病弱な幼馴染を優先する婚約者様、私も私の家族も気にしませんが、貴方のお父さまはどう思うかしら?
定番のお題を書いてみようシリーズ第2弾
「…………」
その日、フレデリカ・アスカン子爵令嬢は人を待っていた。
青を基調とした落ち着いた色合いのドレスを身に纏い、自宅の応接で使用人の淹れたお茶に口をつけて時間を潰す。約束の時間は既に一時間以上過ぎていた。フレデリカ自身は平然としていたが、お茶のお代わりを淹れてくれた使用人の顔からは隠しきれぬ怒りが滲んでいた。
窓の外の景色からは夕焼けの赤が消え、夜の黒がすっかり深まっている。こうなることを見越して少し早めに約束していたが、そろそろ待つのも限界だ。フレデリカが使用人に声をかけ父を呼んでもらおうとすると、
──コンコンコン
「お嬢様。バルカス侯爵家から使者がおいでです」
見計ったかのようなタイミングで執事が来訪者を告げる。予定とは違う、予想通りの流れにフレデリカは軽く嘆息し、執事に向けて言った。
「お通しして」
「かしこまりました」
数分後、応接に通された侯爵家の使者は気まずそうな表情をしていた。用件は聞くまでも無く分かっていたが、フレデリカは礼節を保って使者に訊ねた。
「ご用件を伺ってもよろしいかしら? 私、本日はエミリオ様に夜会のエスコートをしていただく約束をしていて、エミリオ様がお越しになるのを今か今かとお待ちしているのだけれど」
エミリオとはバルカス侯爵家の嫡男でありフレデリカの婚約者だ。使者はフレデリカが一時間以上待ちぼうけを食らっていることを把握していたのだろう。額に浮かぶ冷や汗を拭いながら言った。
「エ、エミリオ様は急用ができてしまい、本日フレデリカ様のエスコートを行うことができなくなりました」
予想通りの言葉だ。フレデリカはワザとらしく口元に手を当てて言った。
「まぁ、急用。一体何があったのかしら? こんな時間まで連絡ができないなんて、まさかお身内に不幸でもあったの?」
「い、いえ……そういうわけでは……」
「ではどういう事情なの? 何か私には話せない事情なのかしら?」
「なんと申しますか、その……」
使者は言い辛そうに言葉を濁していたが、やがて諦めたように言った。
「……アルバ男爵令嬢が体調を崩したとのことで、そのお見舞いに──」
──ベキッ!
フレデリカの背後に控えていた女性使用人の腕の中でお盆が音を立てて変形した。
「ひっ……!」
使用人の全身から立ち上る怒りと殺意とに、侯爵家の使者は小さく悲鳴を上げた。
アルバ男爵令嬢とは名をエリザベートと言い、エミリオの幼馴染。病弱だというエリザベートは頻繁に体調を崩し、エミリオはその都度彼女の見舞いを優先してフレデリカとの約束を反故にしてきた。
気まずそうにしている使者に、フレデリカは微笑みを浮かべて言った。
「そう、分かったわ。アルバ男爵令嬢にお大事にとお伝えください」
「は? いえ、は、はい」
使者はフレデリカの言葉にコクコクと頷き、そのまま逃げ帰るように子爵家を後にした。
使者を見送ったフレデリカは、未だ怒り冷めやらぬ様子の使用人に声をかける。
「お父さまを呼んでくれる? エミリオ様の代わりにエスコートをお願いしないと」
「もう準備はできているぞ」
そう言って応接に姿を見せたのは、パリッとしたイブニングコートを身に纏った壮年の紳士。フレデリカの父アスカン子爵だ。
「夜会の話を聞いた時から、どうせこうなるだろうと思っていた」
「まぁ」
準備万端の父の姿にフレデリカは笑みをこぼした。
親子の表情にはエミリオに対する呆れこそあれ、蔑ろにされたことへの怒りや失望はない。
「じゃあ急ぎましょう。今日はエヴァンズ伯爵夫人主催の夜会ですもの。あまり遅れると失礼にあたるわ」
「あちらもおおよその事情は察しておいでだろうし、別に多少遅れても構わんだろう」
「駄目よ。事情があれば失礼を働いていいなんて考えは心を貧しくするわ」
「……分かった分かった。では急ぐとしようか」
そんな会話を交わして二人は夜会へと出かけていく。
使用人たちはそんな主人たちを見送り、フレデリカを粗雑に扱う侯爵家に怒りを募らせた。そして同時に何故フレデリカたちはこんな扱いを受けても怒ろうとせず、また婚約を破談にしようとしないのだろうかと疑問を抱いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「フレデリカ! 婚約破棄とは一体どういうことだ!?」
エヴァンズ伯爵夫人主催の夜会から数日後。アスカン子爵家の屋敷にエミリオが血相を変えて怒鳴り込んできた。
使用人の制止を振り切って強引に乗り込んできたらしい。侯爵家の人間を力ずくで制止するわけにもいかず、エミリオの背後には子爵家の使用人が数人、弱り切った表情で立っていた。
中庭のテラス席で読書を楽しんでいたフレデリカは突然の来訪に目を丸くし、深々と嘆息。そして使用人たちに仕草で自分が相手をすると伝えて下がらせた。
「何か不満があったなら、まず僕に言ってくれれば良かったじゃないか! 話し合いもなくいきなりこんな──」
「落ち着いてください、エミリオ様」
グイグイと迫ってくるエミリオを制止し、フレデリカは落ち着いた口調で言った。
「これが落ち着いて──」
「そう一方的にまくし立てられたのでは話も出来ませんわ。そもそも婚約破棄とは一体何のことですか?」
「え……?」
フレデリカの言葉にエミリオがキョトンと目を瞬かせる。そのタイミングで更にフレデリカは言った。
「……何やら行き違いがあるようですね。まずは落ち着いてそちらのお話を聞かせてくださいな」
「あ、ああ……」
フレデリカは使用人に命じてエミリオにお茶を運ばせる。そしてエミリオが落ち着いて話ができる状態になったところで、改めてフレデリカは訊ねた。
「それで、婚約破棄とは一体何の話ですか?」
「……本当に何も知らないのかい? その、つい先ほど父から君との婚約が破談となったと聞いて、飛び出してきたんだが……」
フレデリカは呆れて溜め息を吐いた。
「バルガス侯爵に事情は訊ねなかったのですか?」
「い、いや、僕がいつもエリザベートを構っていることに君が怒って婚約を破棄したものとばかり……」
「…………」
エミリオにも婚約者よりも病弱な幼馴染を優先することが問題だと認識する程度の常識はあったらしい。評価するには値しない。常識を分かった上で非常識な行動を取り続けていたのだから。
フレデリカの冷めた視線をどう解釈したのかエミリオは慌てて弁解した。
「エリザベートとのことは誤解なんだ! 彼女は妹のようなもので、決して疚しいところはない! 僕が愛しているのは君だけなんだフレデリカ! 信じてくれ!!」
「…………」
芝居がかった態度で訴えるエミリオに、フレデリカは頭が痛くなった。それでも淑女としての節度を保ち、精一杯冷静な態度と口調で告げる。
「事情は概ね分かりました。どうやら色々と誤解があるようですね」
「……誤解?」
キョトンと目を丸くするエミリオに、フレデリカは溜め息を堪えて言った。
「ええ。どこから説明したらいいのか……まず、根本的な勘違いから正しておきましょうか。そもそも私は、エミリオ様がエリザベート様と親しくしてらっしゃることに関して何も思うところはありません」
「え……?」
エミリオは呆気にとられた。
「ぼ、僕は君の約束よりエリザベートを優先していたんだよ? そのことに嫉妬したり──」
「ぷっ」
思わずフレデリカの口から失笑が漏れた。
「あら失礼。何を勘違いしているのか知りませんが、所詮エミリオ様と私の婚約は家の都合によるものです。愛情など最初から期待していませんし、エミリオ様が他の女性とどんな関係であろうと一々嫉妬したりはしませんよ」
余所で子供を作ってくるというなら話は別だが、エリザベートは実際に病弱で子供を作ることは難しい。エリザベートとの関係はフレデリカにとってもアスカン子爵にとっても目くじらを立てるほどのことではなかった。
「そんな……」
フレデリカの言葉にエミリオは愕然とした表情をする。まさかとは思うがフレデリカに嫉妬して欲しかったとでも言うのだろうか?
フレデリカはこれ以上エミリオの与太話に付き合う気にもなれず、淡々と話を続けた。
「それに私から婚約破棄を申し出たというのもあり得ないことです」
「じゃ、じゃあ破談というのは僕の勘違い──」
「明確な契約違反があったというならまだしも、子爵家と侯爵家の間で結ばれた婚約を当家の都合でそう簡単に破棄できるわけがないじゃありませんか」
エミリオの言葉を遮って、フレデリカはハッキリと言った。
「今回の件は婚約破棄ではなく、バルカス侯爵から婚約解消のお申し入れをいただき、当家がそれを受諾しただけです」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「父上! フレデリカと婚約解消とはどういうことですか!?」
「…………はぁ」
執務室に血相を変えて怒鳴り込んできた息子の醜態にバルカス侯爵は深々と溜め息を吐いた。
この分ではアスカン子爵家でどんな無礼な振る舞いをしてきたか容易に想像がつく。子爵には改めてお詫びしておかなくてはなるまい。
「何故私に相談も無く、勝手に婚約解消などしたのですか!? 私はフレデリカを愛して──」
「やかましい! 愛しているというなら何故フレデリカ嬢を粗略に扱った!!」
バルカス侯爵はエミリオの言葉を遮り一喝した。
エミリオは侯爵の怒声に一瞬ひるんだものの、すぐに気を取り直して弁解した。
「べ、別に粗略に扱ってなど……ただ、私は病弱で外に出れないエリザベートを幼馴染として放っておけず……」
「貴様がどういうつもりかなどどうでも良い。お前の振る舞いが周囲からどう見えていたかが問題なのだ」
バルカス侯爵の指摘にエミリオは言葉に詰まる。侯爵は更に続けた。
「アスカン子爵家は当家の寄子。だがそれは決して格下だからと粗略に扱って良いということを意味しない。当家が子爵家を粗略に扱えばそれを見た他の寄子はどう思う? 娘を差し出した子爵家でさえあのような扱いを受けるなら、自分たちは一体どうなるのかと不安に思うに違いあるまい。他の派閥に鞍替えされる可能性もあるし、そうでなくても何かあった時に当家を支えようなどとは思わぬだろう」
「…………」
「気づかなかった、などと言い訳はするなよ? 私はこれまでも何度もお前に社交界でお前の悪評が流れていることを伝え、フレデリカ嬢を大切にするよう伝えてきたのだからな」
「…………」
しかしエミリオはバルカス侯爵の注意を「言いたい奴には言わせておけばいい」と笑って取り合わなかった。
「で、ですが、私はフレデリカを愛して──」
「ならばどうして彼女を大切にしなかった? そもそもフレデリカ嬢との婚約は、お前のたっての希望で成立させたものだったのだぞ?」
「…………」
バルカス侯爵としては敢えて寄子のアスカン子爵家との縁を深める必要はなかった。けれど息子のエミリオが美姫と名高いフレデリカ嬢との婚約をどうしてもと望んだため、その想いを汲んで婚約を成立させてやった。
俯き押し黙るエミリオに侯爵は鼻を鳴らした。
「ふん。大方フレデリカ嬢に劣等感を感じ、彼女を嫉妬させることで優越感に浸りたかったといったところか」
「!」
図星を突かれてエミリオの顔が紅潮した。
バルカス侯爵はそんな息子の反応を無視して続ける。
「お前の思惑が何であれ、あの様ではフレデリカ嬢を当家に迎えても夫婦関係は上手く行かず家中に不和の種を抱えるだけだろう。婚約の継続は当家にとってリスクが高いと判断し、私の方からアスカン子爵に頭を下げて婚約を解消させてもらった。当然、これまでの迷惑料を含めた十分な違約金を支払った上でな」
「で、でも……っ!」
エミリオはバルカス侯爵に何か訴えようとしたが、侯爵の鋭い眼光に何も言えず口ごもる。
「言っておくが、今更貴様がアスカン子爵に何を言っても無駄だぞ。フレデリカ嬢には既に他の男が何人も名乗りを上げており、その中には王家の血を引く方もおられるそうだ」
「…………」
エミリオの表情が絶望に染まる。バルカス侯爵はそんな彼に畳みかけるように言った。
「お前の婚約は完全に白紙だ。フレデリカ嬢の件で社交界には貴様の悪評が広まっているからな。いくら当家が侯爵家とは言え中々話は纏まらんだろう」
「……そんな」
「まぁ、当家を継ぐ資格があるのはお前だけではない。見つからなかったとしても特に問題はないがな」
「…………」
それは事実上の廃嫡宣言だった。
「これ以上お前と話すことはない。下がれ」
「…………」
冷たい父親の言葉に、エミリオは呆然とした表情で言われるがまま部屋を後にする。そんなつもりじゃなかったのにと、未だ胸の中で言い訳を重ねながら。




