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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第十章
110/127

「信じられない」


 その一言と共に、我輩の目の前で無情に扉が閉まった。ばたん、という音、風圧で手にしていた仙山査子の葉が揺れる。屋内より食物の匂いが刹那追い出され、我輩の緑髪を靡かせ通り過ぎた。

「待てワカバ、これには深い事情があり、」

「何なの? いきなり居なくなったと思ったら『鍛錬』? 『仕合』? わけわかんない。信じられない」

「悪かった、ワカバの帰りを待たず外に出ていたこと、心から詫びる。急に居なくなって本当に済まなかった。詫びも込め自然区域内にて食物を調達してきたのだ、ワカバの調理したものには及ばないかもしれぬが中々に、」

「っわかってない……! 本当にもう、信じられないッ」

 扉の向こうの声は激し、がちゃりと勢い良く施錠の音が響いた。そして痛烈な言葉が飛んでくる。


「リョクもアオも反省して! 今日のお夕飯は抜き!!」


(つがいに食事を拒否された)

「――」

 衝撃であった。本日で最も、我が身に堪えた一撃ともいえた。呆然と眼を見開いた我輩を見上げ、蒼のは慌てたように扉に話しかける。

「ワカバ、それは緑のがあまりに憐れだ。とりあえず俺の話も聞、」

「お話なら仲良しこよしな成獣おとなだけですれば!」

 後足で蹴りつけるような声が断じる。昼間はふわりと柔らかかったものが、今では見る影も無いほど頑なだ。

 頑なな岩戸の向こうの声は、愚かな雄の弁明を受け付けない速度で言葉を重ねる。

「ワカ、」

「わたしはどうせ仔どもですから! リョクからすれば『駆け比べしか出来ない幼仔』ですから! いつだって仲間外れですから! せっかくご馳走作ったのに! もういいです、ひとりで全部食べてやるんだから!!」

 だんだんだん!と屋内で足音が過ぎ去っていく。ずるり、と扉に付けていた頭を下降させ地面に膝を付いた我輩に、蒼のは慰めの言葉をかけてきた。慰めというより、憐れみのような。

「あー……緑の、」

「――」

 言うな、との言葉は出てこなかった。

「大丈夫、か?」

「――」

 大丈夫なわけあるか、との言葉も出てこなかった。ただ、扉に手を付いたまま諸悪の根源を見上げる。我が一族らしからぬ念を込めた睨みを受け、蒼髪の男の口唇が引き攣る。

「……お前の今の表情、麒麟ではなくなっているぞ」

 誰のせいだと思っている。



 薄暗がりの空、淡い紫がかった中を最後の鳥が飛んでいく。陽の光はだいぶ落ちており、周囲の木々は緑より黒色が主である。つまり、かのような光景になるまで外で「仕合」を続行してしまったのだ。先に集落より戻ったワカバがいつの間にかいなくなっていた我輩らを心配し、何事も無かったと見るや腹を立てるのも無理はない。

 真夏の暮れなずむ容に我に還り、大慌てで怪我を治癒しつつ言い訳という名の手土産を確保、大急ぎで木造家屋へと戻ってきたのはつい先ほど。そして待ち構えていたつがいに説明するや、冒頭の言葉を投げられ、鼻先で扉を閉められたのも今しがたの出来事だ。

 淡い色の前掛けを着けた若草色の娘は、涙目で家屋の周りを歩き回っていた。ここ最近の出来事含め、きっと最悪の事態を想像していたのだろう。かのような心象を与えるとわかっていたのに、書置きも言伝さえも無く出てきてしまった我輩の落ち度である。

 しばらく待ったが棲み処の扉は開く気配が無いので、仕方なく近場で食事とする。仙山査子の他、自然区域内にてそれなりに食物を採ってはきたものの、如何せん衝撃が後を引きずっており、食欲が湧かない。

(ワカバはまだ怒っているのだろうか)

 扉の向こう、涙目のままだった新緑に胸を捕まれる。ぎゅう、と人型の手で握り締めた仙山査子の束、青い棘が生膚に突き刺さるが、かのような痛みなど些細なことだ。それよりつがいに求愛を拒否された事実が大層痛い。

「緑の、希少な仙山査子を傷めるな。食わないのなら俺に寄越せ」

 諸悪の根源(※大事なことなので二度言う)蒼のは、暢気な表情で我輩の手より仙山査子を奪い取った。人型のまま茎に齧り付き、棘ごとぱりぱりと咀嚼始めるその平然とした様が恨めしい。本当に、誰のせいだと思っている。

 ふとその蒼い眉が顰められた。すわ謝罪か、と見るや、奴はこんなことを真顔で言い放つ。

「緑のが抱えていたせいで茎が若干ぬるまっている。不味い。やはり俺が抱えていたほうが良かった」

「……よくぞしゃあしゃあと」

 騎者どのの言を借りれば大いに「カチンときた」。昔から己の心根に正直なのがこの雄の性質であるが、今回ばかりはなんとも流し難い。

「蒼の、此度のこれは高くつくこと、覚えていろ」

「ほう、人界らしい物言いが様になっているな、緑の。騎者の影響か? かの御仁は見た目は若いが中々に博識で、愉快な物言いをする人間だったな」

「うむ、我が騎者は我輩よりも長く生きているのにまこと新鮮な考え方をするおとこなので雑談が大変面白く……ではなく、」

 騎者ダチ自慢に誘導させられかけたのを、軌道修正する。我が幼馴染は人界での活動暦が長いせいか、人間並みに口八丁なのである。

「蒼の。何度も言うようだが此度の責は蒼のにある」

「ああそうだな」

「蒼のの意見で仙山査子を調達しに超自然区域にまで赴いたわけだが、お陰で余計な手間とじかんを食ったのだ」

「ああそうだな」

「聞いているのか。やはり手土産の主賓は黒糖黍木にすべきだった。例え刻に間に合ったとて、今は仙山査子の実は生らぬ季節ゆえ、甘味は期待出来ぬ。我がつがいは甘味を好むのだ。よってやはり、この手土産は失敗だった」

 我輩の渾身の訴えに対し、蒼髪の男はせせら笑うように蒼眼を眇めた。

「緑のはやはり、人界の理に疎いな。人工栽培されていない野生の黒糖黍木は毒素があるのだぞ。天界霊獣われらの体質なら問題ないが、人界で生まれ育った生き物に薦めるべき物ではない。人界にて四十年余り過ごしておいて、そんなこともわからんのか」

「う……」

 実に突き刺さる言葉である。

「しかし実際害は無いのだから、」

「ワカバは天の獣だが、人界に多くの縁を持つ仔だ。その事実を大切にすると言ったのは、緑のだろう。例え表面的に問題が無くとも、裏にある本質を蔑ろにするな」

「む……」

 それもそうだと胸中で納得しかけてから、いかんとかぶりを振った。また蒼のの「ぺーす」に流されるところだった。

「と、とにかく、黒糖黍木が駄目であるなら蜜スグリにすべきだった。手間も省けたし、この場合の手土産はやはり、甘味のほうが……、」

「ワカバが『甘味を好む』から? ハッ、己の好みまでつがいに強制するな。人界の常として識っておけ、『趣味嗜好を押し付ける者は嫌われる』。自分が好きなものを他者も好きだと断じるのは仔どもの考えだ。つがい本獣ほんにんを見ていない証だな。それこそ、駆け比べ以前の問題だ」

「ぐ……」

 滑らかに反撃され、言の葉に詰まる。腹立たしいがまさしくその通り、一々正論なので何も言い返せない。

 軽く深呼吸をしてのち、言い訳は止めて真摯に返応することにする。我輩は成獣おとなだ。

「た……確かに、蒼のの言う通りだ。我輩は浅慮であった。正してくれて礼を言う」

「ああ。わかればいい」

 顔の前に垂れてきた蒼髪を後ろに流し、ぱりぽりと残りの棘を噛み始める幼馴染。我輩はその横顔に向かって頭を下げてから、「ん?」と首を傾げる。

(何故、我輩は諸悪の根源に礼を言っているのだ?)

 要は、また丸め込まれてしまった。

 ここで悟ったことがある。我輩は脚力や腕力の勝負ではこのおとこに勝てるやもしれぬが、口先での勝負では到底勝てないのだろうと。

 恐らく、蒼のは求愛に失敗した我輩を励ます意味でわざと憎まれ口を叩いているのであろうが――

「……よもや、腹いせではあるまいな」

「なんのことだ」

「……なんでも」







 西北地方の空がすっかり暮れた頃、東地方の空もようやく暮れ始める。

 多湿気味な微風に乗って届くのは、夕刻の時間帯に鳴き始める虫の音。遠く近く、自然区域の木立で反響するように訴えかけてくる。今日も夏の一日が終わると。

 ぽつりと、男の声が響いた。


「――じいさんはさ、結局黙って逝きやがった。何も俺に教えないままでさ」


 高度にしてそれほどでもないがそこそこに見晴らしの良い崖上、立っているのは二人の男の影。森から抜けた場所に在るそこは、湧き水の音がわずかに聴こえる。

 短い黒髪のほうの男は、高い位置から見下ろすように風景を眺め、ぽつりぽつりと声を発する。


「武人なんだから、『お役目ご苦労様でした、お疲れさん』って送り出してやりたかったのによ。そういうのも赦さないで、勝手に独りで逝きやがった」


 方角にして東の山肌、この位置から日暮れは見えない。年季を経た大樹が周囲を取り囲みつつ、山の絶妙な高低差により程よく光も差し込む。


「だから、お望み通り罵ってやった。『このクソじじい』ってな」


 そんな涼しげな囲いに護られ、そのひとの墓はそこに在った。


「敬礼なんざしてやるかよ。じいさんは最期までクソじじいだった。だから、俺だってずっとフショーの孫でいてやるよ。……ってのが俺の決意表明」


 傍らに、あの花が咲く木を添わせて。



 金髪のほうの男は、無言でそこに屈んだ。視線を近くし、じっとそれを見つめる。

 手向けられたのは、真夏の野花。今は、あの花が咲く季節ではない。そして、組みあわすべき手もまだ、形づくられない。

 そっと、風の声は見たままを呟く。

「……名前は、父だけなのですね」

【オレアード=アーク=エクティス=イヴァニシオン、ここに眠る】。墓石に彫られている文言である。鑠然とした文字と端的なエルフ古語は、刻んだ者の性質をありありと物語る。そして年季の入った自然区域内の墓地ながら、鳥獣に荒らされず苔や雑草も蔓延っていない辺り、どれだけ丁寧に手入れをされてきたのかも。

 墓と隣り合っているのはただ、春に清楚な花を咲かせるあの植物だけだ。

「ああ。実はさ、母さんの墓も昔はあった」

「! それはどこに」

「『昔は』。今は無い」

 訝しげに上げられた青紫の視線は、苦笑気味に歪む緑の瞳と出逢う。

「じいさんがさ……取り壊しちまったんだよ」

 屈んだ彼の隣、同じようにしゃがみこみながらアルセイドは続けた。まるで溜息のように。目の前の墓石に、ぶつくさと小言をぶつけるように。

「『なんで壊した』って訊いたら、『墓は二つより一つの方が手入れしやすかろう』だとさ。でもそれも口だけ。実際は、墓石の母さんの名前消して、上から自分の名前彫りやがった。ここには昔、母さんの名前――『リインライン=イヴァニシオン』って入ってたのによ、それわざわざ削って消したんだぜ。しかも中身もどっかに消えてやがった。信じられるか、ぜんぶ独断。遺族おれの許可無し」

「――」

 墓石の名前さえも。遺骨さえも。抱くのは、自分だけだと。


「わかるだろ? ……このクソじじいは、死んでからも、母さんを独り占めしたかったんだよ。大人気ねえにも程があるよな」


 ティリオは父譲りの双眸を瞬かせ、そして墓石を見つめた。彼の声無き感情を顕すかのよう、乾いた涼風が場をすり抜けていく。呼応するように、夕暮れ時の蝉の声。

 口の端に、笑みが浮かぶのはなぜだろう。

「――それは、確かにたいそうな『クソじじい』ですね」

「だろ? ティーさんも言いたいこと言ってやれ。もうこの性悪エルフ死んでんだから。ここまでの悪行聞いちゃ、もう罪悪感も何も失せただろ。このじいさんこういう奴なんだよ。四十九日も十回忌もとうに過ぎたし死人に口無し、もう無礼とかなんとか関係ねえから、思う存分罵ってやれ。俺が赦す」

「ふ、」

 風と虫の音にかき消されるような笑いを零し、ティリオはしゃがんだまま下を向いた。そよそよと、見慣れた形の葉が視界の隅に躍る。

 父譲りの色彩、灰がかった金髪が頬に張り付く。瞬く青紫の双眸から、涙は出なかった。数刻前、思う存分泣いたせいもあるけれど。今はただ、腫れぼったい瞼を労わるように涼風が吹き抜けていく。

 波打つ自分の感情に影響されるよう、音無く強まっていく風の中。かつての幼子は、昔から溜めに溜めていた不満を憎たらしい男にぶつけた。


「――――この、クソ親父。かあさまは、お前一人のものではありませんよ」


 思えば、ずっとずっとそれだけを云いたかったのだ。






 別の空の下、長髪の「男」二人はもぐもぐもごもごとどうでもいい話をしていた。

「……やはりこの繊維質は、熱を加え味を整えた方が美味である」

「当たり前だろう。大体人型のまま生で食おうなど、無理がある」

「しかし食せないこともない」

「緑のは本当に食い意地が張っているな」

「己も省みろ、蒼の」

 気楽な風に見せかけているが、我輩も蒼のも相当に疲弊している。怪我こそ無いが、完全に襤褸となった衣――勿論、ワカバに心配をさせないよう別所で着替えた――が戦闘の激しさを思い出させた。本性に戻らないのは、感覚が鈍重なままであれば霊力体力消耗も程ほどに流せるからである。それと、食糧も少なくて済む。

 人型での手合わせは、我輩の大まかな勝利で終わった。結界内なわばりでの勝負であるので、当然の結果ともいえる。武器霊具と本人の技量が無かったなら、もっと早く決着がついていただろう。如何に強力な武装をしていようと他者の結界内で闘うことには精霊族として無理があるからだ。

 その点、蒼のは大変に善戦した。結界主である我輩が、霊力盾が尽きるまで押すことが出来なかった事実がありありと物語っている。結界内でなかったら正直、負けていたかもしれない。恐らく蒼のは、それを見越していたのだろうが。

(蒼のは本当に強かった。……これから「武」を更に磨き、益々強くなっていくのだろう)

 全力で闘った間、双方それなりに被害を負った。勿論、それらは即治癒したので跡形も無い。近くの沢で洗ったので、血臭も無くなっているはずである。総合的にどの程度霊力を行使したのかは定かでないが、蒼のは「この数刻でだいぶ行使術が上達したような気がする」と言っていた。悔しいが、同意である。それと、だいぶ二本足の「武」に身体が反応するようになった。

(騎者どのに叱られそうだ)

 人界での武術師範である彼がこのことを知ったら「てめえもっと早く本気出せよ」などと言って大いに憤慨しそうだ。それほど、我輩は「武」にかけて出来の悪い生徒であったから。

 今までの数十年より、この数刻の方が密度の濃い鍛錬だったというわけではない。確信したのは、己の実力と伯仲している者と競合するのは成長上重要だということだ。「教えられる」だけでなく「刺激しあう」のが生き物にとって促進の材料となる。己と近しい、けれど己と違う他者を眺めることで、立ち位置を改めて確認出来る上、目標も新たに設けられるのだ。

 ――二本の飛刀を操りつつ、蒼のが語っていたことを思い起こす。

『俺は、騎者から受け継いだものを俺なりに昇華したい。本性で出来ないことを、人型でなら可能に出来るほどに。それこそ、俺がこの姿を持つ確かな証だから』

(我輩もそうだ。この二本足、二本の腕は幾多の可能性を秘めている。本性の脚力に頼らず、人型においても万事に対応出来るよう技を鍛えねば。……大願への本当の道のりは、これからなのだから)

 風は相変わらず涼やかで気紛れで、それによって運ばれた雲がちょうど夕日を隠したらしく、あの紅色は見えない。しかし、日暮れの方角を見つめる蒼眼に憂いはもう存在していなかった。物言いから更なる遠慮が取り払われたように、我輩との「仕合」のち、完全に何かを振り切った晴れやかな表情をしている。

(それだけで、あのひとときは大変意義があった)

 そう、心から思える。前述の霊力行使の鍛錬と精神的な刺激含め、実に有意義な「仕合」であった。つがいの機嫌を損ねた要因にも関わらず厚顔なのは腹立たしいが、今回だけなら大目に見てやるかと考えられるほどには。


「……しかし……肝心の手土産を、どうして蒼のが全部平らげた」

「手土産ではなくなったからな。それと、緑のが食わないからだ」

「……解せぬ……」

 我が幼馴染は実に強かで、まことに「ちゃっかり」している。


 ・

 ・

 ・


 くだらないことで諍っている合間、陽はすっかり暮れた。夜目の利かない鳥が羽休めの場を落ち着けた今、深森の低空を過ぎってゆくのは蚊食い鳥とも称される独特の被膜を広げた生き物である。近くに洞窟があるらしく、暗くともそれなりの数を視認出来た。

「おびただしい数だな」

「蝙蝠か」

「うむ。この辺りに虫が少ないのは、霊風のせいだけでないようだ。彼らはこの地で食物連鎖になくてならないものなのだな」

「代わりに果樹も生り難いがな」

 成長過程で霊気が込められた農作物は、栄養価の他にも動物に食べられにくく花粉受精もしやすいという利点がある。ワカバが生計としている霊力野菜栽培は、その場で手に入り難いものを安定供給するという意味で大いに理にかなっているのである。

 人工的な明りが点いている小さな木造家屋を眺める。その周囲、近くの湧き水を引いた水道や浄水器、丁寧に手入れされた作物畑。彼女らはここで、細々と懸命に生活してきた。年端もゆかぬ年代で、弱者ともいえる立場で辛い思いもしつつ、それでも前を向いて手を取り合い、等身大の幸せを育てながら。

(その生活もこれから変わる)

 我輩らが、変えてしまう。否、既に変えてしまった。そして、これからは、更に――

「―――さて、」

 食事を終えてのち、冷水で顔を洗う。濡れた手でざっと緑髪を掻き上げ、横に流せば風がそれを浚った。

 暗がりの空に、黒き被膜の生き物が飛び交う。羽毛持つ鳥とは違う羽ばたき。

 かの生き物は魔物の化身だと、そう伝えられていた人界の歴史もあるとのこと。それほどに、この刻は闇が深い。森の緑はとうに無く、人型の髪も溶け込むごとく端から影を濃くしている。

 飛び交う闇のかけらを背景に、我輩は笑った。


「そろそろ、限界だ」


 闇と同化していく深緑。

 ざわざわと、背後よりの風が気分を煽るように吹き付ける。夜目においても我輩の表情が充分わかったのか、蒼のは呆れた風につぶやいた。

「……ほどほどにしろよ。ワカバはまだ幼仔だ」

「わかっている。だが、」

 ざ、と踵を返すように家屋へと足を向け、肩口で振り返る。念を押すよう、事実を重ねるよう、そして抑え切れない嫉妬と独占欲と優位性を見せ付けるよう。

 瞳を眇め、逆光の中にて昏い笑みと共に言う。

「多少親密な馴れ合いを得たとて、勘違いするな。あれは我輩のつがいだ」

 さっさと去れ。その意を受け取り、蒼のは首を竦めて応と返す。

「ああ。ではな」

 そしてそれきり何も言わず、くるりと背を向けて宵闇に消えた。蒼髪のひとすじが見えなくなるのを待たず我輩は背を向けたので、彼がどこへ消えたのかはわからない。というより、もはやどうでもよかった。

 例え人界であろうとも、ひとの形をとっていようと、我らの本性は獣である。状況を理解する者同士ゆえ、以降の言葉は、まったくもって不要だった。

 つがいへの情のこわさは、互いに身を以って識っている。



「――リョク?」

 扉の施錠は「運良く」解かれていた。屋内に入って呼びかければ、奥よりそろそろと決まり悪げにすがたを見せた我がつがい。若草色の娘は頬を染め、おずおずと口を開く。

「……おかえり、なさい。さっきはごめん……言いすぎて」

いや

 気にするな。その意を込め、我輩は微笑みかける。頬の色を濃くしたワカバは、前掛け姿のままそろそろと近寄ってきた。腕を伸ばせば、その中にしなやかにおさまってくれる。頼りなく柔らかな、からだ。

 ぽそぽそと、か細い声でワカバは想いを洩らす。

「あのね、わたし……仲間はずれなのが、嫌だったの。心配とか、そういうんじゃなくて……ただ、鍛錬とか、手合わせとか、リョクとアオが出来ることなのに、わたしには出来ない、でしょ。そういうのがわかるから、すごく悔しくなったの。リョクが出かける前のこととか過ぎっちゃって……」

「左様か」

 片手で新緑の髪を撫でる。柔らかく波打つ繊糸は、たっぷりとした量で小さな頭を包み、背に流れている。隙間に指を差し入れれば、わずかに篭った体温。この雌の、内側の熱。

「ごめん。我儘で……本当にごめんなさい」

 話している合間、こちらの乱れた髪や衣に付いた草葉などが気になったらしい。白い手指でそれらを整えようとするのを押しとどめ、手首をつかむ。指が余ってしまうほどに、細い。

 若草色の瞳がこちらを見上げる。薄色の口唇から零れる吐息に誘われ、顔を寄せながら囁いた。囁こうと試みた。

「ワカバ」

「う、うん?」

「ワカバ、」

「なあに」

 されど、口から出るものは人界での「名」だけ。そして、


「愛してる。これから先、我輩と共に生きてほしい」


 それだけの、欲の張った願いだけが零れ落ちるのみ。

「うん……うん!」

 内に秘めた熱の強さと深い意味を知ってか知らずか。ワカバは微笑み、頷いて、なおも我輩に身を寄せる。

「へへ、わたしも愛してる! ずっと一緒にいる! リョク大好き……!」

 このおんなはどれだけ識っているのか、解っているのか、この願いを聞き入れた先に在る困難な未来を。

(否、解っておらずとも良い)

 我輩は、この存在を手放す気など未来永劫に無いのだから。

 つがいに身を寄せ、二本の腕で力強く抱きしめる。そして、改めて願った。偉大なる我らが始祖麒麟、死別した母御、群れの仲間、遠い日に駆け去っていったいとおしいものたち。我が脚では辿り着けない場所にいる彼らに、だからこそどうか、この道を見守って欲しいと。


 忘れることが出来ない辛苦ならば、どうかそれ以上の幸福を。……避けられない別れが待ち受けるのなら、それを後悔させないだけの出逢いをこの先に。


 何より大事なものを確実に手に入れ、そしてこれからも共に在るため。そう、心から願わずにいられない。







「それにしても、アルセイド」

「なんだよ」

「今回自分を家に招いたこと、あなたの独断ではないでしょう」

「……どうしてそう思う」

「勘です」

「勘かよ」

「教えてください。気が変わったのはなぜですか」

「………………あいつが、」

「あいつ?」

「あいつ。あのお人よしのが、言ったんだよ。『どうしてたった一人の家族に隠し事するのよ』って。あいつ、ああ見えて精霊族とかエルフとかに理解ある頭やらかい学生だからよ、俺とあんたのことも勝手に察したみたいで、見かけよかお節介女だから何かっちゅうと『仲直りしなさいよ』って。『あたしと違ってちゃんと血の繋がった家族が生きてるんだから大切にしなさい』って」

「……」

「前にも話したっけ? あいつの両親、あいつが赤ん坊の時に海難事故で死んだんだ。近い親戚も何年か前の自然災害で全滅。最後の血縁である爺ちゃんも、つい最近亡くなった。あいつの家族は今じゃあの騎獣ワカバちゃんだけ、それだって近々いなくなる。あいつ、あの小せえ家で一人ぼっちになっちまうんだよ」

「……」

「ま、これからは俺がいるから一人っつっても独りじゃねえんだけど。でも、そういうのにそこまで言われて何もしなかったら、男が廃るじゃん?」

「……」

「だから、あんたが感謝する大本の正体は、あいつ。あの、寂しんぼのくせにお人よしなお節介女に、礼言っとけ」

「……テスさん、でしたね。わかりました」




「あ、でも贈り物とかセコい真似厳禁。必要以上に近づくな。半径三メートル以内接近禁止。目も合わせるな」

「それじゃあお礼も言えませんよ」

「甘えるなクソイケメン。拡声器使え拡声器。もしくは紙袋被れ」

「……やっぱりあなたは、あのクソ親父に育てられた男ですね」






※ちなみにテスは今回も泊まりの課外活動があったみたいです

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