第30話(完結):アップデート・ライフ
「転送処理、完了。遺失物データの属性を再定義し、持ち主の元へ返送する」
遺跡の外で俺が宣言すると、隠し扉の奥から溢れ出した無数の「忘れ物」が、光の鳥となって世界中へと飛び去っていった。
子供の元へ人形が、恋人の元へ届かなかった手紙が、あるいは歴史家も知らない記録が。
404エラーは解消され、迷子はそれぞれの帰るべき場所を見つけたのだ。
「これにて、今回の緊急メンテも無事終了だな」
俺は大きく息を吐き、その場に座り込んだ。
頭痛と筋肉痛、それに精神的疲労。HPバーがあるなら、確実に赤色点滅している状態だ。
「お疲れ様、レイジ」
エルダが冷たい水筒を差し出す。
「あなたの知識は、剣や魔法よりも世界を癒やすのね」
「買い被りすぎだ。俺はただ、配線のごちゃつきが許せない性格なだけさ」
俺は苦笑いしながら水を受け取る。
帰りの馬車は、行きよりも幾分か穏やかに感じられた。
揺れる車窓から、平和になった王都の明かりが見える。
◇
喫茶『ソースコード』の日常が戻ってきた。
だが、棚には新しいアイテムが増えている。あの開発者のノートだ。
「いらっしゃい!」
セリスの元気な声が響く。今日の彼女は、給仕服のエプロンを少しアレンジして可愛くしている。騎士団長に見られたら気絶されそうだ。
「注文はいつもの?」
厨房からミナが顔を出す。今日もカレーの鍋からは怪しげな(でも美味しそうな)匂いが漂っている。
俺はカウンターで、コーヒーをドリップしていた。
豆の膨らみ、お湯の温度、香りの立ち方。数値化できない「感覚」の世界。
HP1の不自由な体。小石に躓けば怪我をし、風邪を引けば寝込み、辛いものを食べれば悶絶する。
それでも。
「お待たせしました。本日の『管理者の休息』です」
カップを客の前に置くと、湯気越しに笑顔が返ってくる。
俺はその光景を、何よりも愛おしく感じた。
管理者の権限はなくとも、世界は毎日少しずつアップデートされていく。
俺たちが生きている限り、ログは増え続け、物語は続いていく。
「さて、次の依頼が来る前に……俺も休憩とするか」
俺は自分用のコーヒーを一口啜った。
苦味が喉を通り、胃に落ちて、体温となって広がる。
完璧ではない。だからこそ、最高に美味い。
これが、世界をデバッグした元管理者が選んだ、ただひとつの現実。
今日も俺は、HP1の命を懸命に燃やして、この素晴らしい世界を楽しんでいる。




