三
実に久々主人公視点
※時系列が二から続いてません、もしかしたらあとで入れ替えるかもしれません
伴侶どのとワカバのいる家屋から出立し、我輩らが先ず向かったのはこの国の地理的な中心にある人間界隈である。「首都」と称されるそこは人間の界隈において物々の流通や規則の管理などの中心地であり、「政府」という重要機関の本拠地でもあるそうだ。群れでいうと「長」に近いものやもしれない。しかし形状こそ昨今は似てきているが内情は国によって異なるとのこと。この国の「政府」は出来て百五十年に満たず、他国に比べると歴史が浅い規模なのだそうだ。
騎者どのが祖父御から譲り受けた遺産がここでも役立った。この国の「政府」を動かす主要役職の親族が『網』の一員であり、その経路で「政府」の重要役職を担う者と面識を得ることが出来たのである。
いや、正しくは「元」であるそうだが。
「よく来られた」
「フロント閣下、ご息災のようで何より」
「そちらこそ相変わらずお元気そうで、イヴァニシオン先生。いやはや、ご尊顔を拝すことが出来たのは私の記憶力が確かならば五十年と半年振り、ああなんと懐かしい」
禿げ上がった額にわずかばかりの白髪、やや曲がった背。丈夫なつくりの木杖を手に歩く足取りはゆっくりとしている。面積広く、内部のつくりが壮麗なとある人間家屋にて、我輩らを出迎えたのはやや年配にあたるだろう人間の雄であった。
「自分も閣下にまたお逢いしたかったので、こうして直接面会を希望させていただきました。ご迷惑で無かったようで、嬉しいです」
「迷惑などとどの口が申せましょうか。死ぬ前にあなた様にまたお逢いできたこと、老い先短い自分にとって歓悦の至りです。ああ、それからその称名は無くしていただいて結構。この通り、退役した身ですゆえ」
緩やかながら知性的な瞳を持つ彼は、騎者どのの旧知でもあるのだそうだ。
「それを言うならこちらこそ同じです。士官学校は随分前に離職しましたし、住民票もルギリアに戻したのでここアルカリーにおいてはなんの拠所も地位も持たない外国人。閣下に敬称付きで呼ばれるなど、恐れ多い。呼び捨てで構いませんよ」
「またまた。史学者としてのご活躍とご威光、この耳にもしかと届いておりますぞ。最近はエルフ古語で書かれた霊具解説書をまたひとつ、全翻訳なされましたな。さすが、考古学と精霊学の双方に名をとどろかす叡者であられる」
「ただ無駄に長生きなだけですよ。閣下がそのような仰々しい物言いをなさるとは、らしくない」
騎者どのの声音に、ほんのりと複雑なものが過ぎる。一方の老人の声は揺らぎが無い。
「鬱陶しいと感じたのなら、申し訳ない。しかし私は一介の人間として、死ぬ前にいつか伝えたいと講じていたのです。亡国の英雄の血筋としてでなく、今生きておられるイヴァニシオン先生に持ちえる限りのことばで敬意と感謝を、と。貴殿こそ、我ら人間が永世に誇るべき宝。国境を越え、敬られて然るべきかと」
彼の視線は真摯であり、言葉は世辞を重ねるようでいて一つ一つが嘘の無い響きをまとっている。心底からの賛辞なのだろう。
「――ありがとうございます」
若者の声音がわずかに綻んだ。老人を見つめ返す緑の瞳には、自尊も謙遜も浮かばない。在るのはただ、言われたことを肯定する意と慢性的な諦観の念、そして彼らしい若干の照れ。続く言葉は動揺の欠片も無く、滑らかだった。
「けれど閣下、今ここに立っているのは学者の肩書き持つ、ただの人間です。鬱陶しいとは感じておりませんが、自分はご存知の通りの性分。如何なご配慮でも褒言は苦手なので、申し訳ない」
「……左様でしたな。いやはや、年甲斐も無く自己満足を押し付けてしまったようでこちらこそ申し訳なかった」
「いいえ。それはともかく、この国の滞在残日が少ないので早々に目的をお話しなければなりません。よろしいでしょうか」
「ええ勿論。ただ、その前に個人的な要望を叶えて下さるのでしたら」
皺だらけの目元が、上背のある騎者どのを仰ぎながら笑みのかたちになる。その視線を受けた青年の緑の瞳がぱちくりと瞬いた。
「要望、ですか」
「ええ。なに、小さなことです。五十年前と同じ呼び名と言葉遣いで、お話をさせていただきたい」
「……。そうは仰られましても、アルカリー公国の軍部総監、そして国祖の血を引く貴家当主を一介の外国市民が呼び捨てるのは、流石に不相応かと」
「『元』ですよ。今は骨を弱くした年寄りであり隠居人。そして貴殿より遥かに若輩ですので敬語も不要。それこそ、お互い様ですぞ」
にこにこと微笑みながら、人間の老人は自分の三分の一にも満たないような外見の青年を見つめる。彼よりもこの若者の方が遥かに年上などと、一体誰が予測し得るだろうか。
「貴殿に教えていただいたことですが、こういう達観を気取る者にこそ、関係の無い方向から情に働きかけ、懐古の念を擽ることがかなり有効かと。久々に実例を示しては如何かな」
微笑ましげというよりは悪戯っぽい視線と声音に促され、緑眼はもう一度瞬いてから綻んだ。悠久の時を越えてきた青年は、そうやっていつもの笑みを浮かべる。
「相変わらず妥協させるのがお上手な口上、惚れ惚れします――こういうことでいいのか、ルシー?」
先ほどまでの堅苦しかった言葉遣いが、取り払われる。ようやく完全に解かれた構え、それを感じ取ったのか年輪に囲まれた瞳が嬉しげに瞬いた。
「お褒めにお預かり光栄至極。……ああ、それでいい。また君に逢えて嬉しいよ、アル」
「俺もだよ」
元教師とその生徒、そして旧友同士たる人間らは、先ほどとは違う温度で握手を交わした。
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「で、アル。話とは」
「話っては単に頼みごとだよ」
「頼みごと?」
「お前んとこのわんちゃん、ちょっとだけ足止めしてくんねえかなって頼みごと」
「どれだ」
「ケイトリンちゃんと結婚したの」
「家犬か。時間は」
「大体三日間くらい」
「急用か」
「急用。ムリ?」
「無理、ということも無い。最近は建国祭の近衛配置と来賓の警護準備で何かと忙しくしているし、案件は山ほどあるからそれが今更一つ二つ増えたところで誰も気づかない。ただ、あいつの髪型が僕に近づくのがちょっと早くなる程度だろう」
「ナイスじゃん」
「あいつも僕も嬉しくないがな。まあ、番犬や駄犬ならともかく、飼い主の指令無しに家犬は動かない。根回しする時間が無いなら、理性を強制的に消し去るような……そうだな、ケイトとマイアが二人とも大怪我したとか急病になったとか、そういうことだったら時間を作るために必死になるから自然と『目』がいつもより粗くなるだろう」
「気もそぞろにならない辺りはさすがだなーわんちゃん。ところでブリーダーさんのほうは実家に戻ってんのか」
「あーうん。今は孫と一緒に買い物行ってる」
「ちょうどいい。早速だけど、大怪我コースで」
「よし、それでいくか。でもなあ、アル」
「ん?」
「僕はまったく構わないのだけれど、あれでも家犬は娘に気に入られてるから、その……」
「ケイトリンちゃんには俺も一緒に謝るよ。あとマイアちゃんに翻訳書の最新号贈らせてもらう」
「妻にもなんて言われるか……」
「アンナちゃんにはプルト王章細工の限定織物贈るから」
「傲岸な舅を演じる年寄りの慰労費として、ドノヴァ産の赤ワインも欲しいところだね」
「……それもあとで送ってやる」
「交渉成立だな。まいどあり」
「お前本当に退役軍人かよ」
「僕の父は商人だったし。それに何事も見合った対価が必要だという摂理は、君から教えてもらったことだよ?」
「まあ、確かに」
わんちゃんを足止めする対価にしては、安上がりか。そう続いた若者の声は、それとわかるほどに笑んでいた。
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我輩は獣なので、人間の通識や込み入った組織の在り様などは詳しく理解出来ない。ただ、そういうものだという事実認識を得るだけだ。
「霊獣様、どうぞ。ルギリア産の紅茶でございます」
「うむ、もらおう」
白と黒が織り成す装飾性のある作業着を纏った人間の少女――めいど、という役称らしい――が手際よく茶を器に注いでくれる。何かと親切な彼女の厚意をありがたく受け取りながら、我輩は隣の部屋で会合を交わす人間らの声をひっそりと聴く。声の響きこそ気安い空気の会話だが、飛び交う言葉は暗号めいていて内容把握がつかない。いずれにせよ、獣には到底及びのつかぬやり取りである。棲む世界の違う人間界隈において、騎獣たる我輩は魂の片割れであり導たる騎者どのに付き従うだけだ。
今すべきは、会合を終えた騎者どのがすぐに動けるよう心と体の準備を成しえておくことである。水分補給は出来るうちにしておこう。
「美味き茶だ」
「ありがとうございます」
受け取った茶を褒めると、人間の娘御は慣れた様子で頭を下げる。彼女にとっては当然の賛辞らしい。または同族より「しゃこうじれい」というものを言われ慣れているのだろう。
めいど、という役をこなす彼女は霊力持たぬ人間であるが、霊獣について知識があるばかりかそうとわかるほどの敬意を込め、接してくれる。以前訪れた村ほど精霊族が浸透していない地域であるのに、この家屋の人間は皆、突如現れた緑髪の男が人外であることを抵抗無く受け入れたようだった。普通の人間だけで形成された集まりにしては、至極珍しい傾向と言えよう。
ともあれ、彼らは丁重にもてなしてくれる。このめいどが陶器を上げ下げする動作は至極慣れており、一定の秩序が感じられた。稀少材料は使ってはいないのに、こういった手際や付属品を凝らすことで、もてなしの度合いを高めているのだ。そしてそれは、同じような手順でも個々の癖や熟練度によって微妙に違う。
(人間の生活様式は、多種多様なものよ)
生き物の複雑豊富な在り方、そして奥深い二本足のもてなしの席に感じ入りながら茶器を傾ける。この紅茶を淹れた技は熟練の域にあるようだ。今まで享受してきたものの中でも格段に香り高く、味わい深い。人間の基準でいっても歳若いだろうに大したものだ、とつくづく感心する。ゆえに、感謝の念が曲がって伝わって欲しくは無い。些細なことであるが。
「……ルギリアでも同じ茶葉と思われるものを飲んだが、それよりも芳香と味の調和がとれている。淹れた者の腕が良いのだろう」
そう付け加えつつ微笑むと、無表情だっためいどの頬がわずかに動いた。
「我輩は獣ゆえ銘柄の詳細は判らぬが、一度感じた匂いと味は忘れない。同じ規模の家、同じ原材料、同じ手順のものを過去に授けられたが、そのどれもが貴殿が用意してくれたものに敵わないと断言出来る」
人間とは違い、獣の世辞に嘘や皮肉は含まれていない。そのことが、彼女に伝わるといい。
「――」
「かほどに美味き茶を我が糧となるべく差し出してくれたことに、改めて感謝する」
「――ありがとう、ございます」
返ってきた声がわずかに喜色を帯びていたのは、気のせいではないはずだ。
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「じゃあ、この報せを十時間以内に、必ず本人に伝わるように」
「はっ」
「よろしく」
「……いやー相変わらずルシーんちはすげえわ」
「なんだいきなり」
「広い家にしちゃ統率がとれてるなって。配置人員がおっそろしいくれえに厳選されてるし上も下も臨機応変に動くあたり、やるな。レクさんの時代よりフロント家は使用人に至るまで出自身分の垣根関係無い効率重視ってことは知ってるけど、その内実見ると噂以上だよ。子孫がちゃんと伝統存続させてて、レクさんもあの世できっと喜んでらあな」
「ありがとう、歴史を直接見てきた君に認めてもらえて嬉しいよ。どの辺りがお気に召したのか、後学のために教えてくれないか」
「おう。さっきの伝達屋もそうだけど、やっぱりルシーとこうして一対一で茶ぁ飲めてること自体が、だな」
「結構単純なことだな」
「単純だけど、すげえことだよ。守衛のじいちゃんは不審者と客人の違いわかってるし、家令のおっちゃんは得体の知れない若僧二人を嫌な顔ひとつせず迎えてくれたし、執事のあんちゃんが万全に確認とってくれたお陰で、俺らこうして話せてるんだぜ。フツウあり得ねえよ、この待遇。アポ無しの訪問だったのにな。メイドさんに至ってはさっき『霊獣様にお茶をお出ししたいのですが』って確認とられちまった。まさに『優秀なスタッフ』だよ、お前んとこは」
「他所は他所、我が家は我が家の基準があるからな。そう言いながら、すべてを見越して今日訪れたんだろう、アル?」
「まーね、「俺は見込みの無い勝負はしない主義だから」」
「……」
「君が昔、ことあるごとに言っていたから覚えてしまったよ」
「……そですか」
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別室から聴こえる会合も、一段落を終えたようで雑談めいてきた。それにつられて我輩も席に深く腰掛ける。美味き糧たる茶をゆっくり味わっていると、先ほどのやり取りから少し打ち解けたらしいめいどの娘が遠慮がちに、しかし疑問を抑え切れずといった様子で訊いてきた。
「あの、霊獣様、失礼でしたら無視をしてください。……お茶菓子はお気に召されませんでしたか」
「うむ? ――ああ、済まぬな、娘御。我輩は甘いものは苦手なのだ」
「そうでしたか、配慮が足らず、申し訳ありません」
人界と天界の動植物生育環境は根本から異なるので、二本足の食物資材や調理方法も違う。人間界隈の最大の良さは、総数の多い人間らの手により多種多様な加工甘味が生み出されたことだ。ただ、それゆえの難点も存在する。茶請けであるはずの「けえき」や「くっきい」、それらは我輩が手をつけられないものであることが多い。妖精のそれと比べても遜色無い創意工夫の成された茶の席だが、それゆえ後からの変更が利かない。原材料から受け付けないものだと、それだけで糧として摂取することが出来ないのだ。
「手数だが、乾く前に下げてくれるか」
「はい、ただいま」
卓上の加工甘味がしずしずと下げられていく。血肉の気配をわずかでも感じ取ると、我輩は手をつけられず触ることすら難しい。
「……済まぬな」
「いいえ」
再度謝りながら娘御の手元の台に戻された「けえき」、それを横目で眺める。匂いからして中身は柑橘系の果実と発酵乳、そしてふんだんに鶏卵が使用されている。甘味とはいえ、種としては受け付けないものなので惜しいとは思わない。手付かずであるので、我輩が食せずとも誰かが食すだろう。
ただ。
(『甘いものが苦手』など、なんと底の浅い虚言か。我が本性を隠すための方便とはいえ、本質たる食嗜好を偽りせっかくの糧を無駄にするなど至極情けない。我らが偉大なる始祖よ、この偽りを赦したまえ。いたいけな幼子よ、嘘を言って済まない)
みずから発した言葉とはいえ、せっかく我輩のために出された加工甘味を無為にするなど、なんと罰当たりな。大いなる罪悪感と痛む心を覚え、胸中で娘御に謝りながら手にした茶器に視線を戻した。と、響いた震え声。
「霊獣様っ」
見上げると、先ほどまで薄赤かっためいどの頬が真っ青になっている。次いで先ほどの礼よりも深く深く下げられた頭が、そうとわかるほどに震えていた。
「本当に、申し訳ありませんっ!」
「娘御、一体どうしたのだ。何を謝る必要がある」
むしろ謝りたいのはこちらだというのに。
「わたしの配慮が足らず、霊獣様にご不快な思いを……」
そんなに我輩は深刻な顔をしていたのか。
ちなみに騎者どのはこのやり取りをあとから聞いて、「だからさお前、甘いモンにありつけなかったからって絶望顔するなって前にも言っただろうが、慣れてねえ女の子にゃ精神的被害が及ぶんだよ」と呆れ顔で言っていた。
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「――それにしてもこの茶マジうめえ。茶菓子も何から何まで最高。コックとメイドさんにお礼言っといてよ」
「ありがとう、家令を通じて伝えておく。……それにしても、アルは昔から食器や調度品に興味は示さないな。これらもそれなりの代物なのだけど。君だって、一目で価値は判っているのだろう?」
「なに、褒めてもらいたいってか?」
「どちらでも」
「じゃ、メンドいからパス」
「くくっ……まあ、物より人に重きを置くのは、実に君らしいと言えるが」
「たりめーだろ。俺は俺が褒めたいものしか褒めねー主義だ。古い置物なんぞに構ってられるか。何億の食器だってなんだって、それ買った人間より作った人間の方を褒めたいね。塗り物の具合を評論して欲しかったら、作った人間の前でやってやるからそいつ引っ張って来い。もっとも、このカップ焼いた職人はもう百年くれえ前に死んでるから無理だけど。――ってなに笑ってんだよ」
「君は昔から変わらないようで、本当に嬉しくてね」
「……ソデスカ」
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騎者どのらの雑談をうっすら聴くに、思い出したことがあった。
体術の鍛錬を始めるようになった頃、我輩は人型に馴れておらず半年ほど過ぎても型すら満足にこなせなかった。今でこそいっぱしに動けるが、それはやはり慣れの部分が大きい。攻撃性を好まない本能のせいもあろうが、肉体が「武」を覚えるまでが至極遠かった。
我輩が二本足の武術を身につけることが出来たのは、やはり騎者どのの尽力のお陰である。出来の悪い生徒を前に、体術師範たる騎者どのは決して焦らず冷静に段階を踏んで進めてくれた。そうして我輩は常人の倍以上の時間をかけつつ、人型での護身法を実践出来るまでになったのである。
騎者どのは、他者に「教える」ということに関して情熱ととてつもない根気を有している。それは何ゆえなのだろうか。ある時そう訊いた我輩に、彼はこう返した。
『仕事で色んな生徒に当たって来たし、別にどってことねえ。それに意識の高さに種族も年齢も関係ねえし、出来ない生徒でもやる気自体があんなら、教師が諦めるわけにいかねえだろ』
人界で何度も聞く言葉だが「しごと」という概念を獣は持っていない。判り易く言い換えて騎者どのは過去に同様の経験をしてきていること、そして『我が一族の諺にもある「駆ける志に強弱あらず」ということだな』と返すと、騎者どのは『ビミョーに違うような気がするけど違わない気もするから大体合ってる』と言ってくれた。
つくづく、感じる。例え出来が悪く役には立たなくとも、志が認められただけで嬉しいものなのだと。
「霊獣様、こちらのお茶菓子はいかがでしょうか。東方の国からの輸入品でございますが」
「! せんべいではないか」
「はい、紅茶には合いませんが、こちらは甘くは無いので」
もちべえしょんの高いめいどの娘は、いったんは落ち込んだもののすぐに立ち直ったようだ。ひとつめの茶請けを下げたと思ったら、すぐに新たな茶請けを手に戻ってきた。そればかりか、押してきた台の上にはまた別の入れ物と茶器、違った匂いの茶葉が載っている。
「よろしければ、東方の緑茶も淹れますが、どうされますか」
「うむ、もらおう」
「ありがとうございます!」
返ってくる礼も、始めの頃より威勢が良い。どうやら彼女は、行動の意義を認められて喜ぶ性質の人間らしかった。
頬を紅潮させながら手際よく茶を淹れるめいど、その手元をぶしつけでない程度に見学する。昔からの癖だが、こういった工程は見ているだけで面白い。先ほどの茶葉と色合いが異なるものが、朱色の土器に移されていく。本性時の鬣より濃い色のそれを眺めつつ、ふと眼裏に浮かんだものがあった。そして、鼓膜に蘇ってきた音も。
『ねえリョク、わたしに出来ることって……』
齧りかけのせんべいを手に、嘆息する。
(人間の娘御には簡単に言えたものを、ワカバには言えなかった)
そう、最初からわかっていたはずなのに。幼いものが求むるは、ただひたすらに自分を認めてくれる存在だということを。実際の役に立たなくとも、その志を否定せず、やろうとする気持ちを褒めてくれる第三者。失敗を学ばせ、成功を喜び、前に進ませてくれる者は知能在る生き物にとって欠かせない存在だ。人も獣もその導きあってこそ正しく成長してゆけることを、我輩は誰より識っているはずであったのに。
それを求めたワカバには、応えてやれなかった。
(……当然であるが)
誰が好きこのんで、愛するつがい(予定)に危険を冒させたいのか。あの場面でワカバの願いを聞き入れてしまったが最後、我輩は騎者とつがい双方に神経をすり減らすこととなり、騎獣としてものの役に立たなくなる。それは何より避けたい愚考であり、愚行だ。
なので、いとしい雌の健気な提案を全て却下するしかなかった。強き脚の一族たる強情さは、少しでも突破口を見つけると押し進もうとする。ひいては、いかに幼仔であろうと危険に飛び込もうとする志を肯定など出来るはずも無い。
ただ。
(ワカバに、真意は伝わったのだろうか)
遠まわしな言葉でその理由を語りはしたが、あれはその意を正しく理解はしただろうか。今更になって、不安が胸中を掠めた。この人間の娘御よりは年嵩であるが、一族としてワカバは未熟な年代。求愛の一環たる否定、つがい(予定)を心配する想いはあの雌の心に届いたのだろうか?
『わかっ、た』
我輩の言の後、寂しげに俯いた若草色の瞳を思い起こす。騎者どのの会合が長引いているせいもあり気が緩んだのか、ことが終わるまでは考えまいとしていたものが身の内にせり上がる。
ああ、我がつがい(予定)に今すぐ逢いたい。
(耐えろ。ことが済んだらすぐに求愛に向かえば良い、焦るな)
「…さま、霊獣様っ」
やや下方で響いた声に現実に引き戻される。ちなみに淹れ立ての茶はちゃんと我輩の前に置いてある。しかしなぜこのような状態になっているのだろう。視界に捉えていたはずの白黒の衣と人間の頭髪が消えたと思ったら、位置をこれ以上無いほどに低くしていた。めいどの娘がいつの間にか、床に這い蹲っている。これも過去に見た事がある、人型種において広く知られる、特に人間界隈では最大級の礼を示す体勢だ。
騎者どの曰く、東大陸の孤島より伝わったという伝説の姿勢――土下座。
「娘御、役職における意識の高さは認める。しかし、「申し訳ありませんっ!!!」
淹れてくれたのは東方様式の茶であるが体勢までその様式に添う必要は無い。そう言おうとして、土下座中の娘御に遮られた。震えを通り越して、完全に涙声になっている。
「ほんとうに、本当に申し訳ありませんっお煎餅がしけっていたのですねっわたしが至らないせいでまたご不快な思いを……っ」
さてはこれも謝罪なのか。また無意識に、我輩は深刻な顔をしていたらしい。
「あ、いや、娘御、我輩は考え事をしていただけゆえ、娘後に落ち度は無い。従ってその姿勢は即刻やめ、」
「もうしわけありませんこの非は旦那様に無くわたし個人の過ちですのでどうかどうか平にご容赦を……!」
一部の人間界隈では、人型の霊獣は敬うものだという意識が蔓延していることは知っている。そして時に、こういったように過剰に反応されることもある。礼を尽くしてくれるのは嬉しいが、我輩としては困惑することの方が多い。その後、謝り続ける彼女にせんべいはしけておらず至極美味いことを何度も弁解した。
人界に来て四十余年、ひとの表情筋は未だ操るのが難しい。
※アルカリー国はルギリア国の縮小版といっていいほど風土が似ている国だが、棲んでる人間のルーツはバラバラ。なので思想宗教など統一感が無い。コミュニティを作っている集落もあるが、その他はこれといった法律が無いので生活様式も個々の自由。それゆえのトラブルも多かったが、隣国ルギリアを真似て文化人や金持ちの家中心に(雇用規則という形で)ルールを定めた結果、狭い世界での衝突は減った様子。家ごとにかなり基準が違うので、金持ち宅の使用人は簡単に転職出来なくなっていたり。
リョクにお茶淹れてくれたメイドさんは霊力の恩恵が高い東地方の出身なので、精霊族への畏敬観念が強め。人型になれる霊獣≒かなりの実力者だということはわかっているので、畏まっているのです。
つまりの要約:人外美形は黙ってるだけで何かと誤解される




