挿入話・ある友らの日常
※視点が複数
「ぶえくしょぉいッ」
派手なくしゃみをして、アルセイドは洟をかんだ。
「ぅ~~い、風邪はカンベン」
書きかけの書類の束を越えて鼻紙を屑籠に放り、ゆるゆると書斎の椅子に腰を沈める。小さな台車に載せてあるティーポッドから少し冷めてしまった茶をカップに注ぎ、呷るように飲んでひとやすみ。
体勢を換えるとぎしり、と軽く音を立て柔軟に体重を受け止める上物の椅子。祖父の代から変わらず現役なこの文机と椅子は、霊木を基にしたドワーフ特製の代物だ。長身の男が座ってなお奥行きがあり、座り心地が見るからに確約されているこれは、千年どころか万年経っても壊れないんじゃないか、とアルセイドは思っている。
無論、書斎だけでなく居間や台所における添え付きは皆、妖精が制作したものだ。家庭用霊具はほぼ全て物置の住人となったが、霊力調整を必要としないただの椅子や机、棚や衝立、寝台や箪笥などの基本家具はアルセイドが物心ついた時からの記憶と変わらない。霊力界隈の原料と妖精の工夫技巧が合わさったそれらは、人間界隈のものとは比べ物にならない耐久性をもち、丁寧に扱えば途方もなく長持ちするのだ。テーブルクロスやカーテン、絨毯、背もたれの革張り等もしかり。
(そういや、居間の椅子いっこだけ、革張りじゃないな)
客用椅子のそれだけ、茶牛の革を鞣したそれではなく茜羊の毛糸で編まれた可愛らしい背もたれとなっている。なぜであろうか。
「ま、今更か」
こきこきと首を鳴らしながらアルセイドは椅子から立ち上がり、お茶のお代わりをするべく台所へと向かった。
季節は秋の終盤、冬の足音は間近となった。この辺りは積雪こそ少ないが一年を通して気温はあまり高くならず、真冬の寒さは厳しいものがある。
「さみ」
書斎に居た頃から涼しさを感じていたが、階段を下りて窓辺に寄ると肌寒い空気を感じた。この家は壁が分厚く頑丈だが、部分的に通気性もある。唯一、最奥の寝室のみが完全に外気を遮断出来る作りとなっているだけだ。
暖房のある場所はこの家では三か所ほど。一階の客間と寝室、そして台所のみである。今のイヴァニシオン邸に住む者がアルセイド一人だけというのもあり、広い家全体を温める必要性が薄いからだ。教師業を辞め、来客が少なくなってからは一層無駄を省くようになった。尤も、今のやり方も何年後かにはまた変わることもアルセイドは知っている。
(そろそろ階下で仕事すっか)
仕事の資料が手にしやすい場所にあり、書き物もし易い机と椅子が揃っているのは二階の書斎。しかし、書斎には冷暖房が無いので夏季や冬季は書類作業が若干辛い。となると、少しの資料を手にして家の中の書きやすい場所へ移り、そこで仕事をするのがアルセイドのやり方だ。例えば、蒸し暑くてかなわない真夏は風通しの良い玄関でとか。
(あ、灯油買っとかな)
薬缶に水を注ぎ、火にかけながらアルセイドは大きな声をあげた。
「おいリョク、あとで、」
そこで、詰まる。
(あ、そっか)
「――……なぁんちゃって」
台所に響く独り言が少し寒く感じたのは気のせいだ、きっと。
予定通り、その日は仕事を早めに切り上げる。なんのことは無い、午後から外せない用事があるからだ。ほぼ自宅勤務なアルセイドにとって、ようやく得た休日期が今から始まる。しかし。
早々に用具を片し、外出準備を始めたアルセイドの耳に届いたのはジリリリリ!というやかましい音を上げる玄関脇の黒電話だった。
「ッんだよ」
忙しいんだよこっちゃ、と若干イラつきながらも外出着のまま受話器を取る。
「はい。……あーなに、用件は。……ふうん、ああ、そ。俺これから三日くらい空けるからムリ。……あ? なんでそうなる。こっちゃ隠居してるからって便利屋扱いすんな。騎獣は先週帰ったっつっただろが。アーテル、てめえもとっくに知ってるだろが。翻訳は俺じゃなくともかわいこちゃんの誰かがいけるだろ、フラウ先生とか。……は? そこまで暇じゃないって? ばっきゃろ、俺だって暇じゃねえんだよ。この一週間根詰めて作業してきたのはお前のためじゃねえよ勘違いすんな」
せめて業者通して正式に依頼してこい、こっちだって付き合いあるんだから!とがなりたて、アルセイドは些か乱暴に受話器を置く。長年の関わりと親類繋がりの親しみがある「組織」とはいえ、今の自分にとっては心底うざったいやり取りであった。
(時間詰まって列車に乗り遅れたらどうしてくれる)
ここは自然区域内、ど田舎の片隅なのだ。他国への長距離移動手段が限られている現在、一本の乗り遅れが取返しのつかない事態になる。まして、今の自分は先週までと違ってチートな移動手段もってないし。
「あー無駄な時間食った」
荷物を抱え、簡単に点検をした後は施錠をし、外へと出る。頬に当たる秋の冷風。祖父から譲られた外出着の裾が煽られ、アルセイドは首を竦めた。気が急ぐあまり防寒具をせずに出て来てしまったが、帰りには一枚増えているかもしれない。
(アルカリーはもっと冷えるし手頃なの売ってそうだし)
これから最寄りの町へ行って今週分の仕事納め、そのまま家には戻らず西の隣国へ赴く予定だ。国境審査は融通が利くが、自宅のあるルギリア国は無駄にだだっ広いため、東端の片田舎から西端へ横断する交通手段自体が大がかりである。最も早い直通の寝台列車でさえ、半日近く。
だが、それも目的あればこそ。目指す目的が自分にとって楽しみであればあるほど、移動の苦労など屁でもない。早足で歩くアルセイドが思案するのは、なんとしても乗車予定時刻に間に合わせるということと、そして何を土産にするかということ。
(首都でなんか買ってくか。プルトレースとか王章細工とか……だめだありきたり。ドノヴァワインはあいつ酒弱いから微妙だし。せっかく中央通るんだから秘境市場にコネある誰かん家に寄るのもありだな、つかそんな時間無いっての。……なんにしよ)
人間は地道に、二本の脚で歩いていく。人間なりの楽しみを携えながら。
〇
■
〇
人間の集落に似通いつつ、決して人間の集落ではない、とある場所にて。
「安いよ安いよ! 今日の掘り出しはなんと、百年ものの霊樹の木材まるごと一本!! 完全な枯木だし加工自由!!」
「とれたて霊力野菜! 栄養満点さね!!」
「茜羊のウール! 綺麗な色だろ、これで未染色! 古代妖精らも御用達!!」
「天無花果のドライフルーツいらんかねー甘くておいしいよー」
活気ある市場。その中を、一人の男が歩いていた。頭部に巻いた布から覗く揃いの髪と目は、まるで秋風のように涼やかな蒼いろである。
「お? そこゆくお兄さん、霊獣さんかな?」
「ああ」
「やっぱり! 俺は見ての通り鼻が利くんだ、お仲間だね! 人の街で暮らす霊獣さんにおススメなのがこれ、香草藁だ! 秘境の霊草で作った質の良い防虫材だよ、どう??」
「良い香りだな」
「だろ? これで包んだ服は虫食いとは無縁だぜ! 寝床に敷けば気分回復! 匂いは強いけど嗅覚を刺激するもんじゃないし! この俺がよく利く鼻で実証済みさ! あの天界でも使われているっていう、……」
彼に香草藁を売り込もうとした男は、ふとその動作を固まらせる。顔の中心についた犬の鼻腔を――人型においても消えない本性の名残は、彼が獣人である証だ――ひくひくとさせ、その瞳が大きく見開かれた。
「――え、いや、まじ、お兄さん、もしかして、天か、」
動揺のあまり大声を出されそうな空気を察し、蒼髪の男は人差し指をそっと口元に当てた。
「内緒にしてくれ」
「……あ!うん、そうだよな、わかった。すまない、いや、すみませんでした。俺みたいな獣人如きが、煩くしてすみません」
「そんなことはない。貴殿の商品はどれも質が良いことは、見ればわかる。目利きならぬ鼻利きに優れているのだな。俺は旅路の途中だから、家庭用品は購入できなくてすまない。商売繁盛を、祈っているよ」
「あ、ぅああ、ありがとうございまっす……!!」
ふ、と微笑んで男はその場から立ち去る。翻る蒼い髪、足音のしない物腰。周囲に紛れるほどに霊力を抑えているようだが、一部の感覚が鋭い精霊族にのみ感じ取れる、人界のものではない澄んだ霊気。まるで雑多な空気にひとすじ切れ込みを入れるかのような、それでいて周囲を圧さない静けさを纏っているような。
その後ろ姿を見つめつつ、犬の獣人たる商人は高揚を抑えきれなかった。
(うわー天界霊獣だ、本物だよ、すげえ。こんな片田舎の『秘境市場』で見るなんてな。いや、田舎だからか。あんまり大勢が居る場所だと、霊気の少ない奴らに群がられて大変だろうしなあ。でもすげえや、こんな雑多な界隈に居るって自体。あとなんか褒めてくれたし。これって珍しいよな)
人界霊獣と天界霊獣は、同じ霊獣であるが成り立ちは異なる。年月を経て器が精霊化する人界霊獣に対し、天界霊獣は生まれながらの精霊である。似て異なる存在、そして多くが気位も高く実力も及ばない天の獣に対し、人界の獣の大半が抱くのは本能的な畏怖や敬遠、もしくは憧憬の念。
(本性はどんなだかわからないけど、相当人界に慣れてるんだろうな、一目でわからないほど周りに溶け込んでるみたいだし話し方も優しかったし威圧感も殆ど無いし。それでも人間基準ですげえ美形だったけど)
ふと首を傾げた。蒼髪の男の背中、纏められた小荷物の下、腰の後ろ。まるで荷物の一部のよう、杣夫が携帯する木鉈の位置に斜めに固定された一振りの得物を見つけたのだ。
(あれ……剣、だよな)
利く鼻をなおもひくつかせると、それ自体にも霊気が通っているのがわかった。匂いからするに、上物の鋼だ。
「え、どういうことだ……?」
「おにいさ~~ん、この香草藁おいくら~~?」
「あ、ごめんごめん、えっとね、」
忙しい商売の波間にもまれながら、年若き獣人は頭の隅で考えていた。彼はその関連知識には疎かったが、それでも精霊族の端くれとして感じる気配はあったし、彼方此方を行き来する商人として聞いたことくらいはあったからだ。先ほどのやり取りも、場を下手に騒がすと商売が出来なくなる行商の弁えの他、かの天界霊獣が湛えるなんともいえない空気に黙らされたからである。
まるで、腕の立つ武人のような気配。そして、霊気が通う剣。
(いやまさかな)
そんなはずはない。だって、あの男はこの世界の生き物ではないのだから。それにかの道具は妖精の衰退と同時に形骸化し、内在霊気を途絶えさせ潰えた。形が残っていたとしても多くが古代の遺跡物、ただの歴史資料として人間界隈の博物館に飾られているはずだ。
(まさか武器霊具、なんてな)
そんな伝説級の代物が、この時代、そこらに在るわけがない。まして、妖精でも人間でもない、天界霊獣の手元になど。
蒼髪蒼眼の男は、静かな視線で人外らの賑わいを見渡しつつ、その場を後にした。
「気づいたのは、一人、か」
少し離れた場所で、独りごちる。市場のあった方角を見やると、それは既に豊かな緑に覆われ、見えなくなっていた。
(いや、見て見ぬ振りをしてくれた者も少なからずいただろう。それにしても、嗅覚を霊視と同程度に使える獣人とは……。商人ひとり一人が、大変な実力者だな。あれでは害意はすぐに勘付かれる。活気があるのに諍いの気配が無いのも、頷ける)
世に言う「秘境市場」。人界に棲む人型精霊族が主体となって行われる、秘密の即売所である。自然区域内にて定期的に開催されており、人間の多くは存在すら知らないであろう。知る精霊族ぞ知る、という程度の知名度に加え、開催されるのは自然区域と超自然区域の狭間、力ある精霊族が行き来する大自然の真ん中。只人は足を踏み入れることすらできない場所だからだ。
「……この辺りの結界も、さすがというべきか」
周囲に展開しているのは、ここ一帯を縄張りとする霊獣の結界である。結界といっても、天界霊獣が作るような絶対不可侵の帳ではない。あくまで豪雪大雨強風を和らげる程度、そして迷い込んだ只人の目から全体を視覚的に隠す程度のやんわりとしたものだ。
そしてこれこそ、人界において最高峰の結界である。
(ようやく、実物を見れた)
以前から、「秘境市場」の結界に興味はあった。事情により長らく自由が利かず、こうして実際に訪れ、結界の質を直に感じ取るのは数十年人界で暮らしてきて初めてのことである。
(やはり、来てみてよかった)
見ると聞くとは違う。実に、想像以上であった。
(霊気ある者ならば誰でも入ることが出来る結界。俺のような余所者が入っても弾き出すことはなく、かといって害あるものを決して侵入させず、周囲に溶け込ませるように自然に展開しており、且つ途方もなく範囲は広い。霊力任せでは決して作れまい)
恐るべきは、この縄張りの主である。とてつもなく広大な地を治めつつ、恐怖を布いてはいない。畏れはあるやもしれないが、それは暴力によるものでは決してない。大いなる力を持っているのに威圧とは違う、個々の自由を赦しつつそれでいてすべてを纏めているかのような包容力を感じるのだ。
そして、理想の守護結界とはそういうものである。見えなくも視える秩序と平和、確かなそれが確約されている場所にこそ、活ける者は集まる。そして誰に云われずとも、治安は維持される。他のなんでもない、自分達の居場所を護るために。この結界内に足を踏み入れればすぐにわかるからだ、ここでは暴力がなんの意味も成さないことを。
(そしてそれこそが、この結界を作った者の狙いなのだろう)
「秘境市場」の真髄は、霊力界隈の活性化であると同時に望まず人型精霊化してしまったものらの憩いの場であることだ。昨今は、そういった人界霊獣の多くが「秘境市場」を目指しているという。それが、ここ百年近くのひっそりとした霊力界隈の流れである。
一体、どんな霊獣が。
「――如何な者が、この偉大な巡りを創ったのか」
多くの不幸な霊獣を、救ったのだろうか。
自然区域の緑は深くも季節は秋の終盤なので、陽が落ちるのは早い。傾ぎかけた午後の太陽を蒼髪の隙間から認め、男は旅装に腕を潜らせる。服を簡単に脱ぎながら早歩きから小走りへ、近くにあった幹の太い大樹に蒼髪が隠れる。と、次の瞬間には二本足の男は消え、四つ足の獣が地を蹴っていた。背表には括りつけられた荷物と服、そして一振りの剣。
涼やかな風がかの獣の周囲に集い、躍り、そして身を助けるように吹き付ける。人界の自然区域を荒らすことなく、高圧の霊力を静かに爆発させ、蒼き鬣のイヴァは去った。まさに風が如く。
獣は四つ足で、己が望みと意志のまま進む。道無き道を拓くために。
〇
■
〇
獣が志だけでは生き延びられない、重く険しい圧力ある場所にて。
「リエル、只今戻りました」
「同じくサエル、ここに」
「お帰り。お疲れ様」
大いなる霊圧と燦燦たる光柱、かの中から降り立った二体の天使は、主の下に辿り着きその足元に跪いた。彼女らと同じ色の髪、瞳を持つ順大天使が下に。
「怪我は無かったかい?」
「緑のイヴァは御無事です、エルヴィン様」「かの方の結界内にて対象を発見しましたゆえ、大事には至りませんでした」
「いや、俺が言っているのはお前たちのことだよ。金獅子の雄の仔は手負いの状態であってもそこそこに強いから、実は少し心配だった。二人とも賢いから大丈夫だとは思ったが……怪我はしていないな」
「「……はい、怪我などはしておりません」」
揃いの切りそろえた金髪の下、頬を染めて応える少女天使。しかし彼女らに微笑み返すことは無く、エルヴィンは霊力に包まれたものを見やった。気を失った金獅子のこども。
「リエル、サエル。層越えを終えた直後、疲れているだろうがもう一働きを頼む。この獣を、上層部に運んでおいて」
「「はいっ」」
移動の霊力と共に再度飛び立った二体の天使、そして気を失ったままの獣。それを見送るエルヴィンの背後より、かかる声があった。
「――全頭回収したと思っていたけれど、逃れた一頭がいたとはね」
「申し訳ありません、俺の落ち度です」
持ち得る力に添わず、まるで人間の武人が如く気配を殺していた銀髪の天使である。尤も、これはここしばらく彼に仕えることで把握してきたことでもあったので、エルヴィンは然程動揺せずに向き直り、すぐに応える。
「探索が得意な我が使役は先ほどの二体、逃れ得たものもすぐに探させます」
「いや、これは向こうの後追い作戦の可能性が高い。それか、なりふり構わず揺さぶりをかけてきたか」
くくく、と喉奥で笑い、銀髪の高位天使――イオフィエルは命を下した。
「あの獣の処分は任せる。実に、無駄なく、使ってやれ」
「……はっ」
エルヴィンは頭を下げて応を返した。
天上層部はその名の通り、上層に存在する。
天界上層。実質、生き物が踏み入れられる限界の霊力世界である。霊力の恩恵を受ける精霊族であってもかの霊圧に器を壊されないものは限られており、霊力の比較的弱い霊獣は高位の一握りほどしか上層に存在出来ない。天界霊獣の多くが下層から中層に棲むのは、そこが最も彼らに適した霊圧であると同時に、上層においては生きることすら不可能だからである。
低実力の霊獣は決して立ち入れぬ上層。しかし、天使は違う。
「サエル、あの緑のイヴァはとても素敵でしたね」
「リエル、そうだったね」
二人の少女天使は薄暗い廊下を進む。
「結界もとても大きく広いものでした」
「そうそう、とても大きく広かった。実力のある証拠」
二人の容貌はとても似通っており、動作の速さも鏡に映したかのようにぴたりと同じだ。声も話し方の一部を除けばまったく同じ高さと大きさで、大抵の者は見わけがつかないだろう。加えて、主の前を除けばまったくの無表情。
揃いの足取りで歩を進め、まったく同じ瞬間にぴたりと止まる。彼女らの前に、ひとつの部屋があった。
「「けれど、それも中層でのこと」」
きいい、と小さな二人の手が扉を開く。四つの晴天が映すは、部屋上部から差し込まれる光に照らされた台の上。眠る獅子。
「かわいそうですね、狙われたイヴァ」「あわれだよね、攫われたイヴァ」
「ゆるさないです、我が主を悲しませるもの」「ひどいよ、我が主の友を煩わせるもの」
「取り除きましょう、害あるもの」「殺しちゃえばいい、邪魔なもの」
「「すべては、エルヴィン様のために」」
極彩色の光が、頭上より投げかけられる。
規律と繁栄を模した御使いの歴史は華やかであるが、それはただの光でしかない。影ありきの光は、その存在を忘れてしまうとひどく白々しいものとなる。
ある見方をするなら、ひどく昏い。
・
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・
いつものように血なまぐさい課程を終え、休む間もなくエルヴィンは翼を翻して次なる場所へと向かう。彼の生み出した使役十二体はそれぞれの場所にて、彼の到着と指示を待っている。
(いや、指示でなく――命令、か)
そんな些細なことに自嘲するほど、今の自分は精神的に疲れていることを知っている。
それほどまでに、かつての自分の理想とはかけ離れているとも。
しかし。
先ほど使役らが中層より持ち帰ったもの、正しくはあの情景を思うに、自嘲とは別の感慨が己を包む。
――幼く未熟な天使と、気を失った若獣。それはまるで、記憶の中にある自分と友の姿にも似て。
(そんなことを言ったら、『全然共通点なんか無いでしょ』ってサリアには怒られそうだな)
もう長いこと逢っていない魂の片割れ、彼女の面影も瞬時に復活する程度には、自分にとって低位天使だったあの頃は大事な時間だったのだと思い知る。
思い知るだけであるが。
(……それでも。俺は、もう昔の俺に戻れなくても、今あるものは大事にしたいんだ)
二人の使役の翼は己と同じ純白、それは光の属性持つ白。対なる闇の属性なる黒は、此処には無い。彼女らは、その存在すら識らない。それは天使として実に不自然なことである。
そして、だからこそ実に危うい。
胸元に隠された黒のひとひらを、そっと握る。
(俺の、せいでもあるから。責任はとる。使役を生みだせる立場の天使として、あの『子』らの『親』として。……今のところ、大きな間違いはしていないはずだ)
現状、自分でも笑ってしまうほどの詭弁だとわかっている。わかっているが、それでも、理想と現実の隔離に苦しめられるのは変わらずとも、生まれた新たな絆は大切にしたい。異種族の友も、そうやって育んだ絆のひとつだからだ。それが、エルヴィンという天使の不器用な在り方。それこそ、己だから。
「――例え、どんなことが起きても」
(他者の幸せを願える心は、何よりも強い。この気持ちが在る限り、例え己が何者になろうとも孤独ではない。……そう信じたい)
天使はそうやって、二枚の翼を羽ばたかせる。翔ける先が何かに繋がると信じて。
〇 ■ 〇
人間と、獣と、天使。
彼らは彼らなりの道を、今日も歩いてゆく。