第31話:混線する恋心、またはパケット損失の憂鬱
「……好きだ。君のその、焼きたてのパンのような笑顔が」
喫茶『ソースコード』の開店準備中、不意にカウンターの奥から甘い声が聞こえてきた。
俺は焙煎機のハンドルを回す手を止め、隣にいたセリスを見た。
セリスは顔を真っ赤にして、持っていたお盆をガシャンと取り落とした。
「き、急にな何を言うのだ、レイジ殿!? 焼きたてのパン……? た、確かに私はパンも食べるが、そこまで食い意地が張っているわけでは……」
「いや、俺じゃない。今、どこから声がした?」
俺は眉をひそめて店内を見回した。声は確かに聞こえたが、物理的な振動というよりは、脳内に直接響くような感覚だった。
「あら、今の聞こえた? 私には『至急、豚肉の卸値を下げろ』って聞こえたわよ」
厨房から顔を出したミナが首をかしげる。
「私は……『猫が木から降りてきません、至急救援を』っていう要請が聞こえました」
エルダが困った顔で補足する。
三者三様の内容。だが、共通しているのは「本来、ここにいない誰かのメッセージ」が混入しているという点だ。
俺は嫌な予感がして、懐から『遠話の魔道具』を取り出した。王都で普及し始めた、一種の魔法無線機だ。
スイッチを入れると、ザザッ、ピーッ、というノイズと共に、無数の声が奔流となって溢れ出した。
『愛してるんだ、ジェシカ!』
『北門の警備増員を求む!』
『今夜のおかず、何がいい?』
『――Warning... Buffer Overflow...』
「うわっ、うるさ!」
俺は慌ててスイッチを切った。
「レイジ、これは一体……? 亡霊の類か?」
セリスが剣の柄に手をかける。
「亡霊じゃない。もっと厄介な『混線』だ」
俺は痛むこめかみ(ノイズを聞いたせいでHPが0.1減った)を押さえた。
「王都の魔法通信網がパンクしている。データ量が増えすぎて、あちこちでパケット――つまり会話の断片が、間違った相手に届くエラーが発生してるんだ」
さっきの「好きだ」というセリフも、どこかのカップルの会話が漏れ聞こえたものだろう。
セリスは「な、なんだ、別人か……」と、安堵したような、少し残念そうな顔でしゃがみ込んでしまった。
「笑い事じゃないぞ。このままだと、軍事機密が井戸端会議に流れたり、重要な救難信号がスパム広告に埋もれたりする。都市機能が麻痺しかねない」
かつて俺が管理していた頃は、通信帯域なんて無限のリソースだった。だが今は違う。魔導インフラは有限であり、メンテナンスが必要な物理システムだ。
「原因を特定しないと。おそらく、中央の中継クリスタル(ルーター)が悲鳴を上げてるはずだ」
「レイジ、行くの? また無茶して」
ミナが心配そうに言う。
「無茶はしない。ただの『配線直し』だ。……それに、客足に響く。店内に甘ったるい愛の告白やら豚肉の値段やらが垂れ流されてちゃ、落ち着いてコーヒーも飲めないからな」
俺はエプロンを外し、再びエンジニアの顔になった。
「セリス、行けるか? 護衛を頼む。混線した街中は、情報の濁流で酔いそうだからな」
「む……あ、ああ、任せろ! 騎士団の通信も乱れているかもしれん。調査は急務だ!」
セリスは慌てて立ち上がり、赤くなった頬を隠すように兜を被り直した。
俺たちはノイズの舞う王都へと繰り出した。見えない情報の雨が、俺の虚弱な神経を削ろうとしている予感を感じながら。




