2話 変わらないものは、何だ
ノワは、半身をくねらせたまま凍りつき、瞳を閉じている。
金属と氷が彫刻のように重なり、その美しさを、半永久に眠らせるみたいに。
さっきまで冗談を言っていたトリスも、いつの間にか動かなくなっていた。
ミナリーも、一緒に凍ってしまったのか?
「……二人して、なにしてるんだ?」
俺の声で、ようやく時間が動き出したようだった。
「ええと……アセルさんが出した氷、ですか?」
トリスの目は、ノワから離せない。
「すごい冷気で……どうなるのか見ていたら……」
頭の中が、こんがらがってしまったようだ。
「……どうなったんですか?」
「あれは――」
……大切な。
「“虹の氷の実”とでも呼ぶような……大事なアイテムだよ」
「へぇ……」
笑うトリスが、あいつに似ていた。
「本当に、アセルさんは勇者なんですね」
「また、練習でもするか?」
途中で終わっていたのを、思い出す。
扱いが上手かった短剣を、教えてやろう。
きっとそれが――
俺が“勇者”として生きてきた人生なんだと思った。
凍った黒花を横目に、俺は木製の短剣を作った。
重さを考えて、少し大きめに。
練習とはいえ、トリスの突きは速い。
変化をつけて、俺に襲いかかってくる。
もちろん、予想した軌道だ。
それでも、すぐに息が上がる。
どうしてなのか、トリス自身にも分からないらしい。
「攻撃に入ったら、頭を空にしろ」
切り替えるタイミングが、大事だ。
……だが、それは言わなくても、もう出来ていた。
「戻りつつあるのか……」
思わず、気を抜いていた。
脇腹に、短剣が突き刺さった――
もっとも、刃が俺の体に食い込む前に、木のほとんどは砕け散っていた。
トリスは、あっと息を呑んだような顔をした。
「……そうなると、アーサーが気になるな」
俺は、トリスを見たまま言う。
「アーサーを探して欲しい」
……おかしい。
トリスの表情が、さっきから変わらない。
俺のことを刺した時のまま、固まっている。
「悪いな。練習の途中なのに」
俺は言い直した。
「アーサーを、もう一度探して欲しいんだ」
「……アーサー、ですか?」
それでも、彼は首を傾げるだけだった。
「それは、誰のことなんですか?」
「いや……なんでもない」
……これは、よく考えなければ。
記憶を惑わす魔法だとしても、問題は――
いつ掛けられたのか……。
……ノワのせい……では、ないよな。
引っかかるのは、アーサーからだと言っていた、あの特別な土。
……偶然、か?
じいさんも、呪いだと言っていた。
こうなれば――
俺が、探しに行くしかないだろう。
「俺は出て来るから、練習でもしててくれ」
「え? はい」
トリスはまだ戸惑っていて、ミナリーと俺を交互に見ていた。
久しぶりの感覚だ。
カルドの町までの道は――静かというより、音が失われていた。
町には、まだ人が戻ってきていない。
それは、しばらく歩いてすぐにわかった。
結界だ。
俺が作った檻と、よく似た気配。
虹色の壁が、町を包み込むように立っている。
手を伸ばしても、何かに触れる感触はない。
それでも、そこに「在る」とわかる。
外へ出ることは、簡単だった。
……守っているのか、閉じ込めているのか。
作った本人の俺でも、もう区別がつかない。
ただ、誰一人として寄りつかないことだけは、すぐにわかった。
心の奥まで染み込んでくる、冷たい雨が降っている。
色を失った薄暗い世界に、ぽつり、ぽつりと落ちる音。
それだけで、十分すぎるほど滅入る。
やっと人のいる町まで辿り着いたが、活気はなかった。
この雨では、無理もない。
どうやら、王都にまで降っているらしい。
なら――そこへ行く。
何かがわかるかどうかは、行ってから考えればいい。
やっと、色が世界に戻ってきた。
たなびく国旗。
街を守る兵士の鎧。
庶民たちの服も、鮮やかだ。
懐かしさはある。
ただ、それだけだった。
誰からも、声を掛けられない。
この場に似合わない俺でも、だ。
自分を俯瞰で見れば、あの頃とは立場が逆だった。
助ける側ではなく、お願いして回る人間の顔をしている。
昔と違い、街の端まで来ても、白く輝く街並みは続いている。
その中に――
俺みたいな場違いな家が、一軒だけ建っていた。
……そうか。
これは、国王から下賜された――
俺の家が、まだ残っていたのか。
今にも崩れそうな、傾いた扉。
中に入れば――
それこそ本当の懐かしさが、体の奥で膨らんでくる。
……昔と、何も変わっていない。
隣の寝室には、埃をかぶった絵画がひとつあった。
魔王退治に出かける前の、仲間たちとの絵だ。
吹く息で、埃を落とす。
戦士さんは、変わったな。
昔は、自分で討伐した青竜の鎧を着ていたはずだ。
じいさんは白かったと言い張っていたけど――
やっぱり、灰色だろ。
トリスのために、教えてやってもいいかもしれない。
あの頃の、盗賊の姿を。
……プリーストさんは、どうしているんだろう。
懐かしさを、何度も噛みしめていた。
そこへ――
家の前の石畳を踏み潰すような音を立てて、馬車がやって来た。
六頭もの馬。
それに続く、兵士たちの鎧が擦れる音。
ひとしきり響いて、そして、不自然なほど静まった。
腐りかけた床を踏みながら、こちらへやってくる。
戸のない寝室に現れたのは――
昔の面影を、十分すぎるほど残したプリーストだった。
その姿を、記憶の中の像と重ねているうちに、
彼女は不機嫌そうに口を開いた。
「あーあ。年を取らないなんて、ずるいわ」
その美しさの中に、不満だけが澱のように残っている。
それでも俺には――
昔と、何も変わっていないように見えた。




