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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第十一章
114/127



 広大で果てない海域、そして高所より見渡す限り下方に広がる雲を、「雲海」とはよく言ったものだ。


「リョク、リョク、すごい、すごいよ!!」

「うむ」

「すごいーっ!」


 つがいの声がかしこから聴こえる。かしこ、というのは、先ほどから彼女がせわしなくあちらこちらを駆け回っているゆえである。我が一族の基準からすると成獣おとなの「駆け」というよりまるきり仔どものそれなのだが、我がつがいはさほど齢を重ねていない雌なので――幼いという言の葉を使うに今は妙な気持ちが邪魔をする――、置いておくとして。


「身体がかるいの! 脚がすごくはやいの! こんなのはじめて!!」

「左様か」

「すごいっ! 天界ってこういうところなんだー! 空気が澄んでる! 霊力が濃いね!人界と大違いだね!!」


 我輩らが居るのは天において最も霊圧低く霊力濃度もさほどでない、下層なのであるが。


「わーっきれい、きれい! 雲がこんなの、草とか動物とかも違う! あ、でもよく見るとちょっと似てるね! 人界の秘境とか、その辺りに居た子達にそっくり!」

「うむ。ここ下層は人の界に最も近いゆえ、かの場所とさほど違いは無い」

「そうなんだー! 良かったぁ、ここなら暮らしていけそう!!」

「ワカバ、ここはまだ下層ゆえ、目指すべき中層とは違、」

「わーーい」

「……」


 ワカバは、我輩の言葉を半分も聞かずにまた飛び出していった。


「きもちいいーーっ!!」

「……。それは良かった」


 ひとまず、我がつがいの機嫌が良いようで何よりだ、と考えるべきなのか。そういうことにしておこう。決して、「齢の離れた雄雌のつがいというより、はしゃぐ娘と見守る父親のようだ」などと思っていけない。虚しくなるし、脳内にて騎者どのが「散々余裕ぶっておきながら振り回されてやがりますねえ、リョク先生?」などと言いながら含み笑う姿が浮かんで後足が落ち着かなくなる。今の状態を見られたら本当に言われそうなのが、まことに口惜しい。

 深呼吸。さらり、と視界の端で風に吹かれた鬣が流れていった。

(――うむ、ワカバが快く楽しい思いをしているならそれでいい。天への入場いりばとして、下層はこれとない場所ゆえ)

 我がつがいは人界にて生まれ育ったゆえ、天を識らない。彼女の知見を最初から導ける、その幸福を噛みしめねば。むしろ願ったりである、これぞつがいの本懐。

「……」

 天に還ってからも、つがいらしいことは正直何ひとつ出来ていない。その事実もまた、置いておく。


◆ ◆ ◆


 人の界にひとまずの別れを告げ、天へと戻ったその初日。

 我輩らは下層の一端に降り立っていた。かつての我が縄張りのしるし、騎者どのとも出逢った小規模の林内である。我が一族の本拠は中層であり、本来ならばそこに降り立つが帰還として正道なのであるが、万全を考慮した末、ひとまず下層から始めることにしたのだ。

 此処よりも広大で動植物も天らしいものが揃っている中層、されど相応に一時的な危険も多い。人の界で生まれ育ったワカバが訪れるに、霊圧への慣れも含め少々不都合があるだろう。無垢な我がつがいをいきなり同族の雄の目に晒したくはないし。

(ワカバも、下層の方が気安かろう)

 狙い通り、ワカバは下層に着いた途端に歓声をあげた。人界でいう「秘境」、それに外観は似ておれど、大気中の霊力濃度ゆえの許容の広さに天の獣としての本能が悦んだ、とも言う。木立に滴る朝露に若草の鬣が濡れるのを構わず、抑えきれないといった風情であちらこちらを歩きまわり、愛らしい足取りで駆け回っている。

 共に人界の空を駆けた時には、家族と別れた直後の寂しさや若干の緊張があったようだが、今はほぼ霧散しているようだ。それはそうである。

下層の利点は、人界と直接つながるゆえの環境の近さ親しみやすさ、そして―――


◆ ◆ ◆


 乳白に薄らぐは遥か下方の地平、そこに被さるよう幾重にも雲が覆っている。天光あまつひかりが照らす空はしらじらと広く、頭上に広がるものに果ては無い。どこまでも澄んだ、そして冷え切った大気が我輩らを包んでいる。今居る場所はくだんの林より少し離れた山の頂上付近、周りよりひとまわり高い霊山の一角。

 下層であるので霊圧はさほどでないが、外気温が低い。気圧もあって、獣が本性である我らはさほどでないが、人間のように体表に何も備えが無い生き物が滞在するに、少々辛い空調ともいえる。

(かのようなことを考えてしまうのも、人の界に居た期が長かったゆえか)

「リョク、リョク! あっちの森で蜜スグリを見つけたよ、あと、天無花果てんいちじくも見つけた!」

 身の軽さにものを言わせ一気に崖を駆け上がってきた小さな蹄の主が、清らかに美しい鬣を靡かせながら近くに寄ってきた。軽く息切れしているのが実に愛らしい。

「すっごく沢山だった! あと人界のより大きい」

「蜜スグリも天無花果も、元は天のものだ。古代、妖精らが乱獲を防ぐため人界に移植を始めたとされている。霊力野菜同様、地中の霊気を吸って栄養源とするため、自生するものでも実りが良い。妖精は人間よりも霊力野菜の世話をしてきた歴が長いゆえ、この辺りの甘い植物の豊かさも彼らのお陰であろうな」

「そうなんだー……!」

 霊力野菜れいりょくやさい、の言葉にワカバの新緑の瞳がなおも輝く。何を連想したのはすぐにわかったので、口惜しさ反面、少々意地悪い心地が湧いた。

「――山間の蜜スグリは今現在下層に棲む妖精らが世話をしていると聞いた。この辺りに棲んでいるのは、エルフ、だな」

「えるふ」

 きらきらと輝いていた瞳が固まる。小さな蹄が怯えたように後ずさり、若草色の鬣が艶を失くす。先ほどの飛び跳ねんばかりの喜色とは正反対の様に、おのれが狙ったことであるのに大変な罪悪感が襲い、慌てて言い募った。

「エ、エルフと言っても戦闘の術は持っていない者らだ。それに、純粋種でなく霊獣の血を引く混血種の雌が、この辺りの世話を担っていたはず。我輩とも顔見知りだ。相手が覚えていれば、の話であるが」

「……。そっか」

 ほ、と愛らしい雌は息を吐き、場の空気が緩む。我輩は安堵すると同時に内心で己を蹴り倒していた。この脳無しな雄め、またもつまらぬことで失敗しかけた。仲が進展しない焦りからきたちっぽけな嫉妬でつがいを怯えさせてどうする。

(恋とは、なんと御し難いものか)

 そのことをつくづく感じながら、挽回を求めまた口を開く。

「ワカバ、蜜スグリの群生があると先ほど言ったな、良かったら共に、」

「あ! 四元精がここにもいる! こんにちはーーー!!」

 あっという間にまた去っていった我がつがい。はからずとも我輩の求愛しょくじのさそいを両断したかのような残酷さ、否、潔さである。先ほどのやり取りをあまり引きずっていないようで何よりだ。心優しい彼女は、きっと我輩の失態を赦してくれたのだ。

「……」

 そういうことにしておこう。だいぶ虚しくなってきた。



「こんにちは! あなたたちはこの辺りに棲んでるの? わたし、初めて天界に来たの!ここはいいところだね!」

 けぶった雲海の下、遠くからでもよく通るワカバの声が聴こえてきた。律儀にも、見かけた精霊に挨拶をしているらしい。

「あっ……いっちゃった」

 しかし、会話とならなかったようで、すぐにしょんぼりと後退する気配。乳白の隙間より若草がさわさわと動き、可憐な細い角が霊力を纏ってまた移動し始めた。細く風を切って、ひとけりでわずかな場所を移動し、また新たに見つけた相手に話しかけている。

「こんにちは、はじめまして!」「今日からよろしくね!」「素敵な毛皮だね!」「それどこで見つけたの?」「どこに棲んでるの?」「あなたには名前って、ある??」

 好奇心の塊とは、あの様を言うのだろうか。我輩も人界に降り立ったばかりの頃は、見るもの聴くもの感じるものすべてが新鮮であった。ただ、責務もあって警戒と関わるべきか否かの吟味が先立ち、あれほど純粋な興味を世界に向けるには至らなかったことを思い出す。

(それが正解であり正道だ。だが、今はただ、ワカバが羨ましい)

 無警戒が妬ましいということでなく、ごく単純に、羨ましい。生まれたての視線で、世界を純粋に尊べることが。



「リョク、リョク!」

 雲の波間より勢いよく戻ってきたつがいが、息を荒くさせながら我輩にまたくっついてきた。すりすりっ、と角を押し当てられ、同じように返応する。これは一族にとって家族同士の主要な挨拶なので、大きな目で見れば間違ってはいない、恐らく。

「ここに連れて来てくれて本当にありがとう! まだ知らないこといっぱいあるけど、見た感じわたし、ここが好き! ありがとう!!」

「左様か」

「うん!」

 露に濡れた鬣は光を受けて輝き、天風あまつかぜを受けた体表もまた艶々と血色がよい。白樺の角は尽きることの無い周囲の霊力に反応し、人界に居た頃より強く力を発している。見るからに、彼女は全身で訴えていた。この場所が好きだと。ここで暮らしたいと。

 だが。

「――それは良かった。だが、ワカバ、」

 そろそろ、ちゃんと云わなければ。


「ここは我らが棲む拠点足り得ない。ここでは暮らせない」


「……え」

 春の若草が、また動きを止めた。

「下層は人界と近い分、天全体からすると霊圧が弱い。如何な生物でも棲むことができるが、その分、長い目で見た場合の危険が数多存在する」

「え、でも、それは人界の秘境と同じ程度、でしょう? それぐらいだったら、わたし、ちゃんと自分の身を護れるよ」

「否。ここ下層は人界と違うゆえ、当の人界より懸念事項は更に多い」


 我輩は説明した。正しくは、我が半生を語り直した。母御が誰に殺されたのかを。


「―――」

 ワカバは、瞬時に理解したようだった。これを話すのは卑怯かもしれないが、彼女に対し何より効果的だと識っているがため、我輩は躊躇わなかった。

――自身への戒めにもなるゆえに。


「……下層には人界から出入りがし易い為、移住者が数多く棲む。超自然区域の生活方式を心得ているものなれば、器が雑多な妖精も棲まうことが出来る。環境の近さ親しみやすさは下層の利点だ。そして、」

 天界下層の、一番の利点とは。


「わかっているように、下層は人界と繋がっているがため、人界に居るものの存在も一部感じ取れる場合がある。―――そう、我らの場合、一度出逢った騎者と騎獣なれば」


 新緑の睫毛が瞬き、伏せられた。


「その分だと、伴侶テスどのの気を感じ取れていたのだな」

「……うん。ほんのすこし、だけど。テスが、少し離れたところに、いるって……」

「ゆえに、『ここが好き』と」

「…………うん」


 識っている。我輩とて、我が騎者の慣れ親しんだあの気配をずっと感じ取っていた。そしてそれは、ここ下層限定の感覚だということも、わかっていた。


「ワカバ。我らが目指すべきは、中層だ。此処よりも霊圧強く、動植物も豊かで、そして同族が古くから身を寄せ合い助け合いながら生きている場所だ。そこでやっと、我らは『霊獣』として暮らすことが出来るのだ」

「……」

「中層に着いたら、今感じているものは消える」

「……ッ」


 中層では、人界に暮らす者――騎者の気配を感じ取ることは出来ない。天に暮らす生き物として、完全なる「霊獣」として生きることとなる。


「それが、我らの選んだ道。下層では、駄目だ」


 ワカバは。


「――――うん、わかった」


 清らかに、潔く、前を向いた。



 春の若草は挨拶した者らへの別れと称し、また雲海へと潜っていった。


《きりんだ》《きりんがいる》《おおきなきりんとちいさなきりん》《ちいさなきりんはちいさいね》《おおきなきりんはおおきいね》


 山頂にてワカバの動向を見守ること暫く、疲れを見せずその辺りを駆け回っている様にこちらとしても些か休みの姿勢に入った頃。鬣をすり抜け鼻づらをくすぐるように、幾つもの風精がまとわりついてきた。下層ながら天の芳醇な霊気を伴い、風の声が響く。

《おおきなきりんはみどりのきりん》《ちいさなきりんもみどりのきりん》

「――うむ」

 彼らは消えていたわけでなく、我輩らが移動するそこらに漂っていた。だというのに、今の今まで思念の声が聴こえなかったのにはわけがある。つい先ほどまで我輩が気を張っていたので、一帯に漲る霊圧に反応し、沈黙していたのだ。

 ここ下層一帯、迫る危険や我輩の霊力と反応速度を上回る脅威は存在しないと悟り、つい先ほど警戒を解いたばかりである。強い霊力使いに追従する傾向の四元精霊は、無言で我輩らの周囲を漂い、気安くする機を伺っていたのだ。元来、風の力持つ獣は風精と相性が良いので、契約せずとも話しかけられることが多い。

《みどりのきりん、あそぼうよ》《あっちのみどりのきりんは、あそんでいるよ》

 縄張り外の領域において、先ず辺りを警戒し己が実力を示すよう威圧する癖。人界に居た頃は自然区域の獣らを怯えさせてしまっていたが、つがいを得て天に戻った今となってはさほど悪いものでない。人の界と違って天の界はかしこの霊力が濃いため、場に不相応な圧を発して無害な者らの気をも竦ませる懸念も薄い。ワカバが我輩の威圧に気づかず、活き活きと飛び回っているのがその証だ。

(これはこの先も研ぎ澄ませておくべき感覚だろう)

 それと、新たに判明したことがあった。下層程度の霊圧ならば微変化させることが出来るほどに、我が霊力は高まっているらしい。それ即ち、今の我輩の内在霊気は下層最強であり、位のある大天使とほぼ同程度だと見当がつく。これならば、中層に移動したとて油断しなければ万全にワカバを護れるだろう。上層となると更に気を張らねばならぬだろうが。

――一介の「イヴァ」であったら、到底辿り着けなかったであろう境地。

――騎者を見つけた騎獣なればこそ、ここまでの実力を持てたのだ。

(騎者どのにつくづく感謝だな)

 中層に着いたら消えるであろう魂の相棒の気配。しかし友誼は勿論のこと、彼への恩義と礼は忘れずに生きてゆかねば。

《みどりのきりん、あそぼうよ》《おやこであそぼう》

「親仔ではない」

 聴き流していた声の中に聞き捨てならないものが混ざったので、即座に訂正した。

「我輩とあれは、親仔でなく、番いだ。れっきとした雌雄の関わり合いであり、将来的に仔を為す間柄。よいか風精達よ、我らはつがいだ」

《……》《……》

「なぜ黙っている」

 ふと気づく。云われたくなかったことを言われてしまったがため、無意識にこどもじみた苛立ちをぶつけてしまっていた。

「――言い方が強過ぎた、すまぬな風精達、詫びとして、」

《みどりのきりん、じゃあね》《またあとであそんでね》

 せっかく寄ってきていた風精達が、霧散するように去っていった。

「……」

 脳内で、騎者どのが「風の獣なくせに風の精霊に嫌われてやがんの、だっせ」とばかりにまた失笑している。取りあえず感謝の念は後回しにすることにした。中層に向かうことで更に縁遠くなるが、構うものか。騎者どのも少しは騎獣ダチの不在を嘆くがいい。

「……」

 今度は脳内で蒼のが「大人げないな緑の……」と呆れ声をあげた。


 確認するまでもないが、我輩はまだまだ未熟な若僧である。



リョクはなんだかんだでまだ若者(二十代くらいのイメージ)です

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