3話 勇者を名乗る本物はとは
昔の記憶というのは、案外あっけない。
プリーストが金も財産も持って、俺たちの前から消えたこと。
あれも、もうずいぶん前の話になってしまった。
新しい出来事があれば、人はそれを上から塗ってしまう。
まして――
目の前に立っているのが、かつての“仲間”なら。
「プリーストさんは、何を――」
そこまで言って、声が止まった。
王冠。
その中央に嵌め込まれた宝石を、見てしまった。
間違えようがない。
秘宝の中の秘宝。
魔王城で、唯一、闇を照らしていた光だ。
……虹の星核が、なぜ?
記憶をたどり、たどり――ようやく思い出す。
「それは、魔王を倒した時に、消えていったはずだ……どうして、あなたが」
「あ、これ?」
エリザは、王冠に嵌め込まれた宝石に触れた。
「綺麗よね」
つつみこむような、どこか母にも似た視線が、俺に向けられる。
「ふふ……“あの時”わかったのよ」
彼女は、少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「あなたじゃ……ないんだって」
「……何が言いたい」
声が、途中で止まる。
それでも――
何を言われているのかは、わかっていた。
俺は、勇者ではない。
「あ、その顔――わかってくれたのね。でも、納得はしていないでしょう?」
エリザはそう言って、玄関の方へ視線を投げ、片手で軽く合図をした。
「あ、はーい」
返ってきたのは、場違いなくらい、可愛らしい女の子の声だった。
俺のいる寝室からは、姿は見えない。
軽い足音だけが、近づいてくる。
そして――
エリザの背に隠れるように、
その子が、ひょいと顔を出した。
俺は……。
気づけば、腰から伝説の剣を抜き――
一振り。
その女の子の身体が、半分に――なった。
……はずだった。
折れた刀身は、そこまで届いてすらない。
もう一度。
今度こそ――。
一歩、踏み出そうとした瞬間。
「勇者くん、やめて!」
エリザの声が割って入る。
「ロロリーが、怖がってるじゃない」
女の子は、
彼女の背に、すっかり身を隠していた。
俺は……
その声で、動きが止まったわけじゃない。
見えない壁を作られたように、前へ進めない。
……くっ。
「どうして、プリーストさんが……そいつと」
そのとき。
彼女の背中から、顔をぴょこっと出して、
その子は俺に向かって、
べぇ、と舌を出した。
その仕草が、俺の中の確信だけを、正確に踏み抜いた。
「……そいつは、魔王じゃないか」
「プリーストさん……」
俺の中で、感情が騒がしくうずめく。
ただ、その中で形を持ち、
はっきりと俺に突き刺さるものは――
目の前にいる魔王を、倒せないという敗北感。
そして、もうひとつ。
俺は勇者ではない。
そう、すでにわかってしまっているという虚無感だった。
「その名前は嫌なの。勇者くんも、今度からエリザと呼びなさい」
そう言って、彼女は小さく肩をすくめた。
「それに、魔王ちゃんにも――ロロリーっていう、可愛い名前があるのよ。わかったかしら?」
「俺は……どうすれば……」
そのつぶやきが聞こえたのか、エリザは、少しだけ表情を和らげて続けた。
「もう、わかったのかしら?」
エリザは、諭すように微笑んだ。
「勇者は――わ・た・し。そして世界は、魔王であるロロリーちゃんと一緒に、統べるのよ」
そんなことがあり得るのか……。
自信にあふれるエリザの顔は忘れられない。
「だから勇者くんは、あの山から出て行ってね。そうそう……ロロリーちゃんは優しいから、前に住んでいた城を、あなたにあげるそうよ」
覚えているのも、もうここまでだ。
どうしてここへ来たのか――その理由さえ、思い出せない。
誰もいなくなったこの家を出た時、まだ冷たい雨が、静かに降り続いていた。
***
「むー、ママ、ごめんなさい。あの勇者さん、強すぎるよ」
ロロリーは、今にも涙が零れそうになっていた。
「いいのよ。出来たらって言ったでしょう?」
エリザは、やわらかく言ってから続ける。
「もともと、二人でも倒せない相手だもの。だから“あの作戦”を始めたのよ。今まで通り、行きましょう」
「うん、もうすぐ、あの封印もいけるよ。でもさ……ママ、あの“時間”のやつ、やった?」
「えー、だってママ、ロロリーちゃんの成長した姿を見たくなっちゃたのよ。でもそうよね、魔法使いさんを生き返らせちゃうなんて失敗よね」
「僕が、見つけてきた虹色アイテムならまだあるから使う?」
「そうねー、この間のアーサーはどうなったのかわからないし、上手く転ぶとは限らないのよね」
エリザは、突然封印から現れたアセルに、確かに驚いた。
だが、まったく考えていなかったわけではない。
その可能性のために、あの古い家を残していたのだから。
勇者という存在は、時間に縛られない。
そうでなければ、説明がつかない。
けれど――
エリザ自身は違う。
鏡を見るたび、わずかな変化が、確かに積み重なっていく。
勇者であっても、それは止まらない。
だからこそ、急がなければならなかった。
時間は、もう残されていなかった。
エリザは、ロロリーの頭に手を置いた。
その温もりに、ほんの一瞬だけ、指が止まる。
――間に合う。
そう言い聞かせるように、彼女は視線を上げた。




