5話 花の思い出
扉の隙間から、太陽が何度も俺を見ていった。
「いつまで寝ているんだ」と言われたようなので、俺は起き上がった。
心の思うまま――そうアーサーに言われたので、”虹の種”を蒔こうと思う。
畑はもちろん、丘の上と、川辺――あとは滝つぼあたり。
ここにも蒔いてみよう。
いつものように土を柔らかくして、指で穴を開ける。
「……ここには五つでいいか」
滝の霧のそばに、小さな黄色い花が揺れていた。
この季節に咲くには早すぎる――
でも、だからこそ余計に強いのか。
その群がる花たちの端に、“虹の種”をそっと埋めた。
芽が出た時、仲良くなれるかと思った。
家に帰ると、次に何をすればいいのか、わからなくなった。
虹の種を持つ前の生活が、もう思い出せないほどだ。
ならば――と、もう少し遠くへ種を蒔きに出かけることにした。
一日で帰れるだろうと考え、北の山頂を目指して歩き出す。
今住む山を一度下ると、咲く花も違えば、木も草も変わっていく。
「ここでもいいか」と思って、いくつかの場所に種を蒔いた。
けれど、ここでは何の目印もないことに気づき、思わず自分に呆れた。
森の奥で、暗い小さな沼を見つけた。
山の中の沼は、たいていすぐに干上がってしまう。
けれど、この沼は――あと数年は、このまま生き続けるだろう。
今はまだ辺りに何も咲いていない。
だけど、この“虹の種”が、やがてこの場所に綺麗な花を咲かせてくれるに違いない。
少し多めに蒔いておいた。
頂上に着いた頃には、もう日が沈んでいた。
あまりにも高すぎるせいか、空気が凍てそうだ。
吐く息は白く、頬が痛い。
雪男に握り潰された時を思い出す。
――こんな寒い場所で、芽を息吹かせることなどできるのだろうか。
それでも、これも“試し”だと思い、三つだけ、少し深めに埋めておいた。
暗闇の中で、遠くに明かりが見えた。
あのあたりは――一番、人里離れた村のはずだ。
なのに、あんなに灯りが並んでいるとは思わなかった。
「……平和なのだから、当たり前か」
しばらく眺めていたが、足は向かなかった。
それでも――どんな村になっているのか、そんなことを考えながら、家へと帰った。
考え事をしていたせいか、空はもう白み始めていた。
「ん……?」
何かが気になる。
種を蒔いた畑のまわりに、見慣れない跡があった。
獣のものだろうか――いや、どこか“足跡”のようにも見える。
魔物のはずはない。
「……見間違い、か」
そう自分に言い聞かせた。
また三日、ろくに眠れなかった。
だけど、限界がきて、ようやく眠った。
――そして目を覚ますと、頭は驚くほどすっきりしていた。
魔物の気配など、まったくない。
畑のまわりにあった跡も、どうやら俺の足跡だったようだ。
……虹の種を手に入れてから、少し慌てすぎか。
しかし、”虹の種”が咲き誇るところを見てみたい。
「よし、今度は東の山に登ってみるか」
それはとても険しい山だった。
目指すのは、山の中腹にある洞窟。
昔、冒険の旅の途中で訪れた場所だ。
外は猛吹雪でも、そこには温泉が湧き出ていた。
蒸気に満ちた湿気の中、岩の隙間に咲く花が――健気に咲いていた。
“珍しいあの花”を、もう一度見たいと思った。
昔のことを思い出したいわけじゃない。
ただ、俺の記憶の片隅で――“あの花も、芽吹いた”ような気がした。
この山の途中には、内部へと続く洞窟がある。
仲間たちとその迷路のような洞窟を抜けて、山頂まで登ったことがあった。
だが今は、俺ひとりだ。
吹雪のなか、氷の壁をよじ登る。
手足の感覚が薄れていくのを感じるが、それでも歩みには問題ない。
気づけば、目的の場所はすぐ着いた。
仲間と入った温泉を思い出す。
この洞窟にいるだけで、入っているのと一緒だ――
そう言って、戦士は湯に浸からなかった。
今でも、変わらず蒸気が噴き出している。
だいぶ探したが、“あの花”は見当たらなかった。
なぜないのかと考えてみたが、俺にわかるはずもない。
ここでは日も差さない。
それでも、“あの花”のことを思い出していた。
そして、虹の種を、いろんな場所に植えてみた。
ついでにと思い、温泉に入った。
あの頃よりも熱い気がしたが、平気だった。
そうだ――思い出した。
剣と荷物は頭に乗せるといいらしい、と誰かが言い出して、それを、みんなで真似したっけ。
それも、懐かしい。
こんな熱さを感じるのは、いつのことだろう。
「……こんな感覚、久しぶりだな」
……体中が沸騰しそうだ。
思わず、底にある石を手で握っていた。
よく見ると、黄色い宝石が交じっていた。
形はいびつだったが、綺麗なので拾っておいた。
温泉を出た俺は、茹でタコみたいなものだろう。
あれから宝石を探してみたが、一つも見つからなかった。
誰かの落とし物だったのかもしれない。
身体が芯まで冷える前に、山を下れるだろうか。
それとも、吹雪のない洞窟の中を通って帰るべきか……。
どうやら、身体は覚えていたらしい。
洞窟の中を駆け足で山を下ってきた。
家に着く頃には、爽やかな風が頬を撫でていた。
温泉に入ったおかげか、調子はかなりいい。
北へ行き、東へも行った。
ならば――次は、南に行こうか?
ただ――南には湖沼が多く、底なし沼も少なくない。
正直、行くのは面倒だと思った。
それでも、頭に浮かんだのは、湖の底で咲く“水中花”だった。
あの厳しい場所で咲く花の生命力が、かつての俺を奮い立たせ、救ってくれたことがある。
「……昔は、良かったな」
“魔王討伐”か……。
南にあった魔王城のことは、今でもよく覚えている。
あの頃は、それだけを考えていれば、すべてがうまくいっていた。
戦士に頼られる俺。
魔法使いに褒められる俺。
盗賊には……尊敬されていたのかもしれない。
そして、プリーストには――
信頼以上のものがあったと、俺は勘違いしていた。
「南に行くのはやめるか……」
あっちへ向かうのは気が進まない。
そう考えながら、家が見える場所まで戻ってきた。
風が止み、空気がよどんだ気がしたのか――
静かな帰り道だ。
……ん? 誰だ?
家の前に、見慣れない人影が立っていた。




