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我輩は騎獣である  作者: KEITA
間章之二
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若草色の恋人たち 四

(だれ)

 雨はまだ、激しく降り続いている。その中でわずかに聞こえる泥を踏みしめる音、近づいてくる生き物の気配。暗闇はわずかに隙間を開けている、しかしそこから見えるのは降り続く水滴と曇った空のみだ。鼻は自分の血の匂いで麻痺している。

(だれ……!)

 聞こえる足音は二本足。なので、恐怖がこみあげる。

「ワカバどの、聞こえているか」

 ざ、とすぐ近くで泥水が跳ね、止まった気配。聞こえた声。そして。

「袋を、開けるぞ」

 暗闇の隙間から――にゅっと入ってきた、「ひと」の手。


「い、いやああああああああっ」


 叫んだ。力の限り、身を捩る。動けなくとも、本能的な恐怖感が肉体を凌駕した。

(にほんあし。ひと。あの、えるふとおなじ、しゅぞく……!!)

 ここ数日、からだに刻まれている記憶。それがワカバに危機を訴える。わたしを連れ攫ったのは二本足だ、あの生臭く不吉なものを突きつけてきたのも二本足、そして身体を無理矢理触ってきたのも二本足、家族から引き離したのも、暴力を振るってきたのも全部、ぜんぶ二本足のあの手、そう、今眼前に現れたものと同じ……!

「いやっいやあ、触らないでぇっ」

 この時わずかでもワカバの鼻が利いていたら、怪我をしていなかったのなら、気づけただろう。眼前に現れた新たな手は、かの蒼色の同胞と同じ雰囲気持つ男の手であったことを。引いては、ワカバと同種の生き物だということ。ワカバにとって恐慌する必要の無い、安心出来る相手だということが。しかし、今の彼女は混乱のさなかにあった。

 身体は限界寸前の疲労と霊力不足にあり、まして自身の血が流れ臭気で嗅覚が麻痺している。わき腹にも怪我を抱え、視界も暗闇に閉ざされたまま。危機に瀕しているこの状況で、成獣でもないワカバが精神を自力で落ち着かせることなど、不可能であった。

「やめて、お願い、お願いだからわたしに構わないで、テスのもとに還して、」

 泣きながら訴える。こころが目茶目茶に引き裂かれたまま、得体の知れないものが近づこうとしている!

「――貴殿は混乱しているようだが、落ち着いて欲しい。我輩は味方ゆえ、」

「おねがい、入ってこないで、いやぁっ」

 狭い中、角を忌むべき方向へ構える。押し留めようと入ってくる手の平を突き刺すよう、攻撃する。間一髪でそれを避けた手の主は、暗闇の入り口まで後退して呟いた。

「錯乱状態にあるか――幼仔ゆえ、致仕方ないな」

 しばし待っていろ。声は優しくそう囁いたあと。

 ひゅ、と引っ込んだ「ひと」の手。暗闇の隙間が、また小さくなる。

 そして、ワカバは再度感じ取った。外の気配が、また変わったことを。

 ざしゅ、ざしゅという連続した泥音は、二本足のものでなくなり。周囲に聞こえていた雨音が、部分的に遠のいた。ふあ、と被さるような温かな霊気。

 芳醇な光と、風の気配。


「この『すがた』でならよかろう。――袋を開けるぞ。いや、角で突き破るゆえ、じっとしていろ」


 返応する、暇も無かった。


びりい!


 高く、布地が裂ける音。そして一気に開ける視界。またも宙に投げ出される、ワカバの身体。それを受け止めたのはあのクッションのような感触持つ、白い霊気だった。

 実体の無い、霊力で作られた守護壁。それは、見覚えがありすぎるもので。

「『護りの霞』……?」

「そうだ」

 その護りの霊気よりも何よりも、存在感のある霊力。それを持つ生き物が、ワカバが囚われていた暗闇を「突き破った」のである。

「あ……」

 動かない身体で。護りの霞に支えられつつ、見上げた先にいたその「すがた」は。


「怖かったな。よく頑張った」


 雨を弾く、深く深いみどりいろの鬣。樹木のように伸びた、太い角。巨きなからだ。四本の、脚。―――ワカバと同じ、種族のもの。


「あ、あな、た」

「うむ。――怪我をしているようだな。今、癒しの霊力も行使するゆえ、じっとしているがいい」

「……」

 ワカバのか細い角に、その太い角が絡んでくる。硬い形状が瞬間的に柔らかくなりカドが取れ、しゅるん、と蔦のように巻きつく。

 そして流れ込む、霊気。見る間に鼻づらの血が止まり、わき腹からも痛みが失せてゆく。そして身の内にどんどん霊力が溜まってゆき、疲労で悲鳴をあげていた骨や筋肉が軽くなっていった。

「ッは、あ」

 息を呑み、喘ぐ。あまりの心地よさに。その感触は、蒼色の同胞がしてくれたものと同じ、なのに。どうして、今はこんなにも気持ちいいの。

 それは。そのわけは。

「だいぶ消耗をしたな。幼仔がこれほど無理をして……、辛かったであろう」

「だい、じょうぶ。なんてことない。それより、テスにあいたいの」

「そうか」

 湖のような双眸は、どこまでも澄み渡って静かにワカバを映す。その視線も、声も。すべての気配が安堵と同時に胸を高鳴らせ、芯に留まっていた熱を膨れ上がらせる。初対面なのに安心する暖かな雰囲気とすべてを包み込む霊気、それは蒼色のあのひとと一緒なのに。

 しゅるり、と解かれた角が戻ってゆくのを確認しながら、物寂しくなる。

(もっと、わたしにふれて。わたしを、みて。わたしを……)そんなはしたないことを、本能が訴えている。先ほどまで自分のからだがもどかしいと感じていたのに、今では抵抗も何も無く、そう思えてしまっている。

 それは、どうしてか。

「かの娘御の拠点はすぐそこゆえ、早々に征くとしよう。貴殿の騎者――否、家族も逢いたがっている」

「あ、ありがとう、あの、あなた、」

 それはきっと、


「リョク。……願わくば、その名で呼んで欲しい。ワカバ、どの」


 このそんざいが、わたしがずっとほしかったものだから、だ。



 激しくて熱い、それでいてどこまでも優しい口付けのあと。

「……っん」

 ゆっくりと離された唇、濃褐色の瞳にはもうあのおそれは無かった。大きな身体に抱きすくめられていた小さな身体は震えを止め、硬い手に支えられていた柔らかいからだは芯を取り戻す。

「――」

 無言で。緑の瞳は睫毛を伏せ、身を離そうとする。これで目的は果たしたとばかりに。しかしその長身に、細い手が追いすがった。

 息を飲み込む彼の頂に、ぎゅっと抱きつく彼女。

 洩らされたか細い声は、悟っていた。彼の真意を。自分の失態を。


「ごめん、なさい」

「――いい。謝んな」

「ごめん」

「謝んなって」


 抱きしめてくれる両腕があること。言葉を拾ってくれる相手があること。思いを受け止めてくれる存在がいること。……口付けで、すべてを救ってくれるひとがいること。


「あのね、アル。あたし……、」

「ん」

「待つわ。ワカバが、帰ってくるのを」

「ん」


 それは、なんという僥倖だろう。


「信じる、わ。ワカバのことを」

「ん」

「だって、それがわたしに出来る、いちばんのことだもの」

「ん」


「ワカバは……あたしの家族はきっと、帰ってくる。あんたの友達と一緒に」


「……おう」


 なんと、幸せなことだろうか。


「それとね、アル。あたしはあんたに、」

「いいんだって。もう何も言うな。言うよか欲しいモンはこっち」


 間も無く、また交わされた口付けは。

 ただ、柔らかくて甘かった。普通の恋人同士の、それのように。




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