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なぜ、最強の勇者は無一文で山に消えたのか? ──世界に忘れられ、ひび割れた心のまま始めたダークスローライフ。 そして、虹の種は静かに育ち始める。ゆっくり、最悪へと。  作者: イニシ原
七章 過ぎ去った時は何のため?

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2話 変わらないものは、何だ

 ノワは、半身をくねらせたまま凍りつき、瞳を閉じている。

 金属と氷が彫刻のように重なり、その美しさを、半永久に眠らせるみたいに。


 さっきまで冗談を言っていたトリスも、いつの間にか動かなくなっていた。

 ミナリーも、一緒に凍ってしまったのか?


「……二人して、なにしてるんだ?」

 俺の声で、ようやく時間が動き出したようだった。


「ええと……アセルさんが出した氷、ですか?」

 トリスの目は、ノワから離せない。

「すごい冷気で……どうなるのか見ていたら……」

 頭の中が、こんがらがってしまったようだ。

「……どうなったんですか?」


「あれは――」

 ……大切な。

「“虹の氷の実”とでも呼ぶような……大事なアイテムだよ」


「へぇ……」

 笑うトリスが、あいつに似ていた。

「本当に、アセルさんは勇者なんですね」


「また、練習でもするか?」

 途中で終わっていたのを、思い出す。

 扱いが上手かった短剣を、教えてやろう。

 きっとそれが――

 俺が“勇者”として生きてきた人生なんだと思った。


 凍った黒花を横目に、俺は木製の短剣を作った。

 重さを考えて、少し大きめに。


 練習とはいえ、トリスの突きは速い。

 変化をつけて、俺に襲いかかってくる。

 もちろん、予想した軌道だ。


 それでも、すぐに息が上がる。

 どうしてなのか、トリス自身にも分からないらしい。


「攻撃に入ったら、頭を空にしろ」

 切り替えるタイミングが、大事だ。

 ……だが、それは言わなくても、もう出来ていた。


「戻りつつあるのか……」

 思わず、気を抜いていた。


 脇腹に、短剣が突き刺さった――

 もっとも、刃が俺の体に食い込む前に、木のほとんどは砕け散っていた。


 トリスは、あっと息を呑んだような顔をした。


「……そうなると、アーサーが気になるな」

 俺は、トリスを見たまま言う。

「アーサーを探して欲しい」


 ……おかしい。


 トリスの表情が、さっきから変わらない。

 俺のことを刺した時のまま、固まっている。


「悪いな。練習の途中なのに」

 俺は言い直した。

「アーサーを、もう一度探して欲しいんだ」


「……アーサー、ですか?」

 それでも、彼は首を傾げるだけだった。

「それは、誰のことなんですか?」


「いや……なんでもない」


 ……これは、よく考えなければ。

 記憶を惑わす魔法だとしても、問題は――

 いつ掛けられたのか……。


 ……ノワのせい……では、ないよな。

 引っかかるのは、アーサーからだと言っていた、あの特別な土。

 ……偶然、か?

 じいさんも、呪いだと言っていた。


 こうなれば――

 俺が、探しに行くしかないだろう。


「俺は出て来るから、練習でもしててくれ」


「え? はい」

 トリスはまだ戸惑っていて、ミナリーと俺を交互に見ていた。


 久しぶりの感覚だ。

 カルドの町までの道は――静かというより、音が失われていた。


 町には、まだ人が戻ってきていない。

 それは、しばらく歩いてすぐにわかった。


 結界だ。

 俺が作った檻と、よく似た気配。

 虹色の壁が、町を包み込むように立っている。


 手を伸ばしても、何かに触れる感触はない。

 それでも、そこに「在る」とわかる。

 外へ出ることは、簡単だった。


 ……守っているのか、閉じ込めているのか。

 作った本人の俺でも、もう区別がつかない。


 ただ、誰一人として寄りつかないことだけは、すぐにわかった。

 心の奥まで染み込んでくる、冷たい雨が降っている。

 色を失った薄暗い世界に、ぽつり、ぽつりと落ちる音。

 それだけで、十分すぎるほど滅入る。


 やっと人のいる町まで辿り着いたが、活気はなかった。

 この雨では、無理もない。


 どうやら、王都にまで降っているらしい。

 なら――そこへ行く。

 何かがわかるかどうかは、行ってから考えればいい。


 やっと、色が世界に戻ってきた。

 たなびく国旗。

 街を守る兵士の鎧。

 庶民たちの服も、鮮やかだ。

 懐かしさはある。

 ただ、それだけだった。


 誰からも、声を掛けられない。

 この場に似合わない俺でも、だ。

 自分を俯瞰で見れば、あの頃とは立場が逆だった。

 助ける側ではなく、お願いして回る人間の顔をしている。


 昔と違い、街の端まで来ても、白く輝く街並みは続いている。

 その中に――

 俺みたいな場違いな家が、一軒だけ建っていた。


 ……そうか。

 これは、国王から下賜された――

 俺の家が、まだ残っていたのか。


 今にも崩れそうな、傾いた扉。

 中に入れば――

 それこそ本当の懐かしさが、体の奥で膨らんでくる。


 ……昔と、何も変わっていない。


 隣の寝室には、埃をかぶった絵画がひとつあった。

 魔王退治に出かける前の、仲間たちとの絵だ。


 吹く息で、埃を落とす。


 戦士さんは、変わったな。

 昔は、自分で討伐した青竜の鎧を着ていたはずだ。

 じいさんは白かったと言い張っていたけど――

 やっぱり、灰色だろ。


 トリスのために、教えてやってもいいかもしれない。

 あの頃の、盗賊の姿を。


 ……プリーストさんは、どうしているんだろう。


 懐かしさを、何度も噛みしめていた。


 そこへ――

 家の前の石畳を踏み潰すような音を立てて、馬車がやって来た。

 六頭もの馬。

 それに続く、兵士たちの鎧が擦れる音。


 ひとしきり響いて、そして、不自然なほど静まった。


 腐りかけた床を踏みながら、こちらへやってくる。


 戸のない寝室に現れたのは――

 昔の面影を、十分すぎるほど残したプリーストだった。


 その姿を、記憶の中の像と重ねているうちに、

 彼女は不機嫌そうに口を開いた。


「あーあ。年を取らないなんて、ずるいわ」


 その美しさの中に、不満だけが澱のように残っている。

 それでも俺には――

 昔と、何も変わっていないように見えた。

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