6話 役目を終えた、その場所
俺が目を開けると、見渡す森の姿が、いつの間にか変わっていた。
それは、どこか宮殿のようで――
空を見上げる俺は、まるで魔王にでもなった気分だった。
そのまま、もう一度目を閉じる。
そして、改めて開けば――
そこには、先へ進めないほど森が繁っていた。
虹色の植物たちが、俺を取り囲んでいる。
誰かから隠しているのか……。
それとも、世界から封じられてしまうのなら――
それでもかまわない。
……今でなくても。
まるで枯れるように、目の前に道が作られる。
そこから現れたのは、エリザさんと、少し背の伸びた魔王だった。
……だが、近づいて来るだけで、時が流れている。
そう思えるほど、彼女たちと俺とでは、存在している空間が違う。
困るのは、年をとるエリザさんだけだ。
いま彼女に残っているのは、美しさだけなのか……。
だから、急がなければならないのだろう。
この、おかしな時間を戻すために。
そのままでもよかった。
だが、最後に――エリザさんと、言葉を交わしたかった。
俺は椅子から立ち上がる。
その瞬間、時間の軸が揃った。
「ちょっと待って……」
予想はしていたが、彼女は即座に踏み込んできた。
問いかける余地もない。
聞く時間が、彼女には残されていないのだ。
――仕方ないか。
俺は、できるだけ優しく、
剣を握る彼女の手首を押さえた。
力は要らなかった。
剣は、そのまま滑り落ちる。
そして俺は、
腰に下げていた伝説の剣を外し、彼女の手に渡した。
「どうして?」
驚いた彼女の声を聞いただけで、ため息が漏れた。
――やっと、話せる。
「勇者は、君でかまわないよ……。いや、元から俺じゃなかった気がする」
エリザは何も言わず、渡された伝説の剣を、ゆっくりと引き抜いた。
そこに、折れた刃はない。
光を宿した、欠けひとつない剣が姿を現す。
そこに、彼女が何に迷っているのか、手に取るようにわかった。
それは――
魔王を倒さなければならない、勇者という存在の、逃れられない宿命。
「ママ……平気?」
その言葉に引きずられるように、エリザの感情がロロリーへと伝わったのだろう。
勇者が二人いるという状況に、彼女は怯えているようだった。
「大丈夫よ、ロロリー。あなたは、私の娘なんですもの」
その優しさが、勇者ゆえのものなのか。
それとも、考えることをやめた結果なのか。
エリザは剣を掲げ、俺を見つめた。
「きっと……魔王を倒したあの時から、無意識にわかっていたんだろうね。俺が何も考えず、突き進んだから。間違いに気づけなかったのは、そのせいだ」
だから――
謝っておくよ。
俺は、無防備に頭を下げた。
そこに剣が振り下ろされることを、承知の上で。
ああっ。
エリザが、突然唸り声を上げた。
うずくまったその背には、短剣が刺さっている。
ロロリーも息を呑み、周囲を見渡した。
だが、誰かの気配はまったくない。
――ただ。
俺には、誰の仕業かがわかっていた。
彼のやることなら、俺が咎めることは、ないだろう。
そう思い、俺はそのまま椅子に座り直した。
エリザは、死んだ。
老衰だった。
「……ママを、殺したな」
ロロリーは泣きながら、こちらへ向かってきた。
だが、俺の前で立ち止まる。
まだ、理性が残っていたのか。
それとも――
過ぎていく時の中で、力が満ちるのを待っていたのか。
「僕じゃない。お前が、魔王だ」
きっと。
異世界の勇者とは、そんなものなのだろう。
ただ見つめ合う俺たちの周囲を、
ノワに似た蔓が、静かに取り囲んでいた。
もう、ロロリーは逃げられない。
魔王としての彼女は、ここでは何もできない。
……ただの、
この世界にいてはならない、ひとつのコマだった。
「エリザは……生き返る。正確に言えば、世界が戻るんだ。俺たち以外は、ね」
時間を進めているわけじゃない。
ただ――
ネジを巻いているようなものだ。
俺がいなくなれば、それは、自然に巻き戻る。
手を伸ばせば届く距離に、ロロリーはいた。
もう勇者ではない俺は、彼女を倒さない。
このまま一緒に、「虹の種」と「軽い金属」に殺されればよかった。
***
エリザは、深い森へと向かおうとした。
ただ、その理由が思い出せなかった。
伝説の剣を持つ自分が勇者なのはわかる。
魔物が何処にもいないことも。
それに、どう見てもこの森には入れない。
巨大な木々は、ただ立っているのではなかった。
幹は幹の形を忘れ、ねじれ、重なる。
一本がどこから始まり、どこで終わるのかも判別できない。
地面から盛り上がる根は、もはや根ではない。
石のように固く、鉄のように冷たく、それでいて、わずかに脈打っている。
見上げても、頂はない。
葉の層、枝の層、蔓の層が重なり、
空は、遠い記憶の色に押し潰されていた。
この森は、侵入を拒んでいるのではない。
最初から――
入るという選択肢を、用意していない。
巨大なオブジェだった。
そして、風に揺れた蔦は、もう虹の色を帯びてはいなかった。
―― 完 ――




