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第18話:語り手の仮面と、最後の断章

劇場の地下で見つけた筒は冷たく、指先に微かな振動を伝えた。刻印は既知の編集署名と一致するが、表面には別の痕跡も残っている。誰かが意図的に混ぜた痕跡だ。俺は端末を取り出し、ハニーポットで表層のメタデータを剥がしていく。ログは層を成し、そこに埋められた言葉が一つずつ姿を現す。


「これは……断章だ」ミナが息を漏らす。筒の中には小さなデバイスと、薄い紙片が折りたたまれていた。紙には短い文章が走り、断片的な記録と、誰かの告白が混ざっている。語り手の一人が、自らの行為を記録していたのだ。だがその文体は冷たく、計算的でありながら、どこか哀しみを含んでいた。


「我々は物語を守るために編集する。だが守るとは何か。消すことも守ることだ」紙片の一行が、俺の胸に刺さる。語り手たちは自らを正当化していた。彼らの論理は歪んでいるが、そこには確かな信念がある。誰かが物語を選び、誰かが消す。選択は力だ。


劇場の床が軋み、遠くで人の声がする。俺たちは警戒を解かずに筒を持ち上げ、地下室を出た。外は薄曇りの朝で、街はまだ眠りの縁にある。だが王都の空気は変わっていた。公開リポジトリの注釈は増え、街角の会話は鋭さを帯びる。語り手の仮面は少しずつ剥がれているが、その下に何があるかはまだ見えない。


評議会は断章の発見を受けて緊急会合を開いた。公開の場で断章の一部を提示するか、それとも内部で精査するか。意見は割れた。エルダは被害者の声を優先し、公開を主張する。セリスは秩序と安全を優先し、段階的な公開を求める。俺は技術的な検証を重ねることを提案した。断章は証拠だが、同時に誘いでもある。


解析の結果、断章には複数の署名が混在していることが判明した。ARCHIVE-STEWARD、SILENT-ARCHON、そして見慣れないハンドル――NARRATOR-NULL。その存在はこれまでの列挙に含まれていなかった。NARRATOR-NULLは語り手の中でも異端であり、物語を「無」に還すことを志向する者だという噂があった。だが噂は断章の中で、冷たい確信へと変わる。


「彼らは物語を消すことで秩序を保とうとしているのかもしれない」ミナが言う。彼女の声は震えているが、目は鋭い。消去は最も確実な統制だ。記憶が消えれば、抵抗も消える。語り手の論理は恐ろしいほどに単純だ。


その夜、我々は断章の出所を追って劇場の周辺を巡った。古い演者の名簿、忘れられた脚本、そして市井の噂。断片は人々の口を伝い、ある一軒の古書店へと収束した。店主は年老いた男で、目は澄んでいるが手は震えていた。彼は我々を見て、長い間ためらった後に小さく頷いた。


「語り手はここを通った」店主は言った。「彼らは物語を選び、時に買い取り、時に焼いた。だが最近、誰かが『無』を求めていた。ページを消すのではなく、ページが存在したこと自体を消す者がいると聞いた」その言葉は冷たい風のように通り過ぎる。俺は紙片を取り出し、店主に見せる。彼の顔が青ざめる。


「NARRATOR-NULLの印だ」店主は囁いた。「彼らは語りの根を掘り、根ごと引き抜く。記憶の土壌を変えるのだ」その比喩は恐ろしく、同時に的確だった。語り手の戦いは、単なる情報の争奪ではない。存在そのものを巡る戦いだ。


我々は店主の協力を得て、古書店の地下に眠る古い巻物を調べた。そこには過去に消されたはずの物語の断片が残っていた。紙の繊維に残るインクの痕跡、ページの折れ目、そして微かな匂い。NARRATOR-NULLは完全な消去を目指しているが、物語は痕跡を残す。痕跡は我々の武器だ。


だがその夜、王都の通信網に異常が走った。公開リポジトリの一部が一時的に消失し、注釈の履歴が巻き戻される。外部ノードの干渉か、内部の改竄か。ログを追うと、消失の瞬間にNARRATOR-NULLのハンドルが微かなパケットを送っていた。彼らは動いている。しかも、我々の動きを先読みしているようだ。


「罠だ」セリスが短く言った。彼女の手が剣の柄に触れる。だが罠は物理だけではない。語りの場そのものが揺らいでいる。人々の記憶が消えれば、我々の勝利も消える。戦いは急を要する。


翌朝、評議会は公開の方針を再検討した。エルダは被害者の声を守るため、断章の一部を限定公開することを主張した。公開は反撃を招くが、隠蔽は更なる消去を許す。俺は決断を下す。公開と同時に、物語のバックアップを市民参加で行う。誰もが自分の記憶を記録し、共有することで、消去の影響を分散させるのだ。


作戦は迅速に動いた。広場に臨時の端末が設置され、人々は自分の物語を入力し始める。古い写真、手紙、歌、子供の落書き――あらゆるものがデジタルの海に流れ込む。NARRATOR-NULLの狙いは個別の物語を消すことだが、分散された記録はその力を弱める。市民の声が一つになり、語りの網が張られていく。


だが最後の瞬間、劇場の地下で見つけた筒の紙片が、俺の胸に重くのしかかる。そこにはもう一行、最後の断章が残されていた。


「語り手は我々の鏡だ。鏡を割れば、誰が自分を映すのか分からなくなる。だが鏡を持つ者は、いつか自分の顔を忘れる」


その言葉は、俺たちの行動を問い直す。語りを守るために何を犠牲にするのか。消去に抗うために、どこまで透明であるべきか。物語の網は広がり始めたが、網の中で誰が糸を引くのかはまだ分からない。


夜が更け、端末の光が街を照らす。人々の声が波となって広がる中、俺は静かに立ち尽くした。語り手の仮面は一枚剥がれたが、その下には別の仮面がある。NARRATOR-NULLは動き、我々は応じた。だが最後の断章は、まだ全てを語ってはいない。誰が語り手となり、誰が語られる者となるのか――その答えは、次のページで明かされるだろう。

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