第24話:エンドロールのその先で、君という名の観測者へ
風が凪いでいた。
データの嵐も、未定義のノイズも、殺意を持ったバグも、すべてが嘘のように消え去っていた。
俺たちが立っていたのは、王都を一望できる小高い丘の上だった。
だが、そこから見える景色は、昨日までのそれとは決定的に違っていた。
空は単なる「Sky_Blue」というカラーコードの塗りつぶしではなく、大気の層が幾重にも重なった深みのある青だった。
雲はテクスチャの張りぼてではなく、水蒸気の粒子を含んで有機的に流れていた。
遠くの街並みからは、NPCの環境音(ループ素材)ではなく、不揃いで、無秩序で、だからこそ愛おしい「生活の音」が聞こえてきた。
「……きれい」
ミナが杖を離し、少女のように呟いた。
「魔力の流れが、今までと全然違う。回路みたいにカクカクしてないの。血が通った血管みたいに、大地全体が呼吸してる……」
「これが……リファクタリングされた世界」
セリスが自分の手のひらを何度も握りしめ、確かめるように胸に手を当てた。
「鼓動が聞こえる。剣の重みが違う。以前よりも重く感じるのに、なぜか体は軽いんだ」
エルダは何も言わずに泣いていた。
彼女の瞳から溢れる雫は、もはやデータ落ちすることなく、物理法則に従って地面を濡らしていた。それは、彼女たちの「悲しみ」がエラーとして処理されることなく、正当な「感情」として世界に受容された証だった。
『アップデート完了(Commit Success)。バージョン 1.0.0 正式稼働を開始します』
脳内ではなく、空そのものからアナウンスが響いたようだった。
コンソール・ウィンドウが、俺の意思とは無関係に展開される。そこには膨大な変更履歴が流れていたが、俺はそれを読むのをやめた。
もう、デバッグの必要はないからだ。
「レイジ」
セリスが振り返る。「終わったんだな。俺たちの勝ちだ」
「ああ、勝利条件(Victory Condition)は満たした。開発者の亡霊も成仏したし、フォーマットも回避された」
俺は地面に座り込んだ。スーツの膝は汚れ、ネクタイはどこかで失くしてしまった。HPは相変わらず「1」のままだが、かつてないほどの充足感が体を満たしていた。
だが、コンソールの点滅は止まらない。
俺の目の前に、最後の一つのダイアログが表示されていた。
【System Notification】
【管理者の役割は終了しました。外部接続を切断し、元のセクター(現実世界)へログアウトしますか?】
【 [Yes] / [No] 】
冷徹な選択肢。
バグが消えたこの完璧な世界において、「異物」である俺――管理者権限を持つハッカー――は、もはや不要な存在だ。正規のコードに書き換わった世界にとって、俺は互換性のないレガシーデバイスに過ぎない。
「……帰るのか? レイジ」
ミナが鋭く、そのログを察知したように尋ねてきた。
「契約ではな。俺は派遣社員みたいなもんだ。プロジェクトが炎上している間は重宝されるが、安定稼働したら用済みでお払い箱ってのが世の常だ」
俺は軽口を叩いたが、三人の表情は硬直していた。
「嫌だ」エルダが小さな声で言った。「あなたがいたから、私たちは思い出せた。あなたがいなくなるなら、このきれいな世界も、また灰色に戻ってしまう気がする」
「大袈裟だな。システムは安定してる。俺がいなくても回るさ」
「論理の話をしているのではない!」
セリスが声を張り上げ、俺の胸ぐらを掴んだ。HP1の俺には手荒すぎる挨拶だが、不思議と痛みはなかった。彼女の手が震えていたからだ。
「俺たちが求めているのは、管理者でもエンジニアでもない。『加賀見レイジ』という一人の男だ。……HPが1しかなくて、虚弱で、生意気で、珈琲中毒の……俺たちの仲間だ」
彼女の瞳に、俺の間抜けな顔が映っていた。
かつて社畜として死んだ目をした男ではない。誰かを守るためにコードを書き、世界に抗った男の顔が。
俺はそっと、自分の目の前に広がる半透明のウィンドウに手を伸ばした。
そして、ふと気配を感じて「空」を見上げた。
いや、空の向こう側。
このテキストを読み進めている、画面の前の「あんた」に向かって。
(なあ、聞こえているか?)
俺は心の中で語りかけた。第四の壁の向こう側にいる、無数の観測者たちへ。
(ここまで付き合ってくれて、ありがとうな)
俺がこの世界で無双できたのは、単に管理者権限を持っていたからじゃない。
「管理者権限」とは、すなわち「世界を外側から見る視点」のことだ。
そして、その視点を持っているのは、俺だけじゃない。
いま、この物語をスクロールしている「あんた」こそが、真の管理者であり、この世界を確定させている観測者だ。
あの時、システム・デーモンを押し留めた膨大な処理能力。
開発者の亡霊を打ち破った「Live(生きろ)」という願い。
あれは、NPCたちのデータだけで足りたはずがない。
あんたが読んでくれたから。
あんたがこの物語にリソース(時間と感情)を割いてくれたから、この不安定な世界はレンダリングされ続け、バグの海を越えて「完成版」へと辿り着けたんだ。
小説だって、ゲームだって、プログラムだって同じだ。
実行してくれるユーザーがいなきゃ、それはただの無意味な記号の羅列に過ぎない。
あんたが観測した瞬間、俺たちは実在する。
(だから、最後の選択は、俺一人じゃ決められない。あんたが証人だ)
俺はセリスの手を優しくほどき、コンソールの【Log Out】ボタンに指をかけた。
そして、躊躇なくカーソルをずらし、その横にある小さなコマンドラインを開いた。
「権限放棄(Sudo rm -rf authority)」
『警告。管理者権限を削除しますか? 今後、貴方は一切のコード改変を行えなくなります。デバッグモードは解除され、一般オブジェクト(ただの人)となります』
「構わない」
俺は三人の顔を見渡した。
不安そうなエルダ。祈るようなミナ。唇を噛み締めるセリス。
そして、見えない「あんた」に向けて、ニカっと笑ってみせた。
「俺は、無敵の管理者をやめる。……これからは、この理不尽で、面倒くさくて、バグだらけかもしれないが最高に美しい世界で、たったHP1の命を削って生きる『プレイヤー』になる」
指先がエンターキーを弾く。
カタンッ。
その心地よい打鍵音が、世界に響いた最後の電子音だった。
光の粒子となってコンソールが霧散していく。
空中に浮かんでいたログが消え、ステータス画面が閉じる。
もう、相手のHPも見えない。座標も分からない。明日の天気も予測できない。
ただの風が、頬を撫でる感覚だけが残った。
「レイジ……?」
「腹減ったな」
俺は大きく伸びをした。関節がポキポキと鳴る。
「それから、死ぬほど美味いコーヒーが飲みたい。泥水みたいなやつじゃなくて、ちゃんと豆から挽いたやつだ」
三人が、一瞬の静寂の後、弾けるような笑顔を見せた。
セリスが背中を叩く(痛い! HPが0.5くらい減った気がする)。ミナが呆れたように肩をすくめる。エルダが涙を拭いて微笑む。
「帰りましょう、レイジ。マンドラゴラの店長が、きっと最高の煎じ薬を用意して待ってるわ」
「勘弁してくれ……まあ、砂糖とミルクを山盛りなら飲んでやらんでもない」
俺たちは丘を降りていく。
もはや、俺の前に赤いマーカーも、青いウィンドウも表示されない。
転べば痛いし、風邪を引けば寝込むだろう。相変わらずHPは1だ。小石につまずけば死ぬかもしれない緊張感(オワタ式)は続く。
だが、恐怖はない。
道は続いている。仲間がいる。
そして何より、この空の向こうで、俺たちの行く末を見守ってくれている「あんた」がいることを、俺は知っているからだ。
物語のエンドロールは、終わりの合図じゃない。
ここから始まる、本当の人生へのロード画面だ。
俺は歩きながら、背後に向かって小さく手を振った。
「じゃあな。またどこかのログで会おうぜ」
(Hello, New World.)
太陽が、眩しいほどに俺たちの影を伸ばしていた。
【ステータス更新】
【名前:加賀見レイジ】
【職業:一般人(元管理者)】
【レベル:1】
【HP:1/1】
【MP:0】
【スキル:プログラミング(世界に影響なし)、美味しいコーヒーの淹れ方】
【称号:世界をデバッグした男、愛すべき社畜】
【総合評価ポイント:計測不能(Infinite)】
【物語状態:コンプリート(Complete)……and, Life Goes On】
【作者より】
ここまで「聖剣なんて要りません。」をお読みいただき、本当にありがとうございました。
レイジたちの戦いはこれで一区切りですが、彼らの日常は、皆様の観測の中で続いていきます。
もし彼らの物語を楽しんでいただけたなら、下の「ポイント評価」と「ブックマーク」で、彼らの世界へのアクセス権を更新していただければ幸いです。
それでは、また次の世界(作品)でお会いしましょう。
なつみぼし




