八章・序/ある悪鬼の歓喜
カルヴァリオ=ノエ=ディチナーレは尖った耳朶に当てていた機体を忌々しげに見やり、次いでそれを力任せに地面へと叩きつけた。エルフの強靭な腕力と重力とを相乗されたそれは、呆気なく破壊される。薄い合成樹脂が割れ中身の金属片が飛び散る音。しかしそれは完全に収まる前に、他の音にかき消された。
轟々とうねる、突風。吹き付ける大気の強さに、もはや後に戻ることすら出来ずにいる。
「あ、あるじ、」
完全に怯えきった傍らの声、遮る気も最早起きない。
「俺ら、どうしたらいいんですか……!?」
「――」
黙れ、と再度声を発するには、カルヴァリオの余裕も底を尽いていた。
……町外れのバス亭に戻るよりも早く、不可解な風に取り囲まれた。歩を進めること半刻、自然区域を抜け出るか否かといったその刹那に後方からの大気が勢いを増したのだ。強風はカルヴァリオの部下が等閑に持っていた荷をもぎ取り、不自然な鎌鼬は腰に佩いていた武器霊具を留める紐を切断し宙に躍らせた。愚鈍な部下がそれらを拾う暇無く、彼方へとすべて吹き飛ばして。
無様に声を上げる部下を叱責する暇すら無かった。カルヴァリオ自身の武器霊具を風に奪われないよう、身を屈めるしかないほどの強風が襲ってきたので。
武器霊具を抱え込みながら懐を探り、携帯通信機を取り出す。研究所の文人エルフが強化製作したもので、自然界隈の影響を受けず電波が届く箇所ならどこにいても連絡が取れるという高性能な道具である。カルヴァリオはこういったものが嫌いなのだが、さすがにそうも言っていられない非常事態となったからだ。
しかし最新のトランシーバーは、期待した結果を齎しはしなかった。作動はしたのだが耳障りな雑音を発するだけで、カルヴァリオが望む現状突破を示しはしなかった。なので、苛立ちそのままに無意味な無機物を破棄する。電波の波長が合うまで待つという選択肢は彼の中に無い。
(役立たずが)
乾いた地面に打ち棄てられたものを、憎憎しげに見やる。ピー、ピー、と最後の音を響かせながら徐々に振動を弱まらせていくそれは、カルヴァリオにとって役立たずな廃棄物に過ぎない。彼にとっては即時に出る結果が全てであり、それこそ即断直決を重んじる武人の誇りだと思っているから。そもそもこんなものを持たされること自体、屈辱なのだと断じたその思考は、文明の利器を使いこなそうとする気など最初から無い。
そしてカルヴァリオ自身、その愚断さに微塵も後悔の念を抱かなかった。
(文人が作ったものなど、それまでだ)
――自分以外のものなど、根本から信用しない。それが、カルヴァリオが持つ差別意識の中核だったから。
そうこうしているうち、風はますます強まって足元の器物を吹き飛ばす勢いとなった。もはや、どこから風が吹いているのすらわからない。
カルヴァリオの蒼眼が細められる。生き物が物理的に瞼を開け辛い状況にもなってきたのだ。気流が乱れていることで呼吸もしづらい。このまま風がやまないと、窒息もあり得る。そしてその仮定に歯軋りをする。
(馬鹿な。なぜ、このような状況に陥っている)
風ひとつで命を落としかねない、このような状況に。
「あ、あるじぃっ」
視界を塞がれ呼吸を妨げられ、よろけた駒が支えを求めるよう縋りついてきた。まるで怖いものに囲まれた幼子が父親に縋るような風情、その様にいつものだらけた傲慢さなど微塵も残っていない。しかしカルヴァリオがそれに応えるはずもない。
「邪魔だ」
図体がでかいだけの役立たずなそれを振り払い、カルヴァリオは現状打破をすべく思考する。轟々と耳元で唸る突風、時折身を掠める鎌鼬。常人なら立っていることすらままならないだろう。武人の筋力と重心移動で辛うじてその場に留まりながら、必死に考える。――今の状況を今の段階で打破する方法は無いか。無いのか。
(おのれ、おのれおのれッ)
生き残るために必死な自分がいるということに、苛立ちが尚も募った。
どんな状態であれ、どんな環境であれ。エルフの武人は危機的状況でこそ、感覚が研ぎ澄まされる。カルヴァリオも例外ではなかった。
それは稲妻のように閃いた、説明しようのない直感。
(―――あいつか)
後方からの鎌鼬で銀髪が数本切り離された瞬間のことだった。はらはらと舞い、強風に吹き飛ばされていく銀糸。陽光の加減で金色にも光ったそれが、つい先日加入したばかりの新参者の持つものと被ったのだ。
脳裏に残る、金とも銀ともつかぬ色の頭髪。胡散臭げな文人エルフの若僧。
『ティリオ=セト=ノビレス=ツヴィトークと申します』
「あいつか……ァ!」
不意に轟いたカルヴァリオの怒声に、傍らの男がびくりとなる。
「……くく……やはりそういうことか……だから文人など信用できぬのだ……まあいい」
ぶつぶつと独り言を発する横顔は、強風の中で表情を変えていた。瞳を三日月に細め、口角を上げるそれは笑みとも呼べるもの。それも死中に活路を見出した喜色のものでなく、見る者が得体のしれない恐怖を覚えるような微笑であった。
「あ、あるじ?」
「あいつが裏切り者……そう、裏切り者だ。どんな状況であろうとあいつがそうであることに変わりはない……そういうことであるならことは容易い……ふ、ふははは」
それは冷笑でも、嘲笑でもなく。強者が嗜虐対象を定めたときの、暴虐な歓喜の笑み。
吹き荒れる突風の中、カルヴァリオは胸に抱いた武器霊具を眼前に翳し、刃を抜き放つ。鞘から抜き放たれたそれが外気に触れたその瞬間、彼のまとう空気が転調した。その様を見つめるに、傍らの男は今までと違う底の知れない怯懦にまみれていった。
誰だ、こいつは一体誰だ。
刃を掲げた男は、狂ったような哄笑をあげる。
「裏切り者にはこの手で、この伝説の霊具で直々に死を賜ってやる! くはははははははッ」
「……ッ」
怯懦と疑懐にまみれた彼は悟った。彼が縋る主は、もはや彼が知る「親」ではないことに。
足元に残る最後の器物が吹き飛ばされる。
轟々と渦巻く風を切り裂くよう、存在感を放つ刃――それは濡れ濡れとおぞましい気配に満ちていた。




