服を着ており、心臓の部分に割れた赤いハートの模様がついている。それに頭や腕、足などにも羽が生えており、黒白のシッポもある。いわゆる悪魔か天使のようなそんな少女だった。
僕は突然の来訪者に驚き、声を失った。
「まあ良い、私の名前はルーチェ、キミに取引の話を持ちかけに来た」
そう憮然と言い放つルーチェはまるで本物の悪魔のようにも見える。
「君は一体何者なの? 僕をどうする気なの?」
やっとのことで出す声は震えていた。
「そう怯えるな、何もしないさ。わたしは天使でもあり悪魔でもある存在だ、堕天使ではないぞ、半分半分なのさ」
シッポをユラユラと揺らめかせる。
「そっか、天使で悪魔か……そんなのがこの世界にいるなんて……」
「ふふ……」
ルーチェは頭の右側の黒い羽をいじり照れくさそうにしていた。
その姿を見て、僕は少し恐怖が和らぎ、思考もまとまってきた。
「それで、そのルーチェさんが僕に何の用事なのかな?」
「少年を助けようと思ってね、もちろんただじゃあないさ、悪魔でもあるから代価はもらう」
そう言ってベッドにトスンと座る。
「少年、キミは今、空を飛ぼうとしてるよね?」
「何でそれを知ってるの?」
僕は驚いたが、それをルーチェは柔らかい人差し指で僕の唇を押さえ、
「そういう詮索はなしだ。それを可能にしてあげよう」
そう提案してきた。
これが悪魔との契約と言う奴か、いや半分天使だから天使との契約なのか?
まあいいや、答えなんて鼻っから決まりきっている。
「いらないよ、自分の力でなんとかするから」
そう宣言した。
ルーチェはその宣言に微笑をたずさえ、
「そうか……ふむふむ、おもしろいね」
そうしてベッドから立ち上がった。黒白の髪が流れるように揺れる。
「ま、手遅れにならないようにね」
そう言い残すと、瞬きをした瞬間にルーチェの姿はもうそこにはなかった。
僕は今、起こったことが不思議すぎて、アホみたいな顔をしているのだろうな。
「夢……?」
その呟きに答える者は当然のことながらいない。
僕は寝間着代わりに来ているスウェットのリアルな感触を確かめ、自分の頬つねり、じんわりとした痛みを感じる。
そして改めてさっきの不思議な体験を心の中で驚くのだった。
HR前のざわざわした教室。今日はいつにも増して騒がしいような気がするのを感じつつ、僕は自分の席で今日の英語の授業で和約が当てられそうな部分を見直していた。
今日も和は教室にはいなかった。和は朝のHR前は校内新聞のネタ探しでどこかに行っているので大抵いないのが普通であるのだが、もし席に座って仮に勉強でもしていたら、このいつもより騒がしい雰囲気の理由を聞きたいと思った。まあ和と勉強がイコールで結ばれるなんて永遠にないと思うけど。
「お前ら、席につけ」
そんなことを考えていたら、担任の山菱先生が野太い声で教室に入ってきた。
同時に後ろのドアから和が野球選手よろしく滑り込みで入ってくる。
そして「大スクープだわ」と呟きながら席に着いた。
「あー、なんだ、いきなりだが転校生を紹介する。高校2年のこの時期にとか妙な詮索はやめろよ、先生もいろいろ大変なんだ」
と前置きをして、入ってこい、とうながした。軽い足取りで入ってきた人物は小っこいこせに大きな胸のその少女に僕は唖然とした。
「ルーチェ・クラムベルです」
と、ペコリと頭を下げるルーチェ。
そのあまりの可愛らしさに、男子も女子もみんな言葉を失っていた。
僕はルーチェの姿が昨日見た時とは違い、普通黒目、黒髪にツインテールという普通の女の子の姿をしているのにも驚きだった。
僕が茫然とその姿を見ていると、大きな黒い真珠のような瞳と目が合い、ウインクされた。な、なんだんだ!?
「えー、ルーチェ君は海外から転勤してきたから日本ではまだ慣れていないらしい、みんないろいろ教えてやってくれ」
「よろしくお願いする」
柔らかく微笑むルーチェに教室は大きな歓声に包まれるのだった。
長い授業が終わりお昼休みになった。
転校初日ということとルーチェ自身が人間離れした美貌の持ち主――いや、人間ではないのだが、とても綺麗なのというのもあって、すでにルーチェの周りにはたくさんの人だかりができている。
そこの先頭に立ってメモ帳とカメラを首から下げているのは和である。当たり前といえば当たり前だが新聞のネタにするのだろう。
教室はまるで夏祭りのようにうるさく、僕はそっと教室から出て屋上に向かうため教室を出た。
リノリウムの乾いた音が響き、昼休憩の喧騒が遠くに感じられる。
廊下の広い窓から外を見渡すと今日も雲一つない晴天が広がっていた。
今日も朱音はいるのだろうかと心のなかで思っている僕がいた。
朱音の力になりたいと本気で思うこの心はいったい何なんだろうか……。
やがて屋上に着くと、僕は逸る気持ちを抑え扉を開いた。
そこにはどこか儚い背中の少女がいた。
その姿は昨日の朱音からは考えられないような程小さく見える。
「朱音……?」
僕はもしかしたら朱音ではないのかもしれないと不安になってそんな呟きが漏れる。
そうすると、少女は振り返る。ボブカットに中心に赤いメッシュが入っており、やはり朱音だった。
朱音は春が来たたんぽぽのような笑顔で、
「遅い、一樹」
と、言われてしまった。
僕は少し嬉しくなって、思わず笑みがこぼれる。
「もう、いつきは笑ってばっかり、何が面白いの」
「悪い悪い、ごめんね、約束したけど待ち合わせとか決めてないと思ってね」
「それはそうだけど、ねえ、それよりこれ見て」
と、ポッケから竹とんぼを取り出した。
「これ空を飛ぶのに使えないかな? ほらあのネコ型ロボットだって飛んでるし」
「いや、あれは未来から来たロボットなわけだから……」
僕が朱音のアイデアに苦笑する。
「でもね、ほらっ」
そう言って、竹とんぼをくるくると飛ばした。
竹とんぼは空高くふわふわと飛んで、やがて地面に落ちた。
「こんなにきれいに飛べるのに……」
朱音はどこか寂しそうな表情を浮かべた。
僕はそんな朱音を元気づけるために、
「大丈夫だって、絶対朱音も飛べる、僕が保証するよ」
胸を張って宣言する。
「ホント!? 嬉しい!」
朱音は感動してなのか僕の胸に飛び込んできた。
胸が激しく鼓動する。
シャンプーの匂いだろうか柚子のいい匂いがする。女の子の柔らかい感触が僕は感じて思わず抱きしめようと――、
「なにしてるの、いつき」
絶対零度のような冷え切った声が僕を凍りつかせた。声が聞こえた屋上の扉の方を見ると、ルーチェと数人の女子、それと声の主の和がまるで父の痴漢の現場を目撃した娘のような表情をしていた。
「私とはお昼一緒に食べないくせに別の子とは食べるんだね、それに抱きついてるし……」
声に明らかに怒気が籠っていて普段の和とは違いとても怖い。
「ち、違うよ、抱きついてきたのは事故だって」
そう言って、僕は急いで朱音から離れる。
「それに朱音はただの友達だよ、ね?」
僕は朱音に同意を求めるように必死に笑みを作るが朱音はさっきからぶすっとした表情である。
朱音は母親のマニュキアを持ってイタズラする子供のような笑みを浮かべ、
「そうだよ、友達だよ、だ・か・ら」
そういって、もう一回、今度は思いっきり体を預けるように僕に抱きついてきた。柔らかい胸の感触が自分の胸に当たり、僕は喜んでいいのか困っていいのか解らない表情をしていた。
和は朱音の行動に不意を突かれ言葉を失うがすぐに、
「あ! なにしてるのよ! いつきは私とずっと一緒にいるって約束したんだから! 離れなさいよ!」
「やだよー、一樹はあたしと一緒にいるんだから!」
和の方を向いて、ベーと舌を出して挑発。
そして、和も僕の方に全力でダッシュしてきた。そして、僕に思いっきり抱きついてくる。そして勢い余って倒れ、軽く頭を打ち少し痛い。
その間、ルーチェはニヤニヤしながら見ていて、ほかの女子たちは、「屋上がこんな修羅場になるとは」「普段屋上は誰もいないんですよルーチェさん」「和に強力なライバル出現、でもあれは誰なんだろう……」と、僕たちの行く末を見守っていた。
二人は、朱音が、「一樹はあたしのものよ」と言ったり、和が「昔、約束したもん!」とか、泥沼の様相を呈してきた。
しかし、終わりはいつもやって来るもの。
チャイムが鳴り、僕が帰ろう、帰ればまた話せる。と言ったら。二人ともふんっと鼻息荒く、屋上から出て行った。
そこは……僕を置いていくのね。
昼からの授業中もずっと不機嫌そうな和を、遠目に見ながらため息交じりに眺めながら過ごした。
授業の終了のチャイムが鳴ると、和は僕のところに来るかと思いきや、授業なんてこれっぽっちも受ける気もないのであろう、なにも机の上に出していないルーチェの元へと駆け寄っていった。スクープの方が大切なんだろう、さすが記者だな。
僕はここで朱音を待つと、和と鉢合わせをしてまた昼のようになるのは嫌なのでそそくさと机の道具をしまい教室を後にした。
校舎から出ると僕を待ち受けていたのはさんさんと照りつける太陽の光だった。
教室が冷房を効いていたので真夏の蒸し暑い温度差は身体にこたえる。
これから校門で朱音を待つのかと思うと教室で待っとけばよかったなと少し後悔。
少しでも熱さから逃れようと校門の陰に入るのを思いつき、少し早足で校門の陰に向かうと、
「あ、一樹、来た来た」
先客が居た。
朱音は暑そうに手で顔を煽ぎながら僕を迎えに来てくれた。あまり汗はかいていない。
「ごめん、待った?」
約束もしていないのに、彼女を待たせている彼氏のような言葉を行ってしまう。
そんな言葉に不思議そうな顔をして。
「いや、別に待ってないよ、私も今来たところだし、それにあの女と一緒に来たら奪い取るつもりだったからね」
拳を突出しニッと笑う顔はとてもかわいらしい。
「今日はホームセンターに行って材料を見てから帰ろう」
「うん!」
夏の暑さにも負けないような元気な声だった。
結論から言えば、僕たちには空を飛べそうにはなかった。
それの理由が金銭面でのことだ。羽の材料を買うとなると、十万以上の金額がかかることにホームセンターに行ってから気づいたのだ。
落ち込む朱音にとりあえず家に帰って別の方法を探してみようと提案して家へと向かうのだった。その足取りは飛べないことへの落胆のせいなのか、暑さのせいなのか分からないが少し覚束ない。
家に上がると僕は机にノートパソコンを出して、ネットでなんとか羽の材料が安く手に入らないか調べる。
しかし、どれもこれも高校生の僕たちが手に入れるには高額のものばかりだった。
「はあ、まったく一樹はホント役立たずね……」
朱音は僕の肩に顔を載せて画面を覗きながら、仏頂面でそうぼやいた。
朱音は何を言っているんだろうか? 僕は朱音のためにやってるはずなのに……?
僕は少し苛立ち、
「そんなに空を飛びたいなら自分一人でやればいい、僕なんか頼る必要なんかない、自分でできるのならね」
そんな皮肉を言ってしまった。
朱音は僕の言葉に驚き、キッと睨み、
「ふざけないでよ! 何も知らないくせに……あたしは……あたしは!」
机の上についている両腕が小刻みに震える。
それに気づかず僕は胸にふつふつと込みあがる怒りの感情に任せて、
「あたしは、何? 空を飛びたいくらいで何をそんなにむきになってるんだよ」
感情の思うままに言葉を吐く。
「あたしは……、っ!」
朱音の両目に大粒の涙が零れる。
崩れるように僕から離れる朱音。
そこで僕は言い過ぎたと気付き、謝罪の言葉を言おうとするがその前に朱音は、
「一樹なんて……一樹なんてもうどっかいっちゃえ!!!」
と叫んで、鞄も持たずに僕の部屋を飛び出して行った。
僕は一瞬戸惑って、急いで朱音の後を追うように階段を駆け下りる。
「待って! ごめん言い過ぎたよ!」
僕の必死の言葉も朱音には届いているかどうかはわからず、朱音は玄関を出て行った。
後を追う僕は玄関を開ける。
そこに走っているはずの朱音の姿はなかった。
朱音は門に寄りかかるように苦しそうな表情で意識を失っていた。
僕は愕然とその様子を見て、ことの重大さに気づきすぐさま救急車を呼ぶのだった。
籐鶴病院につくとすぐさま朱音は医師とたくさんの看護師に運ばれるように緊急手術室へと入った。僕は『手術中』と赤く点滅したライトを備え付けの長椅子に座ってぼんやりと見ていた。頭の中では何故という疑問と、僕のせいで倒れてしまったという罪の意識がぐるぐると廻っている。
「朱音ちゃんのお友達?」
手術室と反対側から声がかけられた。見るとそこには若い女性の看護師がまるで悪い試験の結果発表でもするのかのような表情で立っている。
僕は無言でうなずく。
「朱音ちゃんの病気のことは本人からは聞いているかな?」
「病気?」
僕の胸がざわついていく。
「朱音ちゃんはね『特発性拡張型心筋症』っていう心臓の重い病気なの、ほんとに今まで生きていたのが奇跡なくらいなのよ」
「そんな……でも、確かに朱音は学校に来てました!」
僕は信じられなくて声を張り上げてしまう。
「最後だからって、あの子の希望だったみたいよ、学校」
「そんな……」
僕は茫然とした。だが、クラスメイトが朱音のことをあまり知らないような感じのことや、急に抱き着いて来たりみたいな距離感の違和感に納得がいく。
「朱音ちゃんね、ずっと入院してて、最後くらい自由にしてもいいかなって、親御さんも言ってね、だから無理して学校通ったみたい」
「そんな……」
「だからね、今日ここで倒れたってことはね、つまり……ううん、あなたも気づいてると思うわ」
と言って悲しそうにうつむく。
「あの……少し一人にしてくれませんか?」
僕の溢れ出しそうな感情がもう限界に近い。
看護師さんは僕の様子を見て軽く礼をすると去って行った。
そして、僕はぼろぼろと泣いた。
そんなあんまりだ。
もっと朱音のことをよく知っていれば、もっと朱音のことを見ていれば。違う結末があったかもしれない。朱音の希望、「空を飛びたい」が叶えられたかもしれない。飛べたかもしれない。
そうか……なんで今になって気付くんだ。
朱音は「空」を飛びたいんじゃない。
「自由に空」を飛びたかったんだ。
それに気付けなかった僕は馬鹿だ、大馬鹿野郎だ。
溢れ出す涙は止まりそうもなかった。
そのとき、ふと、目の前に人の気配がして、バッと顔を上げた。
「やあ、少年、顔が涙でぐちゃぐちゃだぞ」
白黒の姿の天使で悪魔のルーチェがそこに軽い笑みを浮かべて立っていた。今思えばルーチェの言うことを聞いていれば、と思うがもう遅い。
僕は何も言う気がせず漫然とルーチェを見ていた。
「少年よ、だから言ったのだ、早く空を飛んだほうが良いとな……まあ良い、取引をしようじゃないか」
そう言うと、天使とも悪魔ともつかないニンマリとした笑みをたずさえ、
「少女を助けてあげてもよい、だが少年にも何か差し出してもらう」
僕に悩むことなんてなかった。命と朱音の天秤なんてそんなの小学校の算数の授業より簡単だ。だって僕は気づいてしまったから。
朱音が好きだということに。
朱音と屋上で会ったその時から、ずっと惹かれてきてこんな状態になってやっと気持ちに気付いたのだ。
「僕の命をあげても良い、だから朱音を助けて!」
僕は叫んだ。
「まあそう急くな、私の半分は天使なのだ、命まではとりはしないよ、ただし、貰うものはもらうが、それでもいいのか?」
「朱音が救われるなら構わない、頼む!」
僕は覚悟をして、椅子から立ち上がり、ルーチェと向かい合う。
「男前だな、じゃあいただくぞ」
そう言ってルーチェは僕を覆うように手を広げると、僕は電車が遠ざかっていくように意識が消えていった。
――――――
ふと気が付くと、あたしは学校の屋上に立っていた。
太陽は真上に輝き、不思議なことに風がまったく吹いていない。
あれ? あたしは、何をしてたんだっけ?
自分の掌を開いたり閉じたりしてみてみるが思い出せない。
うーん、と首を捻った瞬間、背中に違和感を覚える。次の瞬間、大きな音を立てて何かがあたしの背中に生えた。
あたしはびっくりして背中を触ってみると、それは確かに羽毛の感触である。
背中に白い大きな天使のような羽が生えていた。
「なにこれ……」
その呟きに答える者は誰もいない。
でも、これで空が飛べる。
そうだよね、一樹。
ここにいないのが残念で仕方ない。
そして、少しばかりの怖さを振り切り、フェンスのない屋上から思いっきり飛び出す。
背中の羽は勝手に動き、自分の好きな方向に自由に飛ぶ。
風が髪を揺らし、浮遊感が全体を包み込む。
「やった。飛べた。空を自由に飛べた!!!」
あたしは思わず誰もいない学校で声を叫んでしまった。
辺りをに聞こえるのは、自分が動かす羽の音だけ、
とても静かな澄んだ空。
「……何か違うわ」
誰もいない校庭の空で呟く、
「あたしが望んだのはこんなのじゃない、もっと……もっともっともっと幸せなもののはずだったのに!」
その問いかけに答えるのは誰もいない、
「……そっか……一樹がいないからだね……一樹がいないからこんなに楽しくないんだ」
あたしは空を飛んで初めて気付いた。
最初は空を自由に飛びたかったのかもしれない、けど今は、そんなことよりも数億倍一樹が大好きなんだ。
すると、あたりが急に暗くなり、次の瞬間、太陽が完全に消えて真っ暗になる。
びっくりして、上に飛ぼうとして、目を閉じていることに気付き、目を開ける。
そこは見慣れた藤鶴病院の白い天井だった。
「いい夢は見れたか、少女よ」
まだ混乱する頭にそんな声がかけられる。
声のした方を見てみると、白黒の天使なのか悪魔なのかわからない、あたしと同じくらいの少女がパイプ椅子に座っていた。
「ま、さっきのは『おまけ』ってやつだ、少年に感謝しろよ」
ククク、とさも愉快そうに笑う。
「あなたは誰?」
あたしはその笑いが気になりそう尋ねる。
「名乗ることもない、一つ言うなら、天使で悪魔ということだ。まあ、もう会うこともないがな」
そう言って、少女は立ち上がった。
「さて、少年との取引を果たさねばな。少女よ、少年からの伝言だ」
天使だか悪魔だかわからない少女は、頭の黒い方の羽を弄ると、
「病気は僕が治した。だから朱音は元気でやれよ」
そして、朱音をじっと見つめて、
「確かに伝えたぞ、私はこれで取引は終了だ」
朱音は少女の言っていることに最初は理解できなかったが、だんだん理解してきて、怖くなり、
「一樹は無事なの?」
すると、少女は形容しがたい微笑みを浮かべて、
「貰うものは貰ったが、確かに無事さ」
その言葉にあたしは自然と安堵の息が漏れる。
「さて、これで去るぞ、じゃあな」
そう言うと、瞬きのうちにその姿は消えていた。
急にもの寂しくなる室内。
それは、先ほどの不思議体験よりも重く心に響いた。
「一樹……」
自分の中で勝手に声が漏れる。
もうこの気持ちを抑えられなかった。
なんでここに居ないのか少し不安になるが、今はたまたまいないのだろうと無理やり自分を納得させる。
そして、二時間後の午後4時にドアが開いて心が躍るが、両親のお見舞いだった。
話によると、あたしの病気は不思議なことに完治していたらしい。奇跡というよりもありえないというぐらいのことらしい。その話を嬉しそうに話す母親の話をどこか遠い気持ちで聞いていた。
結局、退院する2週間の間、いつきは一度もお見舞いに来なかった。
あたしは胸を高ぶらせながら太陽がまだ本格的に活動していない暑さの廊下を歩いていた。
退院して、晴れて学校に毎日通えることになり、その初日の朝、待ちきれなくて一樹の教室を目指していた。
もうすぐ一樹に会える。
そう思うと、途端に体が自分のものじゃないくらいに熱い。
一回深呼吸して落ち着いてから、そっと一樹の教室を覗く。ショートカットの優しそうな雰囲気の男の子が、屋上で揉めたキャスケット帽にウルフカットの活発そうな少女(屋上に闖入してきた人だ)になにやら心配そうに話しかけられている。
一樹だ。
心臓がドクンと跳ねる。
あたしは、思わず一樹の元に駆け寄る。
「一樹! あたし退院したよ! 元気になったよ!」
座っているいつきの机に身を乗り出すようにして自分に出来る限りの嬉しさを伝える。
しかし、当の一樹は困惑した表情でこう言った。
「ああ、おめでとう……」
少し苦笑いしているのも一樹がいまはとても愛おしい。
しかし、一樹はそのあとにこんな言葉を言った。
「……ところで、君は誰なの?」
「えっ……?」
あたしは心臓が止まったような気がした。
「誰かと間違っているとかかも……」
「そんな……」
あたしを見つめるいつきの瞳は嘘偽りのない、本当に知らない瞳だった。
その時、隣にいたキャスケット帽の少女が耳元でこっそりと、
「いつきはね、頭を打ってちょっとだけ記憶を失ったらしいのが、だからね、そっとしておいてあげてね」
まるで夏のかげろうがこっそり亡くなることを悲しむようなそんな表情でその少女は見ていた。
あたしの中で何かが欠ける音が聞こえた気がした。
一樹があたしを……
そしてあの天使で悪魔の言葉を思い出し、あいつはあたしを救う代わりに一樹から『あたしとの記憶』を奪っていったのか。
「どうしたの? 顔色が悪いけど大丈夫?」
一樹が心配そうな表情訊いてくる。しかし、その瞳は他人と接する目だった。それにまた胸が締め付けられる。
バサッと開け放たれた窓の外から何かがはばたく音。
たくさんの鳩が空を自由に羽ばたいていた。
そこであたしはやっと思い出した。
あたしは自由になったんだ。もう好きに生きることが出来る。もう何にも縛られない。
今度はあたしの番だね、一樹。
机についていた手を離し、二人に一礼すると、
「ごめんね、変なこと言って、またね」
そう言ってあたしは後ろを振り返らず教室を飛び出した。
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例のごとく、和から逃げるべく屋上を目指す。
今朝は突然、見知らぬ女の子に詰め寄られてドキドキしたけど、和が何か言ったみたいで助かった。少し幼馴染というものに感謝。だけど、突然の出来事であんまり姿とか覚えてない。悪いことしたかな。まあ、一緒のクラスじゃないしいいかな。
廊下の窓から見える青い絵の具を零したような空に気分が良くなる。だが、太陽はまるで親の仇のように僕を照らしている。たまには太陽も休暇をもらってもいいんじゃないかな、うん。
いつものように、屋上の扉の小窓からカップルがいないかチェック、そして、いないことを確認して僕は鼻歌交じりに屋上に出ると。
少女がフェンス越しに手を大きく広げて、まるで今にも空を自由に飛び立ちそうに大きく手を広げている。
僕は目の前の光景に目が離せなかった。
すると、少女が気付いて振り返り、
「あたしは、空を飛ぶの」
さてここまで読んでいただきありがとうございます。今回の作品のテーマは『自由』です(本気でテーマとかプロットとか考えたのは初めてとかは言えない……)。自由に生きれたらいいですよね。みなさんは自由を感じるのはどんなときでしょうか? 私は自動販売機でコーヒーの微糖と無糖を選ぶとき自由を感じます。そんな小さなところにも自由があるのさ!コーヒーを選ばない自由もあったりするとかこんなこと話してるといつまでも続くのでこの辺で。また次の作品も目を通していただけると幸いです。
私のところにルーチェさんが来たら、100万円くれといいます。