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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第十章
106/127

後半は別視点です


▼ ▼ ▼


 あの日、蒼のと再会したのち、我輩らは再び本性に戻って(素裸であることにワカバが慌てていたのがまた愛らしかった)家屋へと戻った。話したいことは山ほどあったが、その時はとにかく互いの存在を確認し喜びに浸り合うのが先であった。蒼のは昔と同じく瞬発的な身のこなしが鮮やかで、少々やつれてはいたものの幼い頃の片鱗そのままに、長く豊かに鬣をたくわえた逞しい成獣となっていた。

 再会するのはおよそ、百八十年ぶりか。挨拶代わりにと角を叩き合わせたところ、天の作法を識らないワカバが半泣きとなってしまったので慌てて取りやめた。蒼のには「そんなところも朴念仁だ」と笑われた。

 蒼のはやはり、件の風使いどのと行動を共にしていたらしい。簡単にことを纏めるなら「ティリオどの(風使いどののことだ)が組織に間者として潜り込み、人工生命製造の要所と用具を破壊、俺はそれを機として内部の友人に働きかけ、内側から組織を分裂させる手はずだった」とのこと。計画は我輩らの介入によって完全とはいかなかったものの、組織の分裂ならぬ壊滅という大懐を遂げられた上、気がかりだった友人とワカバの安全も確認出来たのでおおよそで上々と判断、あとは人界で発せられた同族の大きな霊力(我輩が発したものである)を感じ取り、ここまで追ってきたとのこと。

 ともあれ、一日で立て続けにことが重なり、我輩もさすがに気分疲れした。訊きたいこと、語り合いたいことを押し止め、幼馴染と生きて再会出来た深い喜びに浸る。蒼のは給水をしたあと「まだ決着のついていないものが残っている」と出かけていった。それを見送り、安心したあと同じく気分疲れしたのかうとうとし始めたつがいに寄り添い、夏の夕刻を過ごす。いずれ来るだろう新たな吉報を、待ちわびながら。

 宵闇がすっかり辺りを覆った頃、吉報はやってきた。にやにやとだらしなく表情筋を緩ませた騎者どのと、彼と手を繋ぎつつどこか恥ずかしげな伴侶どのという形で。「モノに出来た」のかどうかは見ればわかる。


 果たして、騎者と騎獣は同じ結果を勝ち取り、同じ表情で高らかに「はいたっち」を交わしたのであった。


▲ ▲ ▲


「甘い。緑のはまだこういうものが好きなのか」

「うむ。人界には加工甘味という素晴らしきものが沢山あり、素晴らしき手法が揃っている。蒼のにも是非それを味わってほしい。天然甘味とはまた違った味わいと多様な魅力持つ糧、それが加工甘味である」

「天にいた頃から度を越えた甘党だとは思っていたが、まさかそれが長じて人界で菓子作りを趣味にまでしていたとは……」

「ね、リョクのお菓子美味しいでしょ」


 人型と化した身ではむはむもぐもぐと甘味を頬張りつつ、我輩らは茶の時間を楽しんでいた。場所は伴侶どのの家、つまりワカバの棲まうあの木造家屋である。時間はあの日から更に三十以上の日を跨ぎ、季節は夏の中盤を過ぎた。ちなみに家主の伴侶どのはいつもの学び舎へ赴き、騎者どのは自宅すみかに戻っている。

 本性が二本足である者は誰一人いない中、本性が四本足である三体はこうして小さな卓を囲み、まるで人型種のように集っていた。改めて考えてみると実に不可思議な情景である。ただ、美味なる加工食物を前にした今の状態で気にするべき点ではない。大量に糧を必要とする獣形態よりこの姿の方が、「食」というものをより長く楽しめるのだ。

 小さな屋内に漂うのは甘い芳香。若草色の髪をうなじで纏めた可憐な娘は、うっとりと器の上を見つめた。

「リョクはお菓子作り本当に上手だよね」

 層を重ね焼き上げた生地の隙間から甘く煮た果肉が覗き、とろりと黒紫色の蜜が滴る。異なる食感織り成す果物入りの焼き菓子は、このところ凝っている加工甘味の一つだ。ワカバが作ってくれたあの茶請けに触発された結果ともいう。

「これなんてサックサクだし蜜スグリで煮詰めたフィリングも最高だし、もうお店で売ってるのより美味しいかもしれない。頬っぺ落ちちゃいそう。無くなっちゃうのもったいないくらいだよ」

『店で売っているものより美味い』『頬が落ちる』というのは、いずれも人界特有の表現である。そしていずれも、褒め言葉に相違ない。

「次なる訪問時にまた携えてこよう」

「嬉しい。ありがとう、リョク」

「うむ」

 笑顔を満開にしたつがいに鼻高々となる。やっと、この手で糧をいとしい雌に分け与えるという本懐を遂げることが出来、こちらとしても満足の域だ。

「蒼のはどうだ」

「美味いことは美味いが、俺はやはり、天然ものの甘味が好みだな」

 我輩の製作した渾身の甘味をふぉーくに刺し、蒼のは人型の双眸を瞬かせる。皮肉を云っているわけでなく、この雄は今も昔と変わらず至極正直なだけである。我輩おさななじみ相手では特に言葉を飾らない。

「人工的に甘みを増しているものは、俺の舌には少々重過ぎる。そう感じるものを食べ過ぎると、人型では胸焼けがする」

「左様か……まあ嗜好は個々夫々である、無理にとはいわぬ」

 しかし我輩も、昔と変わっていない。つまり、蒼の相手では遠慮もしない。

「ならば蒼の、この生地を味わって欲しい。こちらは砂糖を入れていない。麦の粉と油分との配合割合が完璧で、且つこの季節下にしてはダレることもなく層の食感を最大に生かし仕上げられたのだ。人間界隈の名の知れた甘味職人に手ほどきを受けたのであるが、一つ一つの作業工程に細やかな創意工夫があればこそこの手法は、」

「ああわかったわかった。緑のは心底、人界の加工食物が好きなんだな」

 呆れたような声音で笑い、蒼のは茶を一口飲んだ。彼の体高は傍らのワカバとあまり変わらず、「男」にしては若干小柄といえる。ただこの家屋内では丁度いい案配のようで、戸口の縁で屈む必要も無いし低い椅子に座る姿もしっくりきている。何より、ワカバと視線の位置があまり変わらないのが地味に妬ま……羨ましい。

「アオは食べ物でいうと何が好きなの?」

「俺の好物は仙山査子だ」

「せんさんざし……って、なんだっけ」

「天と人界の一部に自生する高山植物だ」

 年代としては我輩よりも若干下のはずだが、人型の湛える雰囲気は落ち着いていて所作も人間と変わらず、至極人界馴れをしている。我輩よりも人界での活動暦が長いので、当然といえば当然だ。

「仙山査子の実はほど良い天然の甘みがあり、生えたばかりの棘は歯応えが絶妙で栄養価も高い」

「蒼のは昔から仙山査子それを好んでいるな」

「緑のの甘味主義と同じだよ」

 器に残った黒紫色の蜜まで丁寧に掬い、滓も残さず最後まで食べきってから蒼髪の「男」は言った。声と同じく、柔らかな笑顔で。

「ともかく。俺は人界に来てからこういったものをあまり味わえなかったから、正直に言って嬉しいよ。――やっと、気持ちと生活の余裕が出来た気がする」

 ただ、その面には消えることの無い愁いがある。

「ワカバも、美味い茶をありがとう」

「……うん」

 長い前髪の隙間から優しげな蒼眼が若草色の娘を見つめ、微笑んだ。見かけも中身も歳若いのに、目元には若干の疲れとやつれが見える。体幅は体高の低さを強調するよう狭く、細い。流れる蒼髪は本来ならもっと艶があるだろうに、我輩らのそれと比べても光を集めていない。

 それらのわけを薄々察しているワカバは言葉少なに笑み返し、空になった器に新たに茶を注ぐ。ふわり、と新たな湯気と香りが広がった。

 我輩もワカバも、多くを聞かない。けれど、近しい境遇のものとしてなんとなくであるが、事態を理解していた。人界のかしこに思い出を育み、人型種と交流してきたものとして、そして何より騎者持つ騎獣として。蒼のがつけてきたであろう「決着」の正体をうすらと感じ取っていた。


(蒼のは、騎者と決別をしてきたのだ)


 それがどんなに苦しいことなのか、騎獣としてどれほど痛みを伴う選択であったのか。おそらく我輩とワカバは他の誰より深く解っている。ゆえに、そういうものを越えてきたばかりの彼に、苦しさを繰り返させるような問いは投げかけたくない。慰めの言の葉もこの場では空々しい。

 数日前、ワカバが言っていたことを思い起こす。

『エルフ達のもとに居たアオは、ずっと我慢してた。我慢してることが判ってたから、わたしはアオに何も言えなかった。あの時はもどかしくて悔しかったけど……今は無理に聞きださなくて良かったと思ってる。だって、アオはちゃんとわたしを助けてくれたもの』

 ことの詳細は、彼自身が溜め込むのに耐え切れない、話したいと思った時に話してくれればそれでいいと思っている。形ばかりの思いやり、それが彼の救いになるかは判らないが、それでも人界にいる同族として、少しでも幸福な未来これからを願いたい。過去は覆らないが、今現在は蒼の自身が掴み取り勝ち得た希望なのだと、そう信じさせたい。信じて欲しい。彼は、それだけの苦労をしてきたのだから。

『アオは、これからもっともっと幸せになるべきだよ』

 まったく同感である。

(……次なる茶の機会には、仙山査子を調達しておこう)

 同じことを考えているだろうワカバが、声を明るいものにする。

「せんさんざしかあ。そういえば、食べさせてもらったこともあったよね。凄く嬉しかったし、とっても美味しかったよ。ありがとう、アオ」

「ああ」

「そうそう、甘くないお菓子も、材料があれば作れるよ。だよね、リョク?」

「うむ。東方の職人に手ほどきを受けた『せんべい』も我輩の得意とする加工物であり至極美味な茶請けである。米さえあれば作れるゆえ、道具が調達出来次第振舞おう。味の基本となる醤油、これがまた妙なる工程と特別の手間をかけた代物で、」

「というわけでアオ、好きなだけリョクに腕前を披露させてあげてね」

「わかった。ッ、は、ははは」

 蒼のはそこで、噴き出すように声を上げて笑った。「ワカバは緑ののことを本当によくわかっているな」と。そこで我輩はこう言い返した。「つがいであるのだから、当然であろう」と。

 ワカバは白い頬を染め上目遣いでこちらを見つめ、

「でもまだ知らないことたくさんあるから。これからたくさん教えてね」

 ……と言った。むずむずと、胸の内から自然に湧き上がる何かが我輩を落ち着かなくさせる。取り敢えず腕を伸ばそうとしたが、つがいがまだ熱い湯の入ったぽっとを抱えている上、中身の残っている茶請け皿やら砂糖壺やら、卓上の障害物が邪魔で抱きしめられない。

「? どうしたのリョク、お代わり欲しいの?」

「あ、そうではなく……」

「ッあの緑のが、雌相手に形無しとは。再会すると同時にこんなに面白い光景を見られるとはな、ふ、はははっ」

 相当間抜けな動作をしていたのだろう。そんな我輩を見て、幼馴染は更に声を上げて笑った。

 卓上の陶器に、窓からの陽光がわずかに差し込む。視界の端で光ったそれは、夕刻でもないのになぜか淡く暖色を滲ませている。あかあかと優しい、日暮れのいろ。それを視界に確認したとき、気まずさと照れはどこかに消えてしまった。

(蒼のは、魂が裂かれるような別離を二度も経験している)

 目の前で笑い声をあげている同族の雄は、遠い過去に何より辛い別れを経験した。夏の夕暮れ、それと同じ色した唯一は彼の目の前で無残に遺骸となり、得るべきだったその想いと一つの幸は永遠に失われたのだ。

 つがいを得たばかりの雄として、その辛さは想像を絶する。騎獣として最も苦しい選択と、麒麟の生で最も辛い別れ。その二つは彼の覆せない過去として、これからも引きずることになろう。だからこそ、我輩は傲慢で身勝手な願いをひっそりと抱く。軽々しい物言いであるし、今の蒼のには絶対に言えないが。


 忘れることが出来ない辛苦ならば、どうかそれ以上の幸福を彼に。新たなであいが、この未来さき訪れるように、と。




「ところで緑の、普段は騎者の棲家を拠点としているのだろう? どうしてかの家に戻らない?」

「今、騎者どのの住居には里帰りしている者が居るゆえ」

「里帰り?」

「うむ。これを人界の言葉でなんと言ったか、血縁的に近しい者だけで過ごす時間のことを、みず、みずなし?否、みずあらず……」

「家族水いらず?」

「そう、かぞくみずいらず。そういうものだ。とりあえず今日一日は、騎者どのが呼んでも我輩は応えない。それが人界の理、粋な気の利かせ様というものだ」

「……アルセイドさんは怒ってたよね、『この薄情騎獣』って」

「気のせいであろう」



「あの薄情騎獣」


 西方の土地は霊気持つ風が吹いているため涼しいが、東方の土地はまだ残暑が厳しい。そんな空気の中、アルセイドはぶつくさと呟きながら田舎道を歩いていた。

「近頃の騎獣ってのは嘆かわしいねェ、どーして騎者の言う事聞かないのか。基本的なことがなっとらん」

 黒の短髪がわずかな風に吹かれ、象牙色の額から汗が滴る。夏らしい薄着の肩にはいつもの旅行鞄が引っ掛けられ、紙の手提げも両手に持っている。先ほど町の配送局にて仕事荷物を託したのち、公共バスから降りて自宅に戻る途中なのだ。

 無論、徒歩である。

「ッたく、信じられん薄情さだわ」

たらり、とまた汗が滴る。自然区域内の住居は静かで落ち着く場所にあるが、如何せん脚が無いと大荷物の時は地味にキツい。つまり、そういった種類の愚痴である。

「大体騎者あってこその騎獣でしょうが。運転手あってこそのタクシー、相方あってのコンビ、冴え渡るツッコミあってこそのボケだってのに、なーんで勝手休暇取った挙句、こっちの呼びかけ無視ムシるんでしょーかね。あーそうですかそうですよね、今頃つがいの彼女とお茶のお時間いちゃいちゃヒャッハー?俺だってハニーとちゅっちゅしてえってのによ、ケッ、これだから最近の騎獣ってのは、」

「アルセイド」

 不意に呼びかけられ、ぶつぶつとした愚痴と歩は止まる。振り向けば、そこにはアルセイドと同程度の身長のエルフの男が立っていた。輝くアッシュブロンドに青紫色の瞳、尖った耳と絶世の美貌。そして凛とした存在感。暑気満ちる晩夏の午後だというのに厚着で、しかも汗ひとつかいている様子が無い。

 アルセイドの黒髪が急に強まった大気に揺れた。彼が近づくごと、涼しい風も近づいてくる。

「……あ? なんだよまた急に現れやがって。家で待ってろって言っただろ」

 (独り言を聞かれていた羞恥も含み)ちょっとイラっとした声になるのは仕方ない。何しろこいつは頼んでないというのに勝手に体感温度を下げてくるし、ご覧の通り典型的な人外イケメンだし、人間さまがまっとうな劣等感を抱く程度にイケメンなエルフさまだし、見てると殴りたくなってくるほどイケメンだから。

 何より目を合わせるたび、やたら嬉しげににやにやするのだ。その憎たらしいほど端麗イケメンな顔で。うんざりするほど、誰かに似た目元で。

 ただ。

「すみません、あの……やはり、一人では、なんとも」

 その麗貌からは珍しく、笑みが消えていた。本当に珍しいことに、笑っていなかったのだ。

「は? もしかしてティーさんあんた、ずっと近場でウロウロしてたの?」

「はあ」

「暇人だなオイ」

「根無し草なものですから」

「ただの無職だろが」

 ケッと吐き捨て、アルセイドはずんずんと歩く。金髪のエルフの眼前に来るなり、紙袋を突き出す。

「持てよ」

「はあ」

 両手に持っていたそれを全部持たせ、またずんずんと歩き出した。荷物がだいぶ軽量化したので歩くのが楽になった。決して、身体に纏わりつく涼風が暑気を追い払ったからではない。

「とっとと歩けや。酒も入ってるんだから」

「は、い」

 アルセイドのあとに慌ててついてくる……というより様子を伺うよう追歩してくる足音を確かめつつ、黒髪の青年は先を急いだ。爽涼に通る声がいつもより弱々しげであること、荷物を押し付けたとき旅装手甲を填めていたエルフの腕がわずかに震えていたことには、気付かないフリだ。




『自分は、あの家には帰れません。――戻ることが、罪なので』


 そう言っていた彼を説き伏せ、というか鼻で嗤い、こうして自宅周辺まで引っ張ってきたのはアルセイド本人である。

『アホか。そんなんに今更拘ってんのはあんただけだよ。あ、もう一人いるかもしれねーけどもう死んでんだからいいんだよ。今の家主は俺なんだから、その俺が来いって言ってんだからつべこべ言わず来いや』

『しかし、』

『来ねえと絶縁する』

『……………………行きます』

 大いに迷いつつ、それでも最終的に頷いた彼に対し、アルセイドはもう一度言った。


『あんたに、見せたいもんがあるんだよ』と。



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