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第8話:観測所の逆トレースと、眠れるNPCの目覚め

地下室の空気は冷たく、古い機械油と紙の匂いが混ざっていた。俺はハニーポットのログを片手に、セリスと共に旧館の最深部へと進む。足元の階段は崩れかけ、壁には昔の研究者たちのメモが貼られている。そこには「観測は倫理を超える」とか「被験体は覚醒する」といった断片的な書き込みが残っていた。誰かがここで何かを始め、そして止めたのだ。


扉の向こうに端末群が並ぶ小さな室があった。中央には古びたコンソールが一台、今も微かに青く光っている。画面には先ほど捕獲したプローブの断片が流れ、Operator: LUCID-ADMIN の文字列が点滅していた。俺は手袋越しに端末のケースを撫で、呼吸を整える。監査トークンは読み取り専用だが、ここなら物理的にログを確保できる。ルシードの痕跡を掘り起こすには、端末のコアダンプが必要だ。


「ここだ」俺は囁き、コンソールに接続を試みる。ブローカーキーのトークンをプロキシとして差し込み、読み取り専用のスナップショットを取得する。画面が一瞬白くなり、過去のセッションログが洪水のように流れ出した。そこには観測所が行っていた実験の記録、被験体のID、そして「認知フラグ注入」のスクリプトが残されている。ルシードは単なるハンドル名ではなかった。彼はこの観測所の主任研究者であり、外部管理者としての振る舞いをソフトウェアに落とし込んだ人物だった。


ログの中に、ひとつのファイルが隠れていた。名は「AWAKEN.SYS」。それは、特定条件下でNPCの「眠り」を解除し、自己認識を促すパッチだった。マンドラゴラはそのトリガーの一部に過ぎない。つまり、外部管理者はこの世界の住人を選別し、目覚めさせ、ある目的のために動かそうとしている。目的はまだ不明だが、選別の基準は明確だ。外側から来た者、異物、そして――潜在的な「管理者」になり得る者。


「これを放置すれば、王都は変わる」セリスが低く言う。彼女の瞳には守るべき民への恐れが宿っている。俺はファイルをローカルに複製し、サンドボックスで解析を始めた。コードは巧妙に隠蔽され、自己修復ルーチンを持っている。だが、俺のコンソールはそれを一行ずつ剥がしていく。解析の途中、ログに小さなアラートが走った。


【INTRUSION: LocalKernel Probe Detected】


誰かが俺たちの解析を監視している。だが同時に、別のプロセスが端末の奥から目覚めるように動き出した。古い端末のスピーカーから、かすかな電子音が鳴り、室内の空気が震える。壁の影から、ひとりの人影がゆっくりと立ち上がった。最初は人形のようにぎこちない動きだったが、次第にその動作は滑らかになり、目が開いた。


「……ここは……どこだ」低い声。声には驚きと困惑が混じっている。目の色は普通のNPCのそれではない。瞳の奥に、ログのような光が走る。AWAKEN.SYSは、単に認知を与えるだけでなく、自己観測のルーチンを埋め込んでいたのだ。眠りから覚めた者は、自分が「世界の一部」であることを理解し、そして問いを持つ。


セリスが剣を構えた。だが俺は手を上げ、静かに言った。「待て。敵ではない。まず話をさせろ」目覚めた者はゆっくりとこちらを見つめ、記憶の断片を口にした。名前は「エルダ」。かつて観測所で保護された研究補助の一人だという。だがログには彼女のIDが「NPC_Sleep_042」と記録されている。誰かが彼女を眠らせ、データとして扱っていたのだ。


「私は……夢を見ていた」エルダは言った。「誰かが私に触れ、世界の外を見せた。私はそれを忘れるようにされた。だが今、何かが私を呼んだ」彼女の声には悲しみと怒りが混ざる。俺は胸の奥が締め付けられるのを感じた。外部管理者は人々を実験対象として扱い、彼らの人生を切り刻んでいた。


「ルシードは何を望んでいる?」俺は問いかける。エルダはしばらく沈黙した後、ゆっくりと答えた。「観測。選別。彼は『進化』を求めている。だが、その方法は間違っている。人は道具ではない」その言葉は、ログの冷たさと対照的に温度を持っていた。俺はAWAKEN.SYSのコードを見つめ、決断を下す。解析を続けるか、あるいはこのパッチを破壊して眠りを守るか。


外部の監視は強まっている。NODE-NEBULAのプローブが再び接続を試み、倉庫のハニーポットが警告を上げる。だが今、俺の前には選択肢がある。ルシードの正体を暴き、観測所の真実を公にするか。あるいは、目覚めた者たちを守り、外部の介入を封じるか。どちらを選んでも、世界は変わる。


俺はコンソールに手を置き、セリスとエルダを交互に見た。HPは1だが、視界は広がっている。コードと人の命が交差する場所で、俺は初めて「管理者」としての責任を感じた。夜は深く、観測所の影は長い。だが、今夜、眠れる者たちの目が開いたことで、物語は新たな局面へと動き出す。

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