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我輩は騎獣である  作者: KEITA
間章之二
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蒼き風との出逢い 二


 せっかく逢えた同族に鼻先で扉を閉められてから。

 ワカバは伸ばした手を力なく戻し、俯く。しかし、間も無くふるふると若草色の髪を振って顔をあげた。

(……ショック受けてても仕方ない、どうにかしなきゃ)

 少なからず衝撃を受けたこころがずきずきと痛んだが、長く停滞していても問題は解決しない。ワカバ自身、まだ混乱のさなかにある。しかし、それを紛らわせるためにも現状把握に努めなければならない。

(なんで、こんなことになっちゃったんだろ)

 ここに連れて来られる前にも散々抵抗した。不審者が訪ねてきたのだと直感してから居留守を使おうとしたが、無理矢理鍵を暴かれ扉をこじ開けられ、家の中に入って来られたのだ。玄関近くの台所に追い込まれ、かいくぐって逃げようとしたが相手が複数だったので叶わなかった。そして、何より。

「――あんなもの、押し付けてくるなんて」

 ワカバの柳眉がぎゅっと顰められる。自分にとって最も忌むべきもの――血臭漂う動物の遺骸を鼻先に突きつけられたのだ。ある程度の臭気なら耐性があるが、それはテスが近くにいるときに限る。ましてや、今の自分は身体がだるくなる周期のさなか。鈍い動きでは抵抗の余地も無い。あっという間に動きを封じられ、霊力を使うことも叶わず気を失ってしまった。そして、意識を取り戻したあとも抵抗を封じるためかずっとあの匂いを嗅がされていたのだ。内在霊気だって弱ろうものである。

 一時期命の危機を感じるほどだったが、幸い、かの青年にすぐ霊気を分けてもらったので、五感が正常に働く程度には回復している。身体はまだ万全には動けないが、出来ることはあるはずだ。

「……テス、気づくかな」

 最後の力を振り絞って髪を一本抜き、玄関に落としてきた。テスが気づくかは五分五分、むしろ低いといっていい。けれど、あの場でワカバが出来る精一杯だった。ちから持つ精霊族同士なら霊気をある程度辿ることが出来る、願わくば髪の毛をテスか顔なじみの精霊が見つけてくれればいいのだが。

(でも、テスはたぶんそのことを知らない。知り合いだってしょっちゅう我が家に訪れるわけでもないから。今のところあんまり期待しないほうがいい)

 成功する確率は低いうえに、ワカバ自身今現在の状況が把握しきれてない。果たして助けが来たとしても、助け出される可能性はあるのか。

 すべては暗中であるが、今出来ることをしなければなるまい。家族のもとへ、無事戻るためにも。

 周囲を見渡す。小さくて狭い部屋だ。調度品といったらワカバの横たわっていた寝台がひとつ、その他には何も無い。床も木目の上に薄い敷布が一枚。青年の出て行った扉、向かいの壁に小さめの窓。そこには太い格子が嵌まっていて、外の景色もあまり見られない。天井は低い。寝台の下を見ると、用足し桶と見られるものがあった。

「ここは、どこなんだろう」

 ワカバはまず、その把握から始めた。




かちゃり。

 再び施錠が解かれる音がしたのは、ワカバがふらふらする身体で立ち上がり、檻の入った窓を開けられないか思案していた矢先のことである。


きい、ぱたん


「――あ」

「座っていろ。お前はまだ完全に回復はしていないのだから」

 部屋に入ってきたのは、またあの青年だった。蒼色の長い髪が翻る。その手には、四角い盆があった。大きめの深皿が載せられている。

「ここから逃げようとしても、今は無駄だ」

「ねえ、ここはどこなの」

「周囲には見張りがいるし、お前は人型に変化出来る程度の霊力があるが、ひとが有する一般以上の武技も気配を絶つ術も身に付いていない」

「無理に逃げようとしないから、わけを教えて。どうしてわたしはここに連れてこられたの」

「無駄に体力を消耗したくないなら、回復に努めるんだ」

「ねえ、……」

 青年はワカバの問いかけを無視するように淡々と喋りつつ、寝台の隅に盆を置く。視線がそこからワカバに移った。蒼色の端麗な瞳が少女を見据える。相変わらずの見えないかなしみを湛えて。

(そんな顔したら、なんにも聞けない)

 その瞳を見てしまうと、ワカバはなんとも言えなくなってしまう。彼の考えは気になるが、抱えているものに無闇に触ってはいけない気がするから。やっと出逢えた同族なのに、腹を割って話すことが出来ない。安心してよい相手だとわかるのに、踏み込んではいけない。

 矛盾が、歯痒い。

「……」

 その感慨で彼を見つめると、厳しかった眼差しがふと穏やかになった。まるで疑問を抱える幼子を安心させるように。

「――騎者を見つけた騎獣といえど、肝心要の騎者が傍にいない限りそのちからは半分も発揮出来ない。弱ったからだでは尚更だ。俺は同族に無理をさせたくないんだよ」

「きしゃ? きじゅう?」

「知らないのか」

 ワカバが問い返すと、青年は蒼眼をぱちくりとさせた。

「人型に変化出来ていることからして、騎者を見つけたことに間違いは無いのに……関連知識は持ちえていないとなると。お前は、天から移住してきたわけでは無さそうだな」

「あ、」

 ワカバは戸惑った。自分の生い立ちを、話すべきなのだろうか。そんな表情を見て取ったのか、蒼髪が軽く振られた。

「いや、話さなくてもいい。むしろ話すな」

「?」

「『俺は知らずにいたほうがいい』こともある」

 青年の美声が、ふと自嘲を含んだ。戸惑ったままのワカバを見やり、微笑む。細身の身体が寝台に腰掛けられ、その横に座るよう視線で促してきた。云われた通りにすると、至近距離の麗人はまた軽く瞳を緩ませた。ひとの容姿に重きを置かないワカバの感覚でも充分判る、彼は凄まじく綺麗な顔をしているひとだ。そして、歳月を経た霊獣特有の落ち着きもまとっている。何歳かは不明だが、雰囲気からしてワカバよりだいぶ年上であることは間違いない。きっと本性は蒼色の鬣持つ立派な成獣であろう。

 蒼い髪と瞳の美男は、穏やかな声で話し始める。

「『騎獣』というのは、俺たちみたいな獣を指す。魂の相棒たる『騎者』を見つけた、幸運なる強き脚の一族。それらはそう呼ばれるのさ」

 それから彼は、一族についてワカバに説明してくれた。騎獣のこと、騎者のこと。ワカバや自分のような獣がどういう生物なのかということ。まるで何も知らない幼子に説いて聞かせるように、丁寧にわかりやすく。気のせいだろうか、そのひとときだけは蒼眼からかなしみが薄れていたように思う。少なくとも、その口調は先ほどのように拒絶の意は伴っていない。こちらの問うことに逐一応えてくれ、テスの話を交えても柔らかく相槌を打ってくれた。

 しかし。

「――というわけで、我が一族は始祖の流れを汲むから、流血や死臭を厭うんだ」

「そっか。テスが、あ、わたしの騎者が言ってた。ワカバはなんだか麒麟みたいねって。テスは大学に通ってて、すごく頭がいいの。予想が当たってたんだ」

「そうか」

「ねえ、あなたの騎者はどういうひとなの?」

「……騎者は、騎者だ」

「それはわかるけど。わたしが聞きたいのは、」

「そんなことはどうでもいいだろう。疑問は解決したし、今は滋養に当てるべき時間だ。霊梓の果汁を取っておいたから、これを飲むといい」

「あの、」

「いいから」

 ワカバは思った。

(彼は、同族についてはすごく楽しそうに喋るのに。どうして、)

 どうして、彼自身のことや、彼の騎者については口を噤むのだろう。

 騎獣イヴァであるワカバにとって、テスはどうやら「騎者」らしい。そのことはすぐに納得がいったが、同じ環境下にあるはずの彼の表情はどう見ても嬉しそうではない。口で説明しているように大切な存在だと感じているのなら、自然と顔も穏やかになろうものなのに。

(……)

 理由は不明だが。騎者個人に対して複雑な感情があるのかもしれない。少なくとも、ワカバとテスのような気安い関係ではないのだろう。

 同じ環境の同じ一族であるがゆえ、なんとなく悟ってしまった。だから、なんとも言えずまた黙ってしまう。青年は物言わず全身で訴えていたからだ、それ以上訊いてくれるな、と。

 初対面だとか、今置かれている状況だとかは関係無しに。このひとが苦しむことは、したくない。それはワカバが育て親やテスに対して思うそれと、ほぼ同一の感覚だった。

(かたちは違うけど、このひともわたしにとって家族に近い存在なんだ)

 随分こころの距離が遠い、家族だが。


「いただき、ます」

「ああ」

 青年の差し出してくれた皿を受け取り、中身をゆっくり飲む。どんな果物なのか、大変美味で喉に通すごとに重かった頭も痺れが取れてくる。これも超自然区域で採れるものなのだろうか。

「これ、すごく美味しい。れいしって何?」

「霊梓というのは天の植物だ。今は人界の一部でも手に入る」

「どうして?」

「……」

 端麗な唇は、ワカバに話すことを選り分けているかのようだ。こちらの視線をかわす横顔にうっすらと浮かぶ、あのかなしみ。

「――」

 だから、ワカバはそれ以上問いかけることが出来ない。仲間が苦しんでいるとわかるから。黙って、器に残る果汁を啜った。

「ごちそうさま」

「……ああ」

 空になった深皿を青年に渡すと、彼はそれを盆に戻して立ち上がる。

「気分はどうだ」

「うん、頭がすっきりしてる。『れいし』ってすごいね」

「そうか」

 微笑を作りながら、ワカバはひっそりと息をつく。精霊族たる滋養食の効能は素晴らしかったが、気分は晴れない。

(今、テスに逢いたい。凄く、逢いたい)

 青年の言う魂の片割れに。無条件で安心させてくれるもう一人のひとに。十八年慣れ親しんだあの気配が恋しい。家族の顔が、無性に見たくなった。

 しかし、今は無理だとも悟っている。身体は青年の言うように完全でない。ここがどこなのか、自宅からどの程度離れているのかもわからないのに、脱走の真似事など出来るはずもない。強行突破も出来ない。元来争いは避けなければならない体質なのだ。テスが傍にいないのに、次に流血沙汰を目にしたら冗談抜きで危うい。間違いなく弱って死んでしまうだろう。

 そして、唯一の綱たる存在に頼ることすら今は不可能だ。

「ねえ、いつ帰れるのかは、教えてくれな――」


ぱたん。かちゃり。


 ワカバの言葉の途中で、盆を手に立ち去った青年の後ろ姿。それが扉の向こうに消えたと同時に、またもや、施錠の音が響き渡ったから。

 その事実は、無言で語っていた。やっと逢えた同族は、仲間でありながら仲間でない、と。


「…………、

 …………、

 テスぅ…………ッ」


 ひとり取り残された檻の中で、ワカバは泣き声を押し殺しながら助けを呼んだ。誰にも届かないと知っていたけれど。



 空になった皿、それを盆に乗せて運ぶ青年。さらり、と蒼髪が靡くその背後から、にゅっと繊手が伸びた。

「――ッ、」

 青年の細身の身体は、簡単に捉えられ絡み取られた。女の腕によって。

がしゃんっ

 彼の手から零れ落ちる、盆と皿。砕け散る破片。

「あらぁ、落としちゃった」

 くすくすと耳元で囁く甘い声。艶めかしい吐息を載せたそれに対し、青年の表情と声は強張ったものだった。そしてそれは状況において相応しいものでもない。

「離してくれ」

「いーやーだ。だって離すと逃げるでしょ、あんた」

 ぎゅ、と腕に力が込められる。青年は小柄だが、一般男性並み、いやそれ以上には力がある。にも関わらず、彼はこの女の腕から抜け出さない。いや、抜け出せない。

「頼む、離してくれ」

 無表情であるが、蒼眼にうっすらと浮かぶのは紛れも無い焦りと恐怖だ。無理に抜け出そうとすると骨の一本や二本折られると知っているから。そして、抜け出せなかったあとの展開もわかっているから。

「今夜は、駄目だ。聞いただろう、イヴァの雌が手に入ったと。だいぶ弱っているから、三日は俺がついていなければならないんだ」

「一晩くらい平気でしょー?」

「彼女は幼いし、出来る限り傍にいてやりたいんだ。頼む」

「なーに、オンナだからって甘やかして。主サマの騎獣たんは甘ちゃんでちゅねぇ」

 くすくす、と艶っぽくも禍々しい微笑み。女の尖った耳に、さらりと零れ落ちる赤がねめいた金髪。青年の蒼い髪をひとすじ指に絡ませながら、なまめかしい吐息を彼の耳に届ける。

「あんた達はあたし達に従ってればいいだけの道具なんだからね。オモチャならオモチャらしく、ご主人サマのおっしゃる通りに行動すればいーの」

「……」

 その唇から毒々しいほど真っ赤な舌が伸び、青年の頬をべろり、と舐めた。

「ッ、」

「畜生のくせに人型の顔とソッチはイイんだから。せいぜいあたしを愉しませなさいな」

「しかし、」

「断るなら、せっかく見つけたダイジな雌の骨の五、六本折ってやるから。それでもいーならそうするけどー? 怒られるのはあんただけだから、あたし関係無いし」

「―――」

「どーすんの?」

 唇を一瞬噛み締めてから、青年は言った。

「――わかった」

「ふふ。潔癖ぶったって今更でしょうが。最初っから頷いてればいーのよ」

 彼を艶谷な表情で見つめる女の瞳が妖しく光った。窓からの光を照り返すその双眸は、緑色をしている。


 二人が共に歩き出したあとも、皿の破片は廊下に散らばったままになっていた。丁度夕刻の頃合いで、窓からの日差しがそれに投げかけられ光を放つ。

「……」

「早くしなさいよ、オモチャ。今夜は長く愉しみたいんだから」

「……」

 振り返ってそれを見つめていた青年に、気だるげな女の声がかかる。それに応えるようにまた歩き出した彼の表情は、たなびく蒼髪に隠された。

 真夏の夕暮れは紅の色。ばらばらに砕けた陶器の表面に移るそれは、蒼色の瞳にはどのように映ったか。



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