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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第十二章
122/127



 天光あまつひかりが告げる天の朝は、陽光が動く場所こそ不定期だが明るさのじかんはほぼ人界のそれと変わりない。ワカバも最初は朝陽が東でない方角から昇ることに驚いていたが、直に慣れた。

 大地や天気変動の仕様が人界の理とは違うので一概に断定は出来ないが、敢えて言うのなら晩春から初夏。我々の拠点である草地一帯は、かのように穏やかな季節のさなかにある。尤も、人界とそれとは違って周期は遥かに永いが。

「これって、雲葡萄くもぶどう……だね」

「うむ」

 近くの繁みにてそれを発見したワカバは、興味深そうに鼻づらでふんふんと押す。背の高い草木に巻き付くように伸びる、細い幹の蔓植物。実は付けていないが、青々と三方向に伸びた葉は至極健やかだ。つがいにつられてふんふんと嗅ぐと、特有の霊気豊かな香りがする。

「人界の秘境にある希少種も、天界ここにはかなり沢山生えてるんだねえ」

「むしろこちらに在るものが原種であるゆえな。古代、妖精だけではなく獣らも天から人の界に渡る際、多くを『持ち込んだ』らしい」

「もしかしてだけど、その『持ち込み』ってさあ……」

「うむ……どこの世界も、植物が生息区域を広げる方法は、変わらないらしい。雲葡萄は多くが酸味過多だが、中には物好きも存在する」

「ふっ」

 ワカバは我輩の言の葉に噴き出すよう、笑みを洩らした。それに気を良くしつつ、脳内でこの雲葡萄の味を想像する。自然、唾液が溜まって尾が垂れるのがわかった。正直、雲葡萄の大半はあまり美味なるものではない。

「幾度か若気の至りで食したことがあるが、いずれも期待は裏切られたものだ」

「ふふ、すっぱい!って?」

「うむ」

(人界で専門に生育されたもののように全てが芳醇な甘味であったのなら、どんなに良いか)

 雲葡萄は天が原産の植物である。層に関わらず天の全域に自生し、実が生る時季も周期も全てが不明なる葡萄種だ。味は、大半が酸味過多すっぱい。ただ、稀に至極甘いものが存在する。それを見つけ食することが出来れば、その者には幸運が訪れるとも。

(未だ、我輩は甘い雲葡萄に出逢ったことが無いが)

「なんだか四葉のクローバーみたいだよね! ああでも、確率は全然違うかー」

「? うむ」

 わがつがいは人界育ちなので人界の例えを多用するが、それが芯から理解できた試しは無い。まあ、彼女が至極楽しそうなので良しとはする。



 新しい群れが拠点と決めたこの地であるが、我輩が棲んでいた以前のものとはだいぶ様変わりしている。密に茂った草木は大樹こそ無いものの(そもそも浄化から三百年にも満たない歳月では太い幹は育たない)全体が入り組んでおり、幼少期には無かった植物がかしこに存在していた。と言っても天の領域を大きくは出ないものばかりで、いずれも見覚えがある。前述の雲葡萄然り。

 そして、こういった植物を逐一視認し忘備してゆくのも、群れを成す上で重要な下準備である。

「雲葡萄に華花梨はなかりん、あとは皇柘榴すめらぎざくろの若い芽がちょこっと。使えそうなのはこの辺りかな」

「うむ」

天無花果てんいちじくとか苦スグリとかもあれば良かったんだけど、さすがに望み過ぎだよね」

「あれらは主に下層に在るな。中層へ来る妖精は少ないゆえ。しかし、……」

「どうしたの?」

「蜜スグリは無いのであろうか」

「あ、リョクが好きなあれね」

 くすくすと笑みを含んだ声音で、ワカバは念を押してくる。

「リョクの気持ちもわかるけど、あれは万獣ばんにん受けしないと思うよ~? ほら、蜜スグリって確かに甘くて美味しいけど、栄養無いじゃない? 前にわたしも自然区域のをお土産にしたことあるけど、成獣おとなほどあんまり喜ばれなかったんだよねえ」

 蜜スグリ。我輩の好物のひとつである。あれほど美味なるものなのに。

「実を付ける時季も短いし、お茶請けとしてなら本当にいいんだけどねえ。獣であれが好きなのは大抵小さな仔どもだけ……って、あ、ごめんね!」

「いや、……左様であるな。我輩の味覚は未だ幼生こどもゆえ」

「あーうー、えっと、」

「否定できぬか。ワカバは正直だな」

「ご、ごめんってば」

 慌てて我輩の前方に回り、慰めるように鼻づらを押し付けてくるワカバ。それが心地好くて、つがいに怒られるまでわざと落ち込んだ振りを継続してしまった。


◆ ◇ ◆


 礎となるは我ら二頭、ただそこから二頭のみで群れを形成してゆくのは些か無理がある。理由は至極単純なもので、今は繁殖機ではないから。一度目の繁殖が機を逃してしまったのは人界での複雑な事情とつがいと我輩の境遇が異なったゆえだが、天に戻ってからも現状は変わらない。そう、我らは生まれ来る我が子を護る環境が整っていないのだ。決して雄がしくじったわけではない。

 諸々の悔しさはさておき、現状不可欠なのは他の群れの協力である。ただ、横の繋がり持たぬ我らが何の手土産も無いまま他の群れを訪問するは、あまり得策ではない。同族の行方不明事変を解決に導いたゆうとして訪れるに、万獣ばんにんがその事実を信じるわけではないし。天に居た頃は何頭かの同族と交流があったが、この数十年交流が無かった者のよすがに頼るのも心許ない。我輩を識らぬ者は誰しも、この不審なる緑の雄を警戒するだろう。まして、騎者を見つけた騎獣となれば。

―――かつての我輩のように、背表の疼きと痛みを長年抱える者らが、心底の望みを得た者を目にしたのなら。

(よく識っている。同族なればこその持たぬ者が持つ者へ抱く感情は)

 それは黒々とした、嫉妬だ。

 角を叩き合わせることなく穏やかに語り合える保証は全く無い。まあ、我輩一頭ならば問題は無い。実力で黙らせることも出来よう。しかし。

(今は、ワカバがいる。ワカバはワカバの繋がりを作ってゆかねばならない)

 おす同士のつまらぬ諍いならひとけりで鎮められようが、めす同士となると我輩も脚が届かない。同族の性質からして彼女に危害は加えられぬであろうが、それにしても第一印象というものはある。最大限、考え得る限りすべての憂いを取り除かなければなるまい。

 すべては探りであるが。

(雌らに対しても出来るだけ好印象を与えたい。……人界ではなんと言ったか)

 賄賂わいろ、という言の葉が先ず浮かんだが、脳内の騎者どのは「せめて引っ越し挨拶の粗品って言えよ」と声を上げている気がする。違いは判らぬが。


◆ ◇ ◆


「わたしたちがあとちょっと数日くらいいれば、ここの霊力も高まって植物たちも豊かに育っていくんだよね?」

「うむ。既に我らが意識を向け霊気を込めた雲葡萄や華花梨が育ちつつある。……雲葡萄はそろそろ実を付けるであろうな」

「秋でもないのにねえ……本当、天界の植物って不思議」

 草地のあちこちで見かける使えそうな賄賂――もとい、人界で言うところの粗品になりそうな植物に印をつけてゆく。この幾月かで縄張りの結界は万端なものとなったので、その内部であれば自在に植物を生育できるようになった。この辺りも、普通の「イヴァ」には出来ぬ離業。

(あとは、これらが霊気豊かに育つのを待つのみ)

「あれ?」

 ワカバはふと声をあげ、かぽかぽと足早に進む。先ほどの雲葡萄を飛び越え、ふわりと降り立つ草地の端。

「これって……」

 頤を下げて指したのは、干からびた小さな植物であった。この青々と茂った草地において、一種場違いなものである。

 元のすがたを察するに幅広の葉、細い茎、……そして、白い小玉めいた萎びた残骸。

「実……? 違う、これは花だね。水分足りなくて枯れたのかな」

「……? 些か不自然であるな」

「うん……」

 ここは、天の界だ。人界と違って、万物に霊気霊力が関する界。枯れ木や枯草のにくたいは、いずれも大地の養分となって速やかに吸収されるか四元精霊の拠り所となる。そういう「意義あるもの」として命失くしたあとも天を巡り留まるのが、この界の理。

 だが、この枯れ花は。

「ねえ、これって、」

 ワカバがそれを軽く咥え――我が結界内なので有毒ではない――、軽く頤を振った。


――ちぃん


 小さく、ほんの小さく震える大気。鼓膜に届く、音。

「やっぱり! これ、東鈴蘭アズマスズランだよ」

 珍しいねえこんなところに。と続けるワカバを前に、我輩は何も返せず動けないでいた。

(なんの音であったか)

 いつか聴いた、残響に似ている。だが元の音をいつ何処で聴いたのか、全くもって思い出せない。人界の自然区域で聴いた生花のそれとは違う、枯花の音。

(だが、なぜ、)

「どうして東鈴蘭が……これって、人界と天界のあいだでしか咲かないよね?」

「う、む。恐らく我輩らが発している霊力で、中層ながら霊気の『狭間』が出来たゆえだろう。東鈴蘭自体は天全域に自生するが、その『狭間』を感知して花をつけた可能性が高い」

「なるほど~。で、勘違いしたことに気が付いて枯れちゃったんだね」

「うむ。……ワカバ、征こう」

「? うん」

 人界で言うのなら、一日だけ狂った気温で花を咲かせてしまった季節外れの鈴蘭はな。辛うじて原型を留めていただけの小さな鈴は、一度音を鳴らされた反動であとはしゃらりと崩れた。そこでやっと、大地へと吸収が始まる。

 我らはそれを認め、角を傾げつつもその場を離れた。なぜか、この場に長く留まっていたくなかった。

(なぜ、)


 我輩は、あの取るに足らない枯れ花を、不吉なるものとして認識しているのだろう。それすら、解らない。


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