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第19話:記憶のハッシュ衝突と、虚無へのポインタ

王都の広場は、物理的な灯りとは異なる、青白い情報の光に包まれていた。


市民たちが端末に入力した記憶――個人的な体験、些細な日常、痛切な過去――が、デジタルの奔流となって空中のサーバー(分散型ストレージ)へと吸い込まれていく。俺が構築したシステムは、一種のブロックチェーン技術を応用したものだ。誰か一人の記憶が改ざんされても、他の数千人の「証人」のデータと照合ベリファイすることで、即座に修正が入る。


「これで『NARRATOR-NULL』による単純な消去は防げる」


俺は広場の隅で、コンソールに流れるトランザクション監視ログを見つめながら呟いた。


「すごい光景だな……。これが、人々の意志というやつか」

セリスが感嘆の声を上げる。

「技術的には、単なるデータの冗長化リダンダンシーだ。だが、この世界においては、それは『歴史の固定化』を意味する」


しかし、システムが安定稼働を始めてから数時間後。異常は、エラーログではなく、市民たちの悲鳴として現れた。


「ち、違う! 俺はパン屋じゃない、俺は……国王の血を引いているはずだ!」


一人の男が広場で叫び出し、隣の人間を突き飛ばした。


「何を言っているの! あなたは昨日、私と粉を運んでいたじゃない!」


「うるさい! 俺の記憶には、確かに王冠の感触があるんだ!」


同様の騒ぎが、広場のあちこちで発生した。今まで温厚だった老婆が隣人を泥棒だと罵り、若い兵士が戦ってもいない戦場の記憶を語り出して震えている。


エルダが青ざめた顔で駆け寄ってきた。

「レイジ、何が起きているの? みんなの様子がおかしい。まるで……別人の記憶が混ざってしまったみたい」


俺は眉をひそめ、コンソールを高速で叩いた。ログを確認する。データの消失はない。消去攻撃も観測されていない。だが、ハッシュ値がおかしい。


【Warning: Hash Collision Detected】

【Integrity Error: User_A’s memory maps to User_B】


「消去じゃなかった。奴らが仕掛けたのは『衝突コリジョン』か」


「ショートツ……? 車馬の事故か?」セリスが問う。


「違う。情報の交通事故だ。NARRATOR-NULLは記憶を消すのが難しいと悟ると、今度は大量のダミーデータと、他のユーザーの記憶の断片をランダムに注入インジェクションし始めたんだ」


パン屋の男の脳内には、どこかの物語から切り取られた「王族の記憶」が上書き保存されかけている。本人の記憶を消さずに、矛盾するデータを重ね合わせることで、自我をバグらせる――消去よりもたちが悪い、データの汚染攻撃だ。


「記憶が消えれば抵抗も消える。だが記憶が狂えば、疑心暗鬼と混沌が生まれる。それが狙いか」

ミナが唇を噛む。彼女が守ってきた「鍵」も、この混沌の中では意味をなさなくなる可能性がある。


俺はログの流れを目で追い、汚染の発生源ソースを特定しようと試みた。パケットは王都中の端末から発せられているように見えるが、微細なタイムラグがある。


「コンマ002秒の遅延……。すべての汚染データは、物理的なある一点を経由して配信されている」


俺はマップを展開し、遅延の中心点にピンを立てた。

そこは王都の北区にある、巨大な尖塔――『ときの時計塔』。王国の標準時を刻む場所であり、象徴的なモニュメントだ。


「時計塔だ。あそこが『虚無(Null)』の中継サーバーになっている」


「行くぞ、レイジ。狂った時計を叩き壊せばいいんだな?」

セリスが剣を抜く。


「壊すだけじゃデータが飛ぶ可能性がある。サーバーを正常停止させ、汚染データをロールバック(巻き戻し)する必要がある」


我々は広場の喧騒を背に、北区へと走った。

時計塔に近づくにつれ、空気の質が変わった。重く、冷たく、色彩が薄れていくような感覚。レンガ造りの塔の周囲には、ノイズの走る半透明の幽霊グリッチ・モブたちが徘徊していた。


「な、なんだあれは? 人か?」エルダが怯える。

「いや、あれは処理落ちしたデータの残骸だ。触れるとこちらのステータス値もバグるぞ。物理攻撃は通じにくい」


俺は走りながら、自分の装備スロットに登録してあるコードを呼び出した。


「セリス、エルダ。奴らの体を狙うな。奴らの周囲にある『座標定義』を狙え」

「無茶を言うな!」


幽霊が襲いかかってくる。セリスは剣を振るうが、刃は体をすり抜けた。


俺は指先で空間を指定し、コマンドを打ち込む。

【Target: Glitch_Entity】

【Action: Force_Garbage_Collect (強制メモリ解放)】


「――消えろ」


俺がエンターキーを叩く動作をすると、幽霊は「プツン」という音と共に消滅した。ただのメモリリークとして処理したのだ。


「すさまじいな、その力は……」


「MPもスタミナもない俺には、これしかできないんでな。急ごう」


時計塔の内部は、巨大な歯車と振り子が重低音を響かせていた。だが、その機械的な音に混じって、生理的な不快感を催す高周波が流れている。

螺旋階段を駆け上がり、最上階の機械室へとたどり着く。


そこには、巨大な時計の文字盤の裏側で、一人の人影が佇んでいた。

顔はない。黒いローブの中は空洞で、そこには無限のノイズが渦巻いている。


【Identified: NARRATOR-NULL】


『語り手は鏡だといったな』

ノイズの中から、性別のない声が響いた。物理的な声帯ではなく、脳の聴覚野に直接ログを書き込むような通信だ。


『鏡は何も生み出さない。ただ映し、そして割れる。人々は正しい記憶よりも、心地よい虚構を望んだ。我はその需要に応えただけだ』


パン屋が王になりたがったように。兵士が英雄になりたがったように。NARRATOR-NULLは、人々の無意識の願望バグを利用して、記憶を改ざんしていたのだ。


「需要と供給のバランスが崩壊してるぞ」

俺は息を整えながら、コンソールを展開した。

「ユーザー(市民)が望んでいるのは『心地よい夢』じゃない。『確かな現実』だ。お前がやっているのは、ただのエラー隠しだ」


『現実は痛みを伴う。何故、痛みを保存する? 削除デリートこそが慈悲だ』


Nullのローブが広がり、黒い霧となって襲いかかってきた。霧に触れた床板が、テクスチャを失って灰色のポリゴンに変わっていく。存在そのものを「Null(無効値)」に変える攻撃だ。

HP1の俺が触れれば、即死どころか、存在した記録ごと消える。


セリスが前に出ようとするが、俺は制した。

「下がるんだ。これは物理的な盾じゃ防げない」


俺は管理者権限をフル回転させ、Nullの攻撃判定を解析する。

NullPointer。参照先のないアドレス。

こいつを倒すには、剣も魔法も効かない。必要なのは「定義」だ。


「エルダ! 市民たちのバックアップログを使いたい。一番『辛い記憶』を抽出してくれ!」


「えっ? でも、そんなことをしたら……!」


「いいからやれ! 奴は痛みを否定している。なら、痛みを突きつけることが最大の攻撃になる!」


エルダは決意したように頷き、端末を操作した。市民たちが保存した、悲しみ、後悔、喪失の記録。それらが青い光となって集束する。


俺はその膨大なデータストリームを掴み、Nullに向かってリダイレクトした。


【Execute: Data_Merge】

【Source: Collective_Trauma (集合的トラウマ)】

【Target: NARRATOR-NULL】


「現実を見ろ。これが、お前が消そうとした『痛み』という名前の仕様スペックだ!」


膨大なログがNullのノイズの中に雪崩れ込んだ。

「痛くない人生」など存在しない。苦しみこそが、人が生きた証であり、システムにおける必須パラメータだ。


『グ、アアアア……!! エラー……型(Type)が一致しません……容量超過……!』


Nullの動きが止まる。完璧な虚無であったはずのその体に、「他者の痛み」という不純物が混ざり、処理不能フリーズを起こしている。


「今だ、セリス! その時計の振り子を破壊しろ! あいつの物理座標へのアンカーになっているはずだ!」


「承知!」

セリスが渾身の力で剣を振り抜いた。

ガギィィィン!!

金属音と共に巨大な振り子が切断され、落下する。


『カ、管理者会議ニ……報告ヲ……』

NARRATOR-NULLの輪郭が崩れ、無数の文字列となって霧散した。


時計塔の震動が収まると同時に、広場から届いていた狂気じみた悲鳴も止んだようだった。パン屋は自分がパン屋であることを思い出し、兵士は自らの臆病さと向き合うだろう。


俺は床に座り込んだ。疲労で視界がチカチカする。


「……終わったか?」

セリスが剣を納める。


「いや」

俺はコンソールに残った最後のログを見つめた。NARRATOR-NULLが消滅する直前に吐き出したパケット。それは特定のIPアドレスを指していた。


『Destination: The_Grand_Library (大図書館) - Forbidden_Section』


「こいつは単なる掃除屋ガベージコレクタに過ぎなかった。奴らを統括している本丸の場所が、ようやく割れたみたいだ」


俺は立ち上がり、砂埃を払った。

HPは1のままだが、俺たちの手には、今度こそ奴らの本拠地へと続く確かな「ポインタ」が握られていた。

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