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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第十二章
124/127


 現状、天の中層には我が一族の群れが合わせて四つほど存在している。


 先ず最大規模を誇る、北渓谷が群れ。属している者らは最多、縄張りも広大で冬季は長く険しい寒さと降雪が襲うが、その分春季の恵みは豊かで天敵も少ないらしい。


 次に南西の砂地、人界で言う砂漠と似た箇所に棲む群れ。我らが「イヴァ」最古の群れとも称されており、受け継がれてきた代々の縄張りは一万年を優に超えるという。


 続いて北東に在る大きな水場を拠点とする群れ。水源豊かなその地は半分近くが湿地帯でもあり、棲まう者らは皆、身のこなしが軽いことでも知られる。ゆえに他の群れには無い特殊さもあるのだが、それは後程。


 そして最後に、南方の深森に潜む群れ。温暖な気候と豊か極まりない植物の恵み、それゆえ獣が隠れ棲むにうってつけの緑の楽園。

 ワカバの母御が故郷であり―――ワカバが本来、生まれ育つべきであった場所だ。



『わたし……まずそこに行きたい』

『我輩もそう、考えていた』

『うん』

 二頭で相談し、我らが初めに挨拶に向かうは南方が森の群れにすることにした。理由は多々あれど、やはり我らが一族の失踪事変が解決に向かったのは、その群れの出身者が奮闘したからこそ。ワカバの母御ということを抜きにしても、かの雌に敬意を払い、そして――既に天使らが伝えてあるとはいえ――直接に謝辞を伝えたいと意見は一致した。

 何より。

『それがきっと、お母さまの願いだったと思うから』


――どうか、この仔を天に。我らが故郷に還してあげて。


 託された彼女の思いを、願いを。先ずは目に見えるかたちで叶えてやりたいと、我ら二頭共が心底より望んだゆえであった。


〇 〇 〇


 我が拠点の草原より三十里ほど南に進んだ先に在る深森は、足元を鋭き砥草とくさが、頭上を毒茨が囲う険しき場所である。それを更に数里越えた先、徐々に毒性の弱い柔らかな草木が増えてくる。恵みと命を運ぶ河川を基とした豊かな土壌、それを礎とした緑の楽園が本質を顕すのだ。糧の多さに伴い小動物が増え、木陰が密になれば小鳥も自在に飛び交う。其処に「イヴァ」らも棲まうというわけだ。

 我輩が元居た群れは十三と一頭。この群れは、我輩が憶えている限りで言えば、十七と三頭が属していた。天使の我が友の情報によれば、今もそう変わらぬ規模なはずである。


「これは久方ぶりのすがた。………何やら大きくなり、増えているな」


 我輩とワカバがかの領域を前にした直後、声がかかった。密に茂った木々のさなか、何処からともつかぬ場所からの発声。案の定、ワカバは慌てて獣首を動かしている。肉声は聴こえるのに、かの者が何処に居るのかわからないのだ。我輩の知る限り、この森でかのようなことが出来る者は只一頭しかいない。

「久方ぶりである、萌葱もえぎが雄よ」

「憶えが良いのは、変わらんな」

 さあ、と木立を風が吹きぬけた。我々の前方、斜め向かいから出でる、懐かしき気配。

「よくぞ来た。これも皆、我らが偉大なる始祖の導きか」

 含み笑いをしながら現れたのは、緑と青の中間をとった色合いの鬣持つ、やや年嵩の同族が雄である。ぴくり、と耳をひらめかせ、鬣と同色の瞳が追憶に瞬いた。

「こうして相まみえるのは――おおよそ百年ぶりだな、若き緑の。うん? もう少し経ったか?」

「うむ。数えで百と四十五年である」

「ほう。我も歳食うわけだ。かのわっぱが、ここまで大きく育って」

 この群れにおける、中堅よりも少し上の年長者。歳月の知見があり脚もよく動くゆえ、群れの縄張りである南方の森を朝方に見回るは彼の役目であったと記憶している。ただ、百年の歳月を越えるとさすがに代替わりはしていると思っていたが。

(変わらず、群れの皆に頼りにされているのだな)

「壮健であるようで、何よりだ」

「互いにな」

 我輩の体高が伸びたゆえ視線の位置が少々変わったことを除き、彼は外見も態度も昔とそう変わらない。ひとまずそのことに安堵しつつ、気になる点はあった。

「……その、耳は。かの事変でか」

「ん? ああ、これか。そうだ」

 先ほどひらめかせた彼の片耳は、通常のかたちをしていない。半ばほどで折れ、先端が欠けている。傷自体は完治しているようだが、百年前には見当たらなかった様だ。

「まあ、我も油断していたということよ。若き頃はもう少し自在に動けたものだがな……。さて、遅れて済まんな歳若き娘、ぬしがこの雄のつがいか?」

「は、はい! わたし、ワカバといいます!よろしくお願いします!」

 呆気に取られていたワカバは中途で話を振られ、慌てて角を下げた。一族の通識として、年長者の問いかけには迅速に応えるという年功序列の礼儀は共有している。ただ慣れていないので、今の今までどうすればよいのか迷っていたと見える。

 ちなみに出逢った者が同年代の場合、特に形式は無い。ただ他の群れへ訪れた場合は、齢関係無くその場における縄張りの所有者が会話の進行権を握る。決してこちらから割り込んではいけない。新参者はあくまで会話を赦される形で、挨拶が始まるのだ。

ってそれは正しいぞ。さすが我がつがい)

 脳内で彼女を誉めつつ励ましつつ、歳の離れた同族同士の会話を見守る。

「わかば?」

「あ、わたし人界育ちで……! 固有の名前が、あるんです」

「――ほう」

「そういうことだ。此れが我がつがいである。これから終ぞ、よろしく頼む」

「ああ。これから先、幾ばくも無い年寄りではあるがよしなに、若き緑が娘よ」

「はい!」

「否定はせんか。面白きおなごだな」

「す、すみません……!」

 緊張のあまり軽口にそのまま返応してしまったワカバが、角の根本まで恐縮したように慌てている。物慣れぬ我がつがいをあまりからかうな、と視線を送れば、萌葱色の鬣の隙間よりおどけた視線と声とが返ってきた。

「冗談だよ。……再三であるが、遠路はるばるよく来てくれたな、若き緑のつがいよ。さあ、我が群れへと案内しよう。着いてくるがいい」

「頼む」

「お願いします!」

 相まみえるのは久方ぶりであるが、昔からこの年長者の穏やかな物腰は変わらない。先ほどの出どころを悟らせぬ身のこなしといい、どんな者に対しても柔軟に対応してくれるという安心感がある。

 そして、今の我輩にとっても至極ありがたかった。



 新参者が迷わないよう、何より小さな歩幅でもついてこれるよう。道なき道を、同族の後に続いて進む。

(こうして天においてつがいではない同族と共に歩くのも、久方ぶりだ)

 前を征く年季の入った角は、まるでうねった蔦植物がそのまま硬化したかのように細く独特に伸びている。身のこなしも年長者にしては軽やかな辺り、長年の森での生活が窺えた。密なる木陰より注ぐわずかな陽光を照り返し、波のように揺らめく萌葱色の鬣。こうして木々の間を併歩するに、記憶よりもやや色は薄くなったか。

 萌葱色の波間より、穏やかな年長者の声が届く。

「しかし驚いたな。おぬし、いつの間につがいを得たのか。……おぬしのような朴念仁に添うてくれる心優しき雌がいたとは」

(何やらどこかで聞いた風評である)

「貴殿のつがいは。息災であられるか」

「最近はちと眼が弱ってな。主に水場の近くで仔らの世話をしている。おさの元へとゆけば、同時に逢えよう」

「左様か。……」

「まあ、誰しも歳を食ったというわけだ」

「……」

 彼は緩やかな歩を乱さず朗らかに話したが、我輩は薄らとその背景にあるものを察した。

―――ワカバと出逢う前、翼持つ我が親友が語っていた出来事。ワカバの母御が人界へ攫われる直前、起きた事変。


『群れの若い雄が幼生を連れて出かけていった食事場所で、上級の肉食種に襲われたらしい。なんとか全員逃げ延びられたけど、不運なことに何頭かが崖から転落してしまったんだって。しかもそこは中層南の深森が一端で、毒茨の群生地でもあった』

『それを助けるために群れから大規模な救助隊が派遣されてね。群れ自体が数日に渡ってばらばらとなったんだ』


―――彼の耳の負傷も、つがいが眼の不調も。恐らくは、かの事変が原因なのだろう。かの毒茨の群生地は、霊力が低い只の「イヴァ」にとって決して容易く抜けられる場所ではない。これは完全なる予測だが、恐慌状態に陥った若者らを引き連れて移動するに年長者は相当な苦労をしただろう。軽い口調で語ってはいるが、彼らのように後々に響くような怪我を負った者も少なくはない。まして、直後にかの失踪者が出て殊更、先行きが見通せぬ状況に陥ったはず。

 そして、失踪した彼女の顛末も。事が過ぎ去った後に異種族から齎されたであろう、無情な報せにも。

(よくぞ、この群れは耐えた)

 胸に詰まるものを押し隠し、前を征く雄に尋ねる。

「……皆は、群れ全体はどうだ。息災であるか?」

「はは、労わってくれるか若き緑の。そうとも、我々は力を合わせてかの試練を乗り越えた。乗り越えたと思えたのは、そうさ、かの事変では誰一頭も命を落とさなかったからだ」

「……」

「肉食種には誰も奪われなかった。毒茨にも、誰も喪わせなかった。……まあそれでも、一頭はこの群れよりいなくなってしまったが」

 木立の光に煌めく萌葱色の波。

「我らを敗者と思うか?」

「否」

「そうさ。我らは誰一頭として、けてはいない」

 振り返らず、軽やかに。躊躇いなく、朗らかに。

 前を征く偉大な歳上の獣は、先導する。未熟な若者が、迷わぬように。きっとあの時も、罪悪に震える歳若き者を励まし、不安に怯える幼生おさなごを護り、身体を張って導き続けたのだろう。

 現在いまのように。

「そうさ、若き緑の。長のつがい・・・・・以外、あの日から誰一頭も欠けていない」

 無言で追歩していた背後のワカバが、はっと息を飲む気配がした。――あらかじめ知らされていたとはいえ、あまり実感が無かったであろう前情報。それが真実であると、第三者の言の葉を以て漸く解ってきたのだ。

(そう、人界に攫われたワカバの母御は――群れ長の、つがいであった)

 ワカバの父御は、この深き森の主なのだ。

(ゆえに、)

「ゆえにな、若き緑のつがいらよ。ちゃんと我らは解っている。おぬしらが生きてこの森に来てくれた、それだけで、」

 視界が開けた。先ほどから徐々に大きくなっていた水音。濃くなっていた複数の気配。

 それに合わせるよう、背後の息遣いが動揺に震え、興奮と共に自然と駆け足となり。


「我らは勝者だ。ったのだよ」


 新緑は深緑を追い越し、萌葱の波をも越え、前方に開けた水場へと駆け出した。その正面、こちらを迎え入れるように立っていた者に、まるで突進してゆくかのように。

 かの獣の至近距離、ふと我に還ったかのように立ち止まり、新緑はこわごわと仰ぎ見る。己の眼前に居る、己と同じものを持つ相手に。

 白樺の角、若く淡い双葉の色が如く瑞々しく豊かな鬣。

 眼前の小さな雌と同じ色を宿したその獣は、よろこびに震える声で、優しく言った。


「おかえり―――我が、娘よ」


 新緑が、清らかな泉に満ち溢れる。声を上げて泣きながら、ワカバはようやく逢えた実の父親に角を擦りつけた。



「水なし、水……。水いらず、か」

 幾つかの蹄が水面を駆ける。追いかけるように湿った土が蹄痕に覆いかぶさる。楽し気な、笑いの思念。状況を言祝ぐ嘶き。

 幾ばくか、木々の道なき道を歩いたであろうか。我輩はふと立ち止まり、背後に獣首を巡らせた。

 深森の中、開けた水場は群れの憩いの場であり、多くの者の寝ぐらである。確認出来るだけでも十頭以上がそこに集っていた。群れの長である雄も、中心に居る。傍らには、彼の娘であるワカバも。

 生まれてより一度も逢ったことの無かった親仔は、その時間を埋め合うように何くれと話しては角を親し気に擦り合わせている。ワカバの新緑の瞳からは絶えずなみだが伝っていること、遠くより識別できた。身の内の霊気が震えるほど、歓喜と親愛がその様に溢れていた。それは彼女に相対する彼女の父親も同じで。

 今生の再会を果たした親仔の周りに、徐々に仲間らも集ってくる。最初は様子を窺いつつも、段々と躊躇いなく。疑う必要も無いほどに、この同じ鬣持つ二頭は血縁であることが知れたからだ。発されるものは暖かく慶びに満ちた空気。我輩が背表に括りつけていた多数の「土産」は、ほぼ無用だと知れた。

 そう。

(我輩が心配するようなことなど、微塵も無かった)

 少なくとも、この群れにおいては何も問題は無かった。起きる気配すらも無い。

(狡くもあるが、要はワカバさえ居れば良かったのだ)

 この深き森の主であり、群れ長であるかのひとが。そして彼の娘であるワカバが、その身ひとつ、だが全身全霊で証明しているのだから。己は、長の仔であるがゆえ仲間だと。無条件での庇護こそ当然であり、なんら疑う事実は無いと。何より。

(何よりその存在が、『彼女』の生きた証なのだ)

 あの日、人界の夕日に散ったうつくしき橙の雌が、命がけで護り切った魂。その結果が、ワカバの生存と帰郷なのだから。亡き彼女の望みを、生きている我々がこうして叶えることが出来たのだから。


(我らは――った)


 その言の葉を、反芻する。噛みしめる。蹄で大地を踏みしめるように、心身に沁みわたらせる。

 この想いは、決して異種族には解るまい。



萌葱の雄・・・南方の森の群れの偵察役というか斥候役というか、そんな古参のひと。青緑色の鬣とうねうねした細い角を持つ。実は群れの中でも相当脚が速く身軽なので、歳食っても老体にムチ打たr…重要な役割を任されている。対話力もあるので群れの門番・案内役もこなす万能おっさん。角は細いので力比べは苦手。


リョクは独り立ちした直後は騎者の探索も兼ねてとにかくあっちこっち駆け回っていたので、中層に存在する同族の群れは一通り把握しています。各群れに知り合いも何頭かいます。ただ、時間が経ってるので今はどうだかわからん、自分は騎者見つけて普通のイヴァじゃなくなったし、的な

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