ピンク
ピンク
僕は本の合間から見える彼女をじっと見つめていた。同じ時間同じ場所に必ず彼女がいた。僕が彼女を見つめるようになったのはいつからだろう。同じテーブルの席に着くのでもなく、話しかけるのでもなく、ただ本と本の隙間から彼女を見つめる。僕にはこの距離感がとてもい心地がよかった。僕は彼女のことを一切しらない。名前、年齢、どこに住んでいるのか、どんな声なのか、どんな性格なのか、何が好きなのか、何が嫌いなのか。知ろうとも思わなかった。ただ心の中で彼女を呼ぶ時には不便だったため、自然と僕は彼女のことをピンクと呼ぶようになった。なぜかというと、彼女の持ち物にはピンク色のものが多かったから、ただそれだけである。漠然とピンクが好きなのかと思うが、答えはわからない。彼女を見つめるとき、いつも考えることがある。僕は何を見ているのだろうということである。彼女のどこに僕は惹きつけられるのか僕自身不思議でしょうがなかった。僕から見える彼女は横顔を向いておりいつも本を読んでいる。僕の視線はまず彼女のあごのラインをかすめる、その後輪郭のラインにそり目に到着。その後お腹あたりをかすめる。横から見えるお腹は太っているわけではないが、背が曲げられたときにできるたるみができている。その後、ほっそりとした腕をなぞり、指先は顔にあてられているか、本をさわっているか。そして最終的に彼女ののどにいきつく。とてもきれいな咽喉。僕は彼女の咽喉が好きだ。いや、正確にいうと咽喉から肩にかけてが好きだ。すこしぽっこりしたくびのつけね。凝っていそうな肩を僕は今でもほぐしたくてたまらない。
僕はそんな変態じみたことを考えながら彼女をみることに没頭していた。これが僕の週に一度の習慣。今日で何回目だろうか、今は8月の夏休み、初めて彼女を見たのは今年の春、とても天気がよく気持ちよかったことを覚えている。そんな一方的な僕と彼女の関係は今までもこれからもかわらず、僕の一方通行で終わると思っていた。
今日も変わらず、僕は同じ場所に座っている彼女を同じ場所の本と本の隙間から眺めていた。これまではいつもと同じであった。ところが、いつもと違うことがおきた。本を眺めていた彼女が、ゆっくり顔を上げそのまま僕の方を向いたのだ。僕は初めて彼女を真正面から見詰めた。気がつくと僕は彼女と視線がからまるのを感じた。僕はとっさに視線を外した。動悸がはげしい。ばれてしまっただろうか彼女に。僕が彼女を見つめていることに。僕はとっさに本棚から適当に本をとりだし顔を覆った。心臓がうるさい。どきどきする。彼女はもう僕の方をみていないか、このままどこか違うところに行くべきか。口の中がかわく。僕は正常である。だからきちんとわかっているんだ、僕の行動が変態じみていることを。彼女に軽蔑の眼で見られているだろうか、もしかしたら彼女はもうこないかもしれない。そのことを考えると、話したこともない相手に僕がすごく執着していることを改めて気付かされる。どうして。どうして、こんなにも彼女に惹かれるのか。その答えを教えてくれる者はだれもいない。でもどうしても彼女から目が離せないんだ。
落ち着いてきた。僕は顔をおおっていた本をおろすと、ゆっくりと彼女の方へ視線をうつした。誰もいない。僕の視線の先には誰もいなかった。安堵と悲しみが同時にはしる。彼女かいなくなって安心したのか、ほんとはこっちを向いていてほしかったのか。しかし、彼女がいつもの時間より早めに帰ったことは確かである。その理由が僕である気がしてならない。その事を思うとやりきれない、身体の力をぬこうとした。その時
「あ、あの…」
びくっ、不意を突かれ声をかけららたため、思わず肩を揺らした。ゆっくりと声のした方へ顔を向ける。彼女だ。僕の視線の前に彼女がいた。不安そうな表情で僕をみつめる。僕は横顔からみるのと正面から見るのとの差異に驚いた。思ったよりも低い背に思ったより大きな目。唇は小さくふっくらとしていて、白い肌にうっすらと施されているピンク色のチークはとてもかわいく見える。横顔から考えていたより繊細そうな様子に僕はなぜか胸がくるしくなった。
僕が何も言わず彼女を見つめるので、彼女はますます当惑した様子を見せる。でも僕は口から何も言葉がでてこないんだ。頭で考えていることを口にするのは、とても苦手だった。だから今まで彼女に話しかけることもなく、ただ見つめているだけだったのだ。
「何を読んで、いらっしゃるんですか?」
彼女は意を決したように僕に話しかけてきた。とても緊張しているのがわかる。でもそれ以上に僕は緊張していた。そう僕は緊張していたのだ、それが傍からはわからなくても。動悸が激しいのがわかる。音は彼女の声と自分の嫌に大きく聞こえる動悸の音しかしない。僕はどうにか、腕をあげ、本を見た。
『黒魔術の使用方法』
目が点になるとはこのことだ。思考が停止した。気付いた時には彼女が僕の持っている本を見て狼狽しているのが見える。
「く、黒魔術、ですか??あ、あのそういう本が、好きなんですか、黒魔術。あ、あの、とても、面白そうですね…」
彼女が必死で社交辞令を言おうとしているのがわかる。ち、違う!僕は心の中で必死で否定した。なんてことだ、これじゃ僕が、彼女をじっと見つめてる変態やろうでしかも黒魔術を使おうとか思っている頭のいかれたやろうだと思われてしまう。
「あ、あ・・・・い、あ・・・」
僕は声にもならない音で必死で否定の声をあげようと必死だった。声がでない。もっとちゃんと否定しないとだめなことはわかっているのに声がでない。僕は絶望的に感じた。
そんな僕の必死の対応が滑稽にうつったのか、彼女は嫌悪感をしめすところか、さっきまでの緊張的な様子とはうってかわって、なんとも形容しがたい軽やかな、野花のような声で笑いだした。僕にはなにがそんなに面白いのかわからなかったが、彼女の笑っている様子は悪くないと思いながら、その姿を見つめていた。彼女の笑いがおさまってきた時、僕の緊張もどうにかましになっていた。そこで今度はもっとはっきりと否定の言葉をのせた。
「これは…違う。持ってた、だけ。」
100点まではいかなくとも、40点はとれたのではないだろうか。何度も言うが、僕はほんとに話すのが苦手なのだ。
「そうなんですか。ごめんなさい、笑ったりして。いや、なんだか、とても、黒魔術が似合うなと思ったら、笑いがとまらなくなってしまって。あ、でも変な意味じゃないですよ!あの、あごめんなさい。あの、それに急に話しかけたり、してびっくりなさっていたようだから…。私もなんで話かけたのか、わからないんです。ただ、あなたが何を読んでるのかな、って気になって。って何を言っているのか分からなくなってきますね。ごめんなさいっ」
彼女の顔がだんだん赤みを増していくのがわかる。僕はその様子をみて、あ、ピンクだと思った。やはり彼女はピンクが好きなのだろうかとよくわからないことを思うと、今の状態そのものがおかしく思えてきて、僕は思わず笑ってしまった。少し声が漏れる。その声が聞こえたのか彼女は僕の方を見て、驚いた顔をする。僕が笑ったのがそんなに驚くことなのだろうか、僕は彼女の様子がまたおかしくて笑った。今度は彼女は花のような笑みを僕に向けてきた。ああ、なんて心地いいのか。僕は今までの僕を恥じた。ただ見るだけで満足していた僕に。彼女と目をあわせ、しゃべり、笑いあうことは、なんて気持ちよくてどきどきするんだ。その後、彼女の帰る時間がきて、僕は彼女を図書館の外まで送った。そこで、ようやく、僕は意を決して問いかけた。
「…名前…」
わかっている、なんて僕は下手くそなんだ。僕がこんな自分を恥じていると、彼女はそれでもピンクの笑みで僕にこたえてくれた。
「桃井色」
僕は心の中でその名前を反芻する。そしてはっと気付く。ピンク。彼女の名前はピンクだ。僕は思わず小さい声で、「ピンク…」ともらす。すると、その声に気付いた彼女は少し恥ずかしそうに微笑み
「そうなんです、だから昔はピンクピンクってからかわれてました。でも、なんでか、この色が一番好き、なんですよね。」
そうはにかみながら彼女は言って帰ったいった。僕は彼女のその後ろ姿を見ながら、ピンクに囲まれいる彼女を見ていた。ああなんて素敵なんだ。ピンクの部屋でピンクの花々に埋もれてピンクの服を着て、できれば肩がむき出しのやつを。そして、僕に向かってピンクの頬笑みを浮かべているんだ。僕はこんな妄想に胸をときめかせながら図書館に戻っていった。
終わり




