二
『春椿』『夏菊』『秋橘』そして『冬桜』。東大陸における四つの大国名だ。前置きに「季國」と称されるのがそれらであるらしい。
今現在我輩らが滞在しているのは、中央地域から北陸にかけて広く展開している一国・冬桜国。北方に位置する国だけあって冬季の寒さが厳しく、季節風の影響で降水量も多い。しかしそういった一時期を除けば全体的に過ごしやすい風土で、住人や生息動物も温和な気質のものが多い。何より大気内に霊気が濃く、我輩ら霊獣にとって生き易いのが至極良い。
人間であり、通識に聡い騎者どのによると。
「冬桜って国は『季國』で一番新しい国で、他国に見られない特徴がイロイロあんだ。国土自体が超自然区域を挟んだ飛び地が多くて、国っつう常識に囚われない考え方がいっぱいで、それを求めて他国や他大陸からの留学生やなんやらがすげえ多いの。古式ゆかしい東文化の国にしては革新的で、棲んでいるヤツらもニュータイプが多い感じ。精霊族だけじゃなく、人間に対しても人種の受け入れ皿が幅広だから、俺らガイコクジンにとっちゃ東大陸で一番とっつきやすい国かな。短期滞在だったら身分証明さえ出来れば、パスポートいらねえし」
……とのこと。例にもよって我輩はあまり理解出来なかったが、まあそういう国らしい。
一年に一度、我輩らがこの冬桜国に定期的に訪れるようになったのには、れっきとした理由がある。
「――それにしても、じいさんの他にまだ生き残ってた純エルフがいたなんてなあ。大戦からもう千五百年以上だってのに、すげえわ、本当に。それも大戦前後に生まれたってわけじゃない、超古代からの存命だからなあ」
我輩としても、感嘆せざるを得ない。エルフの寿命というものはつくづく、霊獣の通識でも計り知れないほど永いのだ。
「彼が霊具の定期調整を引き受けてくれて、真に助かったな」
「おう。やっこさんが暇人で良かったわ。お陰で十五年はコイツも新品同様でいられてるし」
腰に差した家宝を見やる騎者どのの顔には、安堵の色がある。
ただし。
「やっぱりっちゅうか、仕方ねえことなんだが」
その緑眼に、うっすらと載るのはこれからの不安だ。
「やっこさんも相当な年寄りだかんな。……ぶっちゃけ、あと十年後はどうだかわからん」
「……」
無礼を承知で本音を吐露する若者に、我輩としても沈黙せざるを得ない。彼の言うことは真実だからだ。
オルス=レイ=エクティス=フォシリス。東大陸の冬桜国に居を構える、純粋種のエルフである。騎者どのの祖父御と同じ中央大陸の出身で、戦乱がおさまってのち渡航してきたらしい。
「こんちわーフォシリスさん」
「失礼する」
「おお、その声と気配は『騎獣の友』さんのお孫さんとその騎獣くんだなぁ! よく来たなぁ」
人里から少し離れた箇所に存在する小さな庵、そこにかのものは住んでいる。
「まぁゆっくりしていってくれやぁ。今お茶用意するからなぁ」
ゆったりと間延びした語尾で喋る、妖精の老人。エルフの純粋種ということだが、かの一族にしてはやや上背が低い部類に入る。そして、彼の両眼には灰色の布が巻かれており、片方の脚も足首から先が無い。先の戦乱の名残なのだという。
「あ、いいっす。俺がやるから座っててください」
「そうかぁ? 悪いなぁ」
笑んだ声音で言いながら、老人は杖を脇に置いて座った。慣れた足取りで水場に向かい、これまた慣れた手つきで火を熾す騎者どのとそれを手伝う我輩。彼はそれをゆったりと見守る。瞳を眼帯で覆われているのに、「見守られている」という気分がするのはやはり、彼もかの長老どののように静かな威容をまとっているせいであろう。
そして、彼本人も亡き長老どのと過去に面識があるらしい。
「しっかし時が経つのは早いもんだなぁ。ついこの間まで『騎獣の友』さんと一緒に定期鍛錬やってたと思ったのに、気づいたらもうあのひとはおっ死んでたんだってなぁ。オラも年取るわけだわぁ。はははっ」
反応に困ることをさらりと言って、明るく笑いながら茶を啜る老人。騎者どのも苦笑して同じ動作をする。常ならば砕けすぎるほど砕けた物言いをする騎者どのであるが、年長者や目上のものに対しては敬語を使って会話をする。この辺り、亡き祖父御の躾けが賜物らしい。
「俺のじいさんは『騎士』時代のこと、イロイロ話してくれましたよ。中でもフォシリスさんは年は離れてるけど同期だってんで、仲良くしてくれたって感謝してました」
『騎士』というのはエルフにおけるこれまた特別な称号で、武人の最たる誉れとのこと。これに任命されたものは一族内においても一目置かれる存在となれるらしい。亡き長老どのと眼前の老妖精は、同時期にその称号を得ており、いくさ人として共に過ごした時間も長いのだそうだ。
「ははは、本当かぁ~? あのひと、確かに仲良くなれば好いひとだったが、しょっぱなはとっつきやすくはなかったぞぉ? オラだって何度すげなく扱われたかぁ」
「それ、じいさんの親友さんも言ってました。『オレアードは親しくなるまでが長いんだよね』って」
「あははは、まさにそれだぁ」
快達に笑い声をあげながら、盲目の老人は急須から新たに茶を継ぎ足した。戦で徴兵された際、敵方から受けた傷が自然治癒の余地も無いほど深く、片足と光を永久に失ったらしい。かしこの動作はそれをまったく感じさせないが。
「オラは田舎者だったからなぁ。『騎士』に任命されたはいいが、王都にあがったらあがったで田舎モン扱いでバカにされまくってたんだぁ」
老人の出身地はエルフ界隈でも僻地に存在し、その影響からか言葉の訛りがひどかったらしい。人間の界隈同様、そういったものはエルフ内では下賤の対象であるそうだ。こういった話を聞くたび、人型種というものは獣にとって理解出来ない思考を持つのだと感じざるを得ない。言葉の訛り云々など、そのものの性質にはなんの関わりも無かろうに。
「それをなんとかしてくれたのが、イヴァニシオンさんとエフェメラルさんだったなぁ。おふた方には、今でも感謝してるよぉ」
エフェメラルというのは、長老どのの古来からの親友の名だ。だいぶ前に命数を終えているが、騎者どのが物心つくまでは存命で、彼の思い出話にもちょくちょくと登場する。騎者どの曰く「超絶の前に『絶世の』が付くくらいのイケメンだったけど、空気読めるひとだったしナンパ術教えてくれたから撲滅対象からは外れてる」人物だそうだ。なんぱ術とはどういった術を指すのだろうか。
ともかく、老人は穏やかに当時を回想する。
「イヴァニシオンさんが言うにはぁ『意識して標準語で喋ることを心がけろ』ってさぁ。無理でもやれって言うから困ったけどぉ、エフェメラルさんがぁ『お国ことばで喋るから、早口過ぎて何を言ってるのか判らないんだよ。王都で使われているようなことばで喋れば、自然とゆっくり話せるようになるから』って励ましてくれたなぁ。難しいだろうけど、やってくうちに慣れるからってぇ」
「へえ、そんなことがあったんすか」
「ああ。確かにぃ、こうして喋っている間はゆっくり話せてるからなぁ。おふた方の言う通りにして本当に良かったよぉ」
老人の間延びした喋り方は、そういった成り行きで定着していったらしい。
「じいさんらしいっすね、無理でもやれって言うのが。それでヴァレンさんが言葉足らずな辺りを巧みにフォローするってのは、昔っから変わってない」
「ははは、そうだなぁ。おふた方は本当に、好対照な方達だったよぉ」
「ですね」
故人を語る彼らの表情と声音には、ただ懐かしみと温かみがある。我輩が知らぬ事象、おいそれと口を出せない過ぎ去った思い出を楽しげに語る若者と老人。
黙って聞いていたが、不思議と置いてけぼりになった心地はしなかった。きっと、我が相棒の表情による。緑眼は穏やかに楽しげに瞬いていた。亡き祖父の思い出を共有する相手がいること、それ自体が嬉しいのだろう。
ふと、感じた。
(我輩にとってのそういう相手は、いるのだろうか)
亡き母御。亡き養父どの、養母どの。群れの連中。
彼らの思い出を共有し、語り合えるような相手は。
(いない……というわけでもないが、)
茶器を片手に、そっと庵の外を眺めた。暖かな陽光と山間の緑。
(果たして今は、語り合える状態なのかどうか)
ぼんやりと思った。今やどこにいるのかすらわからない、蒼色の鬣持つ幼馴染を。
『人界に奇妙な獣が出没してるんだって』
十五年前の我が友の言葉を思い起こす。その噂が真なら、かの雄は人界にいる可能性が高い。しかし、なぜ。どうやって。いつから。……なんのために。
『時々人前に現れては、音も無くまた去ってゆくということを繰り返しているんだって』
ゆらり、と立ちのぼる湯気に視線を戻しながら、我輩は瞳を伏せた。耳に入る騎者どのと老人の楽しげな会話に気を紛らわす。今現在そのことを深く考えたら、底無しの沼に心が沈んでゆくような気がしたのだ。
どうしてだろうか。彼が生きているらしきことは、喜ぶべき事象であるはずなのに。
今思えば、このときからどことなく感じ取っていたのかもしれない。
幼馴染が陥っていた、過酷な状況を。
● ○ ●
「さぁ、調整終わったよぉ」
定期調整を終えた霊具を、騎者どのに手渡す妖精の老人。長剣を受け取りながら、騎者どのは改めて彼に頭を下げ、礼を言った。
「本当に感謝っす、フォシリスさん。毎年マジ助かってます」
「はは、このくらいお安い御用だぁ」
眼帯で覆われている顔下、唇が柔らかく微笑んでいる。
「お世話になったイヴァニシオンさんに、ご恩を返せる機会がやっと訪れたわけだからなぁ。あと、あのツンツンなおひとに貸しを作れるチャンスとも言うから、ここで気張っとかないとぉ」
軽口めいた口調に、そっと本気の声音が混ざった。
「もうすぐあの世で再会するからなぁ。その時に顔向け出来ない」
「……、そんなこと言わんでくださいよ」
騎者どのは一瞬沈黙したあと、慌てて言った。わざと軽口気味に返す彼の口調、しかし声音には隠しきれない寂しさが混じっていた。
「フォシリスさんがいなくなったら、誰がこの霊具調整してくれるんすか。頼みますんで、長生きしてください」
「はは、そうしたいのは山々なんだがなぁ。オラの命数は、オラが一番良く知ってるんだぁ」
盲目の老人はふと、先ほどの我輩のように庵の外を見やる。彼の邸宅は騎者どのの邸宅のように窓というものが存在しない。壁も無くほぼ骨組みだけの吹きさらしになっていて、簾を部分的に上げ下げして光を調整するらしい。全開になっているその一部を見つめる視線は、やはり静かな感慨に満ちていた。
「多分だがなぁ。オラはあと十年もしないうちに死ぬ。お孫さんには悪いが、これは仕方ないことだぁ。オラ自身、よくここまで生きたなぁって思うぐらいの年寄りだからなぁ」
「フォシリス、さん」
「泣ぐんでね、誇り高き純エルフの孫が。『騎獣の友』の名が先に泣ぐぞ」
「は、い」
歪むのを必死に堪えようとする緑眼に、まるで叱咤するかのように光なき双眸が向けられる。眼帯ごしでも関係が無い、彼は確かに騎者どのの表情が見えているのだとそのとき思った。そして年を取ったとて微塵も損なわれない、武人の威容たるものも確かにここにあるのだと。
歴戦の武人は、厳しく尖った声音をふわりと和ませる。知己のいとしごを安心させるように。早口だった口調も元に戻った。
「心配するなぁ。オラの後継は、ちゃんといるからぁ」
「老師!」
庵の外からかかる、高い声。
「道場にお弁当箱をお忘れになったので、お届けにあがりました――、あ、お客様ですか」
現れたのは、年端もゆかぬ少女だった。
「丁度いい案配で来たなぁ青嵐。ホラ、この子がオラの後継だ」
「え」
「左様か」
いきなりの紹介に戸惑って目が点となった騎者どの。我輩は動じず、彼女に向き直る。一目見たときから判明していたからだ――この二本足は、歳若いが凄まじい実力者だと。
「二本足の娘御よ。我輩の名はリョク。一介の騎獣である」
「初めまして。自分は中央大陸よりの留学生で、名を青嵐と申します。老師の下で、霊力行使を学んでいる者です」
丁重な口調で挨拶を返し、深々と頭を下げる幼い雌。その耳朶は老人のものと同じく、細く尖っていた。
「あ、俺はアルセイド……、っていうか。フォシリスさん、このコもしかして、」
目を驚きのあまり丸くさせながら、騎者どのは老人を見やる。偉大な武人は唇をつりあげた。
「ああ。青嵐は見ての通り、れっきとしたエルフだぁ。普通のエルフ並みには長生きするだろうから、霊具調整者にはぴったりだろう?」
にんまりと微笑む妖精の老人。それを前に騎者どのは更に緑眼を大きくさせた。年長者への敬語を忘れた声音で呟く。
「マジか……」
「ああ。しかも将来的には『賢人』になるくらいの逸材だよぉ。オラが保障してやる」
「僥倖だな、騎者どの」
「お、おう」
常ならば彼がよくやってくれる仕草で、ぽん、と彼の肩を叩いてやった。まだ信じられないという顔で立ち竦む人間の若者に、妖精の老人はまた明るい笑い声をあげ、妖精の少女は怪訝な表情で首を傾げた。
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あの日から、五年の歳月が流れたのち。
世界の片隅で、またひとり、エルフの純粋種が息を引き取った。大戦以前より現存していた古代エルフはその長命を全うし、やはり死に顔は満足気だった。そして彼は、人々の間に多くの財産を遺していってくれた。
ひとつは、エルフ純粋種たる霊力行使術。古代から希少種であった純粋なエルフは、その行使能力の高さからエルフ内でも優先的に高度な教育を施されて成長する。そういった環境で育ったエルフは霊力行使が苦手なものであっても、人並み以上の行使術を保持している。かの老人は若い頃得たその技能を、惜しげもなく人間らに分け与えた。彼が開いた霊力使いのための教室。そこから巣立った多くが偉大な霊法師となり、社会貢献を為しえているのだそうだ。
もうひとつは、我輩らにとっての大きな利益。
「青嵐、故郷は中央大陸のロン国っつったよな」
「はい。自分はしがない農家の娘ですが、周囲がやや苛酷な自然環境に囲まれている住居で、そういった生活様式なので、少しでも家業の役に立つ能力を身につけたかったのです」
「そっか。で、一通り霊力行使の技術を覚えた今はどうすんだ?」
「国元に戻ります。そして霊法師として政府に特許申請をして、様々な恩待を受けられるようになってから家業を継ぎたいと考えています」
「ふ~ん」
騎者どのとそのようなことを話しているのは、若い妖精の娘である。五年前は少女であった見かけも成長し、今では外見年齢は騎者どのと同程度といったところだ。ただ、これ以降身体の成長はぴたりと止み、老化も低速になった。彼女の母親も父親も人間であるが、双方の先祖が妖精であるため、部分的な先祖がえりがおこなわれたらしい。別名を隔世遺伝というのだそうだ。
「じゃあさ、青嵐。もし思いついたら、俺らを呼んでよ。こう見えて力仕事は割かし得意だし、農作業の手伝いくれーは出来るから。その代わりに……」
「承知しています。アルの霊具、それを調整すれば良いのでしょう」
「ビンゴ。いやーあんがと。おいら察しのイイ子ってだぁいすき」
「自分もアルのことは賢なる道の先達として尊敬しております」
「まあうれし。ねえ、外国人でだいぶ年上だけどお婿さん候補増やしてみなーい?」
「アルとリョクには、老師の生前も御見送りする際も何から何までお世話になりました。他にも自分が助けになるような事がございましたら、なんなりと申し付けてください。未熟な霊力使いですが、出来得る限りお役に立ちたいので」
「ああん大好き青嵐ちゃん。結婚して!」
「あと千年後辺りにお互い独身でしたら、是非」
唇を尖らせて迫る騎者どのを、軽くいなす妖精の娘。重要でない箇所は流す会話といい、出逢ってから早々に彼との付き合い方を覚えた辺り、適応力のある雌である。
「感謝する、青嵐どの」
「どういたしまして、リョク」
我輩からも心からそう伝えると、家宝の新たな「調整者」は微笑んで応えてくれた。
オルス=レイ=エクティス=フォシリス(フォシリスさん)・・・享年は三千歳弱。年代的にはアルセイドのじいさんよりちょっと若い。武人エルフの誉れ『騎士』の称号を戴いた有名人で、当時の騎士の中じゃ最年少でした。若い頃の通り名は『民の味方』。過酷な自然環境の地方にて身を挺して天災から農作物を護ったり村人を護ったり、作物を盗もうとする奴を取り締まったり、戦だからっていう理由だけで村を蹂躙しようとするKYな武人エルフをぶちのめしたりするうち、なんだか騎士になっちゃってたひと。そして、どっかの誰かさんと仲良かった数少ない(本当に数少ない)心の広いエルフでもありました。誰かさんは真面目にこのひとに感謝すべき。
エルフの『騎士』についての設定は、ムーンライト様の拙作シリーズ参照。「りらのぼーなすとらっく。」にアホっぽいノリで載せてあります。




