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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第一章
6/127


 我輩がかの橙……一族に名を轟かす偉大な雄の息子となり彼の群れと共に過ごしたのは、六年ほどの期間だ。

 我が養父どのはその威容に相応しく度量の広い、まこと群れを率いるに足る雄だった。つがいとの間に仔は三頭。いずれも独り立ちをすませており、自身も壮齢である。しかし未だ衰えぬ脚力を持つ身体は至極頑健で精力万端、そろそろつがいとの間に四頭目をこさえようかという頃合いに我輩がやってきたらしい。我がつがいは老齢ゆえ負担をかけずに済んだわ、と彼は悪戯っぽく笑っていた。彼と長年連れ添う美しい藍色の鬣を持つしとやかな雌は、憎まれ口を叩くつがいの尾を引っ張り懲らしめたあと、慈愛溢れる仕草で我輩の角に触れてくれた。

「我が新しき息子、よろしくね」という優しい言の葉と共に。

 かの群れも、養父母どのの性質をあらわすかのように皆が親切で、暖かい連中だった。一頭一頭の姿を今も思い起こせる、かの背景にあった深く壮大な草地の緑と共に。

 我輩の新天地はまこと美しく、希望に満ちていた。


 生きるための知識や知恵を授けてくれたのが亡き母御とかの天使の友だったとしたら、実際に動く要領を教えてくれたのは間違いなく養父どのである。彼はまず、何をするにも我輩を自らと共に行動させた。駆ける距離に合わせた脚の運び、水場の嗅ぎ分け、良質の食物を効率良く採るすべ、危険の察知と遭遇してしまった場合の身のこなし。それら全てを実践させ身体に叩き込ませたのだ。こうして学んだものは非常に大きい。

 養父どのは暖かくも厳しい指導者であった。我輩が高い場所が得意ではないと見るやすぐさま崖から蹴り落とすなど、そのしごきぶりはかの母御に負けないものがあった―――さすがに三頭も仔を育てただけあり加減も手馴れていたお陰で、命の危機を感じるほどでもなかったが。やはり天に生きる以上、そうでもしなければ甘ったれの仔どもなぞ生きるすべが身に付かなかったと思うから、彼のしごきは当然だったのだろう。特に、我輩は図体にしては世間知らずな部類であったし。

 そんな日々が勉強と試験の繰り返しのような中、一番の楽しみはというとやはり同世代の仔達との触れ合いだった。

 我輩が加入したかの群れには二頭の仔どもがいた。彼らは我輩より年上の雌と年下の雄で、幼馴染の関係にあり非常に仲が良かった。心優しく面倒見の良い雌と、意地っ張りだが正義感の強い雄と。特に雄のほうは、年上の雌に将来のつがいとなって欲しいと秋波を送り続けているのにも関わらず、まったく気づかれないという有様も、見ている限りは面白かった。ともかく、彼らは突如現れ長の息子の座におさまった我輩と言う異分子を苛めるわけでも無視するわけでもなく、快く話し相手となり、遊び仲間に入れてくれたのだ。

 彼らとの思い出も、今の我輩を形づくる大事なものである。




 あれは、群れに入ってから三年と少し経った頃であったか。いつものように養父どのや若い雄たちに付き従って過ごしたあと、いつものようにかの二頭と憩っていたときのことだ。

「緑の、きのうは長と一緒に西の頂まで登ってきたって聞いたわ。そこから半日で戻ってこれるなんて凄いじゃない。頑張っているわね」

「うむ、有り難う」

 夕日のような紅色の鬣と黒々とした双眸、すらりと優美な肢体を持つかの雌は、我輩の奮闘を嬉しげに讃えてくれる。その傍で面白く無さそうに鼻を鳴らすのは涼やかな蒼色の鬣と揃いの瞳を持つ幼い雄だ。

「俺なら半日より早く戻れる。緑の、調子に乗るなよ」

 ぎろり、と嫉妬のこもった双眸で睨まれても我輩はなんとも言い難い。

「もう、またそんなことを言って。まだ小さいんだから蒼のには無理よ」

「無理じゃない! ……くそ、見てろ」

 窘められ、彼女よりまだ小さい体格の彼は悔しそうに切なげに俯いた。そのまま我輩らの視線を避けるよう、どこかへと歩き出す。年が違うとはいえ、こうも完全に想いが届いていないとさすがに哀れだ。

 我ら一族は総じて皆、雄よりも雌の方が身体の成長が早い。同年に生まれたとしても、幼生期を終えた直後で雌の多くが一般的体長に達しているのに対し、雄の体長が育ちつくすにはもう数十年ほど必要なのだ。最終的には雄のほうが遥かに大きくなる、しかし仔どもの頃は雌のほうが立派な体格をしている場合が多い。

 れっきとした不可抗力なのだが、彼のように早熟につがいを決めてしまうと、想いと現実の差がかなりこたえるらしい。あの頃はよくわからなかったが、今ならばわかる気がする。愛しい、護りたいと感じる雌がおのれよりも身体が大きく強い脚を持つなど、普通の雄であれば誇りに傷がつくだろう。

 とぼとぼと去ってゆく後ろ姿を不思議そうに見つめながら、鈍感な雌は呟いた。

「蒼の、なぜあんなに焦っているの。雄の発育が遅いのは仕方ないことなのに。早く成獣になりたい年頃なのかしら」

「……」

 我輩は何も言えず、意味なく地面を前足で掘り返した。ここで彼の面目を潰さず場を濁すには洒落た言の葉を知らなかったし、何よりつがい(候補)同士のごたごたに第三者が脚を突っ込むのは場違いに過ぎる。後足で蹴られたくはない。

「そういえば緑の、今日は朝から南の森に行ってきたのでしょう」

「え? あ、うむ」

不意に転じた話題にきょとんとすると、眼前より少し高い位置にある黒目が心配げに瞬いている。

「あそこは毒茨が多いわよね、怪我は無い? どこか痛かったらすぐに言うのよ」

「大丈夫だ、すべて万端に通り抜けることが出来たゆえ」

 かの雌は鈍感ではあったが、心優しく面倒見が良い。血の繋がりは無いというのに、かの存在を我輩は知らなかったのに、確かにその種の暖かみを感じていた。

「それなら良かったわ」

 優しい姉のような彼女を、我輩はとても好きだった。


☆ ☆ ☆


 養父どのと群れの雄らがとってきた食物を皆で平らげた頃、早くも日が沈もうとしていた。宵が短い季節でもあったのでさほど肌寒くはならない、それでも暗くなってから寝床を作るには些か遅すぎる。広大な草地の隅々で、一日の脚を休めるべく準備が始まる。

 まず真っ先に、身篭っている雌のための寝床が確保された。若い雌が整えた草の束の上、腹の大きな雌が横たわるのを離れて見つめる。我ら一族が群れで暮らす上で何より尊ばれるのが彼女らと、生まれて間もない幼生だ。繁殖期が限られ、懐妊してからも危険が伴う我らにとって気が抜けず何においてもまず優先すべきものがこのふたつなのである。これは我が養母どのが教えてくれたことだ。群れで暮らすということは、交代で彼女らの傍にいることが出来、集団で弱く尊い存在を危険から護れる利点があるという。

 なら、どうして。

 この群れに来てから、幾度と無く考えていることがあった。

(どうして我が母御は、たった一頭だったのだろう?)

 襲いくる危険に限りは無かったはずだ。出産前後の雌は至極弱る。ろくに身動きが出来ない中、我輩という大きな荷物を抱えそれを護りながら暮らすということがどれほどのことなのか、想像もつかない。こうして群れの中にいて護られていたほうが遥かに楽だろうに、かの雌はたった一頭で我輩を産み、育てていた。周囲に同族のどの字も見当たらない、群れの棲息地ともかけ離れた場所で。

 出産予定の雌が、何より母御ほど麗しく佳き脚の雌が助けを乞うて来たなら、どの群れも否とは言わないだろう。それこそ、我輩より遥かに歓迎されるはずだ。

 なのに、なぜ。

「おい」

 考えにふけっていたら、背後から声をかけられた。振り返ると、見知った蒼い鬣の雄が、こちらを睨むように立っている。

「ちょっとこっち来い」

 ふん、と鼻を鳴らす勢いで素っ気無く言い、かぽかぽと蹄を響かせ彼は歩き出した。慌てて思考を散らし、我輩はその後をついてゆく。日も暮れかけていたのでちらりと養母どのがこちらを見やったが、すぐ戻ることを目線で伝えると、軽く頷いてくれた。




 彼が招いたのは群れの拠点としている草地のすぐ傍にある、ごつごつとした岩が目立つ崖であった。さほど高い場所でもないが、眼下には小さな森が広がっているのを一望出来る。そういえば養父どのから鍛錬と称して蹴り落とされたのはここである。当初は際に立つのにも脚が震えていたことを思い出した、今は至極平気であるが。

「何か、用か」

 夕日を背景に崖の際でぽつりと立つ後ろ姿、それに向かって問いかける。仔どもらしさが多分に残る小さな身体。そこに纏わりつく豊かな蒼色が、風に靡いてさらさらと僅かな音をたてていた。ぼんやりと考える。今はまだ仔どもだが、彼は将来見事な鬣を持つ見事な成獣になるだろう。

「昼間は、その、悪かった」

「ん? ……ああ、特段気にはしていない」

「そう、か」

 素直ではないが根が純な彼は、嫉妬で当たってしまったことを気に病んでいたらしい。こちらが返すと目に見えて安堵した様子だった。

 不器用な謝罪のあと、沈黙が降りる。雰囲気からして、本題は別にあるようだ。

 ややあって、彼が口を開いた。

「緑のは、……ここから、落とされたと聞いた」

 なんのことかと考え、ああと思い当たる。

「昨年の秋に。我が養父に高所が苦手だと話したら、予告無しに蹴り落とされた」

「本当か」

「本当だ。すぐ下の木に引っかかって事なきを得たが、そこから這い上がるのに苦労したのだ。なんとか戻ってはこれたが」

 かぽかぽと彼の傍に寄って、共にそこを見下ろす。夕日に照らされる岩場と森の木々が赤々と燃えている。ここから落とされたあと、大して怪我はしなかったがとにかく戻ってくるのが大変だった。眼下の森はさほど広くも深くもないし崖の攻略自体も我らの脚力からすると難しいというわけではない、しかし当時はまだ地理があやふやだったうえに高い場所に対する先入観があって、中々脚が動かなかったのだ。結局たっぷり一日半かけ、ぼろぼろになりつつ帰還に成功はした。養父どの気紛れな助言と、時々養母どのが上から投げ与えてくれた食物のお陰であったが、まあとにかく。

「お陰で高所が平気になった。いかなる場所でも、脚さえ無事なら駆け戻れる。そういう根拠をもらったゆえ」

 昨年の出来事だというにだいぶ昔のことのような、懐かしい思いでいたら、不意に横の雄がまた口を開いた。

「……俺も、」

「ん?」

 蒼のは切なげに呟く。


「俺も、ここから飛び降りて自力で戻ってこれたら、紅のは認めてくれるだろうか」


 彼が何を言いたいのか、すぐにわかった。

 赤々と夕日に燃える木々、それを切なげに苦しげに見つめる蒼い瞳はかの雌を想っているのだろう。眼前に暮れゆく日と同じ色を持つ、彼の愛しい唯一無二。

 いとしいきみよ、おれをみてくれ。

「俺はまだ仔どもだ。それはわかっているんだ。でも、悔しい。なぜ俺は、紅のをまだ護れないのか。なぜ、まだ仔どもなのか。なぜ俺は、まだ……」

「蒼の」

 吐き出される自嘲めいた想いに、我輩はたまらず言った。

「我輩もまだ、仔どもだ。崖から落とされたとて、それは変わらない。未だ皆の世話になっているし、一頭で生きてゆく自信も無い。それに、」

 心底からの羨望を込め、彼に向き直る。


「まだ恋を、しらない」


 蒼い瞳がぱちくりとして、次いで細められた。本日初めての彼の笑みであった。

「……俺は、しってる」

「そうだな。けれど我輩はしらない。しっている蒼のを、心底羨ましく思う」

 本心であった。我輩よりも幼いのに、我輩よりも成獣に近い彼のことを、いつだって羨ましく思っていた。かの雌に向ける焦がれ、優美な肢体を追慕する視線、黒い双眸と出逢うたび幸せそうに緩む表情。そして暮れる日にかの愛しい面影を想う、その激しさと深みを我輩はまだしらない。そして同様に、養父どのが養母どのに向ける静かに熟成された熱も、どうすれば持ちえるのかわからない。すべてが未曾有であるのに、それらを当たり前のように湛えている彼らは、我輩など及びもつかぬほどの存在に見える。

「そうか」

 ほんの少し優越を抱いたかのように呟き、彼は蒼眼を夕日へと向けた。彼にとってこの世で一番愛しい色をした日が、ゆっくりと暮れていく。それに照らされた彼の姿は、仔どもでありながら仔どもではない。

「俺は」

静かに言葉に出されたのは何よりも真摯な決心であり、誓いだった。

「俺は、紅のをつがいにする」

 蒼の鬣がくれないに躍る。前を向き、誓った彼は至極雄々しさに満ちていた。その様に圧倒されながら、我輩は頷く。

「ああ」

 そして願った。我が親友の誓いが、将来必ず果たされることを。

 彼と共に眺めたあの夕日は、未だ忘れえぬ情景のひとつだ。


☆ ☆ ☆


 六年。

 母御を亡くし、新たな家族を得、新たな生活を始めてから経た歳月だ。その間、実に濃密で様々な体験も為し得た。学んだこと、掴んだもの、感じとれたこと、すべてが懐かしい。

 身体も、その期間に大きく成長した。体高こそまだ低めであったが、一般的な雌程度だった体長が一般的な雄程度になり、もはや外見だけなら仔どもには見えなくなった。脚力も飛躍的に上昇し、数里どころか数十里を駆けても滅多なことでは息切れしない。まあ、ひとけりで千里を征くにはまだまだと言えたが、それでも普通の成獣には引けを取らぬ程度の力はついた。棒切れのようだった角も丈夫になり、これを打ち合わせて蒼のと力比べをするのが常となった。

 中でも地味に様変わりしたのが、背の皮だ。ただ厚いだけだったその部分が、首に近い際にかけてうっすらと隆起が発生してきたのである。皮全体も隆起部分に沿うよう、厚みが微変化した。

 そして時折襲う妙な感覚。背中が無性に痒いような、物足りないような、不可思議な気持ちになる。痒みだけなら幼生期にもあったが、それとは一味も二味も違う。一時的なものではなく、ふとした瞬間に慢性的に沸いてくるのだ。まるで理由の無い衝動で、若干困る。それを養父どのに話したら、彼は嬉しげに言った。

「我が息子もそのような時期となったか。背が、騎者を求める時期に」、と。


 騎者。その言葉は、そこで初めて知ることとなった。


 我ら一族が他精霊族から「麒麟」もしくは「イヴァ」と称されていることは、既に聞き及んでいる。かの天使の友が、一般常識として教えてくれたのだ。「麒麟」という獣は細かな種に分つのなら実に多岐に渡り、そのひとつが我らのような角と背の皮を持つ「イヴァ」と呼ばれる種であることも。

 我らにとって名というものはさほど重要ではない。一頭一頭が固有名を持たないことからも察せられるように、大事なのはその様や中身などであって、種族名なぞ今宵の寝床ほども重要性が感じられない。

 しかしそれとは別に、種族としての特性は決して避けては通れぬものである。

 騎者、とは。


「我ら『イヴァ』における、特別な存在。つがいとはまったく別の唯一無二。例外なく二本足の種族であり、一頭につき一人しか存在し得ぬ、魂の片割れだ」


 それを養父どのから説明された時、我輩が叫んだ言葉は「そんな馬鹿げたことがあってたまるか」だった。普段心がけている彼への敬語も忘れ、礼儀も消えうせたまま、我輩は駆け出した。背後で養父どのが呼びかける声がしたが、聞こえない振りをして。

 苛つきが、胸中に充満していた。


☆ ☆ ☆


「で、家出してきた坊やは俺のとこに転がり込んできたわけか」

 

「坊やではない」

 友の言葉にむっつりと返し、我輩は良い香りのする藁束に鼻づらを埋めた。

「家出したことは否定しないんだね。珍しいじゃないか、あの義父さんと喧嘩するなんてさ」

「喧嘩ではなく、あれは……」

「はいはい、沈まないの」

 ふて腐れた体勢で自宅の床に陣取るでかい獣の図体は、さぞ邪魔であったことだろう。しかし彼は、溜息をつきつつ追い出そうとはしなかった。そればかりか我輩がこの家に滞在していたときよく潜り込んでいた藁の塊を引っ張り出して敷いてくれたのだから、歓迎してくれていると考えて良いはずだ。そうでないと、我輩は救いようが無い。

「そうか、君はまだ知らなかったんだね」

 元保護者な天使の我が友は、座り込んで純白の風きり羽を手入れしていた手をふと休める。

「騎者、のことは知ってると勝手に思ってた。どっちにしろ、こういうことは同族に説明されるべきだろうし。だから敢えて触れなかったんだけど」

「誰に説明されようが、同じだ。同族でもないものが魂の片割れなど、そんな突飛なもの信じられない。しかも例外無く二本足の種族だと? そんなもの、……」

 定義がわからん。そう吐き棄てる我輩に、友は苦笑した。

「俺はイヴァじゃないし、なんとも説明し難いな。けど、なんとなく察してはいるんだろう?」

 なぜ、背が疼くのか。なぜ、二本足の種族なのか。

「……」

 黙りこくった我輩に、今度は柔らかく微笑んで友は立ち上がった。扉を開け、馴染みの白い翼を広げながら言う。

「ちょっと待ってて。何か落ち着くもの採ってきてあげるから」

 ばさばさと羽音が遠ざかっていったのち、我輩は藁束に再度鼻を埋めた。察しているだろうだって?ああそうだ、察しているとも。だがそれを認めたくないだけだ。

 相変わらずかの天使は洞察力及び見識が深い。ついでに腹が立つほど気もきく。彼が去ったあとの家の中は至極静かで、疲労回復には丁度良い霊圧と居心地の良い空気、そして藁束から香る落ち着く匂いに満ちている。

「……」

 それらに埋もれてぼんやりとしていたら、うっすらと眠気が漂い始めた。当然の結果であるが。

 うつらうつらとしながら、来る前に感じていた苛つきがつまらないものに思えていた。養父どのの説明にあれほど激昂したわけ、それは自分でも解っている。至極つまらない、どうしようもない理由だ。

 騎者というものは、例外なく二本足の種族だという。我輩の知る二本足の種族というものはふたつしか無い。ひとつはこの家の主に代表される、天に棲まう御使いの一族と。

 もうひとつは。


(母御を殺したあの生き物も、二本足だった)


 それだけの、理由なのだ。


☆ ☆ ☆


 一眠りしたあとは至極すっきりとしていた。居心地の良い空間で落ち着いて感情を整理出来たせいもあるが、天使の我が友が持ってきてくれた採れたての果物のお陰もあるだろう。至極美味かった。

 我輩は明朗とは言い難い気性だが、さほど長く悩みを引き摺りたいとも思わない。友の元を辞し、群れに戻ってから養父どのに謝罪をした。知識を請うておきながらそれを否定し勝手に去るなど、年上の雄に対しだいぶ礼を失した我輩であったが、彼がいつもの寛容さで赦してくれたことが有難かった。あるいは、勝手に群れから離れた挙句帰還が遅くなった我輩を、こってりと絞った養母どのの折檻と小言、それらを傍らで見ていたからかもしれない。いや、きっとそうであろう。誰よりも強い養父どのはこれ以上無いほどつがいに弱いのだ。

「まあそれよりも説明はまだ終わってはいないゆえ、そちらを話しておこう」

 そう言って、養父どのは長くなるからと近くの水場に我輩を誘った。雷を落としたばかりの養母どのにぎりっ!と睨まれ首を竦めたが、誤魔化すように彼女の角を一舐めし、抗議の声聞くことなく地を蹴る。我輩も慌ててあとを追った。ことが済んだのちは養父どのも、養母どのの雷を喰らうだろう。彼の場合は逆にそうして欲しいようだったが。


☆ ☆ ☆


「騎者はな、我が息子。我らが皆一様に巡り逢うものでもないのだ」

 草地より数里ほど離れた小さな沢にて、養父どのは口を開いた。

「かの存在はまさしく唯一無二。この世に一体、いや一人しかおらん。我らが例え脚から血が吹き出るまで界を駆け捜し求めようと、必ずしも発見できるとは限らない」

「我が義父でも、それは無理なのですか」

「我輩か」

 問うと、養父どのは――言い忘れたが、我輩の自称は彼から移ったのだ――きょとりと双眸を瞬かせてから笑った。


「見つけておったら、この群れにはおらぬよ」


 騎者はそれほど特別な存在なのだと。巡り逢ってしまったのなら、群れも仔どももつがいさえも捨て、かの元へ付き従うことになるのだと。今の姿からは想像もつかぬほどのことを、彼は至極あっけらかんと言った。

 中天より少し傾いた日が、彼の燃えるような橙を縁取り輝かせていた。豊かな鬣と樹木のような角、太く逞しい首。その際に沿うのは盛り上がり硬くなった背の皮。衰えを知らぬ脚はただ駆けるだけではない、強靭な筋力を宿し脈動している。

 考えたことも無かった。これほど発達しきった成獣の身体が、奥底から騎者というものを求めたら。まだ未成熟の我輩でさえ落ち着かない気分になるというに、かの疼きはどれほどのものなのだろう。

深く考えたら眩暈がするような気がして、我輩は再度問うた。

「必ずしも騎者を見つけるわけではないとするのなら、見つけられないものの方が多いということでしょうか」

「うむ」

「我が義父と義母は……群れのものは皆、騎者を持たずとも生活しえています。それで充分ではないかと」

「そうだな。別段騎者を見つけずとも、我らは生きられる」

 肯定に少し安堵する。

しかし、次いで放たれた言葉に、身の奥底がぶるりと震えた。


「しかし我輩は未だ、背の皮が疼くことがある」


 無意識に後ずさった我輩を見て、からからと朗らかに笑いながら養父どのは言った。

「これは我が一族における、消えぬ性だ。どのようなものでも、騎者に対する生涯の焦がれからは逃れられぬ。特に雄はな」

 恐ろしいことをさらりと言い放ち、橙の雄は沢から水を飲んだ。喉を潤してから、彼はまたどこか面白げに双眸を細める。

「騎者に出遭えば、全てが変わるとされている。何せ魂の片割れだ。此の世におけるすべてのものと照らし合わせたとて、その一人に勝るものは無い。それまで培ったものはすべて、かの者のために創りかえられると聞いた。価値観も、生き様も、すべてが変わると」

 つちかったもの、すべてが。きしゃ、のために。

 群れも。仔も。つがいでさえも。護るべきものすべてを捨ててまでも。

「ゆえに、騎者は我らの切望であると同時に、この上ない畏怖であるのだ」

 お前のその感情は間違ってはおらぬよ、という珍しく労わるような声音。養父どのにそのような声を出させるほど、それほどまでに我輩は震えていた。

(なんという)

 この暖かで巨きな雄が、簡単に「群れを捨てる」と口にするなど。仔どもらを、つがいを無かったかのように、騎者のもとでの生活を選ぶと彼は断言したのだ。それほどまでに、かの存在に焦がれる、と。

 自らを慕う群れの連中をすべて捨てて。慈しむべき仔らを無かったことにして。何よりも、あの優しい養母どのと躊躇い無く別れると。それほどのものなのか。それほど!

 叫びだしたくなる衝動を誤魔化すかのように、我輩は沢に首を突っ込んだ。


 そのような存在など、決して必要ない。我輩は騎者になど出逢いたくはない―――


 声無く叫んだ言葉は、冷たい水底に沈みゆく。





 騎者とは。

要するに我らの背に跨る、乗り手のことだ。だから背の皮が「乗って欲しい」と疼き、背後に伸びた長い角は「手綱を取って欲しい」、そういうことなのだ。


 脚力だって、おのれ一頭だけを動かすにしては有り余るのを充分悟っていた。特に、自分の身体にも関わらず制御を外れ勝手に暴れまわる余力が噴出した時など、誰かに有意義なやり方で鎮めて欲しいような、そんな心地になる時だってある。我輩の力を見極め、休むべき箇所で的確に休むよう指示を出し、跳ねるべき箇所で存分に跳ね回らせる。そんな完璧な指示者がいたとしたら、我輩は無駄なくこの脚力を生かすことが出来るだろう、そんな考えも浮かぶようになった。やけに殊勝な考えだが、そこまで自省することが出来たのも、その頃、込み上げる力のままむやみやたらに動き回り、疲労過多になることが多くなってからだ。さすがに我輩も「この体躯はどうやらおのれ一頭だけのものではないらしい」ということに気づいてきた。

 しかし、だからといって。

(騎者がいないからと言って、死ぬわけでもない。現にこうして群れの成獣らは皆生きている。養父どのも養母どのも誰も彼も……我輩も)

 この大切な日常を。慈しむべき存在を捨てさせるものなど、断じて必要ない。

 騎者など不要だ。

 当時は、至極真面目にそう思っていた。



※イヴァがおのれの騎者にめぐり合える率は、非常に低い。文字通り「全世界」において一頭につき一体しか存在しないためである。彼らがこれほど脚力が強いのは、世界を駆け巡り騎者を探すためだという噂も、まことしやかにささやかれている。

※大抵のイヴァは生まれながらにして実は不完全(霊力が弱く、人型に変化できない)。騎者を得ることにより、容量的なものが跳ね上がり霊力が大幅に高まるので、そこでやっと人型に変化できるようになる。

※麒麟らしい強大な霊力と強靭な脚力を持つ彼らは、騎者を得ることで実質最高位精霊族と同等になる。不完全な状態で生まれるのは、イヴァ自身が「もう戦に使役されたくはない」と望んだためといわれている。


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