風の行き先
風が吹く。
温かで優しい微風が。
髪を靡かせる強風が。
寒々しい木枯らしが。
煽るつむじ風が。
すべてを粉砕する嵐が。
風が、吹く。
「ふう」
刈り終えた作物を前に、少女は満足気に嘆息した。
「終了しました。そろそろ戻りましょう」
うず高く詰まれた稲穂、それを小分けにして縛り、柵に被せていく。秋の晴天下で穂の色彩が鮮やかに映えた。
「今年も豊作ですね」
こどもにしては似つかわしくない慣れた手つきで、どんどん稲穂を干してゆく。狭い田であるが収穫量からして膨大なのに、後半になっても疲れた様子ではなかった。
「早めにお餅を作って持ってゆけば、疾白伯父にも喜んでいただけるでしょう」
独り言を洩らす少女の頬が、ほんの少し紅潮した。野良仕事が堂に入っている割には日に焼けた風情でない白い頬、その横の尖った耳もうっすらと染まる。
「……旋黒も喜ぶかな」
二股に分かれた稲穂の束を点検しながら、少女は秋空を見上げる。澄み渡った快晴と頬を撫でる涼風が心地よい。
全部を干し終わってから、飛び出ていた藁をぷつん、と切る。全部で四つ。硬く結び目を作って、それを天に高く掲げてから手を離した。
(風よ、)
呼びかける。心の中で、身体の中で。身の内にあるもの、外にあるものすべてに。
(風よ、これを運んで。大切な人たちのもとへ)
すると、凪いだ涼風は部分的に強風へと変化した。
ひゅおうっ
少女の手から離れた藁結びは、四つの方角へ飛んでいった。風に乗って。
◇
「僕が思うに、青嵐はやはり留学させるべきだ」
「いや、青嵐はまだ十五にもなってない。早すぎるよ」
「そう言って、ずっと留学させない気だろう、青風。父親として娘が可愛いのはわかるが、あまり甘やかしてもいけない。可愛い我が子には旅をさせろというだろう?」
「そうだけどさ……」
顔と体格はよく似ているが、性質はあまり似ていない兄弟。彼らを称するとしたらそんな案配だろう。
「僕だって可愛い姪っ子と離れるのは寂しい。だが、そういったものを超越しなければあの子のためにはならない」
小さな田舎地方を治める領主であるが、都でも一、二を争うほどの俊才と称えられた男は太い腕を組む。若い頃は彼自身、様々な箇所に脚を運んで見聞を広め、知識や経験を貯えて故郷に戻ってきたのだ。バイタリティのある気質と押し出しの強い見かけや実際の行動力は周囲の期待に違わず、田舎ながら名領主として知られている。
「特に、あの子は――青嵐は特殊だ。先祖に妖精の血を引くもの同士が結ばれ、生まれた子供は稀にだが完全に妖精の形状で生まれる場合がある。青嵐の成長速度は人間と同等のようだが、身体的な強さと持ちうる能力はもはや人間の域ではない。それはわかっているだろう」
「う、ん。見かけは嵐瑛に似ているけど、嵐瑛よりずっと身体も力も強い。それは、わかってるんだけどさ」
領主の眼前で大きな身体を俯かせるのは、彼の実弟である。顔立ちも体格も厳ついのに、内面は控えめでとても心優しい。そういった事情もあり、領主の後継者争いから自ら身を引いたのだ。彼のこういった性質はすぐ上の兄と相性がいいらしく、性質が正反対な割りに昔から仲は悪くなかった。
「でも、白兄。俺はやっぱり反対だよ。あの子はまだ小さいんだ。留学はもう少し身体が出来てからでいい」
「青風。本当にそう思っているのか?」
兄からの鋭い指摘に、弟の身体がびくりとなる。続いて目が泳いだところを見ると、想像通りのようだ。まったく、昔から嘘がつけない弟である。
「――まあ、お前の気持ちもわかる。僕だって旋黒と朔紫がいっぺんに家を出ていくとしたら、さすがに寂しくてたまらなくなるだろうな」
領主には二人の息子がいるのだ。そして彼の弟には一人の娘がいる。特に、ほぼ同年代のいとこ達は親同士の交流もあって仲が良かった。
「でも、それとこれとは話が別だ。青嵐は僕の子供たちと違って只人じゃない。それは親である青風が一番良く識っているはずだ」
「……」
「あの子は、こんな田舎地方で世界を終えていい子じゃない」
「……」
弟は無言であったが、兄にはわかっていた。
「どうしても辛いというなら、今すぐ決断しなくともいい。だが、あの子が望むときは引き止めたりしてはいけない。わかっているな?」
兄の言いたいことも、弟にはわかっていた。
「…………うん、わかってる。俺も、心構えをしとかなくちゃな」
厳つい顔を泣きそうに歪めてそう搾り出した弟に、兄は優しく肩を叩いてやった。小さい頃から変わらない仕草で。
◇
細い女の手が低い枝の隙間に分け入って、その間にある果実を切り離していく。そして腰に付けてある籠にぽとんぽとんと収穫した分を落としていった。
「はい」
ある程度いっぱいになったところで畑の脇につけてある台車に乗せる。手伝ってくれるのは歳若い少年である。
「嵐瑛叔母さん、ちょっと休んだら? あとはオレがやっておくから」
「ありがと、旋黒くん。でも疲れてはいないし、もう少しで終わるから最後までやっちゃう」
「わかった」
繊細に整った顔を頷かせ、少年は収穫した果実をより分ける作業を続行した。領主の長男坊であるのに時間を見つけてはこうしてしがない百姓の家までやってきて、進んで農作業を手伝ってくれる。行動力と根気が同居している辺り、外見は父親に似ていないのに、内面はとても似ていると思う。どこかの誰かさんも外見が似ているこの甥っ子の如く、中身も良かったら完璧だったのになと感じる。今やどうでもいいことだが。
「ふう」
一段落ついてから台車のところにまた戻り、地道な作業をしている彼の近くで嵐瑛も果実を手に取る。今年も無事台風を乗り切れたし、実りも良い。
「そういえば旋黒くん、青嵐とは逢った? なんだか朝から話したがってから」
「え、青嵐が、オレに?」
ぽ、と美少年の頬が染まる。こういった素直さと純情さは実父には似ていない。伯父にも似ていない。叔父には似ているが。
「なんだろう」
「う~ん、わからないけど。でも、大切なことだったら青嵐から逢いにいくと思うから。一応言っておくわね」
「わ、わかった」
もじもじ、と手にしている果物を意味無く弄くる甥っ子。恋する少年は見ていて微笑ましい。大量にある収穫物が一個くらい駄目になってもまあいいか、という気分になる。
◆
「父さん、母さん。自分は望みがあるのです」
「え? 何、青嵐」
「……言ってごらん」
「東大陸にて、腕の良い霊力使いが存在していると聞きました。なんでも、かのもとでお目にかなったものは無料で霊力行使を学べるとのことです」
「……そう」
「……」
「自分は、政府が認める霊法師となりたいのです。世間に知られる霊法師となれば、吉兆の証としてどの州でも歓待され、多くの行使権を得られることとなります」
「……」
「……」
「なので、今よりもっと霊力行使を上達させたいのです。東大陸の霊力使いの下にて修行し、果てはこの国一番の霊法師として知られる存在になりたいと思っています」
「……そうね。それが青嵐の小さい頃からの夢だった」
「……」
「なので、父さん、母さん。自分を東大陸の冬桜国に、留学させていただけないでしょうか」
「……その分だと、細かな計画も立ててあるんでしょ」
「……」
「はい。渡航費用及び生活費は疾白伯父に出していただけることになりました。出世払いだそうです。向こうに着いてからの宿泊場所も疾白伯父が学徒時代に使っていた場所をそのまま使わせていただけることになりました。留学証明の後見人にもなってくださいました」
「……疾白さんも用意周到ね」
「……」
「なので、我が家の家計には打撃は一切与えられません。どうか保護者として留学を許可していただきたいのです」
「……あたしとしては、何も言うことはないわ。そこまで計画してるんなら、青嵐の好きにすればいいと思う」
「――」
「――父さん、」
「青風、」
「…………青嵐」
何年かかってもいい。好きなだけ学べばいい。
ただ。
「必ず、戻っておいで。健やかに、過ごしておくれ。父さんが望むのは、それだけだ」
「……はい……!」
◆
「旋黒、そういうことだから。自分は東大陸にちょっと行ってくる。……それまで、元気にしててね」
「――」
「旋黒?」
「なんで、青嵐はいつも勝手に決めちゃうんだ。オレに一言も相談無しに」
「……ごめん」
「でも、青嵐は昔からそうだよな。叔父貴と嵐瑛叔母さんの役に立ちたいってそればっかりだもんな。霊法師になるっても、それが少しでも家業と家計の役に立てればいいってだけの話だろ」
「……」
「すごく、すごくすごく言いたいことはあるけどさ。でも、我慢する。青嵐が帰ってきて霊法師になってから言ってやる。それまで、我慢してやるよ」
「旋黒」
「行ってこい、青嵐。土産、楽しみにしてる」
「――うん」
ありがとう、旋黒。
◇ ◆ ◇
風が吹く。
温かで優しい微風が。
髪を靡かせる強風が。
寒々しい木枯らしが。
煽るつむじ風が。
すべてを粉砕する嵐が。
風が、吹く。
やむことなく。思いのままに。感じるままに。
終着点など、考えもせずに。
しかし、行き先は案外と、定まっているのかもしれない。
疾白・・・青風の兄で、先代領主の次男坊。只の人間だけどとっても優秀。やや我は強いが理解力のある素敵なおじさまである。
旋黒・・・年は青嵐の一コ下。疾白の長男。優秀さは父似で、女性に対する態度的なものは叔父似。ついでに外見はいなくなったほうの伯父似。つまり旋黒くんは少女漫画的なハイパースペック少年なのである。出●杉くんかよってくらいに。




