表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
我輩は騎獣である  作者: KEITA
第十一章
119/127


 風は、あの頃と同じものだった。


「ここが……?」

「うむ」


 鼻先に吹きつけるそれは涼やか且つ優しく、鬣をそよがせても体毛すべてを逆立てるわけでない。

 心地よく、穏やかな大気。


「……」

「……」


 やや位置を低くした陽光が、そよぐ緑を照らす。鬣と、蹄毛と、そして地より生える草。

 青々と茂ったそれは、眼前一帯に広がっている。あの草原とも違う、しかし森林とも違う、深く浅い緑の地。つよい風のひとすじがそこに分け入り、広がるように波打たせ、そして去っていく。

 かつて、我が群れの在った場所。


 二頭は、しばらく何も言わず佇んでいた。深緑の鬣が、新緑のそれよりもわずか前に進む。豊かな草の香り。

 丈と密度を増した草いきれが波は、目を凝らせど何も見えない。この草地には現在、四つ足の獣は暮らしていない。我が帰還を出迎えてくれる声も、無い。

 風だけが、変わらない。



「……、以前訪れた時よりも、だいぶ草の背が高くなったようだ」

 緑の波は遠くより目にするにうつくしい。近づくとかなりの丈があり、天の芳醇な霊力を糧に伸び放題となった茎は太く、葉も厚く広いので人界でいう密林のような景観となっている。体高の低い生き物ならば、分け入った時点で埋もれてしまうだろう。

 しかし、人界と違うのはこの静けさ。鳥や動物の鳴き声はせず、草の擦音に風以外のものは聴こえず、目立つ霊気は漂っていない。人界に比べ密度の薄い天全体においてもいっそ不自然なほどに、生き物の気配が希薄である。

「今は、ここに誰もいないの?」

「そのはずだと」

 天の獣が複数で永年滞在した場所は、如何に霊力隠しを施したとて少なからず霊気が漂い、生活痕も残る。

「意図的に拠所きょてんを移したわけでない場合、その霊痕が天禍あまつまがごととなる危険性もあるゆえ、天の理より外れた事変が起きた場合は御使い率いる『上層部』が必ず介入する」

「上層部……リョクの友達も在籍してる、天使の治安維持機関のこと?」

「うむ」

 脳裏に翻る、純白の翼。それらを統べる、銀髪の高位天使。そして陽光の髪と晴天の瞳持つ、我が友の姿。

「天使らは末端においても霊力が高く、『使役』たる低位天使は普段は散在しており『親』の命によってしか動かない。彼らが大人数で中層の一か所に集うのは非常事態であり、霊力の動きが大きければ天の誰しもが知ることとなる。ほとぼりが冷めたとしてもこの場所は天の通識において、否、獣の通識において不吉なる地。自然、何者も近寄らなくなったとみえる。此処は、」

 一度、息を飲み込む。次に出した言の葉は、思ったよりも滑らかだった。

「この草地は、かつて十四頭の『イヴァ』が群れを成していた。数は他の群れに比ぶれば多くはなく、いずれも騎獣ではなかったゆえ、群れとしての威も個々の霊力もさほどでもない。生まれて数年足らずな幼生も居た」

「……」

「群れが潰えた理由は、以前語った通りだ。生まれつきの霊力は弱いといえど『イヴァ』は紛れもなく天の獣であり、意思が力持つ生き物。彼らの無念が地に留まり怨念と化して天禍となるのを避けるため、天使ら上層部がすぐさま対応し、この草地を浄化したのだ」

「浄化……」


「一帯を、獣の亡骸ごとすべて霊力で焼き祓った」


 新緑が瞳が、こちらを言葉無く見つめた。

「我が友が言うには、皆の器はすべて天のものとして正しく昇華されたとのこと」

「……」

「それを聞いて、我輩は安堵した」

「……。リョク、」

「皆は、―――我が家族は、自然に帰すものとして、ただしく、あるべきすがたに、かえったのだと、」

「リョク」

 厚く茂った草地が急激に霞み、歪み、視覚で捉えづらくなった。背後より近づいてきた我がつがいが、そっと角を押し当ててくる。風がその部分のみ弱まり、滑らかでやわらかい温もりが優しい気配を届ける。

 泣くつもりは無かった。しかし、抑えきれなかった。

「――」

 言の葉を続けようにも、何も発せない。しかしながら動けずとも、何も喋れずとも、なんら恥ずべきことでないと傍らのぬくもりが教えてくれた。それだけの赦しを、与えてくれた。

――最愛の他者と番える幸せを、こうしてまた噛みしめる。

「ッ、」

 喉奥で生まれた哀哭と喜悦、熱く静かな衝動。相反するそれはあの頃と似ているようでどこまでも違い、己の内側を豊かに満たす。緑を目にし、緑を濡らし、緑が重なる今が例えようも無くかなしくいとおしい。

 ほろほろと、泪が風に舞う。

(皆、見ているか)

 心の中で呼びかける。

(我輩はこうして、この場所に帰ってきた。辛苦を越え、得難き出逢いを果たし、遠き旅を折り返し。――つがいを伴って。皆、見ているか)

 遠き場所に駆け去ってしまったいとしき仲間かぞくを思って。


〇 ● 〇


 かつて我が群れの在ったこの草地は、過去、中層において代表格とも呼ぶべき場所であった。

 我々のように蹄持つ生き物が駆けやすい平坦さ、そして適度な傾斜と窪みがところどころ存在し、見通しが良くも起伏に富んでいる。四方は高山と低山、豊かな水脈が隣接し流れる地下水は清浄。それによる緑は自然の恵みそのもので毒素も少なく、仔どもが寝ころびながら口遊びに食めるほどだ。虹蛇や霊鳥等、友好的な種も周囲に数多く生息し、何より、風と光の霊力に満ちている。属性持つ草食種の獣、特に我ら一族にとってこれ以上無いほど棲むに易い場所であろう。実際、その通りであった。

 緑豊かな草地なればこそ草食種を狙う肉食種も徘徊し、危険数多であった古代。しかし我が養父がこの地を縄張りと定めてのち、その危険性も限りなく薄くなったという。風と光の恩恵を受ける麒麟、その一族が本格的に拠を構えたことで、そして長たる養父どのと連なる雄らが時間をかけ丹念に結界を施したことで、この草地は実質「イヴァ」の楽園となったのだ。低実力の肉食種は決して入ってこれぬ、高実力の肉食種が近付いたとしたらすぐに察され侵入を防ぐ万全なる帳。それは一族の強き脚を以て広範囲に及び、決して容易に破れるものではない。養父どのはじめ、群れの成獣おとならのたゆまぬ努力と警戒継続の志あってこその安寧の棲み処は、こうして保たれていた。

 獣の通識では決して侵せない獣の楽園。――なればこそ、危険は外の世界からやってくる。

 獣とは違う意識の、威嚇も縄張り誇示も通用しない人界出身の人型種族。理性的な素振りで近づき、爪や牙には決して見えぬ凶器を隠し持ち、食肉としての糧を得るわけでもなく、まるで草を掃うが如く無意味に四つ足の獣を殺すことの出来るのが二本足の生き物である。そうして――我が群れは、呆気なく壊滅した。

 仮にも百年以上は平穏を保っていた草地が、たった一体の妖精により一日で血の海と化したのは何故か。他の群れも一目置いていた我が群れの護りが、不意を衝かれたとて如何して簡単に崩されてしまったのか。

 今はわかる。養父どのや群れの雄らは、一族たる性質を逆手に取られたのだ。彼らは決して縄張り内で驕っていたわけでも油断していたわけでもない。その逆である。


 ……草地に接近する一体の妖精を前に、養父どのはこう考え群れの衆に蹄示しじしたはずだ。

『人界からの移住者であるのなら、中層に居るのは不自然。ただ、妖精は雑多な器持つゆえ中には霊視が出来ぬものも存在する。むしろ人界の二本足はそういった者の方が数多い。感応力が低いものは我らの威嚇も通用しない。もし、かの妖精がそういった者なれば、肉声での話し合いとするべきだろう。妖精は本来、至極理性的である。一体で我が群れを訪れたのにも、きっと何か理由がある。警戒を解く必要は無いが、もし話し合いの素振りを見せるようなら迎え入れるように』……と。

 養父どのはその昔、「若気の至り」と称して人界に降り、二本足を背に駆け回ったこともある雄である。親交のあった妖精の要望に応え、戦地に取り残された民間人を助けるなど一時かりそめの騎獣となっていたらしい。今思うに、彼はつくづく並みの「イヴァ」ではなかった。騎者を見つけた我輩とて人界に慣れるまで時間を有したというに、それ無しで人型にもならず人界を、しかも麒麟にとって地獄でもある戦地を縦横無尽に行き来していたというのだから。もし養父どのが戦乱の地にて騎者を見つけていたなら、それこそかの「瑞獣と征くもの」の片割れと同等かそれ以上の、伝説の騎獣となっていたであろう。

 話を戻す。

 天の獣にしては数多くの見識を持ち、度量広くも用心深い性質を持っていた我が養父。しかしあの時点において、その豊富な過去の経験こそが仇であった。養父どのは、妖精エルフに関し知識があればこそ彼らの可能性を多く見過ぎ、ゆえに見誤ったのだ。この場違いな妖精は、徒党を組むことなく一体だけでやってきた。きっと、我らと話し合いを望んでいるのだと。武装はしているようだが、あくまで天の過酷な環境において自衛の域であり、獣に理由無く斬りかかる可能性は極めて薄いだろうと。――彼が過去に関わった妖精は恐らく、我輩の騎者どののように個獣的な親しみ持てる者だったからこそ、悪意を避ける麒麟の本質が清らかな事実だけを信じたかったのだ。

 そして何より、他の群れにて発生していた一族の失踪事変。訪れた妖精が関連を匂わせたことで、なんとしてでも確かな解決策を掴もうと、群れの長として一対一の話し合いを望み、そして。

 ……そして、養父どのが抱いた二本足への視えない信頼は、最悪の形で裏切られた。一族内にて最も偉大な、と云って差し支えないほどに経験豊富で実力のある雄を長に持つ群れの衆も、彼が斃されたことで動揺と悲嘆そのままに崩されていったのだ。

 何より。


――我々は、霊力弱くとも脚がある。

――この強き脚と、そして仲間内での堅固な繋がりが、助け合いの精神が。

――それらを以て、万事に対応できる。


 その愚直なまでの誇りが、獣としての毅然とした対応が。

 武器霊具を持った新世代エルフの、思うつぼだったのだろう。


〇 ● 〇


「――だが、我輩はなんら恥ずべきことでないと考える」

「……うん」

「我が養父は状況を楽観視していたのではない。実力を驕っていたわけでも、油断していたわけでもないのだ」

「うん」

「己の脚と妖精への見識、かつての仲間と今の仲間を信じていたゆえに、あのような対応になった。一体でやってきた異種族に敬意を払い、こちらとしても矜持を失わず、獣が意志そのままに、清廉なる魂を示そうとした。ゆえに、むしろ、ッ」

 誇るべきだ。

「――……ッ、あ、あのような、ッ暴虐無知な妖精であっても、我が養父は誠意を見せた! ゆえにッ、」


 我が一族は、暴力に負けたわけではない。


『貴殿の群れが、如何に殺戮されたのか。それを知っている?』

『イヴァなど、霊具を持ったエルフの敵じゃない』

『所詮は麒麟』


「所詮は麒麟。その通りだ。理想が暗愚となった例だと、平和に慣れた愚かしさだと、断じる者は断じればよい。もし今の我輩があの日あの場に居たとて、長の決定に従っただろう。あれこそが、我らの生き様だったゆえ。何も識らぬ異種族にとやかく言われる筋合いは無い!」

「うん!」

「上層部の天使はまるで我らがけたかのように云った。しかし、我らは、ったのだ……ッ!」


『弱き脚のイヴァ』


「他者を軽んじる暴虐の果て、かの妖精らがどうなった? すべてを失い、瓦解した。対して我らはどうだ? ……多くのものを失いつつ、すべては無くならなかった。遺った志は次世代に受け継がれ、命と誇りを強き脚にて繋ぎ、今こうして生きているッ」

「うん……うん!」

「ッ我らは、」


『だからつよくなって』

『イヴァであるなら誰もがもっている尊さを、もっていないものに見せつけてやってほしい』


 我らは、証明した。


「一族の誇りを、強き心と脚が示す尊さを……! 養父どのは、群れの皆はあの日、確かに見せつけた。……ッ例え、命を失おうとも。理解を得られず踏み躙られようともッ、皆は、皆は、……――、ッう、ぁあ、ぁああああ!」

「うん、わかるよ……そう、そうだね、リョク! リョクのお養父さんもお養母さんも、だいすきなお姉ちゃんもおばさんもおじさんも小さな子もみんな、エルフに勝ったんだよ……!!」


 自分が、自分であることを証明した。

 ゆえに、我輩は亡き仲間かぞくを心から誇りに思う。



 心にずっと溜まっていたやるせなさを吐き出し、慟哭し、仔どものように泣いてから。


 我輩はつがいを伴い、草地の中央に赴く。意思を飛ばせば蹄の先に風が道を作り、茂った草は薙ぐように平らとなった。

 緑が示す風の道を、二頭で征く。

 草を踏まず、その上の大気に蹄を載せ、空を蹴るように前に進む。薙がれた草は我輩らが通り過ぎた端から瞬時に元通りとなり、密に繁った音を鳴らした。

 ふたりで、いのちの差す方向へ。



 中央付近に辿り着き、歩を止めた。ざわざわと、周囲の緑が我輩らを包むように騒ぐ。

 濃く豊かな草の香り、その中で頤を上げた。陽光は既に傾ぎ、影が深緑と新緑に落ちている。


 大きく、いなないた。


 傍らの雌も、次いで嘶く。高く大きく。

 二頭の嘶きは風と共に広がり、唱和となって大気に溶け込む。二つの霊力が二つの属性を以て周囲に展開していく。

 風と光が。我が一族の、恩恵たる力が。


―――今より、此処は、


 途切れぬように、嘶く。長く細く、遠くまで聴こえるように。


―――此処が、


 やがて。風と光の霊力は、遥か遠くより応えを返してきた。それは何頭もの、同族の唱和。我らと同じ、強き脚と心持つ獣の嘶き。

 溶け込むように、溶け合うように。一族の誇りを、繋がりを讃えるかのように。

 そしてこの瞬間より。


―――今より此処は、我らの、棲み処。


 我が本懐――群れを新たにつくるという、第二の道のりは始まった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ