表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/33

第1話:そのバグ、致命的な例外エラーにつき

淹れたてのコーヒーが冷めきっていた。それが、俺の脳が記録した最後の感覚だった。


トラックに轢かれたわけじゃない。通り魔に刺されたわけでもない。


ただ、杜撰ずさんな経理レポートと、70時間のサービス残業、そして俺の心臓が「これ以上の稼働はコストに見合わない」と論理的に判断した結果だ。システムダウン。サービス終了。


俺の名前は加賀見レイジ。29歳、社畜SEシステムエンジニア


俺の死は、俺の人生と同じくらい退屈なものだった。


――そう思っていた。目が覚めるまでは。


そこは病院のベッドでも、地獄の釜でもなかった。


真っ白で無機質な空間。目の前には、空中に浮かぶマホガニーの高級デスク。そしてその奥には、銀髪の美女が完璧なビジネススーツを着こなし、ホログラムのノートPCを猛烈な勢いでタイピングしていた。


「遅いですよ、魂No.492-B」


彼女は顔も上げずに言った。


「アポは取ってないはずだが」


俺は答えながら、もう存在しない眼鏡を押し上げる仕草をした。体が軽い。自分の手を見ると、半透明だった。


女は大きなため息をつき、ノートPCをパタンと閉じた。その瞳には銀河のような輝きがあったが、月曜朝の市役所職員のような気だるさが漂っていた。


「私は第7セクターの管理者。古い言葉で言うなら『女神』です。貴方は死にました。カルマ値はニュートラル。規定により、クラスSファンタジー世界への転生オプションが適用されます。剣と魔法。魔王討伐。よくあるテンプレです。さっさとスキルを選んでください。第4セクターでパンデミックが起きて、あと3000人の魂が待機列に並んでいるんですから」


彼女が指を鳴らすと、目の前にリストが浮かび上がった。


【聖剣:エクスカリバー】


【神級火魔法】


魅了ハーレム:ランクEX】


【成長速度:100倍】


俺はリストを一読し、眉をひそめた。


「非効率だ」


女神が瞬きをした。


「はい?」


「聖剣は物理的な訓練が必要だ。魔法はMPという有限リソースの管理コストがかかる。ハーレムに至っては人間関係の調整と維持コストが膨大で、俺の手に余る。成長100倍ということは、初期ステータスが低いということだ。これらはすべて『努力』を前提としている」


「冒険なんですよ!?」女神は声を荒らげた。「努力してナンボでしょうが!」


「努力なら前世で死ぬほどやった。その結果が過労死だ。俺が求めているのは『冒険』じゃない。『制御コントロール』だ。このリストは却下する」


女神はこめかみを指で押さえた。「あのねぇ、定命の者よ。システムは自動化されてるの。データベースにないものは渡せないわ。選ばないと、名前のない村人NPCとして放り込むわよ?」


俺は彼女の背後にあるホログラム画面に目を向けた。そこには、青いコードの羅列が滝のように流れている。これから俺が送られる世界のソースコードだ。


「スキルなんて要らない」俺は画面を指差した。「俺にあれへのアクセス・・・・・を寄越せ」


彼女は俺の指先を目で追い、乾いた笑い声を上げた。


「世界のカーネル? 管理者権限が欲しいと? バカなことを。そんなの渡せばクリティカルエラーが起きるわ。第一、人間の魂じゃ処理しきれなくて脳が焼き切れるのがオチよ」


「俺はSEだ。脳みそならとっくの昔に焼き切れてる。フルアクセスじゃなくていい。俺の周囲半径数メートルに限定した『ローカル環境の読み書き権限』だけでいい。その代わり――基礎ステータスはすべて放棄する。HPもMPも筋力も、全部『1』で構わない」


女神は好奇心と悪意が入り混じった目つきで俺を見た。そして、サディスティックに微笑んだ。

「ステータス『1』と引き換えに、情報過多で廃人になるかもしれないデバッグ機能? ……いいわ。身の程知らずが自滅するのを見るのも、一興ね」


彼女の指がキーボードの上で踊った。


「取引成立。」


足元の床が消滅した。


「せいぜい頑張りなさい、『管理者さん』。初日に自分自身のデータを消去しないようにね」

重力が、復讐するかのように戻ってきた。


俺は顔面から泥に突っ込んだ。空気はオゾンと腐った肉の臭いがした。


痛む体を起こす。体は実体化しており、死んだ時のスーツ姿のままだった。驚くほど体が重い。いや、俺が弱すぎるんだ。


「ステータス」

小さく呟くと、青いウィンドウが展開された。

【名前:加賀見レイジ】

【種族:人間】

【レベル:1】

【HP:1/1】

【MP:Error】

【筋力:1】

【ユニークスキル:コンソール接続(Ver. 0.1)】


「HPが1……。小石につまずいただけで死ぬな」


完璧だ。絶対的なリスクこそが思考を研ぎ澄ます。


バキリ、と枝が折れる音が静寂を破った。


ねじれた骨でできたような不気味な森の奥から、獣が現れた。


スクールバスほどの大きさがある狼だ。三つの首があり、口からは腐食性の酸を垂れ流している。ケルベロスの亜種か。


赤い瞳が俺を捉えた。


『グルルルルゥ……』


原始的な本能が「逃げろ」と叫ぶが、俺の論理的思考は「無駄だ」と弾き出した。筋力1の俺が走ったところで、コンマ5秒で捕食される。


狼が跳んだ。その爪が、俺を真っ二つに引き裂こうと迫る。


俺は右手をかざした。魔法の詠唱もしない。祈りもしない。


ただ、目の前の獣を構成するデータ構造を視覚化した。


「――【要素を調査インスペクト・エレメント】」


世界がワイヤーフレームのグリッドに変わった。


狼の頭上に、コードのウィンドウがポップアップする。


[Entity: Chimera_Wolf_Cerberus]

[ID: Monster_33902]

[State: Attacking]

[Coordinates: X:405, Y:20, Z:12]

[HP: 5000/5000]


予想通りだ。この世界は、神というハードウェア上で動くソフトウェアに過ぎない。

そして俺は今、キーボードを握っている。


狼の爪が、鼻先数センチまで迫っていた。


俺は人差し指を伸ばし、[Coordinates(座標): Z:12] と書かれた行をタップした。


「パラメータ書き換え。Z軸12を、Z軸500へ変更コミット


[> Update Z: 12 -> 500]


変化は一瞬だった。


衝撃は来なかった。狼は単に……消失した。


一秒後、遥か上空から悲鳴のような遠吠えが聞こえ――。


ドサッッッ!!!


500メートル先で、何かが地面に叩きつけられる鈍く湿った音が響いた。


【経験値を獲得しました。レベルが上がりました】


【ランクAモンスターを討伐しました】


俺は泥で汚れたネクタイを締め直した。


この世界の戦闘システム(バランス)はバグだらけだ。なら、仕様のエクスプロイトを突くまで。


「さて」


俺はズボンの埃を払った。


「まずはまともなコーヒーが飲める場所を探すか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ