第7話:監査トークンと夜のプローブ
倉庫の扉を閉めると、外の喧騒が遠ざかり、俺とログだけが残された。ブローカーキーのトークンは冷たく、インベントリの一角で微かに脈動している。監査の目はあるが、読み取り専用という約束は守られているはずだ。まずはサンドボックスを構築する。外部フックを虚像の層で包み、実行時の副作用を隔離する。手順は単純だが、ミスは命取りだ。
「サンドボックス起動。Hook -> Isolate -> Trace」俺は呟き、仮想のフェンスを張る。青いグリッドが倉庫の空間に展開され、マンドラゴラの束を中心に小さなドームが生まれた。外部からのパケットはまずこのドームに届き、そこで複製され、解析用のログだけが俺の端末に流れる。実行は読み取り専用。改変は不可。監査トークンの制約を逆手に取った安全策だ。
最初のトレースはすぐに来た。夜の帳が下りる頃、倉庫の外壁に青い光が走り、遠隔プローブが接続を試みる。ログに小さな波形が現れ、署名の断片が吐き出された。
【Probe_Inbound: /dev/foreign_patch/alpha】
【Signature Fragment: 0xA3-??-FF】
断片は既知のパターンと似ているが、完全一致しない。だが、メタデータのタイムスタンプとプロトコルのハンドシェイク順序は、俺が前世で見たある企業の内部監査ツールに酷似していた。思考が一瞬、過去のオフィスの蛍光灯と残業の匂いに引き戻される。だが今は感傷に浸る暇はない。
プローブはサンドボックスに到達し、仮想のマンドラゴラを「消費」した。通常ならば、消費者の認知フラグが注入され、行動が誘導されるはずだ。だがドーム内での実行は複製に留まり、実世界のNPCには影響が及ばない。代わりに、プローブは自らの識別子を吐き出した。
【Foreign_Admin_ID: NODE-NEBULA-77】
その瞬間、倉庫の影から低い笑い声が聞こえた。黒衣の一人が戻ってきて、フードを深く被り直す。だが彼の手元の端末に表示された文字列を、俺は見逃さなかった。
「NODE-NEBULA-77……面白い名前だな」
黒衣は反応せず、ただ俺を観察する。だがログはさらに続き、プローブがサンドボックス内で生成した「誘導スクリプト」の断片を吐き出した。そこには、特定のNPC群に対する「接触優先度」と、王都の特定区域に向けた「注意喚起フラグ」が含まれている。つまり、マンドラゴラは単なる覚醒剤ではなく、都市規模のターゲティングツールだった。
「狙いは何だ?」セリスが低く問う。彼女の声には騎士としての怒りと、守るべき者への恐れが混じっていた。
俺は画面をスクロールし、ある行で足を止めた。そこには、奇妙な条件式が書かれている。
if (UserProfile.affiliation == "Outsider" && ConsumptionHistory.contains(Mandragora)) then FlagForContact++;
外部者、つまり俺のような「外側」から来た者を検出し、接触を試みる。接触の目的は不明だが、優先度は高い。俺は指先でその行をハイライトし、微笑んだ。
「面白い。俺を探してるらしい」
黒衣の一人がゆっくりと笑った。「我々は探している。だが、君もまた探しているのだろう? UNKNOWN_ADMINの痕跡を」
その言葉は、俺の胸に小さな火を灯した。UNKNOWN_ADMIN、NODE-NEBULA、ブローカーキー、そして王都の喫茶店。点が線になり始める。誰かがこの世界を実験場にし、外部者を誘導している。目的は観察か、あるいは――選別か。
「ならば、ゲームをしよう」俺は言った。「条件は一つ。俺がルールを決める。監査ログは俺が先に見る。改変は許さない。違反があれば、君たちのノードを逆トレースする」
黒衣は一瞬だけ躊躇した。だが、彼らの目には好奇心が宿っていた。外部管理者同士の駆け引き。俺はそれを楽しむつもりはない。だが、ここで引けば、UNKNOWN_ADMINの正体は永遠に闇の中だ。
夜風が倉庫の隙間を抜け、マンドラゴラの香りが冷たく鼻を刺す。ログは増え、プローブはさらに深く潜ろうとする。俺はサンドボックスの監視ウィンドウを拡大し、リアルタイムで差分を追い始めた。
「準備はいいか、セリス。これから先は、コードと血が混ざる場所だ」
彼女は剣の柄を握り直し、静かに頷いた。外部の目は増え、夜は深まる。だが、俺の指は震えていなかった。HPは1でも、視界は広がっている。未知の管理者が仕掛けた罠を解き、世界の根幹に触れるための鍵は、今、俺の手の中にあるのだ。




