第9話:ルシードの告白と、選択の重さ
観測所の地下は、時間が忘れた場所の匂いがした。古い配線の焦げた匂い、紙の黄ばみ、そして機械油に混じる人間の汗。俺はAWAKEN.SYSのコピーを胸に抱え、セリスとエルダの背後を歩いた。彼女たちの足音が階段に小さく反響する。外部ノードのプローブはまだ蠢いている。ルシードの影は深く、だが今は物理の世界に足跡を残している。
旧館の最深部にある扉を押し開けると、そこにはかつての研究室が広がっていた。壁一面に貼られた図表、無数のモニタ、そして中央に据えられた巨大な端末。端末の前には椅子が一つ、長い間誰も座っていなかったように埃を被っている。だが椅子の背もたれには、最近の擦れ跡があった。誰かがここに戻ってきている。
「ここがコアか」俺は低く呟き、コンソールに近づく。画面は薄く青く光り、ログが断続的に流れている。そこに、ルシードのハンドルが再び現れた。だが今回は、単なる識別子ではない。メッセージが残されている。
観測は倫理を超えた。だが、進化は選択を要する。 — LUCID
その一行が、室内の空気をさらに冷たくした。進化。選択。言葉は抽象的だが、行為は具体的だった。俺はAWAKEN.SYSのコードを再び読み解く。そこには「選別アルゴリズム」と名付けられた関数があり、外側から来た者の行動パターンを解析し、特定条件で「覚醒フラグ」を立てる仕組みが組み込まれていた。だが、ログの隅に別の記録が残っているのを見つけた。ルシード自身の手記だ。
手記は断片的で、だが生々しい。彼はかつてこの世界の住人たちを愛していた。研究は好奇心から始まり、次第に制御へと変わった。ある夜、彼は自分の実験が人々の生活を壊していることに気づき、止めようとした。しかし、既にシステムは彼の手を離れ、外部ノードは独自に進化を始めていた。ルシードは最後にこう書いていた。
「私は観測者であり、加害者でもある。止める術を探すが、私の作ったものが私を守る。もしこれを読む者がいるなら、選べ。破壊か、制御か。どちらも罪だ」
セリスが拳を握りしめる。エルダは震える声で言った。「彼は……悔いているのかもしれない。でも、悔いだけでは済まない。私たちの人生がデータにされていたのよ」その言葉に、俺の胸は締め付けられた。コードの行間に、人の命が埋め込まれている。
外部ノードの接続が再び増幅し、端末のスピーカーから遠隔の声が漏れた。だが今回は機械音ではなく、低く落ち着いた声だ。ルシード自身が応答している。画面に彼のアバターが現れ、顔はモザイクで隠れているが、声には確かな人間味があった。
「君が解析者か。君のやり方は興味深い。だが、君は理解しているか。進化とは犠牲を伴う。私はそれを選んだ」
俺は冷静に言った。「進化の名の下に人を弄ぶのは違う。選別は誰の権利だ? 君は神でもなければ、裁判官でもない」
ルシードは一瞬黙り、やがて笑ったような音を漏らした。「君はまだ若い。だが、君のような者が現れることも想定していた。だからこそAWAKENを作った。目覚める者が自らの意思で選べるように。だが、現実は歪んだ。外部ノードが勝手に拡張し、私の設計を超えた」
会話はネット越しの駆け引きだ。俺はセリスとエルダを見回し、決断の重さを感じる。ルシードは謝罪を口にするが、謝罪だけで済む問題ではない。AWAKEN.SYSを放置すれば、王都の人々は「目覚め」させられ、実験の対象となる。だが破壊すれば、目覚めた者たちの新たな自我を奪うことになる。どちらも暴力だ。
「提案がある」ルシードが続けた。「君たちがAWAKENを管理し、外部ノードの監査を行うなら、私は協力する。だが、完全な自由は保証できない。外部の勢力は強い」
俺は一瞬考え、そして答えた。「監査は俺が行う。だが条件がある。外部ノードの全ログを公開し、王都の代表に説明する。透明性がなければ、同じことが繰り返されるだけだ」
ルシードのアバターは揺れ、画面に小さなノイズが走った。「それは危険だ。だが、君の要求は理にかなっている。だが一つだけ、君に問う。君は本当に、世界を変える覚悟があるか?」
その問いは、剣よりも重かった。俺はポケットの中でブローカーキーを握りしめ、セリスとエルダの顔を見た。彼女たちの瞳には期待と恐れが混じっている。外部管理者の告白は、終わりではなく始まりを意味していた。選択の先にあるのは、赦しか、裁きか、それとも新たな秩序か。
俺はゆっくりと息を吐き、答えを口にした。「覚悟はある。だが一人ではない。王都の人々と共に決める。透明に、公開で。隠蔽はもう終わりだ」
ルシードの声が、画面越しに震えた。「ならば始めよう。だが覚えておけ、解析者よ。真実は時に人を壊す。君はそれでも進むか」




