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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第一章
9/127


 その日、我らがすまうその地域一体は大雨となった。

 まるで穢れをすべて押し流すかのよう激しく振りそそいだ雨粒は、一日も持たずさっぱりと止んだ。雨が止むのを待ってから外に出た我輩らは、その中空にかかる雨の通り道たる色の演舞をしばし眺め、ぼうっと過ごす。

「美しいな」

「そうだね」

 橙、藍、萌黄、亜麻、紅、紫、黒、こげ茶、樫、灰、そして蒼。

 天の虹は、そのものが最も見たいと願う、最も美しいと感じる色を映し出す。我輩が眺めた虹はかのような色で、それはかの群れの連中が持っていた色彩と同じものだった。

(蒼のは、生きているだろうか)

 ぼんやりと考える。虹の片隅にひとすじ、頼りなげに引かれた蒼い色は、今やまったく消息が不明となっているかの雄を思い起こさせた。

 いずこにいても、何をしていても、構わない。

 ただ、死なないで欲しい。生きていてくれと願う。

 我輩も、生きるから。


◇ ◇ ◇


「最近の天の巡察及び警護の仕事は、俺ひとりの役割ではなくなっている」

 冷めてしまった茶をひとくち啜り、白き翼の我が友は言った。

「ここ数日、俺はあまり外には出てない。君を見てたせいってのもあるけど、それ以上にもう毎日天界を飛び回る必要もなくなったからなんだ」

 六年前と違い、友は黒き相棒に仕事の肩代わりを頼むことすらしていない。それは、今現在自分が仕事を留守にしても特に不自由は無いからだ、と彼は言う。続けるように相棒が口を開いた。

「そーそー。六年前までこの軟弱天使がほぼ一人で、あのきっつい仕事ヒーヒー言いながらこなしてたわけだけど、」

「な、軟弱ってなんだようぅ」という若者の涙声は黙殺された。

「さすがに過労気味だったからね。こいつの主たる大天使様が、丁度いい分担役がいるからって、九割方そっちに任せることになったの」

 分担役。

「天使の翼に負けぬほどの機動力、移動可能範囲を持つもの。それがイヴァの脚よ」

 黒き天使が我輩を見つめ、にやりと笑んだ。




「……我ら一族が、天の使いたる仕事を担っているのか」

「厳密にはその手伝いだけど、大体そういうことになるね」

 いつの間にか新しく湯を沸かしながら、友が答える。相変わらず立ち直りが早い。

「さっきもサリアが言ったけど、イヴァの失踪事件は地味に問題になってる。今現在、三つの群れから天上層部に協力要請が来ているんだ」

 大抵の問題は自らの力で解決する誇り高い一族、その彼らが、他種族に救援を求めてくるとはなんとも珍しい。それほど深刻で、彼らだけでは解決し難い問題なのだろう。天上層部においても話題になったそうだ。

「誇り高い霊獣の珍しい救援信号だ、なんとか力になりたい。それに、かの事件は何やら天全体においても不穏なものを感じる。先々を見据えて、互いに効率の良い解決方法は無いかと模索していた矢先、我が主たるキュリス様が提案されたんだ」


『彼らの佳き脚を、解決の糸口にしましょう』


 天上層部は、救援を求めてきた群れにこう応えた。

「『天使を、あなた方の捜索手と同数派遣しよう。彼らを背に乗せ共に行動すれば、霊圧が重い場所でも器が潰されること無く入り込める。こちらにとっても、あなた方の強き脚を以ってすれば、天使が為しえない短時間でいかなる場所にも辿り着ける。互いに行動範囲が広がり、目的が果たされやすくなる。いかがだろうか?』……っていう具合にね」

 無論、我ら一族に否やがあろうはずも無い。同族たる我輩には解る、他種族に助けを求めざるを得なかった彼らの苦渋が。それでも、まさに藁にも縋る勢いだったのだ。出された提案にも縋り付きたくなる。

「かくして、北の群れから三頭、南西の群れから一頭、北東の群れから一頭が、今現在天使と共に天界を駆け巡っている。仲間の捜索と天の巡察警護、かの脚にそれらの役割を乗せてね」

 彼らはまったく優秀だよ、と我が友は苦笑した。

「何せ、たった数頭の脚。それなのに一年足らずで下層一帯をほぼ駆け抜けてしまうんだから、凄いよね。俺が以前受け持っていたのは中層と下層の極一部で、それで充分事足りてたのに、それ以上の働きをするもんだからキュリス様も感嘆してらした」

 彼が言うことは、決して誇張ではない。成獣の身体と並み以上の脚力があれば、天の中でも比較的狭い下層なぞそれくらいで駆けられるだろう。更に特殊能力を持つ天使がいれば、霊力の弱いものが入り込めない上層以上の場所にも到達出来る。まさしく、天全体の巡察には穴の無い組み合わせと言えた。

 気になるのは。

「それで、肝心の仲間の捜索に関してはどうなのだろうか。まだ、結果は出ていないと?」

「うん……残念なことに」

「そう、か」

 当たり前なのだが項垂れてしまう。天は我輩が及びもつかぬほど広い。下層ならまだ駆ける目処がつくが、中層以上となると俄然果てが見えず、未だどの程度の域なのかもわからない。上層などもってのほかだ。

「落ち込むこたーないわよ。これでもだいぶ的は絞られてきてるんだから」

「的?」

 茶器の横に置いてある蜜スグリの実を、細い指が摘み上げた。ぱく、と小さな唇が飲み込み、やや篭った声が続ける。

「とりあえず、天の下層一帯は調べ終わってる。となると、残りは中層と上層。そして、それ以外の、天からすぐに移動出来そうな別の界にも視点が移る。それが」

 天界のすぐ傍に位置する、界。


「人界……」


 未だ我輩が知らぬ世界はいくつもある。そのひとつが、人界だ。人間をはじめ、様々な生き物がすまう、未知なる界。

「なにせ彼らのつがいでさえ、気が読み取れないんだ。生きているとなると、別の界にいる可能性が一番高かった。それでも、それは俺ら天のものにとっては、一番否定したい可能性だった」

 というのも、天から人界に渡った霊獣の多くが。


「……大抵が、死よりも無残な目に遭わされてるのよ」


 ごくりと実を飲み込んだ黒き天使は、珍しく言い難そうだった。


◇ ◇ ◇


「さてと」

 空にかかる色の演舞が終わったあと、我が友は我輩に向き直る。

「それで、準備はいいかい?」

 彼の様はいつもと僅かに違う。ゆったりとした衣は幾重にも重ねられ、袈裟がけに何やら袋をさげている。身にまとう霊力も常より遥かに高く、白い美しい翼が漲る霊気に羽毛の一本一本を光らせ、きらきらと存在感を増していた。

「うむ」

 対する我輩も、いつもとは違う感覚に全身を任せていた。昨夜、前準備としてたっぷりと霊力補充をしたのだ。天使たる友に比べると微々たる容量ではあるが、身のうちに篭る霊気は常より多い。

 晴れ渡った夏の空が満足気に微笑んだ。

「じゃ、いこっか」

 白い羽がひとひら、舞う。


◇ ◇ ◇


 黒き天使が報告を終え、天「本部」へと舞い戻っていったあと。

「これからどうするか……って聞くのも野暮だし、今更か」

 友はそう切り出した。空になった茶器を片付けながら、晴天の瞳が複雑そうにこちらを見る。

「君は、人界に行くつもりだね」

「うむ」

 頷く。我が友は本当に、察しが良い。

「だろうと思った。……あーあ、せっかくぬくぬくと甘やかしてたのに、結局イヴァたる誇りと同族意識には敵わない。また俺は寂しいひとり暮らしに逆戻りか」

 自嘲めいた軽口に、多分に含まれる感情。まったく、この友はわかりやすい。

「我が友よ。また逢いに来る」

「当たり前だよ。これだけ俺を傷つけておいて、これきりなんて許さない」

「そうだったな」

「君には借りを返してもらわなきゃ。こう見えて、俺にはいくつか野望があるんだ」

「野望?」

 目をぱちくりとさせると、夏の晴天が応えるように瞬いた。

「ああ」

 天使は翼を翻す。

「そのひとつを、早速叶えさせてもらうよ」

 準備が出来てからだけどね、と友は笑った。


◇ ◇ ◇


 人界に行くだけなら、それは我輩一頭でも可能だ。

 なにせ我輩にはそれだけの力がある。成獣たる身体のつくりと、強き脚と。下層一帯を駆け巡り、人界へ通じる穴を見つけ、そこから入り込む。一年どころか、半年もかからないだろう。

 しかし、厳密にはそれだけでは駄目だ。

 我輩は人界のことなど一片も識らない。最低限の知識も気構えも無しに未知の世界へ身を投じるなぞ、よほどのことでもない限り出来ない。ましてや、我輩の立ち位置は曲がりなりにも天に生きる獣。かの常識は人界では通じず、そして待ち受ける危険は想像もつかないものだろう。

『……大抵が、死よりも無残な目に遭わされてるのよ』

 その言葉に慄いたのかと言われれば、そうかもしれない。けれど、恐怖以外にも慎重にならざるを得ない理由がある。

 それが友も口にした、我が一族たる誇りと同族への思いだ。

(失敗は許されない)

 我輩の人界での失敗。それは我が一族の誇りに泥を塗り、且つ我が家族の無念をも晴らせず終わるということだ。

 必ず。

 必ずや、かの失踪事件を、解決に導く。そして、かの悲劇が二度と繰り返されぬよう、全力を尽くす。それが、我が一族の未来に立ち込める暗雲を晴らし、群れの無念も晴らし、そして我輩の胸中に残る悔恨をも晴らす方法だろう。

 全ての目的を達するためにも、まず識を集めるのだ。






 僅かな風。天使が羽ばたきと共に浮き上がり、我輩の背に乗った。


 その、感覚。


 二本足のものが我が背に跨る、その感覚。


 そして、角につかまる、二本の腕。


 今更ながら実感する。


(我らは、騎獣なのだ)


 その、事実。





「ああ、念願のイヴァの背に乗れた」

 耳元で、嬉しげな友の声が聞こえた。

「……それが、野望だったのか?」

「そうとも」

 それだけならいつでも乗せてやったのに。そう思わないでもなかったが、彼が至極嬉しそうなので沈黙する。なんでも、他の天使が我が一族と共に天を駆け巡ると聞いただけで羨望していたそうだ。

「ここから俺の翼だけだと、大体半日はかかるけど」

 背後に跨る天使は言った。

「君の脚ならもっと短いだろう」

 何せ、イヴァだ。

「無論」

 応え、宙を仰いだ。

「我が脚ならば、半日とかからず辿り着いてみせよう」

 いかなる場所でも。いかなる高さでも。いかなる距離でも。


 我が脚があれば。


 背後で友が笑った気配がした。

「期待してる」

ぐ、と蹄を踏みしめた。後足に力がこもる。ざわざわと波立つ鬣。目指すはかの場所。


 上層へ。


「征くぞ」

 地を蹴った。



※霊獣は身体能力こそ高いが、霊力自体は低め。天に棲むものは大概は生まれ育った層により霊気の容量が限られている。

※下~中層が大抵の霊獣の棲み処であり、上層以上に棲むのはかなりの実力者。霊圧自体が重いので、生半可な内在霊気では器がもたないためである。

※並みの霊獣が上層以上に行くためには、上層に棲むものの加護、もしくは天使の同行が必要。天使は身体能力こそ低いが生まれもった霊気容量が大きく、霊圧を殆ど引き受けることができる。

※天使は翼を移動手段としているため、厳密には騎獣を必要とはしない。しかし、もしイヴァの騎者が上級天使であった場合、かの実力は複数の最高位精霊族をも上回り、天界において真に完全無欠な組み合わせとなる。ただし、その例は滅多に無い。

※古代に一組のみその例があったが、彼らはあまりに過ぎるその実力を恐れられ、逆にどちらも早逝した。イヴァが戦乱を避けるよう暮らし始めたのは、それからあとのことである。

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