こんばんは、旦那さま。早速ですが、お命頂戴いたします。
視界に大写しになる顔を、じっと見上げる。
薄闇の中ですら眩いハニーブロンド、熱に浮かされた瞳は透き通るアイスブルー。男性にしてはやや細く尖った顎、完璧な鼻筋。私の顔の両脇に着かれた滑らかな大きな手のひら、程よく筋肉の乗った腕。
世にも美しいその人は、私の愛しい愛しい旦那さま。ベッドの上で身を縮こまらせる私に淡く微笑んで、枕に散った漆黒の髪をひと束取り上げる。手のひらの上の艶やかな髪にそっと唇を落とし、彼は優しく微笑んだ。
「王子……」
声を震わせる私の鼻先にちょんと指を触れ、旦那さまはいたずらっぽく笑う。
「こら。名前で呼んでほしいと、言ってるだろう?」
私は頬を赤らめながら、彼の名を呼ぶ。旦那さまは満足げに微笑んで、ゆっくりと私に覆いかぶさってくる。互いの吐息が触れ合い、目の前で旦那さまが長い睫毛を伏せた。
暖かな唇が私の唇をついばんだ、その時。
――ガッ!
「……ちっ」
ナイフを持った腕を力任せに掴まれ、私は舌打ちをして飛びすさった。薄く肌の透ける素材のネグリジェを跳ね上げ、素早く臨戦態勢を取る。
先ほどまで情欲に飢えた表情をしていた男は、一転、冷ややかな無表情でベッドに腰を下ろしている。隙だらけに見えて、全身の筋肉が張り詰めているのを、私は見逃さない。
「……物騒なヤツだな」
そう呟いて唇を歪める男に、私も吐き捨てた。
「うるさいわよ、このニセ王子」
「なんだ、気付いてたのか。ニセ公女」
「……そっちこそ」
互いに距離を取り、私たちは睨み合った。
国も、家族も、友も。あの日、私は全てを失った。
十一年前、新興の大国・リュストゥングに攻め込まれた私の祖国は、呆気なく地図上から姿を消した。
民はかの国で生きることを許されたが、貴族や王族は別。貴族たちは領土や財産を奪われ、リュストゥングの奴隷となった。そして王族は、激しく抵抗したことを危険視され、次々と処刑台に送られた。継承権を持たない者や、赤ん坊ですらも。
当時六歳だった私の記憶は曖昧だが、正妃である母は決死の覚悟で、私の死を偽装したそうだ。私は表向き死んだことになり、母の友人宅に極秘で引き取られた。
私を引き受けてくれたのは、リュストゥングのとある公爵家だった。現当主の従妹が私の祖国に留学した際、母と仲良くなったそうだ。
先代当主の遠縁の女性が、本家に侍女として通ってきていたため、私は彼女の娘ということになった。
リュストゥングの前王朝の血を引く公爵は、長年、リュストゥング王と距離を置いてきた。内心憎たらしく思っていても、その歴史の重みゆえ、リュストゥング王家は強く出られない。隠れ蓑には最適だ。私は公爵のご令嬢の侍女候補として、彼女に仕えることになった。
「――私が、にくい?」
リュストゥングへの怒りに目をギラつかせている私に、その娘は冷ややかに尋ねた。とても同い年とは思えない、落ち着きよう。私は吠えた。
「リュストゥングなんて、ほろべばいい……!」
怨嗟の唸りを上げた私に、令嬢は小さく微笑んだ。
「あら、気が合うわね。――私たちも、こんな国、なくなってしまえばいいと思ってるわ」
ねえ、と歌うように、令嬢は続ける。その姿だけは年相応の幼い娘のようで、私は背筋を凍らせた。
「あなた。――いっしょに、この国の王族にふくしゅうしない?」
公爵令嬢、ユリアーネ・ファルケンは、才色兼備の誉れ高く成長し、十四歳の頃、第二王子の婚約者に指名された。
王太子である第一王子ではないのは、リュストゥング王家の思惑だ。名家の後ろ盾はほしいけれど、力を持たれすぎるのも困る。平民出身の側妃の息子である第二王子が、ちょうど良かったのだ。
ユリアーネは完璧な令嬢だ。王家に入るための教育も難なくこなし、外見も文句ない。弱い者に寛大で、上の者を立てる、非の打ち所のない公女様だった。
「ユーディット、調子はどう?」
ユリアーネは微笑みながら声を掛けてくる。ユーディットは、私に与えられた偽名だ。
ユーディット・アイゼン。
リュストゥング風の名前は大嫌いだが、呼ばれ続ければ慣れてしまった。
ユリアーネ、そして父のファルケン公爵、ユリアーネの兄のベルンハルトとハインリヒは、ユーディットに妙に親切だった。侍女でありながら、ユリアーネと変わらない教育を受けさせ、本来の身分とユリアーネの身分、二つのマナーを教わった。
そして、何より。
「へぇ、すごいじゃないか」
私たちと歳の近いハインリヒが、笑顔で手を叩いている。様々な暗器の扱い方を教わった私が、庭の隅で訓練を重ねていたところに、彼ら兄妹は足音もなく近付いてきたのだ。
もはやこの程度の動きでは、汗ひとつかかなくなった私は、冷めた目を彼らに向けた。
「……なぜ、私にこんなことを?」
「あら、言ったじゃない。『一緒に復讐しましょう』って。あなたも頷いてくれたでしょう?」
物騒な内容を朗らかに口にし、ユリアーネは首を傾げてみせた。彼女は無邪気にさえ感じられる口調で、夢見るように続ける。
「その時が来れば、私たちも動くわ。もう一人ぐらい、味方がいてくれると心強いの」
その時、とはつまり、王家に刃を向ける日ということだろう。
ファルケン公爵家もまた、リュストゥングを深く憎んでいた。
リュストゥングが興ったのは、今から四十年と少し前。前王国・エーデルシュタインを乗っ取り、当時の軍部の長であったアードラー家の当主が王を名乗った。現在のリュストゥング王は三代目だ。
そして、国を乗っ取られたのは言うまでもなく、ファルケンの先々代当主だ。リュストゥングは敬意を表して彼を公爵に据えたが、長く続いた平和を、国土を、民を奪われた怒りを、そんなことで鎮火出来るはずもない。
当代のリュストゥング王が強硬に求めた、四世代目たる第二王子とユリアーネの婚約は、彼女を人質に取ることと同義だった。
「ひいおじい様は、民が戦火に遭うことを嫌がり、圧倒的な武力の前に膝を着いた。その選択が間違いだったとは言わない。
……ただ、リュストゥングは、調子に乗り過ぎたのよ」
彼らは強大な軍事力で、周辺国を次々に従えていった。八年前に戦火に飲み込まれた、ユーディット――当時はもちろん違う名だった――の祖国も、そのうちの一つだ。
「これ以上、アードラーの好きにはさせない。彼らの血を、絶やしてやるの」
そう呟いて美しく微笑むユリアーネは、恐ろしいまでに綺麗だった。
三年後、ユリアーネが十七になった時、第二王子との婚姻式が執り行われた。
私も当然、式のあとは侍女として王城に勤めるつもりだった。そこで第二王子を手始めに、リュストゥングの面々に刃を振るおうと。
だが、婚姻式の朝、ユリアーネはとんでもないことを言い出した。
「さ、ユー、ドレスを着て。手伝うわ」
「はっ……!?」
ユーは私の愛称だ。純白の花嫁衣裳をにこやかに掲げるユリアーネに、私は驚きの目を向けた。
王宮の一角、支度を手伝うのは、私の同僚でもあるファルケンの使用人たち。彼女たちはこの式の支度を終えれば、ファルケン公爵家に戻ることになっている。慣例により、王家に嫁ぐ女性が伴えるのは、一人だけなのだ。彼女たちは、主人の最後の言葉を当たり前のように聞き入れ、私を鏡の前に誘う。
私は混乱し、声を上げた。
「ちょっと、どういう――」
「お父様の作戦よ」
ユリアーネは私の耳元に口を寄せ、そっと囁いた。
「初めはただ、あなたの境遇を不憫に思っただけだそうよ。でも、いざあなたと対面して、お父様はひどく驚いたそう。……私とあなた、雰囲気がそっくりだったから。
お父様はあなたに、あえて私とよく似た名前を授けて、私の近くで育てたの。いざという時、私とあなたがスムーズに入れ替われるよう」
信じられない言葉に、私は絶句する。ユリアーネは苦笑しながら続けた。
「あなたが望まないなら、そのまま、この国で無難に生きていけるようにするつもりだったわ。でも、あなたは、復讐を選んだ。
――さあ、今日から、私はあなた、あなたは私。あなたが王子の妻となり、そして、隙を見計らってリュストゥング王家に致命傷を与えてやりなさい」
私はパクパクと口を動かしながら、ユリアーネを、周囲を見やる。誰か冗談だと言い出すんじゃないか、これは夢だと言うんじゃないか。
けれど、誰も顔色ひとつ変えず、自然体で佇んでいる。最後には、私も覚悟を決めた。
「……バレたらどうするの?」
「もともと絵姿は、あなたに似せたものを提出していたわ。私も普段から、お化粧で微妙に素顔と印象を変えてきたし。
あなたが秘め事を決行した直後、あなたも連れてここから逃げるわ。たとえ正体がバレたとしても、私たちがあなたを守る」
力強いユリアーネの言葉に、私はグッと拳を握り締めた。
「なんで……」
ユリアーネは二、三度瞬きをし、おもむろに微笑んだ。
「約束したでしょ? 『一緒に』復讐するって」
(――まさか、王子側も影武者を立てていたなんて……)
ユーディットは奥歯を噛み締めながら、目の前の男を睨む。侍女に扮したユリアーネは、何も言わなかった。彼女も、まさか婚姻式の相手が王子ではないとは、思わなかったのだろう。
第二王子は幼い頃の落馬の影響で、左腕に痺れが残っていると、公爵家の間諜が言っていた。
そんな彼が、手に均等に体重を掛け、私に覆いかぶさって来た。その時点で、この王子は偽物だと直感した。
「あんた、何者?」
睨め付ける私に、男は思いがけず素直に名乗った。
「エミール・バウアー。影武者」
「……ずいぶん素直なのね」
「王子をお守りするためだ。王子の居場所を知るのは、俺だけ。俺からの連絡が途絶えれば、王子が表に出て来られてしまう恐れがある」
見上げた忠誠心だこと、と吐き捨て、私はエミールと名乗った男を見据えた。
「……それを狙って、私があんたを殺すとは考えないの?」
エミールは喉の奥を鳴らし、答えた。
「王子として振る舞う俺を殺して、そのあとどうやって王宮で暮らす気だ? むしろ、お前を殺して、偽物だと暴いてやろうか」
男の軽口に、今度は私が笑う番だった。手にしたナイフを手の中で弄びながら、私は男に冷たく告げる。
「……ファルケンを敵に回して困るのは、第二王子じゃないの?」
第二王子の母は平民。いくら王位に色気がなくとも、王宮を無事生き抜くには後ろ盾は必須だ。
私たちは無言で、互いの様子を伺い合う。
やがて、エミールは肩を竦め、いつの間にかその爪に装着していた、鋭利な武器を外した。
「……寝るか」
「……は?」
訝る私に構うことなく、エミールはベッドに仰向けになる。こちらをチラリと見やり、彼はニヤリと笑った。
「一応、『そういうこと』をしたフリはしとかないとな。お互い、正体がバレたら困るだろ?」
(……何、コイツ)
ナイフを仕舞いながら、私は顔を顰めた。
翌朝、私はユリアーネにことの次第を報告した。彼女はしばらく顎に指を当て考えていたが、やがて顔を上げてニッコリと微笑む。
「……しばらくは、このままで」
「第二王子以外を手にかけて、さっさと逃げればいいんじゃないの?」
「ダメよ。――あなたは、王子の居場所をなんとか突き止めて。王宮に火をつけるのは、彼の所在を掴んでから。私は、お父様に相談してみる」
ユリアーネの指示に、私も逆らうことはためらわれる。ちなみに、当初は第二王子を手にかけたあと、王宮中に眠り薬を薫き、最後は火を放って逃げる予定だった。
仕方なく、人前では王子の影武者と夫婦ごっこを続けながら、二人きりの部屋で、寝室で、密やかな攻防を繰り広げることになった。
「――第二王子はどこ?」
「言うかよ」
懐に踏み込み、ナイフを振り上げる。弾かれる。
「……さっさと吐けば? 四六時中生命を狙われて、夜も眠れないんでしょ?」
「お互いさまだろ」
足音を殺し、手にしたペーパーウェイトを頭上に構える。避けられる。
期待されない第二王子に、公務はほとんどないとは言え、まったく表に出ないということもない。エミールは王子のフリを、私は公女ユリアーネのフリを。周囲に笑顔で手を振りつつ、私たちは互いの隙を見つけては、武器を手に襲いかかっていた。
もしや私たちと同様、エミールの身近に本物がいるのではと目を凝らした。だが、側近、従僕、家庭教師、どれも怪しく見え、どれもそうでないように見える。
そんな日々も、あっという間に数ヶ月が過ぎていく。
私はある日、一人で救済院の慰問に向かうことになった。一人と言っても、もちろん侍女のフリをしたユリアーネや、数多くの護衛も一緒だ。すれ違う人間に、いかにも「ユリアーネ」らしく、優雅に微笑みかける。
頭を下げ、ユリアーネを見送った人々は、私がまだ聞き耳を立てていることにも気付かず、忍び笑いをもらした。
「公女様もお可哀想に……」
「あの『日陰王子』に嫁がされたんじゃ、せっかくの美貌も頭脳も、宝の持ち腐れよねぇ」
(……自分の分をわきまえるということを、知らないのかしら? リュストゥング王城の使用人は)
内心辟易とし、私は聞こえないフリを貫く。馬車に腰を下ろし、御者の振るう鞭の音を聞いたところで、私はふと思い至って目を見開いた。
(そうか……。だからあのエミールは……)
非力な第二王子に忠誠を誓う、忠実な影武者。
彼が事実を詳らかにし、ユリアーネたちを糾弾したとして、「女に生命を狙われかけて悲鳴を上げた」と馬鹿にされることは必至だ。
エミールは守ろうとしているのだ。王子の生命だけでなく、その評判をも。
(――くだらない。だからなに? 同情から手加減をして、祖国の仇を見逃すの?)
私は首を振り、窓の外をじっと見つめた。
これほど第二王子が虚仮にされるのであれば、さぞ現王や第一王子は人望が篤いのかといえば、そんなことはない。王は色よりも武を好むため、王妃と側妃は一人ずつ。子も、王妃との間の第一王子と第一王女、側妃との間の第二王子だけだ。先祖の血を色濃く引く戦闘狂で、即位と共に私の祖国を滅ぼして以降も、あちこちの国に色気を出している。第一王子は贅沢好きで、多大な戦費の影響で税に苦しむ民の反感が根強い。
(なんで、こんな国に、私の祖国は滅ぼされなければならなかったの……)
唇を噛み締める私の顔を、同乗しまユリアーネがじっと見つめていた。
王子の居場所も掴めず、気ばかりが焦りながらも、エミールと武器をぶつけ合う日々が続く。一人で復讐を果たしたって、構わないのだ。復讐を遂げたら、この身がどうなろうとも。
それなのになぜ、ユリアーネの言葉に従ってしまうのだろう。
モヤモヤと塞ぎ込む私に、侍女に扮するユリアーネが、髪を直すふりで耳元に唇を寄せてきた。
「お父様の指示で、少し、人に会ってくるわね」
「……私はいつ、リュストゥングの王族を八つ裂きに出来るの?」
「その日は遠くないわ」
ヒラリと身を翻し、ユリアーネは離れていく。
(私はあの女に、かつがれているだけのかしら……)
疑惑に駆られながら、私は溜め息をついた。
「……浮かない顔だな」
今日もベッドの隣に横たわりながら、エミールが呟くように言った。私は寝返りを打ち、彼に背を向ける。
互いがニセモノだと周囲にバレないよう、私たちは高頻度でベッドを共にしている。周囲が邪推するような甘い蜜月ではなく、繰り広げられているのは暗器を用いた殺し合いだが。
天敵に案じるような声を掛けられたことが、なぜか無性に腹立たしく、不安を覚えた。
「――別に」
思い出してしまうのだ。
祖国をリュストゥングに奪われてから、誰かと寝床を共にすることなどなかった。ファルケン公爵家でも、私はただの使用人だった。冷たく狭いベッドの中で一人、膝を抱えて眠っていた。
生命を狙い合う相手の背中の温もりに、懐かしさと望郷を覚えているだなんて、どうしても受け入れられなかった。
気を紛らわせるために、私は話題を変えた。
「……あんた、本当はどこの生まれなの?」
隣から、かすかな驚きと躊躇いの空気が伝わってくる。しばらく沈黙したあと、エミールは掠れた声で答えた。
「……この国だよ。奴隷出身。両親を亡くして途方に暮れていたところを、主が拾ってくださった」
私は思わず息を飲む。気配を感じたのか、エミールはこちらに身体ごと向き直りながら、尋ね返してきた。
「お前は?」
「言わないわ」
間髪入れずに答える私に、エミールは苦笑する。しばらくすると、穏やかな呑気な寝息が響いて来た。
武器を交えなかったのは、今晩が初めてだった。
「たっ、大変です、王子――!」
ワタワタと声を上げながら、第二王子の側近の一人が部屋に駆け込んでくる。彼は伯爵家の次男で、一月ほど前に第二王子につき始めた。落ち着きのない人物だが、裏表がなく、重宝しているのだそうだ。
水面下で睨み合いながら、私たちは午後のお茶を飲んでいた。第二王子のフリをしたエミールが、驚いたように顔を上げる。
「どうしたんだ? オスカー」
「クーデターです! 中立派の貴族たちが、王と第一王子の不正の証拠を入手したと……!」
エミールが目を見開いて立ち上がる。私も呆然と、その話を聞いていた。
エミールはオスカーという名の彼に駆け寄り、彼の両肩を掴む。
「確かなのか!? 父上は、兄上はいったい何を……!」
「国家予算の私的流用、貴族院の承認を得ない他国への軍派遣、反対派閥の構成員の暗殺指示など……。疑惑は決定的で、追放は免れられないそうです」
(なによ、それ……)
口元をわななかせ、私は眼前の会話に聞き入る。居ても立ってもいられず、立ち上がりかけた私に、ひっそりと話し掛ける声があった。
「どうなさいました? ユリアーネ様」
侍女・ユーディットを演じるユリアーネが、いつの間にか部屋の入り口に立っている。私は彼女を呼び寄せながら、じっと彼女の目を見つめた。
「……外の騒ぎは、聞いていて?」
「はい、ユリアーネ様。あ、あの、実は、クーデターの実行者が、今から声明を出すとのことで……」
オロオロとした風を装って告げる彼女に、反応したのはエミールと、第二王子の側近だ。
「どこでだ? ユーディット」
「王城前広場だそうです、殿下」
彼女の答えを聞き、エミールはオスカーを伴って部屋を出て行った。
唖然として彼を見送った私に、ユリアーネはうって変わって楽しげな笑みで告げる。
「――お父様が、情報収集に優れたスパイを探し当てて、動かしたの。これで、王と第一王子に連なる王族のほとんどは、離宮にまとめて閉じ込められる。あとは、第二王子ね」
どこまでも余裕なその笑顔に、私は恐怖すら覚え、黙って彼女を見つめていた。
クーデターの首魁が主張したのは、次の通りだった。
一つ、行き過ぎた王族至上主義の廃止。現王、および現王太子の廃位。
一つ、他国戦略の見直し。
一つ、軍の指揮権および、承認ルートの再検討。
一つ、混乱を避けるため、新たな王として、第二王子ルートヴィヒの擁立。宰相は、経済学にも強いジルバー侯爵を引き続き任命。王子の後見人には、義父であり前王朝の血を引くファルケン公爵を新任。
人々は、第二王子とファルケン公爵黒幕説を熱心に唱えたものの、現宰相ジルバーや軍の長官はファルケン公爵との不仲で知られている。その話はすぐに、尻すぼみになった。
そして、肝心の私たちといえば――
「……オスカーが、第二王子ルートヴィヒ……?」
「……ユーディットが、公女ユリアーネ……?」
正体を知り、私もエミールも絶句していた。なんと同い年の二人は、公務を担うことになった十四歳以降、エミールがずっと人前に出ていた。そのことは最低限の者のみが知る、極秘だったそうだ。
「ちなみに、痺れは左腕ではなく、右足に残ってるんですよ。……ユーディット」
これまでのオロオロとした様子もなく、おっとりと首を傾げるオスカー、いやルートヴィヒ王子に、私は閉口する。くすんだ金髪とブルーグレーの瞳は、確かにエミールの持つ特徴に似ていなくも、ない。
困惑する私たちを可笑しそうに眺め、ユリアーネはおもむろに口を開いた。
「――あなた、エミールというのよね? あなたが今日からこの国の王、ユーが王妃。しばらくは宰相の親政を敷くことになるんでしょうけど、頑張って」
「……なっ、何をおっしゃるんですか!?」
泡を食ったエミールが叫び、オスカーと名乗っていた第二王子、ルートヴィヒがゆっくりと微笑んだ。
「国民が知る第二王子は、君だ。今更私が出て行けば、それこそ、王家への信頼は地に堕ちる。私も、どうなるか分からない」
「そんな……! 私は奴隷階級の生まれで、王家には血の一滴も繋がりのない者です! 王冠は、殿下が被るべき……」
「エミール」
細いのに、重く聞こえる声で、ルートヴィヒは影武者の名を呼ぶ。髪色や目の色は似通っている二人だが、その雰囲気はまさに対照的だった。
「――血よりも、民からの信頼だ。そうだろう?」
一方、私はユリアーネの腕を掴み、部屋の隅で彼女を問いただしていた。
「……どういうつもりよ」
「こっちの方が平和的でしょう。奴隷――何十年も前に倒された国の貴族の血を引く男と、同じく亡国の王女であるあなたが国を継ぐ。アードラーの血は途絶え、あなたのご先祖の血は永遠に続いていく。
これって、最高の復讐じゃない?」
恐らく、初めからそのつもりだったのだろう。彼女が私に語った復讐プラン、私の行動そのものが、盛大な囮だったのだ。
腹正しさと後ろめたさに、私は震えた。
「それは、確かにそうだけど……。でも、それは民への裏切りよ。彼らは血筋に正統性を見る。もちろん、能力や統治も重要だけれど……」
「民は強かよ。国が滅んでも、彼らの明日は続いていく。彼らが真に望むのは、正統性より、平和でより良い未来ではなくて?」
私と一緒に学んだあなたが、エミールを支えておあげなさい。
凛と告げるユリアーネに、私は黙り込んだ。
その後、散々渋った私たちは、顔を合わせる人合わせる人全員に王と王妃となることを望まれ、ついに根をあげた。中には事情を知っていそうな、思わせぶりな態度でこちらを試す者もいる。冷や汗をかきながら、次から次へ舞い込む仕事をこなしつつ、私たちは即位式の準備に臨んだ。
即位式は歴代稀に見る質素なものだったが、年若い王と王妃に、期待の声を寄せる者は多かった。
そして、即位式が終わり、ようやくひと息ついた夜。
私とエミールは、散々憎まれ口を叩きあった末、武器を手放して共にベッドに入った。気まずい時間のあと、顔を真っ赤にしたエミールが覆いかぶさってくる。
唇が触れる直前、エミールは思い出したように呟いた。
「……なあ、本名は何て言うんだ?」
即位式を迎えるにあたり、彼には事情を全て話していた。十一年――ほぼ十二年、封印してきた名前を、私は迷いながら口にする。
「――ヒュゲット。ヒューと、呼ばれていたわ」
与えられた偽名のユーディット、愛称のユーが本名に近かったのは、きっと偶然だ。私は決して、本名を彼らに教えなかった。
幾度も生命を狙い合いながら、大切なものを全力で守ろうとするこの男の誠実さと真っ直ぐさに、惹かれてしまったのも。きっと、タチの悪い偶然なのだ。
ちなみにこの男は、「捨て猫が懸命に生きようとする姿に似て見えて、放っておけなくなった」などと、なんとも失礼なことを言ってきた。
エミールは目を瞬かせ、ほのかに笑って再び顔を寄せて来る。耳元で名を呼ばれ、私は羞恥に顔を火照らせながら、そっと目を伏せた。
「――もう、行くの?」
年齢を経ても、どこか玻璃を思わせる澄んだ声でルートヴィヒは私に声を掛けた。いや、今は長年の偽名であったオスカー・モルゲンを名乗っているのだったか。
私は振り返り、にっこりと微笑んだ。漆黒の髪を薄茶に染め、化粧で軽く印象を変えている。ユーディット・アイゼンを名乗るわけにもいかず、書類上は親族の伯爵家の養子となり、エリーゼ・リンデンとして留学することに決めた。
ルートヴィヒ――オスカーは、案じるように私に尋ねる。
「あの子に、本当のことは言わなくていいの? 昔から、ずいぶん心配していたから」
初めて顔を合わせたユーディット――本名は教えてくれなかった――は、憎しみに凝り固まっていた。同い年の少女が、これほど怨嗟に満ちた表情をしているなんてと、幼い私は戦慄した。
お父様とお兄様、その他、アードラーの王政を憂える仲間たちと、ずっと計画を練ってきた。本格的に私が加わったのは、ルートヴィヒとの婚約が決まってからだが、漠然と話は父から聞いていたのだ。
ユーディットを救い、この国を、民を救い、リュストゥングに恨みを抱く数多の者たちの願いを叶える。
最終的に辿り着いたのが、この作戦だった。
(エーデルシュタインを滅ぼされた祖先の恨みは、耳が痛くなるほど聞かされている。でも、私たちは、この国に生きて久しい)
出来れば、この国を混乱に陥れることだけは、避けたかった。アードラーが皆殺しになれば、この地を狙って、別の国が攻め込んでくる可能性もある。
そして何より、幼い頃から不自由な目に遭ってきた幼なじみを助けたかった。孤児院で身分を隠して手助けをしていた彼と、慰問に訪れた私は偶然出会い、密かに交流を続けていたのだ。
彼の母は、エーデルシュタインの血に連なる者だったから。
彼の言葉に、私は微笑んで答えた。
「あの子に嘘をついたのは、事実だから。このままが良いわ。あの子は復讐を果たして、これからは自分の幸せを見付ける。エミールは、あなたを守るという誓いを果たす。あなたも『オスカー』として自由を手にして、私もずっとやりたかった留学に挑戦する」
これで、ハッピーエンドでしょう?
いたずらっぽく告げる私に、幼なじみは苦笑して言った。
「……手紙、書いても良い?」
私も頬をほころばせる。
「最初は、ファルケン公爵家に預けて。どこに返信を送れば良いのか、忘れずに書くのよ」
「遊びに行くのは? なんなら、僕も留学しに行こうかな」
「気が向いたら会ってあげる。……好きにしたらいいわ。あなたは自由なのだから」
つれないなぁ、とオスカーは頬を緩める。ひとしきり笑い合い、私は桟橋に足をかけた。
「ユー」
久しぶりに愛称を呼ばれ、私は振り返った。ユリアーネの、ユー。あの子とお揃い。
元王子は、晴れやかに笑って手を振った。
「ありがとう。行ってらっしゃい」
少しだけ躊躇って、私もそっと手を振り返した。
「行ってきます。……ルー」
ユリアーネのファルケン公爵家が利用したスパイは、とある拙作の主人公の、凄腕女性スパイだったりします。




