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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第一章
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挿入閑話・ある天使の決心


 エルヴィンは天使である。

 階級は下から数えたほうが早いほど低いものではあるが、そんじょそこらの天使とは一味も二味も違う、と自負している。なんせ、この広い天界において、部分的にではあるが、中層から下層までの巡察及び警護を任されているのだ。しかも主天使様直々に命じられた役割ときた。これはうぬぼれでもなんでもなく、この身における能力を買ってのことだと理解している。

 ゆえに、己の役割についても一定以上の誇りを持っている。任されてからの六十年と少し、それなりに苦労もしてきた。低位の天使がするにしてはきつい仕事だ。中々出来ないものだともわかっている。層の隅から隅まで駆け巡り、空間の綻びを正し、不必要な諍いを鎮め、他界からの侵入者を取り締まり、怪我をした霊獣を保護する。地味且つ重労働ではあるが、やりがいはすこぶるあると言っていいだろう。いわば天界全体の治安を守っていることに繋がるのだから。


 そんな勤労実直な彼が遭遇した、ある事件。


 人界と天界下層を繋ぐ箇所が綻んでいる、と探知し早速付近へと向かった。そしてやはりというか、人界からの侵入者も発見した。そこまではいつものことだったのだが。

 いつものこと、そう割り切れなかったのはその出来事があまりに自分の失態を感じさせる出来事だったから。

 あと数分でいい、もっと早くその場に到着していたら。

 今でも後悔している。


 自分がもっと早く翼を動かしていたら、あの仔は独りぼっちにはならなかっただろうに、と。


☆ ☆ ☆


「ちょ、落ち着けって!」

 がしゃん、とひどい音を立てエルヴィンの手にしていた器は砕け散った。下からひっくり返され、たまらず指を離してしまったのだ。中に入っていた液体も器の欠片と共に飛び散り、あっという間に床にぶちまけられる。

(ああああ勿体無い、貴重な霊梓の果汁がっ)

 生来貧乏性のエルヴィンは内心で絶叫した。せっかく手間をかけて手に入れたというに、それが一瞬で駄目になったのだ。

(……仕方ないか)

 エルヴィンは溜息をついて悪態を押し殺した。器をひっくり返した張本人――いや、獣は、フーフーと鼻息を荒げながら彼をにらみつけてくる。つい昨日、目を覚ましてからずっとこの調子なのだ。

「大丈夫だ、もうここは安全だから落ち着け、な?」

 宥めようとする、しかし伸ばした手を角で叩かれ拒絶される。

「った」

 それだけではない、いきなり突進してきた。

「うわあっ、やめろって!!」

 ばきり、どすん。

 身軽さにものを言わせ、間一髪で避けたが背後の壁は優美で鋭利な角の餌食となった。

(おいおい、もう少し硬い造りだったら折れちまうぞ、角)

 突き刺さった角を無理矢理引き抜き、またこちらに突進しようと構える姿に眩暈がした。この仔の精神は今錯乱状態にあり、周りも自分も見えていない。

 無理もないだろう。それほどの目にあったのだから。


 人界からの侵入者。それによって密漁されようとした霊獣。


 自分にとってはありきたりな事件である。同じ類の事例なら山ほど遭遇してきた、なにせそれを取り締まり解決するのが自分の仕事であるし。

 しかし、今回は多少特別だ。というか、己の役割に誇りを持っているからこそ、責任を感じている。だから特例として自宅まで連れて帰ったのだ、この哀れな獣の仔を。

 この仔は、親を殺されてしまった。

 状況からして、恐らく親は我が仔を庇ったのだろう。立ちすくむ仔どもとその足元に倒れ付す息絶えたばかりの獣、それを見たときなんともいえない思い、そして己に対する舌打ちで息も詰まるばかりだった。

 もっと早く到着していれば。

 いや、そもそももっと早く空間の綻びを探知していれば、このような事態にならなかったはずだ。これはもしかしなくとも、おのれの立派な失態である。

 だから、決めたのだ。


☆ ☆ ☆


 あの日。

 侵入者及び密猟者を昏倒させ、記憶の抹消をする。一息ついて状況を軽く整理し、思念を飛ばしてここらの管理者へ処理を任せながら、残された霊獣の仔を保護しようと手を伸ばした。しかしその手を拒絶するように威嚇し、必死で親の遺体を庇いこちらを睨み付けるその姿を見たとき、エルヴィンの中で意思は固まったのだ。


 身体中をいからせて、見るもの全てに敵意を向けて。

 この美しい獣に、そんな感情を抱かせた原因の一端は、確かにおのれにあるのだ。

(ごめん――俺がもっと早く行動できていれば、きみにこんな思いをさせることも無かったんだ)


 エルヴィンは腹を決めた。この仔は、自分が責任をもってなんとかしよう。


 決断してからのエルヴィンの行動は素早かった。彼の主たる大天使が見込んで任せたかの役割、その理由はこの判断の早さと敏捷性、そして適応能力にある。まるで息をするように淡々と、エルヴィンはこの日常たる出来事を非日常たる出来事に変える決心をしたのである。

 霊力を飛ばし、微塵の迷いも無く仔どもの意識を失わせる。放っておけば血の匂いに興奮したまま、内在霊気が尽きるまで立ち往生していただろう。

 天界における霊獣は、人型の精霊族と変わらない知性と高い矜持、そして獣ゆえの凶暴性を持つ。霊気が尽きれば待っているのは死か、理性を失くした魔獣となるかのどちらかだ。この仔の一族は誇り高いことでも知られる、そのような末路は誰も望まない。

(あとは)

 音も無く崩れ落ちる獣の仔と、その近くに横たわる親の遺体を霊気の膜で包み込み、浮遊させる。彼ら二頭とも割合小柄で軽量だったのが幸いだった。背の翼を広げ、自分も飛び上がりながらこれからの算段を重ねた。ちなみに頭の中だけで考えているつもりでついつい口に出して確認してしまうのは、彼の癖である。

「霊獣の埋葬は自然に任すのが礼儀っつってもしかるべきところで弔う必要があるな、出来ればはっきりわかるところ、墓標みたいなものがあればこの仔にとっても解りやすいだろうし……一週間……いや、一ヶ月以上か休暇の必要性は。仕事はサリアに任せる、うん、それでいい。一月くらいならなんとかなるだろうし」

 ぶつぶつと呟きながら、真白な翼が羽ばたき宙を舞う。

 陽光の向きが鋭角になった頃、やっと天界中層にある自宅に帰り着いた。決して小さくない荷物を抱えていたせいでだいぶ疲労してはいたが、活を入れてもう一仕事。

 癒しの霊力で包んだ仔どもを藁束で急ごしらえした寝床に寝かせ、一息つく間も無く親の遺体を「弔い」に行く。天使仲間に仕事の代役を頼んでからぐるりとそこらを巡察、再度自宅に帰ってきた時はさすがに日はとっぷり暮れていた。

(やれやれ)

 酷使した翼をよろよろと畳みながら、エルヴィンは眠ったままの獣の傍に疲れきった身体を横たわらせる。疲労困憊の翼に癒しの霊力が、正しく言うならそのおこぼれが纏わりついて心地よかった。精神安定の作用がある香草藁もふわりと香る。

(……そういやこの仔、いくつぐらいかな。独り立ちが終わりそうだから生まれてから三十数年から四十年ぐらいは経ってそうだけど)

 霊力と香草の影響か、幾分和らいだ表情で眠る獣を見つめながら、エルヴィンはそんなことを考える。やがてうつらうつらとし始め、彼もまた浅い眠りについた。

 ちなみに、うなされた獣の仔に噛みつかれ、悲鳴と共に目覚めることになるのはこの五時間後のことである。


☆ ☆ ☆


 台無しになった器の残骸を片付け、ぼろぼろになった壁を全部修復し終えた頃には、既に夜半となっていた。

 疲れきって糸が切れたように眠り込む霊獣の仔、その身体を起こさないよう手当てしながら、エルヴィンはもう一度溜息をついた。だいぶ骨が折れたが食物は口にしてくれそうだ。混乱状態にある精神が癒えるには、もう少し時間がかかりそうだが。

 身体を丹念に拭きながら、静かにその姿を見つめる。


 少しやつれてはいるが、何度見ても美しい獣だ。滑らかな体表と長く伸びた角、豊かな鬣にしなやかで強靭な脚を持つ霊獣――麒麟きりん


 麒麟は麒麟でも、手綱のように後ろに伸びた角と鞍のような背の皮の厚さから察するに、「イヴァ」と称される特別種である。通常ならば生息地は良質の果物が自生する中層以上、しかも群れで生活するはずのイヴァがなぜ二頭だけで下層にいたのか、そこらへんの詳細は不明ではあるが。

(問題は、これからか)

 体長は一般的な雌の麒麟程度には成長している。とはいえ、角の大きさからして雄であるのでまだまだ大きくなるだろう。ふとした物腰や雰囲気からして年齢的にもまだ仔どものはずだ。親の元から離れ、独り立ちするにあと数年必要といったところか。それなのに。

(あんな形で失うなんて、なあ)

 不幸としか言いようが無い。

(だったら、せめて)

 せめてこの仔が、自分で生きてゆけるまで。

「出来る限り、手助けするから。だから一緒に頑張ろう、な?」

 己の失態に対する悔恨とこの仔に対する憐憫、そして仔を庇って死んだかの獣に対する誓いの意味もこめて、エルヴィンはそっと呟く。

 かの眦からつうっと垂れた泪が、緑の鬣を伝って落ちる様子がかなしく美しかった。


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