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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第二章
20/127


 天は至極広い場所だ。


 我ら一族の脚を以って駆け回っても、果ては到底見えない。それは群れにいた頃から感じていたことだ。ひとけりで脚力の許す限りどこまでも征ける我らであるが、その脚を以ってしても先はわからない。下層なら目処がつくが、中層から上層となると到底把握しきれぬほど、天という界は広大なのである。

 ただ、紅色の貴婦の言を信じるならば、中層に限るならそう広すぎるというわけではない。下層の百と十倍なら、まだ駆ける目処はつく。時間はかかるが。

 そして、その中層には下層には無いものが沢山ある。例えば、我ら一族の群れがいくつか点在しているのと同様に、高い知能と身体能力を持つ天の獣が多く棲んでいるのだ。生息場所はおろか、活動時間や生態なども異なる様々な種が中層に存在している。

 群れで暮らしていた頃は、そういった知識を養父どのや先輩の雄らに授けてもらいながら過ごしていた。そうして幾頭かの同族及び草食系の獣には逢ったが、あまり幅の広い出逢いというわけではなかった。基本的に群れ行動が主だったので、真の意味で危険と称される場所には行くことが無かったし活動時間も狭められていたから。何より仔どもがそういった無茶をするのを養母どのが赦さなかったからだ。

 しかし今。ただの一頭の獣となった我輩は、それゆえ新たな出逢いをする。


● ○ ●


 満月である。皓々と月明かりが闇夜を照らす、晴れた夜であった。


 かの獣は、銀狼と呼ばれる。

「なんだ、迷仔の小童かと思ったが……そうじゃなさそうだな」

 全長は我輩よりやや小さめ程度の、肉食獣だ。表面の毛皮が波打つたびに月明かりを反射してちろちろと光る。知っている、先ほどまでかの銀色は黒色をしていた。この獣の特徴として、夜は黒く擬態するのだ。獲物を狩りやすいように。

「なんでこんな夜半の外れにイヴァが一頭だけなのか。聞いても野暮だな」

 灰色の双眸がこちらの姿を映している。しなやかな立ち姿には、隙の一切が見当たらない。滔々と喋ってはいるが、こちらが気を抜いた瞬間に飛び掛られるだろう。

「……」

 我輩は素早く考えをめぐらす。夜中につい不用意に歩き回っていたのが悪かった。知らぬ間に、銀狼の活動時間になっていた。そして周囲に隠れる場所の無い危険地帯に脚を踏み入れてしまったのだ。我輩自身の失策だった。

(活路を。一瞬でいい、奴が隙を見せればその瞬間に地を蹴れる)

 平静を装ってはいるが内心で今までに無い危機を感じていた。この獣は、相当の実力者だということを本能が囁きかける。

「ふん。独り立ち済みとはいえ小童は小童だな」

 銀狼のしなやかな身体がこちらへ跳躍するように構えられる。むき出しになった牙。ぐ、と蹄に力が入った。

(逃げられぬか)

 覚悟を決めて、頭を低くし――放電している角を構える。ここで我輩は死ぬわけにはいかない。

「んん?」

 と、銀狼の表情が変わった。牙がおさめられ、跳躍のために溜めていた後足からふと力が抜ける。

「小童、お前……」

 空気が変わったのを感じたが、我輩は隙を見せることなく角を向け続けた。

「麒麟のくせに、闘おうとしているのか。――珍しい奴だな」

 いつしか、放電していた角はおさまっていた。



「実のところ腹はそんなに空いてない。昨日食ったばかりだからな」

 天における肉食系の獣は、草食系と違って非常に燃費が良い。一度必要栄養を摂れば数日は水のみで生きられるのだそうだ。

「……」

「まあそんなに警戒するなよ。無理か」

「……」

 この狼の真意がつかめない。いきなり殺気もおさまっているし、相変わらず滔々と喋り続けているし。

「俺はアズイという。お前の名は?」

「……」

「ああそうか、普通は固有名なんざ持ってないか」

 聞いたことがある、銀狼などの外見特徴が均一化している獣は、獣にしては珍しく固有の呼び名を持っているのだと。そうして簡単な個の識別を図っているのだと。

「どうでもいいが、そろそろ角を下げとけ。警戒したくなる気持ちはわからなくも無いが、あまり敵意を持続させるのもお前の種にとってはきついだろう」

 ほら、俺はもうお前を食う気はないから。そう言って銀色の狼は背を向ける。なんだか気が抜けてしまい、言われた通りに構えていた角を元の位置に戻す。彼の言う通り、その黒色に擬態していない後ろ姿に不意打ち要素は皆無であったし、こういった感情及び行動意図は我ら一族の本意とするものではないからだ。

 それでも最低限の警戒は怠らず、距離は取る。肉食種を前にした草食種の当然の行動でもある。

 そんな我輩に構わず、滔々と喋り続ける銀狼。

「それにしてもお前は変わったイヴァだな。麒麟のくせに好戦的だなんて、そうはいない」

「……」

「麒麟は食ったことは無いが、相当美味いって聞いたな。俺もいつか食いたい」

「……」

 やっぱり、角を構えた。

「ああ、言葉のアヤって奴だ、気にするな。今は食う気が無いから」

「……」

 とことこ、と少し進んでから銀色の狼は首だけで振り返り、瞳を細めた。

「俺は見ての通り喋るのが好きなんだ。少しでも言葉を受け止めてくれる存在がいるだけで、嬉しかった」

 銀狼は、行動域が幅広くひとどころに留まっていない。場所はおろか、活動時間も夜半だったり早朝だったり夕刻だったりと様々だ。そして、棲息形態も定まっていない。我ら一族のような小規模の群れで過ごす場合もあれば、つがいだけで行動する場合もあり、そしてこの狼のように一頭だけで狩りをおこなう場合もあるのだ。

「……」

 銀狼が去ったあと、我輩は少しその場に佇んで考えていた。我ら同様、肉食種の獣にも様々な性質持つ輩がいるのだと。



 かの一匹狼には、それから幾度となく逢った。不思議な縁であった。群れにいたままであったら、恐らく終生出逢うことなど無かったろうに。

 今はこうして、何かというと鉢合わせする間柄になってしまった。

「よう。また逢ったな」

 銀色の毛並みは月明かりの下で非常に映える。もしかしたら、我ら一族の鬣と似たように重要視される部位なのかもしれない。筋肉の脈打つままにしなやかに動く体表は、肉食種ということを除けば至極鑑賞に値する。

「今宵は半月だが、良い夜だと思うだろう? 空気が澄んでいる」

 狼の灰色の瞳が中空を仰ぐ。

「俺ら一族が吼えたくなるのは満月だが、こんな夜も悪くは無い。話し相手にも出逢えるし、な」

「……」

 勝手に話し相手にされているのは、正直迷惑だ。だって相手は気を抜けば襲い掛かられる肉食種だし。

「そんな顔するなって。わかった、わかった。お前はもう食わないよ。その証拠にお前の前ではずっとこの色でいてやるから」

 だから、俺の話し相手になってくれないか。

「……」

 なんとも反応しがたい。けれど、かの獣の双眸は嘘は言っていなかった。そして銀色の体毛は見ているだけなら至極目の保養になるとわかったので、取り敢えず角を構えるのだけは止めてやった。



 ちょっとした事件が起きたのは、かの狼に出逢った最初の晩から十年は過ぎた辺りだろうか。

「よ、う。ひさしぶり、だな」

 数ヶ月ぶりに月明かりの下で再会した狼は、至極弱っていた。

「先週、崖から、落ちてな。打ち所が、わるかったらしい」

 よろよろと、銀色の体躯は我輩の前に蹲る。呼吸が荒く、血の匂いもわずかにした。あばらが浮き出ており、常ならば美しい毛並みも荒れている。そのような隙だらけの有様で、それでもここに来たのは何ゆえなのだ。

「おれは、家族も友もいないからな。……お前のような、そんざいは、ほんとうに嬉しかった」

 また勝手に決められている。

「だが、今宵で、それももう、おわりだ。おれは、もうすぐ死ぬ、から」

 近寄るなよ、と銀色の狼は微笑んだ。俺は今、猛烈に腹が減っている肉食種なんだから。

「さいごに……お前に、つたえたかった。話し相手に、なってくれて、ありが……」

 言葉が途切れ、どうっと銀色の狼は地に横たわった。



「……」

「――」

「……どうして、だ」

「――」

「どうして、おれを、たすけようとする」

「喋るな」


 苦労してぼろぼろの巨躯を背中に乗せたのだ。護りの霞を応用させた癒しの霊力で最低限の怪我を回復させ、我輩は銀狼を運んでいた。血の匂いに内在霊気が負荷を訴えるが、根性で四肢を動かす。天使の我が友ならば、もっと良い手当てを施してくれるだろう。


「お前、きりん、だろうが。この匂い、きつい、だろうに」

「喋るなと言った」

「……でも、どうして、」

「友を助けようとして何が悪い」

「……」


 ほろり、と鬣に滴った泪には、気づかない振りをしてやった。



 それから、かの銀狼はまたもちょくちょく我輩の前に現れるようになった。

「よう、緑の。今宵もいい月が出ているな」

 月明かりに皓々と照らされる、美しい銀色。いつからだろう、彼が我輩の前にこうして現れるとき、直前に食事を済ましてきたとてまったく血の匂いをさせなくなったのは。見掛けよりも気の優しいこの狼は、中層にて狩りをおこなうことをしなくなった。きっと我輩と同族のものを襲うことを諦めたと共に、我輩の前で流血沙汰を起こすのを防ぐためなのであろう。最近は下層にて食事を済ませているようだ。そのお陰で、知り合いも増えたとのこと。

「そういえば、下層にまた妖精が越してきたみたいだぜ。騎者を探しているなら会って損は無いはずだ」

「わかった」

 彼は肉食種であり、本来なら我輩とは相容れぬ存在だ。しかし。

「けどな、緑の。妖精の女が綺麗だからって余計なちょっかいは出すなよ」

「銀のはその雌に惚れているのか」

「な、そんなわけあるか。だってあいつは二本足だ、ちょっとくらい良い匂いがするからって他種族にそんな簡単に惚れるわけ……」

「わかったわかった」

 友というものに、種族は関係が無いのだ。そのことを改めて感じる。


○ ● ○


 天における自然現象は、最上層におわす始祖霊獣が動くことにより齎されるという。


 数多の自然現象。その中でも、目に見えて美しいのが天虹あまつにじと称される天の虹だ。見るものによって異なる色彩と形状を持つ、雨の通り跡。最上層にて演舞するとある始祖霊獣がもたらしているのだそうだ。

 かの始祖霊獣は、虹蛇という。そして同様の名を持つ末裔たる一族が、天のあちらこちらに棲んでいる。


「緑のイヴァ様、ご機嫌うるわしゅうございます」

「久方ぶりだな、小さき蛇よ」


 しゅるん、と我輩の目の前の樹木の枝に巻きつき、挨拶をしてくるのは小さな蛇である。鱗の表面がきらきらと複雑な色に光る、虹蛇の雌だ。

「昨夜の雨はいかがでしたか」

「うむ、至極恵雨であった。さすがは虹なる蛇の一族が雨乞いである」

 虹蛇の特殊能力として、天の雨乞いというものがある。例え一匹でも、その場で最上層におわす始祖霊獣に直接雨を降らして欲しいと乞えるのだ。局地的にだが、かなりの確立で恵雨がもたらされる。

「それは僥倖でございます。わたくしどもの力が、お役に立てて」

 きらきらきら、と虹蛇の鱗が朝陽に瞬いた。成りは小さいが、このものも至極美しい動物だ。

「そろそろ戻りますね、南沼の霊亀様の甲羅を掃除しなければなりません」

「うむ」

 虹蛇は細い身体をくねらせ、樹木を伝って地面へと降りる。そしてふわりと空気に溶け消えた。小さくか細いその身体は、我輩らと違って適応力が高い。筋力も霊力も無いに等しいのにこうした擬態能力は凄まじいほどに優れている。外殻の色を薄くさせほぼ透明の状態で移動することが可能なのだ。攻撃性は皆無なのに順応性が凄まじく、生態も他種族と共存することを前提に発達してきた一族なのだ。

 我らと違う種であるが、身の内のつくりは同じであるのに。

(本当に、天は広き場所なのだ)

 つくづく、思う。



 虹蛇の順応性は多岐に渡る。前述の雨乞いや擬態能力をはじめ、四肢を持っていないというに移動も素早いし動作も俊敏だ。そして何より、性質が穏やかで友好的なのである。

「緑のイヴァ様、南沼の霊亀様より贈り物でございます」

 虹蛇の小さな口に携えられていたのは、湿地帯に自生する稀少な苔付きの石だった。

「水輝苔です。飲み水に浸せば、汚物を吸い取ってくれます」

「感謝する、と伝えて欲しい」

「はい」

 土産を受け取りながら、我輩は言い添える。

「そして、我輩を気遣い偉大な霊亀どのに紹介してくれた優しき虹蛇どのにも、感謝を申し伝える」

 角を下げると、彼女の鱗はぱあっと薄紅色に染まった。

「……め、滅相もございません」

 我が友もそうであるが、感情が駄々漏れな相手と接するのは割かし快い。




 素直でいて心優しい虹蛇の友人が、ふと元気を失くし始めた頃があった。

「虹蛇どの、近頃は食物をとっているか。痩せてきたのではないか」

 至極心配してそう問うと、鱗を力無く光らせながら彼女は言った。

「ご心配をおかけしております、けれどわたくしは大丈夫です」

 大丈夫なわけなかろうに。その思いで見下ろすと、小さな蛇はそっとそのわけを語った。

「最近、わが身に余る出来事が起きたのです」


 虹蛇という生き物は、天における雨乞いと友情の象徴だ。特殊な能力とその性質から、古来より他霊獣と共存して生活してきた。

「南沼の霊亀様のご紹介で、新たなおつとめをさせていただくことになったのです」

 彼女が最近引き受けた、新たな仕事。それはとある霊獣の子守であった。

「生まれたばかりのお子様はとてもかわいらしくて。わたくしも、不肖なりに精一杯おつとめさせていただいておりました」

 しかし、問題が生じた。

「成長なさったお子様は……その、わたくしに、つがいになって欲しいと、連日のように頼み込んでこられるのです」

 彼女は悩んだ。かの霊獣は彼女とは似ても似つかぬ別種族で、しかも実力差が著しい。中身は勿論、姿かたちからしてまったく別のものなのに、なぜ彼は自分に求愛してくるのか。

「きっと生まれてからの刷り込み要素が含まれた、一時的感情なのですと申したら……彼は怒ってしまわれて、」

 小さな蛇の鱗が、気落ちしたように明滅する。

「わたくしに、何ができましょう。偉大な力持つ彼と違ってわたくしなど只の矮小な蛇。なのに、どうして彼はわたくしをつがいに求むのでしょう」

「……」

「幼生からの刷り込みが影響大きいこと、存じております。それにもう彼は立派な成体となられているさなか。ゆえに、わたくしの役割はもはや終わりました。……どうやら嫌われてしまい、ましたし」

 このまま、彼に気づかれないうちに去るのが良策ですね。そう弱々しく微笑む彼女に、我輩は言った。

「ひとつ、聞きたいのだが」

「……何でございましょう」

「虹蛇どのは、かのものを好いておられるのか」

「……」

 小さき蛇は、沈黙した。しかし、その鱗が何よりも雄弁に語っていた。



 後日、風の噂で聞いたことである。


 天の中層でも有数の深山。そこに棲む獣は多岐に渡るが、一番奥に名物とも云われるものが棲んでいる。それが天全体においても稀少な鳥・鳳凰である。

 生まれてからすぐにつがいを定め、終生共に寄り添うことで知られるかの生き物であるが、そこに新たなつがいが誕生したのだそうだ。それも、久しく無いほど珍しい組み合わせの。


 鳳凰側が求愛し、相手が受諾するとその瞬間からそのものは「鳳凰」のすがたを得る。


 最近生まれた新たな鳳凰のつがいは、雌の方が元々鳳凰でない種だったそうだ。小さな蛇のかたちも取れるその雌は、永い鳳凰の歴史の中でも有数の珍しい相手であった。

 あれから虹蛇の友には滅多なことでは逢えなくなったが、それでも我輩は満足していた。

(人界の言葉でなんと言ったか……そうそう、)

「便りが無いのは元気な証拠、か」

 風の噂と一緒に漂ってくる静かな気配。それが何よりも証明していた、彼女は幸せになれたのだと。


 天の空には今日も、虹蛇の乱舞が美しい雨の通り道を描いている。




アズイ・・・生まれてから九十年程度の銀狼。一匹狼なくせに割と陽気でお喋り、寂しがりや。下層で出逢ったエルフのおなごにアタック中。でもちょっと抜けてるので人型に変化することを忘れている。なのでまだ異性として意識されてないっぽいぞ!がんばれ!!


ミルリアナ・・・生まれてから百五十年ぐらいの虹蛇。彼女の控えめな性格は一族においては普通。むしろ鳳凰のつがいになっちまって皆がびっくりした。旦那は嫉妬深いから他の雄に逢わせてもらえなくなってちょっと寂しいけど、彼がいてくれるならいいやーと思ってる。なんだかんだで幸せなようだ。良かった良かった。



いつ消えるかわからない拙作ですが、読んでくださっている方々に心から感謝を申し上げます。

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